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(2017年12月14日からカウント)


☆ポツダム宣言と日本国憲法
〜第65回・国立東「9条カフェ」の報告
《2017年12月14日開催》


☆筆者は2017年12月14日(木)午後4時から、東京・国立市の「9条カフェ」で、「ポツダム宣言と日本国憲法」(ポスターの題は少し違っていますが)といったテーマで、報告をしました。
 参加者は15人で、会場の喫茶店はほぼいっぱい。『週刊金曜日』での集会のお知らせや筆者のツイートを見て、神奈川県川崎市など、遠くから来ていただいた人もいて、筆者は感激しました。議論も、自分の意見を自由に述べあうスタイルで、充実した議論になりました。
 次回は、2018年2月22日(木)午後4時から2時間、場所はいつもと同じ国立市内の喫茶店「ひょうたん島」です。国立東「9条カフェ」のリンク先は、こちらです。→ここをクリック。
 参考までに、筆者が提出したレジュメを以下に添付します。あわせて、PDFにもしましたので、ご利用ください。
〈PDFをダウンロードするには、ここをクリック〉


2017年12月14日、9条カフェ
レジュメ「ポツダム宣言と日本国憲法」
ジャーナリスト・今田真人

(問題提起)憲法9条を改悪して、国連加盟国の資格があるだろうか
「1945年8月15日に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された『日本軍の無条件降伏』『日本の民主主義的傾向の復活強化』『基本的人権の尊重』『平和政治』『国民の自由意思による政治形態の決定』などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった」(ウィキペディア)

@ポツダム宣言とは
1945年7月26日、ポツダム(ドイツ)で発せられた米英中3国の対日無条件降伏要求の文書。13条項から成る。のちにソ連が加わる。
日本国憲法の成立にかかわる条項は、第6項、第7項、第10項、第12項である。

◎1946年4月、内閣法制局「憲法改正草案に関する想定問答(第2輯)」
問 ポツダム宣言と憲法改正との関係如何
答 ポツダム宣言には、
(1) 第10項において「……」とあり、
(2) 又第12項において、「……」とあり、
(3) その他、第6項において、日本の軍国主義者の「……」旨を規定し、又第7項において、「……」を要求してゐるのであります。
すなわち、同宣言は、かやうに日本国の民主化、日本国における基本的人権の尊重、日本国における軍国主義的要素の抹殺等を要求してゐるのであります。これらの実現を図るのには国の根本法たる憲法を一新して憲法上これを保障するに若(し)くはない=それに及ぶものはない、の意=のであります。そこで今日の憲法改正においては、国権の最高機関たる国会制度、いはゆる議院内閣制度、国民投票の制度、国民の権利及び自由の保障、戦争の放棄その他諸般の点につき、ポツダム宣言の趣旨に最も適合するやうに、規定してゐるのであります。

Aポツダム宣言を無条件で受諾した日本
◎終戦の詔書 1945年8月14日(15日のNHKラジオ「玉音放送」=「大東亜戦争終結ノ詔書」)
天皇の大権に基づいてポツダム宣言受諾に関する勅旨を国民に宣布した文書。1945年8月14日発布され、戦争終結が公式に表明された。同日、天皇は詔書を録音、翌15日正午、その内容はラジオ放送を通じて広く国民に報じられた。
「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ……朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス……御名御璽」

◎降伏文書1945年9月2日
1945年9月2日、東京湾上の米艦ミズーリにおいて、日本側を代表して重光葵外相、梅津美治郎参謀総長、連合国を代表して連合国最高司令官のマッカーサーが「降伏文書」に署名を行い、これによって日本の降伏が確定した。
「昭和二十年九月二日東京湾上ニ於テ署名 下名ハ茲ニ合衆国、中華民国及『グレート、ブリテン』国ノ政府ノ首班ガ千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ発シ後ニ「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦ガ参加シタル宣言ノ条項ヲ日本国天皇、日本国政府及日本帝国大本営ノ命ニ依リ且之ニ代リ受諾ス……」

B国連への日本の加入条件
「第二次世界大戦の敗戦国である日本は、主に戦勝国によって構成されていた国際連合への加盟は遅れていた。1952年4月28日に発効した日本国との平和条約によって、完全な主権回復を果たし、国際社会への復帰を進めていた。しかし、冷戦中のこともあり、ソビエト連邦との平和条約は結ばれず、国交回復は成されなかった。常任理事国のソ連の同意なくては、国連への加盟はできなかった。1952年の加盟申請は退けられたが、1956年10月に日ソ共同宣言がなされ、日ソの国交が回復すると、ソ連も日本の国連加盟に同意し、UNSCR121(国際連合安全保障理事会決議121)において全会一致で日本の加盟承認を総会に勧告することを採択した。この後、12月18日の国連総会により、日本の国連加盟が正式に承認されることとなる」(ウィキペディア)

◎国連憲章(国際連合広報センターHPから)
1945年6月26日作成、同年10月24日発効
第1条
国際連合の目的は、次のとおりである。
1.国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。

C参考にしたユーチューブ・文献など
(1) ユーチューブ「日本国憲法誕生 全編」NHK総合テレビにて2007年4月29日放送
(2) ユーチューブ「日本国憲法の草案はメイドインジャパン」2013年11月18日公開
(3) 国会図書館館HPの特集コーナー『日本国憲法の誕生』
(4) 『「ポツダム宣言」を読んだことがありますか?』(2015年8月、共同通信社出版センター編・共同通信社発行)
(5) 安倍首相の答弁「(日本が侵略をしたというポツダム宣言の認識について)つまびらかに承知をしているわけではございません」「(ポツダム宣言が日本が世界征服を企んでいた云々と指摘している点について)つまびらかに読んでおりませんので承知はしておりません」(2015年5月20日、両院・国家基本政策委員会合同審査会での志位議員の質問に対して)

D年表
1943年12月1日、カイロ宣言。「カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された」(国会図書館館HPの特集コーナー『日本国憲法の誕生』の解説から)
1945年7月26日、ポツダム宣言
1945年8月15日、敗戦(ポツダム宣言の受諾)
1946年11月3日、日本国憲法公布、翌年5月3日施行
1948年11月12日、極東国際軍事裁判(東京裁判)終わる。東条英樹ら7人絞首刑
1949年10月1日、中華人民共和国成立
1950年6月25日、朝鮮戦争起こる
1950年8月10日、GHQのポツダム政令(ポツダム勅令の後身)の「警察予備隊令」で、警察予備隊(自衛隊の前身)創設
1951年9月8日、サンフランシスコ条約調印(翌年4月28日発効)。同日、日米安保条約署名
1956年10月19日、日ソ共同宣言署名、同年12月12日発効(ソ連との国交回復)
1956年12月18日、国連の総会が全会一致で日本の国連加盟を承認
1971年10月25日、国際連合総会が中華人民共和国を中国の唯一の正統な政府とし、「蒋介石の代表(中華民国)」を追放するとした2758号決議を採択
1972年9月29日、日中共同宣言署名。「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」

E宣言の内容
◎ポツダム宣言(外務省訳)=出典、国会図書館HPの特集「日本国憲法の誕生」の「憲法条文・重要文書」から=
千九百四十五年七月二十六日
米、英、支三国宣言
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)
一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
二、合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
三、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ
四、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ
五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ
八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ
十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
◎カイロ宣言(外務省訳)=1943年12月1日発表=出典、同上=
「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ
各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ
三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貪慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈(やが)テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ


〈お知らせのポスター。記念に〉




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