(2019年7月26日からカウント)
☆2019年7月25日の9条カフェでの報告
「『徴用工』問題について」
フリージャーナリスト、
今田真人
筆者は2019年7月25日のくにたち・9条カフェで、以下の報告をしました。それを紹介します。
当日配布したレジュメ(PDF版)と図表(PDF版)、弁護士有志声明(PDF版)は、下線の文字をクリックすれば、ダウンロードできます。
また、当日の9条カフェの様子は、「9条カフェ@くにたち」のブログに紹介されています。
①「徴用工」問題とは
「朝鮮半島が日本統治下にあった戦時中、日本本土の工場に動員された韓国人の元「徴用工」4人が、新日鉄住金を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、韓国大法院(最高裁)は2018年10月30日、個人の請求権を認めた控訴審判決を支持し、同社の上告を退けた。これにより、同社に1人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定した」(朝日2018年10月31日付)。
「徴用工」問題とは、この韓国大法院の判決をめぐって引き起こされている事態である。
②「徴用工」の定義
「戦時中に朝鮮半島から日本の工場や炭鉱などに労働力として動員された人たち。動員は、企業による募集や国民徴用令の適用などを通じて行われた。当時の公文書や証言から、ときに威嚇や物理的な暴力を伴ったことがわかっている。元徴用工への補償は、日韓両政府とも1965年の日韓請求権協定で解決したとの立場だが、不満を持った元徴用工らが日韓で日本企業などを相手に訴訟を起こし、争ってきた。韓国政府が認定した元徴用工は約22万6千人」(朝日2018年10月31日付)
しかし、この朝日の定義は、事実ではないか、正確ではない個所が、いくつか存在している。
たとえば、「今回の裁判の原告は募集に応じた方で、徴用された方ではない」(河野外相、2018年11月8日の記者会見。同日NHK報道)など、当時の国民徴用令の適用が、いわゆる「徴用工」と判断する基準であるとし、原告が国家の強制を受けたものではないと示唆する言説がある。朝日の定義も、こうした日本政府の国家強制性否定の言説に影響された弱点がある。
これは韓国側の用語法や歴史的事実を考えて、正確に理解しなければならない。
そもそも、韓国大法院の判決文(山本晴太弁護士「法律事務所の資料棚」所収の判決文の日本語訳から、以下同じ)には、原告について「徴用工」という表現はなく、あるのは「強制動員被害者」という表現である。
判決文では、次のように述べている。
「日本は1910年8月22日の韓日合併条約以後、朝鮮総督を通じて韓半島を支配した。日本は1931年に満州事変、1937年に日中戦争を引き起こすことによって次第に戦時体制に入り、1941年には太平洋戦争まで引き起こした。日本は戦争を遂行する中で軍需物資生産のための労働力が不足するようになると、これを解決するために1938年4月1日『国家総動員法』を制定・公布し、1942年『朝鮮人内地移入斡旋要綱』を制定・実施して韓半島各地域で官斡旋を通じて労働力を募集し、1944年10月頃からは『国民徴用令』によって一般韓国人に対する徴用を実施した」(P2)
「本件で問題となる原告らの損害賠償請求権は日本政府の韓半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(以下「強制動員慰謝料請求権」という)である点を明確にしておかなければならない。原告らは被告に対して未払い賃金や補償金を請求しているのではなく、上記のような慰謝料を請求しているのである」(P11)
③「日韓請求権協定で解決済み」という日本の政府、マスコミの欺瞞的主張
ところで、上記の朝日の定義では「日韓両政府とも1965年の日韓請求権協定で解決したとの立場」という記述がある。また、朝日2018年10月31日付の社説では「廬武鉉(ノムヒョン)政権は05年、請求権協定当時の経済協力金に、補償が含まれるとの見解をまとめた。…その見解を受けて韓国政府は国内法を整え、元徴用工らに補償をした」としている。
また、毎日2019年7月18日付には最近の日本の韓国への輸出規制の大型論評記事で「規制の事実上の引き金となった元徴用工への賠償を巡っては、韓国の対応に問題があったのは確かだ。韓国政府は1965年の日韓請求権協定に基づき解決済みとしてきたのに、先月示した提案は日本企業にも資金拠出を求めた。日本としては受け入れがたいものだ」としている。
日本政府も2018年の一連の韓国大法院の判決について「これらの判決は、日韓請求権協定第2条に明らかに反し、日本企業に対し一層不当な不利益を負わせるものであるばかりか、1965年の国交正常化以来築いてきた日韓の友好関係の法的基盤を根本から覆すものであって、極めて遺憾であり、断じて受け入れることはできません」としている。(2019年7月19日、外相談話)
つまり、マスコミの主張は日本政府(安倍政権)に迎合した一方的なもので、事実とも違う。
「廬武鉉政権当時の2005年、韓国政府は日韓会談資料を公開し、民官共同委員会を開催して日韓請求権協定に対する韓国政府の立場を整理した。同年8月26日に発表された民官共同委員会見解は次のように述べている。『・韓日請求権協定は基本的に日本の植民地支配賠償を請求するためのものではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づく韓日両国民間の財政的・民事的債権債務関係を解決するものであった。・日本軍慰安婦問題等、日本政府・軍・国家権力が関与した反人道的不法行為については、請求権協定により解決したとみることはできず、日本政府の法的責任が残っている。…』 また、同見解には無償3億ドルの経済協力資金には『強制動員問題解決の性格の資金等が包括的に勘案されており、韓国政府は『受領した無償資金中から相当金額を強制動員被害者の救済に使用すべき道義的責任がある』と記載されている。このように、強制動員問題が日韓請求権協定の法的効力範囲に含まれるか否かについては明記されなかった…。…また、韓国政府による強制動員被害者救済については上記のように『道義的責任』と位置付け、その後の立法においても『人道的見地から慰労金等を支援することによってその苦痛を治癒し国民和合に寄与することを目的とする』(対日抗争期強制動員被害者支援法第1条)等と規定し、韓国政府が賠償責任を肩代わりするものではないことが示された」(2018年、山本晴太論文「文在寅大統領の『徴用工発言』への日本政府の理不尽な抗議とマスコミの『フェイクニュース』」P4)
④大法院判決の核心―日韓請求権協定の評価
こうした日本側の政府・マスコミの事実誤認が起こるのは、2018年10月30日の韓国大法院の判決の核心と歴史的事実を正確につかんでいないからである。
●「本件の核心争点は、1965年韓日請求権協定により原告らの損害賠償請求権が消滅したと言いえるか否かである。これについて多数意見(7名)は原告らの損害賠償請求権は『日本政府の韓半島に対する不法的な植民支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権』であって請求権協定の適用対象に含まれないとした」(韓国大法院広報官室の報道資料から)
●「日本政府は日中戦争と太平洋戦争など不法な侵略戦争の遂行過程で基幹軍需事業体である日本の製鉄所に必要な労働力を確保するため、長期的な計画を立てて組織的に労働力を動員し、核心的な基幹軍需事業体の地位にあった旧日本製鉄は、鉄鋼統制会に主導的に参加するなど、日本政府の上記のような労働力動員政策に積極的に協力して労働力を拡充した」(同)
●「原告らは当時韓半島と韓国民らが日本の不法で暴力的な支配を受けていた状況で、将来日本で従事することになる労働内容や環境についてよく理解できないまま日本政府と旧日本製鉄の上記のような組織的な欺罔によって動員された」(同)
●「しかも原告らは成年に至っていない幼い年に家族と別れ、生命や身体に危害を被る可能性が非常に高い劣悪な環境で危険な労働に従事し、具体的な賃金額も分からないまま強制的に貯金をしなければならなかったし、日本政府の残酷な戦時総動員体制で外出が制限され、常時監視を受け脱出が不可能であり、脱出を試みたことが発覚した場合には残酷な殴打を受けることもあった」(同)
●「このような‘強制動員慰謝料請求権’は、請求権協定の適用対象に含まれるとは言えない」(同)
●「請求権協定は日本の不法的植民支配に対する賠償を請求するための協定ではなく、基本的にサンフランシスコ条約第4条に基づき韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を政治的合意によって解決するものであった」(同)
●「サンフランシスコ条約によって開催された第1次韓日会談で、いわゆる『8項目』が提示されたが、これは基本的に韓・日両国間の財政的・民事的債務関係に関することであった。上記8項目のうち、第5項に『被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の弁済請求』という文言があるが、これも日本植民支配の不法性を前提にするのではなかった」(同)
●「1965年3月30日に大韓民国政府が発刊した『韓日会談白書』では、サンフランシスコ条約第4条が韓・日間請求権問題の基礎になったと明示しており、更に『上記第4条の対日請求権は戦勝国の賠償請求権と区別される。韓国はサンフランシスコ条約の調印当事国ではなく第14条規定による戦勝国が享受する「損害及び苦痛」に対する賠償請求権を認められなかった。このような韓・日間請求権問題には賠償請求を含ませることができない』と説明している」(同)
「請求権協定文やその付属書のどこにも日本の植民地支配の不法性を言及する内容は全くない」(同)
●「請求権協定第1条によって日本政府が大韓民国政府に支払った経済協力資金(無償3億ドル、有償2億ドル)は、第2条による権利問題の解決と法的な対価関係があるといえるのかも明らかではない」(同)
●「2005年民官共同委員会の発表などを通じて認められる大韓民国政府の立場も、政府が受領した無償資金のうち、相当金額を強制動員被害者の救済に使わなければならない責任が『道義的責任』に過ぎないということである」(同)
●「請求権協定の交渉過程で日本政府は植民支配の不法性を認めないまま、強制動員被害の法的賠償を基本的に否認し、これによって韓日両国の政府は日帝の韓半島支配の性格に関して合意に至ることができなかったが、このような状況で強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれたとするのは難しい」(同)
●「判決の意義――強制徴用被害者が日本企業を相手にした損害賠償請求訴訟において大法院は2012年、損害賠償請求をすることができる旨の差戻し判決を宣告した」「その後上記判決に対して学会などにおいてその賛否をめぐる様々な議論があり、特に強制動員被害者の損害賠償請求権が請求権協定に含まれていると解することができるか、含まれていたと解する場合、個人請求権が消滅するか、外交保護権に限定して放棄されたのかなど多くの議論があった」「本判決は、『日本政府の韓半島に対する不法な植民地支配と侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とした強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権』は請求権協定の対象に含まれていないと判断し、被告の他の上告理由の主張も排斥することにより、被告が原告らに1億ウォンの慰謝料を支払わなければならないとした原審判決を最終的に確定させた」(同)
⑤【参考意見】「判決に対する弁護士有志声明」(2018年11月5日)
「日韓請求権協定により個人請求権は消滅していない」
「韓国大法院は、元徴用工の慰謝料請求権は日韓請求権協定の対象に含まれていないとして、その権利に関しては、韓国政府の外交保護権も被害者個人の賠償請求権もいずれも消滅していないと判示した」
「他方、日本の最高裁判所は、日本と中国との間の賠償関係等について、外交保護権は放棄されたが、被害者個人の賠償請求権については、『請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて訴求する権能を失わせるにとどまる』と判示している(最高裁判所2007年4月27日判決)。この理は日韓請求権協定の『完全かつ最終的に解決』という文言についてもあてはまるとするのが最高裁判所及び日本政府の解釈である。この解釈によれば、実体的な個人の賠償請求権は消滅していないのであるから、新日鉄住金が任意かつ自発的に賠償金を支払うことは法的に可能であり、その際、日韓請求権協定は法的障害にならない」
「そもそも日本政府は、従来から日韓請求権協定により放棄されたのは外交保護権であり、個人の賠償請求権は消滅していないとの見解を表明している」
「安倍首相は、個人請求権について日韓請求権協定により『完全かつ最終的に解決した』と述べたが、それが被害者個人の賠償請求権も完全に消滅したという意味であれば、日本の最高裁判所の判決への理解を欠いた説明であり誤っている」
「本件の問題の本質が人権侵害である以上、なによりも被害者個人の人権が救済されなければならない。それはすなわち、本件においては、新日鉄住金が本件判決を受け入れるとともに、自発的に人権侵害の事実と責任を認め、その証として謝罪と賠償を含めて被害者及び社会が受け入れることができるような行動をとることである」
⑥植民地支配の不当性・不法性を認めていない請求権協定で解決はありえない
1965年の日韓基本条約・日韓請求権協定は、1910年の「韓国併合条約」について「もはや無効である」としか言及しておらず、植民地支配の法的根拠である「韓国併合条約」が締結当時から不当で不法であったことを認めていない。従って、日韓基本条約・日韓請求権協定は、植民地支配の典型的な加害行為である「徴用工」問題を「完全かつ最終的に解決」するものではありえない。
「日本は1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾して敗北し、日本の侵略戦争=15年戦争と朝鮮などに対する植民地支配は終わりました。その1年半近く前の1943年12月1日、米英中3国はカイロ宣言を発表し、朝鮮について『3大国は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由かつ独立のものたらしむるの決意を有す』と宣言し、ポツダム宣言は、『「カイロ」宣言の条項は履行せらるべく』と、その受け入れと履行を求めました。ポツダム宣言の受諾によって、朝鮮は日本の支配から解放されました。日本はカイロ宣言を含むポツダム宣言によって、朝鮮だけでなく、日本が明治以来、戦争と侵略で他国から奪ったすべての領土と植民地を手放しました」(吉岡吉典『「韓国併合」100年と日本』、2009年発行、P88)
「日本の支配から解放された朝鮮半島と日本との関係は、日本がアメリカの占領下におかれるとともに、朝鮮が南北に分断され、米ソの占領下にそれぞれが置かれたこととあいまって、日本と朝鮮の関係回復は遅れました。日韓交渉は、1948年の南北それぞれにおける政権樹立、1951年のサンフランシスコ講和条約をへて、1951年10月20日、アメリカの斡旋による日韓の予備会談に始まりました。本会談は、1952年2月15日の第1次会談に始まりましたが、日韓会談は、過去の歴史問題をめぐって難航し、長い中断もある交渉になり、1965年、第7次会談においてやっと妥結し、『日韓条約』の締結に至りました」(同P104)
「日韓会談は、…日本の『併合条約』肯定によってジグザグの経過をたどります。ところが、軍事クーデターによって成立した朴正煕政権が、日本の経済協力による経済発展をめざして、日本の植民地支配の謝罪、清算を問題にしないで日韓会談を再開する方針を提起したことで急速に動き出し、なお紆余曲折を経ながらも、妥結へと向かいました。…難航していた対日請求権問題は、1962年11月12日、時の大平正芳外務大臣と韓国の金鐘泌中央情報部長との会談による『大平・金メモ』で『無償供与3億ドル』『有償援助2億ドル』で合意し、日韓交渉は最大のヤマを越しました。その大平外相の『朝鮮認識』は、日本の『朝鮮統治』は『合法的手順を踏んでやった』というものでした。『36年間の日本の朝鮮統治ということをどう評価するかということで(日本側と韓国側と)根本的に違っているわけですね。先方は、これは悪である、そして不法であるということでございますし、こちらとしては、ともかく合法的手順を踏んでやったし、この36年間の統治につきましてもいろいろな批判はありましょうが、日本としてはやるべきことはやった』(自民党機関誌『政策月報』1965年8月号)」(同P110~)
⑦対日独立運動を憲法前文に書き入れている韓国の憲法
韓国の憲法は、前文に植民地下での最大の対日独立運動であった「3・1運動」を明文で評価し、その精神を引き継ぐとしている。第1条は「①大韓民国は民主共和国である。②大韓民国の主権は国民にあり、全ての権力は国民から生ずる」とある。第5条では「①大韓民国は国際平和の維持に努力し侵略的戦争を否認する」としている。また、第10条では「全ての国民は人間としての尊厳と価値を有し、幸福を追求する権利を有する。国家は個人が有する不可侵の基本的人権を確認してこれを保障する義務を負う」とある。第1条から第8条までを天皇条項にしている日本国憲法との違いが歴然である。
今回の判決は、この憲法に規定された3権分立の原則に基づき、大法院(最高裁)が出したものであるということでも重要である。
⑧日韓条約についての本音を語った荒舩清十郎氏
1965年6月、日韓基本条約が締結され、3億ドルの無償援助を含め8億ドル以上の援助が決定した。当時の自民党の政治家、荒舩清十郎氏はこの半年後の1965年11月20日に、地元選挙区の集会(秩父郡市軍恩連盟招待会)で、次のように発言した。
「戦争中朝鮮の人達もお前達は日本人になったのだからといって貯金をさせて1100億になったがこれが終戦でフイになってしまった。それを返してくれと言って来ていた。それから36年間統治している間に日本の役人が持って来た朝鮮の宝物を返してくれと言って来ている。徴用工に戦争中連れて来て成績がよいので兵隊にして使ったが、この人の中で57万6000人死んでいる。それから朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいる。日本の軍人がやり殺してしまったのだ。合計90万人も犠牲者になっているが何とか恩給でも出してくれと言って来た。最初これらの賠償として50億ドルと言って来たが、だんだんまけさせて今では3億ドルにまけて手を打とうと言って来た。」
これは、日韓請求権協定による無償供与3億ドル・有償援助2億ドルが、実際の被害や当時の韓国側からの要求と比べると、10分の1以下の少額で、日本政府が韓国政府に「まけさせたもの」であることを示している。
⑨「徴用工」問題の最大の責任者は日本政府である
「徴用工」(強制動員被害者)問題の最大の責任者は、日本政府である。それは、この強制動員は、国家総動員法や、1939年度からの毎年度の「労務(国民)動員計画」という閣議決定により、法的強制力をもって実施されたことから明らかである。(別表など参照)
官憲による強制でなければ、逃亡数などの統計は存在するはずがない。これは、1939年度からの朝鮮人労務者の「募集」「官斡旋」「徴用」のどの手段による動員でも同じである。
「(朝鮮の労務)動員の実情――徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である。其れは若し事前に於いて之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的掠奪拉致の事例が多くなるのである」(1944年7月31日、内務省管理局嘱託・小暮泰用氏の同省管理局長あての「復命書」から、今田真人『極秘公文書と慰安婦強制連行』P223)
だから、「徴用工」の賠償は、関連企業というより、日本政府自身が中心になって行うべきものである。
⑩「徴用工」の実態を示す証言を収めた著作
「山がとつぜん白くなる(朝鮮人狩り)――わたしが盆で故郷に帰ったとき、帰省していた働き盛りの者をねらって「徴用」しようとする役場の連中がやってきた。指揮するのは日本人で、その手先となって『朝鮮人狩り』をするのは同じ朝鮮人の小役人だった。逃げまどう男たちは山へ上っていく。それを追って小役人たちが山へ上っていく。追われる者も追う者も白衣の朝鮮人である。山がとつぜん白くなる。その山が白く見えた光景を、私は今でも忘れられない。捕まった者は必死に逃げようと抵抗するし、その家族の母親や妻たちは泣き叫ぶし、まさしく修羅場だった。…私が故郷で『朝鮮人狩り』を目撃したのは1942年で、そこから考えても、そのときには強制連行ははじまっていたと思われる」(ソン・ペグンさんの証言、1914年生まれ、慶尚南道寧昌郡出身。『朝鮮人強制連行調査の記録――大阪編』=1993年、朝鮮人強制連行真相調査団編著、柏書房=P129から)
【参考】8項目とは
「1952年2月から始まる第1次(日韓)会談で、韓国側が『韓日間財産および請求権協定要綱』(いわゆる対日請求8項目)を提示したのに対して、日本側は在朝日本人財産に対する請求権を主張した。韓国側が提示した要綱の要旨は次の通りである。
1、朝鮮銀行を通じて搬出された地金と地銀の返還を請求する。
2、1945年8月9日現在の日本政府の対朝鮮総督府債務の弁済を請求する。
3、1945年8月9日以後韓国から振替又は送金された金員の返還を請求する。
4、1945年現在韓国に本社、本店又は主たる事務所があった法人の在日財産の返還を請求する。
5、韓国法人または韓国自然人の日本国又は日本国民に対する日本国債、公債、日本銀行券、被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済を請求する。
6、韓国人(自然人及び法人)の日本政府又は日本人(自然人及び法人)に対する権利の行使に関する原則。
7、前期諸財産又は請求権から生じた諸果実の返還を請求する。
8、前期の返還及び決済は協定成立後即時開始し、遅くとも6カ月以内に終了すること。
(吉澤文寿『日韓会談1965』P95)
【参考】サンフランシスコ条約(1951年、対日講和条約)第4条と第14条
第2条(a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
…
第4条(a)…日本国及びその国民の財産で第2条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行っている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国に於けるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。…
第11条 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘束されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。…
第14条(a)日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前期の損害又は苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。…
(b)この条約に別段の定めがある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。
第19条(a)日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとらえた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。
【参考】日韓請求権協定(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)
第2条1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたことを確認する。
(吉澤文寿『日韓会談1965』P220)
【参考】日韓基本条約(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)
(前文)日本国及び大韓民国は、両国民間の関係の歴史的背景と、善隣関係及び主権の相互尊重の原則に基づく両国間の関係の正常化に対する相互の希望とを考慮し、両国間の相互の福祉及び共通の利益の増進のために、両国が国際連合憲章の原則に適合して緊密に協力することが重要であることを認め、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約の関係規定及び1948年12月12日に国際連合総会で採択された決議第195号(Ⅲ)を想起し、この基本関係に関する条約を締結することに決定し、よつて、その全権委員として次の通り任命した。
日本国 日本国外務大臣 椎名悦三郎
高杉晋一
大韓民国 大韓民国外務部長官 李東元
大韓民国特命全権大使 金東祚
これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると求められた後、次の諸条を協定した。
第1条 両締約国間に外交及び領事関係が開設される。…
第2条 1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。
第3条 大韓民国政府は、国際連合総会決議第195号(Ⅲ)に明らかにされたいるとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される。
第4条(a)両締約国は、相互の関係において、国際連合憲章の原則を指針とするものとする。
(b)両締約国は、その相互の福祉及び共通の利益を増進するに当たつて、国際連合憲章の原則に適合して協力するものとする。
第5条 両締約国は、その貿易、海運その他の通商の関係を安定した、かつ、友好的な基礎の上に置くため、条約又は協定を締結するための交渉を実現可能な限りすみやかに開始するものとする。
(吉澤文寿『日韓会談1965』P217~)
(図表)
★国民(労務)動員計画での朝鮮人強制連行の推移
①国民動員計画(各年度の閣議決定文書)
計画(人) | |||||
男 | 女 | 合計 | 備考 | ||
昭和14年度、労務動員計画 | 1939年度 | 85,000 | - | 85,000 | |
昭和15年度、労務動員計画 | 1940年度 | 88,000 | - | 88,000 | |
昭和16年度、労務動員計画 | 1941年度 | 81,000 | - | 81,000 | |
昭和17年度、国民動員計画 | 1942年度 | 120,000 | - | 120,000 | |
昭和18年度、国民動員計画 | 1943年度 | 120,000 | - | 120,000 | 別に内地在住朝鮮人5万人動員計画 |
昭和19年度、国民動員計画 | 1944年度 | 290,000 | - | 290,000 | |
(合計) | 784,000 | - | 784,000 |
☆1940年3月12日の(朝鮮総督府)内務、警務局長通牒「募集ニ依ル朝鮮人労働者ノ内地移住ニ関スル件」には、内地ニ於ケル労務動員実施計画ニ基ク募集ニ依ル朝鮮人労務者ノ内地移住ニ付テハ……募集ニ依リ内地ニ移住スル朝鮮人労働者ハ産業戦士トシテ時局産業ニ従事スベキモノナルヲ以テ之ガ選定ハ特ニ慎重ヲ期スルノ要アリ従テ単ニ募集ヲ申請者ノ自由ニ委スルコトナク出来得ル限リ官ニ於テ之ニ協力スルコト」とあり、「募集」による動員も強制であることを指示している。
☆1942年度の国民動員計画に「女子ニ付テハ未婚女子ヲ主タル対象トシ之ガ動員ヲ強化スルコト」、「移入朝鮮人労務者ハ本年度二月閣議決定ニ係ル『朝鮮人労務者活用ニ関スル方策』ニ基キ内地及鮮内ノ労務事情ヲ勘案シ前年度ニ比シ相当多数ヲ増加計上ス」とある。
☆1942年2月13日閣議決定「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策」(「秘」のスタンプ)には、「要員ハ年齢概ネ満十七歳乃至二十五歳ノ男子ニシテ…」とあり、朝鮮人強制連行の対象が未成年を含む「青少年」であることも、この「方策」に書かれている。また、「要員ハ年齢概ネ満17才乃至25才ノ男子ニシテ心身健全ナルモノヲ選抜ス但シ要員ノ選抜困難ナルトキハ年齢ノ範囲ハ之ヲ拡大スルコトヲ得」。とあり、年齢が17歳未満であることも許容された。さらに、動員方法について 「労務者ノ送出ハ朝鮮総督府ノ強力ナル指導ニ依リ之ヲ行フモノトシ所要ニ応ジ国民徴用令ヲ発動シ要員ノ確保ヲ期スルモノトス」とし、「強力なる指導」という官憲の強制を指示している。
また、強制連行された朝鮮人の「青少年」を使用する「工場事業場」は「特ニ重労務者ヲ必要トシ且(かつ)之ガ使用ニ適スル施設ヲ具備スルモノ」とある。強制連行した朝鮮人は重労働をさせたのである。
☆1943年度の国民動員計画に「女子ニ付テハ其ノ特性ト民族力強化ノ必要トヲ勘案シ強力且積極的ナル動員ヲ行フ」と朝鮮人女性の差別待遇を指示。また、「朝鮮人労務者ノ内地移入ハ概ネ前年度同様トスルモ内地在住朝鮮人…等ニ付イテハ之ガ活用ヲ図リ…」と、内地在住の朝鮮人の動員強化を指示。
☆1944年度の国民動員計画には 「朝鮮人労務者ノ内地移入ヲ飛躍的ニ増加スル…」とし、朝鮮人労務者の強制連行の人数を飛躍的に増やせとしている。
②内務省警保局資料「国民動員計画に伴ふ移入朝鮮人労務者並在住朝鮮人の要注意動向」(1944年10月)
計画(人) | 実績(人) | ||||
総数 | 総数 | うち、逃走数 | 逃亡率 | ||
昭和14年度 | 1939年度 | 85,000 | 19,133 | 429 | 2.2% |
昭和15年度 | 1940年度 | 88,800 | 61,984 | 17,053 | 27.5% |
昭和16年度 | 1941年度 | 81,000 | 44,974 | 24,549 | 54.6% |
昭和17年度 | 1942年度 | 130,000 | 122,429 | 46,809 | 38.2% |
昭和18年度 | 1943年度 | 150,000 | 117,943 | 40,550 | 34.4% |
昭和19年度(3月現在) | 1944年度 | - | 138,852 | 27,426 | 19.8% |
(合計) | 505,315 | 156,816 | 31.0% |