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(2016年7月17日からカウント)


(写真リポート)
東日本大震災復興支援のボランティアに参加して
  最大の被災自治体 宮城県石巻市
  



 私は2011年10月8日から10日までの3日間、首都圏の市民から寄せられた食料や衣料、雑貨などを、東日本大震災の被災地、宮城県石巻市内の仮設住宅に住む被災者に届ける住民グループのボランティアに参加、同行取材をしました。
 石巻市は、死者・行方不明者が4100人を超え、津波の浸水面積が73平方キロメートルになるなど、被災自治体で最大の被害を受けたところといわれています。
 8日は、支援物資を2トントラックいっぱいに積んで、早朝に都内を出発。片道約8時間をかけて、同市内にある支援組織の倉庫に到着しました。トラックから支援物資を降ろしたあと、それを種類ごとに倉庫の棚に運ぶ仕事に汗を流しました。
 9日は、午前中、市内の「水押野球場応急仮設住宅(126世帯居住)」に、支援物資をトラックに積んで訪問。被災者が喜ぶ様子に、思わず涙が出そうになりました。
 支援物資の自転車を受け取った被災者の女性(73)は「280万円で買った新車も津波で流された。だから、自転車は本当にほしかった」と喜びます。この女性の同市内の自宅は、津波で全壊。しかし、全壊ならもらえるはずの300万円の補償金も、予算を組まないと全額はもらえず、100万円だけしかもらえないと怒ります。
 9日午後は、自動車で、ボランティア参加者10数人といっしょに、同市内の被災状況を見て回りました。
 10日は、片道1時間ぐらいかけて、牡鹿(おしか)半島の先端に近い、「給分浜地区応急仮設住宅(約120世帯)」(石巻市)を訪問、支援物資を配りました。同地区の行き帰りに見た海岸に面する漁村の状況は、いずれも目を覆いたくなるような状況でした。
 石巻湾に面する同半島の多数の大小の入り江にある漁村は、震源から目と鼻の先の距離でもあり、津波で大きな被害を受けたところです。また、同地区は、東北電力女川(おながわ)原発を抱える宮城県女川町と隣接しており、住民の不安は大きなものがあります。余震もまだ、ひんぱんに発生しています。ボランティア活動をしている最中の10日午前11時ごろ、同地区で、ゴーッという地鳴りを伴う地震があり、歩いていても揺れを感じました。
   (経済ジャーナリスト・今田真人=2011年10月11日記)

(写真特集1参照)
(写真特集2参照)



津波で1階部分がもぬけの殻になった2階建ての建物(上)、津波で倒され横たわる巨大なクジラ肉の缶詰をかたどったタンク(下)=9日、石巻市内
                                
                                


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