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資料と解説

(従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ)


@朝日訂正記事は「極右」と自称する木村社長の出来レース?


【資料】『文芸春秋――週刊文春臨時増刊』(2014年10月3日号)の記事「『朝日』社内で今何が起きているか」から

(P69〜70)
――8月5日、6日の2日間にわたり、計5面もの紙面を割いて、過去30年余にわたる慰安婦報道の問題点を突如検証し始めた朝日新聞。その内幕を朝日の政治部記者が語る。
 「号令を発したのは一昨年に社長に就任した木村(伊量)氏です。…政治部一筋で、旧田中派を担当。政界のドンだった金丸信元幹事長に深く食い込み、他の記者が家の前で待っているのに、木村氏だけが家中に呼ばれることもありました。リベラルな朝日にあって保守派として知られ、彼自身も『自分は朝日の極右だ』と自認しています
 この3月に行われた「人事異動」が直接の契機になったようだ。
 「3月の人事で、編集担当執行委員に杉浦信之氏、その下のゼネラルエディター兼編成局長に渡辺勉氏が就任しました。入社が木村氏の2期上で、目の上のたんこぶだった吉田慎一元編集担当上席執行委員がテレビ朝日の社長に転出したことで、検証しやすい環境が整った。問題記事を書いた植村隆記者(後述)が3月に早期退職したのも追い風となり、春先に号令をかけたのです。
 実際の検証記事は渡辺氏が主導しました。『慰安婦問題について、事実関係を徹底的に調べろ』という指令の下、特報部を中心に、社会部や政治部からも人が集められ、10人ほどのチームが極秘で結成されました」(同前)――

(P71〜)
――17年前にも、朝日が吉田証言を取り消す寸前までいっていたのに社内の「セクショナリズム」で潰えたのだ。当時の政治部関係者の話。
 「朝日は、歴史教科書に従軍慰安婦が登場した97年にも、従軍慰安婦問題取材班″を立ち上げた。このときは政治部と社会部、外報部の混成チームが作られました」
 だが、当時の紙面では、「(吉田証言の)真偽は確認できない」と記されたのみ。
 「実はチーム内で喧々囂々たる議論になったんです。これは虚偽だと完全に否定したほうが、この際はっきりとけじめがつけられるじゃないかと政治部は主張したのですが、社会部からは『絶対にない、という証明はできない』という主張があった。吉田証言を報じてきたのは社会部サイドでしたから、彼らの『完全否定はしたくない』という主張が結果的には反映された形です」(同前)

(P87〜)
――木村氏は社内専用ホームページ「風月動天」に、ひと月に一度、自ら文章をアップする。全社員にメールでその通知が送られてくるのだが、同ページは外部の人間には閲覧不可能。また小誌のような他メディアに内容が漏れないよう、「閲覧する際には、個々人のパスワードを打ち込まなければならず、誰が印刷したかまで、会社側が把握できる」(現役社員)という。今回小誌は…慰安婦検証チームが密かに立ち上げられた今春以降の木村メール全文を入手した。…(朝日は傲慢だとする声を紹介したあと)こうした声と、木村メールの温度差はいかばかりか。
 (2014年8月28日付の木村メールからの引用として以下の文章を紹介)
2年前に社長に就任した折から、若い世代の記者が臆することなく慰安婦問題を報道し続け、読者や販売店ASAの皆さんの間にくすぶる漠然とした不安を取り除くためにも、本社の過去の慰安婦報道にひとつの「けじめ」をつけたうえで、反転攻勢に打って出る態勢を整えるべきだと思っていました。今回の紙面は、これからも揺るぎない姿勢で慰安婦問題を問い続けるための、朝日新聞の決意表明だと考えています》――


【資料の解説】上記の資料に多くの解説はいらないと思う。要するに今回の朝日の「検証」記事は、「極右」と自称し、自民党幹部と癒着した政治部出身の木村社長が、吉田証言を虚偽とするために、強引に部下に書かせたということだろう。
 97年当時の「検証」では、「絶対にない、という証明はできない」と主張して、吉田証言否定論に抵抗したのが、社会部だった。政治部は「けじめをつける」という、極めて政治的な思惑を優先して社会部と対抗した。その結論が「(吉田証言の)真偽は確認できない」という当然で理性的な見識だった。
 吉田証言に限らず、調査報道を担当するのは、どの新聞社でも通常は社会部だ。社会部記者が自首した容疑者の犯行を裏付け取材するのに、目撃者の話など、別の人間の証言や証拠が出てこないからといって、犯人ではないという結論を出すだろうか。ましてや、その自首した容疑者を「ウソつき」というだろうか。社会部のベテラン記者なら、そうした犯罪報道の論理は痛いほどわかっているはずだ。赤旗でも同じだと思う。
 今回の朝日の「検証」は、自民党と癒着する政治部出身の社長が「号令」して実施した。「政治部一筋」というが、政治部しかやったことがない片寄った経歴では、「検証」の責任者としての資格が問われる。「最初に結論ありき」の政治的な「検証」だと言われてもしかたない。これを世間では出来レースと言う。
 この記事を日頃、朝日の慰安婦報道を敵視する週刊文春が報じたところが、おもしろい。まじめな事実の取材は、おのずと真実に近づくのかもしれない。
            (経済ジャーナリスト・今田真人)


A吉田清治氏の息子が朝日訂正記事に悲痛な抗議


【資料】『週刊新潮』2014年9月18日号の記事「詐話師『吉田清治』長男の述懐『朝日に翻弄された私と父の人生』」から

(P27)
――(記事では吉田氏の長男(64)の述懐を紹介)詐話師″のレッテルを貼られるようになってから、次第に記者が父を訪ねてくることもなくなった。晩年は直腸がんを患い、ほとんど寝たきり状態でした。2000年7月30日、86歳で息を引き取りました。朝日は記事を撤回するなら、せめて父の生きているうちにして欲しかった。もちろん、第一に父が悪いのはわかっていますが、父にだってなにかしらの言い分があったかもしれない。これでは、朝日の都合で祭り上げられ、そして朝日の都合で切り捨てられたようなものです。もし、朝日に関わらなければ、父も私も違う人生があったはずなのです。――


【資料の解説】故・吉田清治氏を「詐話師」と生前から誹謗中傷してきたメディア「週刊新潮」を通してさえ、吉田清治氏の息子さんの悲痛な抗議の声が伝わってくる。
 吉田証言を「虚偽」とか「信ぴょう性がない」とかいって一方的に取り消した新聞社のモラルの欠如がうかがわれる。朝日や赤旗は、取り消し記事(訂正記事)を出す前に、遺族におわびに行ったのだろうか。
 「死人に口なし」というより、むしろ、「死屍に鞭打つ」行為に思えてならない。
           (経済ジャーナリスト・今田真人)


B否定本なのに、ボロボロ出てくる吉田証言の肯定的事実


【資料】秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮社発行)から

(P232〜233)
――私は(吉田氏が慰安婦狩りをしたと本に書いている)この貝ボタン工場のあった城山浦にも行ってみた。海女の研究家でもある康大元(慶応大学出身)の通訳により、老人クラブで4、5か所あった貝ボタン工場の元組合員など5人の老人と話し合って、男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかったらしいことを確認した。
 公立図書館では1976年頃に吉田が済州島を旅行したときの関連記事を新聞で探して見つからなかったが、思わぬ拾いものがあった。
 1989年に吉田著が韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いていたのである。1989年8月14日付の記事の邦訳は次の通りだ
 解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏付けの証言がなく、波紋を投げている。(ついで吉田著の概要を紹介)
 しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない
 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば、大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。
 郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。――

(P242)
――さすがに最近では研究者の間でも、吉田証言を信じる人はいなくなったようだが、虚構と決めつけるのもためらわれる心境の人も少なくないらしい
 一例を『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』(大月書店、1997年6月)から、吉見義明教授の記述を引用しよう。
 (吉見氏らが93年5月に吉田氏を訪ね、吉田氏に多くの疑問に反論するよう指摘したが拒否され、「私たちは、吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった」としている記述が紹介されている)
 吉見と一緒に吉田と会談した上杉聰の説明は、ややニュアンスがちがう。1997年3月25日「教科書に真実と自由を」連絡会の記者会見で、上杉は秦の済州島調査に触れ、1993年に伊貞玉が済州島で一人の被害者と推定される証言者を見つけたが、周囲からの説得と制止で証言がとれなかった事実があると紹介した
 しかし、この女性が吉田の慰安婦狩りの該当者だったのかを含め、要点ははっきりしない。
 上杉は、そこから飛躍して、「島内には緘口令が敷かれてきた可能性を否定できない」と語り、「秦氏の論拠だけで吉田氏の証言を嘘と断定することはできないのである」と結論した。
 まだ、未練が捨てきれないようだが、…。


【資料の解説】この本は、吉田証言の虚偽を「立証」した秦郁彦氏の代表作といわれるが、実際にどんな決定的証拠が書かれているのかと期待して読んだが、がっかりした。
 秦氏が、その「立証」の最大の根拠にしているのが、この本に書かれている済州島の現地調査であり、現地の公立図書館で入手した「済州新聞」の記事だ。その記述は「慰安婦狩りはなかったらしい」とか、「慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない」とかいう、なんとも自信のないものである。「ほとんどいない」というのは、数人はいたというふうにも受け取れる。
 また、別の個所では、上杉聰氏が記者会見し、「1993年に伊貞玉が済州島で一人の被害者と推定される証言者を見つけた」と指摘していることも紹介している。
 秦氏は、こうした吉田証言の裏づけになる事実に、ことごとく冷淡である。なぜ、「済州新聞」の記者に、「ほとんどない」と書いた真意を問いたださなかったのか。なぜ、上杉氏の指摘した「証言者」のことをもっと追究しなかったのか。
 秦氏は、吉田氏を最初から「詐話師」として疑うという、先入観にとらわれた主観的な記述を展開しているが、肝心の客観的な「立証」がない。逆に、ボロボロと吉田証言を肯定する事実が出てくる。何とも奇妙な著作である。
             (経済ジャーナリスト、今田真人)



C済州島にも慰安婦にされた娘が何人もいた″と、あの西岡力教授が証言


【資料@】『「従軍慰安婦」朝日新聞VS.文藝春秋』(文春新書、2014年10月20日発行)所収の西岡力論文「朝日『慰安婦報道』22年後の詐術」から

(P12)
――吉田氏が慰安婦狩りを行ったという済州島出身の在日朝鮮人に高峻石(コジュンソク)という共産主義革命家だった人物がいる。日本語で何冊か、朝鮮の共産主義運動などについて本を出しているが、彼が本当は日本人には教えたくないがといいながら、「日本統治時代、済州島の自分の村である未亡人が若い娘を何人か連れて中国で慰安所を経営して金を儲けたそれで村から若い娘らがその慰安所に働きに行っていた。吉田が言うような慰安婦狩りなどきいたことない」と話した。――


【資料A】西岡力著『よくわかる慰安婦問題』(2012年12月14日、草思社発行)

(P89)
――済州島出身の左翼知識人である在日朝鮮人高峻石氏は友人の佐藤勝巳氏に、「吉田のいうような日本軍による慰安婦狩りなどなかった。自分の村でも慰安婦が出ている。自分の親戚にあたるある未亡人が、村の娘ら何人かを中国に連れていって慰安所を開き大金をもうけて話題になり、村から別の娘たちもその慰安所に出稼ぎに行った。当時の済州島でも貧しさで身売りする娘が珍しくなかったのに、なぜ、軍がわざわざ慰安婦狩りをする必要があるのか。もしそんなことがあれば、噂はすぐ広まったはずだが、聞いたことがない」と話していた。――


【資料@Aの解説】「ひょうたんからこま」とはよく言ったものだ。強制連行否定論者の急先鋒の一人、西岡力・東京基督教大学教授が、新書の論文や著書で、済州島にも慰安婦にされた若い娘が何人もいたという有力情報を書いている。著書の方を読むと、この情報は「また聞き」のようだが。
 西岡教授は、これらの娘は、あくまで貧困の結果、自主的に売春婦になったという留保をつけているが、そうだろうか。
 娘の身売りと慰安婦の強制連行は、娘の身になって考えれば、紙一重である。娘の親が日本軍管理下の売春業者に娘を売ったとしても、娘にとっては、自発的であろうはずがない。また、身売りが娘にとって「出稼ぎ」であるわけがない。身売りされた娘は「奴隷」であって、「大金をもうけた」のは、娘ではない。逃亡の自由は、もちろん、ない。
 身売りされた段階で逃げようとすれば、現地の警察や日本軍兵士が、暴力を使って捕まえるだろう。それは、慰安婦狩りと同じである。娘が抵抗をせず、その結果、警察などの暴力行使がされない場合もあったかもしれない。だからといって、強制連行はなかったと言うのは、欺瞞である。
 済州島で慰安婦狩りをしたという吉田証言が、皮肉にも西岡教授によって裏付けられてしまったようだ。
            (経済ジャーナリスト、今田真人)


D朝日OB「(安倍と2回会食した木村社長は)事前に口約束していたのでは」


【資料】レポート「まだ大揺れが続く朝日新聞社 事態収拾ができないあきれた事情」(ビジネス情報誌『エルネオス』2014年11月号)

(P46)
――木村社長の慰安婦報道の検証姿勢だが、朝日OBのD元論説委員は、「安倍政権に擦り寄るためにやっているのではないか」とその動機を疑問視する。木村社長は、朝日を不倶戴天の敵とみなす安倍首相との関係回復を急務としていた面があり、2013年2月7日に帝国ホテルで、同7月22日に永田町「黒沢」で会食している。D氏は「中江さんも松下宗之さん(故人)も現職の社長時代は、時の権力に進んで近づかないようにしていた。木村君はそうした配慮に欠ける。今回の慰安婦検証報道も、事前に安倍首相との間で『検証して訂正します』と裏で口約束していたのではないか」と疑う。
 D氏のような「安倍と握った」という見方はマスコミ界に広くある。政権との手打ちのために慰安婦報道の検証記事を企てたとしたら、その後の展開はとんだ読み違えだっただろう。――


【資料の解説】朝日OBのこの話は、今回の検証記事が、木村社長による、安倍政権への擦り寄りのための茶番劇だったのではと指摘するものだ。
 2013年に木村社長が安倍首相とホテルや料亭で2回も会食するなど、絵にかいたような権力との癒着である。安倍政権の広報紙のような産経や読売ならまだしも、朝日の社長がそれをやったことが深刻である。
 レポートは、この見方が「マスコミ界に広くある」と指摘する。ところが、権力批判を使命とする赤旗には、そういう見方を紹介する記事がこれまで(14年11月1日現在)、まったく掲載されていない。朝日の検証記事が、安倍政権との癒着の産物だと批判したら、その矛先が自分にも向くからだ。朝日をまねて、あわてて吉田証言記事を取り消したことが、赤旗の権力批判の筆をも鈍らせている。
            (経済ジャーナリスト、今田真人)


E元毎日記者が安倍・木村の2回の「夜の会食」を分析――「戦わないからこそ敗北した朝日新聞」


【資料】(特集・朝日新聞問題とメディアのあり方を考える)田中良太・元毎日新聞記者の論文「戦わないからこそ敗北した朝日新聞――安倍晋三氏との10年戦争を考える」(『月刊マスコミ市民』2014年11月号)

P14〜
――(2013年)2月8日、朝日の「首相動静」の末尾に、以下の記述がありました。
 (午後)7時2分、東京・内幸町の帝国ホテル。同ホテル内の中華料理店「北京」で朝日新聞社の木村伊量社長らと会食。9時8分、東京・藤ケ谷の自宅。
 前日の7日行われたこの会食には、吉田慎一上席役員待遇コンテンツ総括・編集・国際担当、曽我豪政治部長も同席していました。朝日の「動静」では、「木村伊量社長ら」としているだけですが、他紙の首相動静記事で確認できます。
……
 前日の7日に行われたこの会食は、安倍政権にとって重要な意味を持つものでした。安倍政権は発足直後の13年正月から3月にかけて、マスコミ各社の社長・会長らトップと夜の会食・懇談を重ねるという前例のない仕事をしました。「宴会政治」という言葉があり、政治報道の世界では批判されるスタイルです。マスコミ各社を宴会政治に引きずり込んだと書けば、自民党主導の政権にとって巨大な「業績」となります。
……
 朝日は…通常、安倍政権とはもっとも遠い、安倍批判のメディアだと思われています。その朝日に対して、「社長と懇談したい」と声をかけてみた。結果はOKでした。朝日に対する宴会政治が実現したことによって、他の各社にも声をかけやすくなった。「朝日さんもOKしてくれたんですヨ」と言えば、他の各社は断りにくい。こうしてマスコミ各社トップとの宴会政治が実現した。全国紙と通信社に限れば、全社そろって、総なめの宴会政治となりました…。
……
 木村社長ら朝日トップのOKの意味は大きかったのです。木村社長をトップとする経営陣は安倍首相と仲良くしたい。社説などオピニオン記事では「改憲政権」だと批判する……。…どちらがホンモノなの?と言いたい気分です。
 木村社長は(2014年)9月11日記者会見し、東京電力福島第一原発事故での「誤報」など3点を認め謝罪しました。…この謝罪劇の意味は、(朝日の)本当の代表が、木村社長ら「安倍政権と仲良く」勢力であることを示したという意味があったと考えます。
……
 木村社長が安倍首相の宴席に出たのは、これだけではありません。
……
 朝日の「首相動静」の記述は以下のとおりです。
 ▼首相動静(2013年7月)22日
 (午後)7時2分、東京・永田町の日本料理店「黒沢」。朝日新聞の木村伊量社長、政治ジャーナリストの後藤謙次氏らと食事
 読売の「安倍首相の1日」では「大久保好男日本テレビ社長、木村伊量朝日社長ら」、毎日の「首相日々」では「ジャーナリストの後藤謙次氏、山田孝男・毎日新聞専門編集委員ら」となっています。
……
 マスコミの記者が政治家に「頼みごと」をすると、その見返りは、そのセンセイに有利な記事を書く、少なくとも不利な記事は書かないということしかないはずです。だから「記者は政治家に頼みごとをしてはいけない」と考えました。これは政治記者心得の第1条だと考え、後輩たちには厳しく言い聞かせていました。
……
 雑誌記事などによると木村氏は平河(自民党本部)クラブで副総理・自民党副総裁などをつとめた金丸信氏(故人)の担当だったそうです。金丸氏のような「超大物」の場合、単純な見返り要求はないのかもしれません。それでも金丸批判をどんどん書くといった報道は控えたはずです。
 ここから遡ると、2月7日の安倍招宴に、木村氏が応じた経過が推察できます。1月7、8日両日の読売・産経トップとの会食と、2月7日の朝日社長らとの会食の間、1月15日に日本新聞協会が、「(消費税)軽減税率を求める声明」を出しました。…当時新聞協会会長は、秋山耿太郎・朝日新聞社会長でした。木村社長の前任社長です。菅義偉官房長官が、この声明を材料に、朝日の社長らを安倍の宴会政治に引きずり込んだと思われます。
 木村社長による「謝罪」に至る経過で不思議なのは、朝日が8月5日朝刊で、「従軍慰安婦」報道の誤りを自ら認める紙面展開をしたことです。
……
 木村社長と安倍首相の会食は複数回ありました。首相動静記事に載らない接触・対話があった可能性もあります。8月5、6両日の従軍慰安婦報道「検証」紙面をつくったのは、安倍首相サイドから強く示唆ないし、勧告されたからではないでしょうか?この「検証」紙面をつくることが、安倍政権との関係を円滑にすることにつながる……。木村氏はこう考えたから、あの奇妙な検証紙面をつくった。示唆ないし勧告した安倍首相の方は「水に落ちたイヌは死ぬまで叩け」の原則どおりに行動し、それを今も続けている……。以上が私の見方です。
 冒頭の繰り返しになりますが、朝日は安倍政権と、その翼賛メディアと戦い、力及ばず敗北したのではありません。戦う意思を放棄して、安倍政権と仲良くしようとしたからこそ、完敗の惨状を呈しているのです。


【資料の解説】この論文は、朝日の「吉田証言」検証記事について、安倍首相の圧力に屈した「奇妙な検証紙面」だと正面から説得的に批判している。先に紹介した週刊ポスト2013年5月17日号(「ネットで拾った貴重な参考情報」欄)や、ビジネス情報誌『エルネオス』2014年11月号と同じく、安倍・木村両氏の「夜の会食」の事実を指摘するものだが、より詳しく、するどい。詳しい分析は、ぜひ雑誌を購入して読んでほしいが、論評のタイトル「戦わないからこそ敗北した朝日新聞」が、この筆者の立場をよく示している。
 「吉田証言」を十分な検証もせずに取り消した新聞社幹部は、安倍暴走政治との「戦い」を放棄した恥ずべき人たちであることを示唆している。この記者の爪の垢でも煎じてのめと言いたくなる。
 いまなすべきことは、権力の監視というジャーナリストの原点に立ち返ることであり、間違った検証記事について、勇気を持って自己批判し、撤回することである。
              (経済ジャーナリスト、今田真人)


F木村社長の紙面ジャック示す決定的な内部告発――『エルネオス』12月号が大スクープ


【資料】朝日新聞関係者の紙上座談会「元社長に叱責され、やっと退陣が真相『朝日の混乱』お粗末な舞台裏」(ビジネス情報誌『エルネオス』2014年12月号)

P43〜
――〈社会部出身のB氏〉慰安婦の検証をやろうと決めたのが今年3月のこと。6月に経済部出身の杉浦信之氏が編集担当の取締役に就任するとすぐに、渡辺勉・編成局長(政治部出身)のもとに6、7人からなる慰安婦報道検証チームが発足した。かなり異例だけど、販売や広告など経営全般に影響が出るかもしれないということで、検証記事は取締役会のメンバーとすり合わせてつくられた。…掲載前に木村社長をはじめ関係する取締役が原稿を見て、ゴーサインを下したということだから、あの検証記事が社長の意向に添っていたことは間違いない。…
 〈(現役社員の)デスクのC氏〉あの検証記事は突然原稿が出てきて「上もこれで了承しているから」と、少しも直させないんです。あれだけの大きな記事になると、普通は編集局内の立ち合いや部長会、デスク会で揉んで掲載されるのですが、豊秀一さん(社会部)中心に一切が秘密裏で事が進み、しかも異論や意見を寄せ付けない。改めて記事を読んでみれば分りますが、匿名の情報源ばかりの、非常にインパクトのない記事のつくり方でしたよ。


【資料の解説】上記の朝日の現役デスクCの発言は、新聞社の記事の作り方を多少でも知っている人間からすれば、木村社長による紙面ジャック(乗っ取り)を示す、あまりにも決定的な内部告発である。
 『エルネオス』は11月号でも、安倍首相と木村社長との2回の「夜の会食」の事実を暴いて各界に衝撃を与えたが、今回は朝日内部の人間による、社長の紙面乗っ取りを告発したもので、前回にも勝る大スクープである。『エルネオス』のリポートは、A4サイズ3ページに及ぶもので、これ以外にも多くの暴露もある。ぜひ、直接講読してほしい。(『エルネオス』の公式HPはこちら
 どの新聞社でも言えるが、デスクというのは、記者の書いた記事原稿について、間違いをただす絶対的な最終権限を持っている。デスクが納得しない記事原稿が、紙面化することはありえない。
 しかし、朝日の8月5、6日付の検証記事は、そのデスクでさえも「少しも直させない」ものだった。編集局内の部長会やデスク会の異論・意見も「寄せ付けない」で、編集権限のない会社幹部の木村社長ら取締役が「すり合わせてつくり」、「掲載前に木村社長をはじめ関係する取締役が原稿を見て、ゴーサインを下した」という。この紙面化の手順を見るだけでも、「検証記事」はまったく信用できない作文であることが明らかである。いわば、安倍首相の意向を受けて木村社長らが作った政府広報記事を、朝日が自社の記事という偽装をして紙面化したようなものだ。
 朝日がまともな報道機関として再生するには、この間違いだらけの「検証記事」を撤回する以外に道はない。
              (経済ジャーナリスト、今田真人)


G上杉聰氏が吉田証言のテープ起こしを初公開――「吉田氏は『自らの証言の核心を否定』などしていなかった」


【資料】『季刊・戦争責任研究』第83号(2014年冬季号)の巻頭論文「上杉聰『拉致事件としての『慰安婦』問題――『強制連行』問題から撤退した朝日新聞』」

P3〜
――吉田清治氏から私たちが聞き取りをしたのは、1993年5月24日、千葉県我孫子市にある喫茶店ポエムにおいてであった。参加したのは、私と吉見義明氏、さらにジャーナリストの川瀬俊治氏の3人であった。
 (以下、吉田氏の話の録音テープの起こしが紹介されている=略=)

P5〜
――吉田氏が自らの著書や証言について、いくつかの体験を編集し、脚色したと言っているのであるから、とくに脚色部分や接合部分には誤りも起こるだろうが、構成をなす部分々々には真実の可能性が残されている。ならば、それを本当にあったとまでは言わないまでも、真偽の判断はペンディングしておくしかない、というのが私の研究者としての姿勢であった。つまり、今は「嘘」とまでは全否定できないため、どちらかに決する新たな事実が出てくるまで待つしかない、という結論であった。それは今も変わっていない。
 そこで、記者さん(吉田インタビューのテープの提供を求めてきた朝日新聞の検証チームの記者)へは、事前に記事を見せてくれることを条件に、右のテープ起こしを提供することにした。ところが、私へ送ってきたのは予定記事のごく一部にすぎず、全体は読ませられないという。右の吉田氏のテープ起こしの解説部分には、「今回の再取材で、吉田氏が自らの証言の核心を否定する趣旨の発言を収めた録音テープを確認した」と書き、その上で、吉見氏や私がそのテープを提供した、とあった。
 読者の方々には、すでにおわかりのように、吉田氏は「自らの証言の核心を否定」などしていなかった。むしろ、一つ一つの部分には真実があり、それをもとに構成した、と言っているのだ。時と場所を変えて組み合わせ、一つの物語にしたというのである。
 僅かに示された朝日新聞記事の草稿を読むかぎり、今回の特集記事全体の趣旨は、おそらく吉田証言を全否定するものになると私は判断し、証言テープの提供を拒否しようと決め、吉見氏と川瀬氏の同意を得た。右(上記)のような「解説」は、吉田氏の意向を無視するものであり、発言の歪曲にあたるからである
 朝日の特集記事への私の推測は、のちに実際に全体を読んでみると、明瞭に現われていた。吉田証言を取り上げる欄の見出しには「『済州島で連行』証言/裏付け得られず虚偽と判断」と、明瞭に「虚偽」としていた。朝日新聞は1997年当時、「真偽は確認できない」としていたのである。
 特集記事によると、このたびの取材のため、朝日の記者は済州島へ赴いて約40人から話を聞いたが、「吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった」と書いていた。また証言にある工場の「かやぶき」の屋根が「トタンぶきとかわらぶきだった」、あるいは吉田氏が「強制連行した43年5月当時、済州島は『陸軍部隊本部』が『軍政を敷いていた』」としているが、「陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降であり、事実とは考えられない、などの理由により「虚偽だと判断し、記事を取り消します」としたにすぎない
 だが、時と場所を変えて吉田氏が本を書いたとしたら、それは他の場所で1945年に行われたことかもしれないし、そこには「かやぶきの屋根」があったかもしれない。…朝日はなぜ「虚偽」とまで言い切ったのか
 私は、ここに右派の攻撃におびえる朝日上層部の意向を感じざるを得ない。自らへの批判をかわすため、吉田証言を全否定すればよい。そうすれば、きれいさっぱりその立場から逃れられる、と思い込んだのではないだろうか。おのれ可愛さの余り、自分一人の利益のため「慰安婦」問題で妥協し、大きく後退することが、自らの支持者のみならず、自分自身への再攻撃として跳ね返ってくることまでは思い至らなかった、と考えるしかないだろう。
 右派と論争してきた私の体験からすると、彼らは、相手が後ろを見せたと見るや、必ず執拗に追い回す。おびえている相手ならば、さらにたたみかけるように攻撃し、恐怖感を刻み込もうとする。そうすれば「二度とかかってこない」と考えている。周囲に対しそれは「みせしめ」でもある。そして、一つの「誤り」を認めれば、次に「全てが誤り」へと拡大させる。「朝まで生テレビ」で彼らの手口を知っていた私は、8月に朝日の記事を読んだあと、右派の激しいキャンペーンを招くことを危惧し、不安を感じた。
 不安は的中した。直後から巨大な反朝日宣伝が行われはじめた。テレビ、週刊誌、月刊誌など、連日のように吉田証言を取り上げ、朝日叩きが繰り返され、今も部分的に続いている。それは、今年春から、朝日新聞が、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に対し、大きく紙面を割いて反対の論陣を張ってきたことと無縁ではないだろう


【資料の解説】この資料は、朝日や赤旗の吉田証言についての検証記事が、事実に対する真摯な態度という観点からみて、決定的に間違っていたことを疑問の余地なく示している。
 上杉聰氏は、吉見義明教授といっしょに生前の吉田氏を訪ね、証言を直接聞いた研究者の一人である。その上杉氏が、吉見教授らの「同意」も得て、朝日の検証姿勢への抗議の意味を込めて、証言テープの提供を拒否したということを明らかにした。上杉氏は、吉田証言を「虚偽だと判断」した朝日の検証記事について、重ねて異議を唱えている。
 この重大な上杉論文を、朝日や赤旗がいまだに報道すらしていないことが気にかかる。朝日や赤旗は、まさに、このときの吉見氏らのインタビューに基づいた吉見氏の著作『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』(1997年、大月書店)を大きな根拠の一つにして、吉田証言を全否定し、その関連記事を取り消したのである。
 朝日や赤旗が、上杉論文を無視し続ければするほど、その検証論文は笑いものになり、「自らの支持者のみならず、自分自身への再攻撃として跳ね返ってくる」ことを自覚しなければならない。
 朝日や赤旗への従軍慰安婦問題での信頼回復は、真摯な自己批判を経たうえで、吉田証言関連記事の取り消しの撤回を決断する以外にありえない。それが、どんなにみっともないことであっても、である。
 (2015年3月17日、経済ジャーナリスト・今田真人)



Hやっぱりあった3つ目の「安倍首相ー木村社長」秘密会談、『ZAITEN』3月号が暴露


【資料】『ZAITEN』2015年3月号の巻頭記事、ルポライター中村洋子著「朝日新聞問題に火をつけた『安倍首相―木村社長』極秘会談」

P14〜
――(前文)朝日新聞の従軍慰安婦検証報道は、安倍政権に朝日幹部が擦り寄ろうとしたのがすべての始まりだった。政権に尻尾を振ってみたが、向こうの方がはるかに上手。安倍政権の高笑いが聞こえる。

P14〜
――朝日新聞社第三者委員会が昨年暮れにまとめた「報告書」によると、慰安婦報道の検証の動きは、前任の秋山耿太郎社長が退き、新社長に木村が内定した直後の2012年5月に始まった。…「安倍政権が誕生した場合には、河野談話の見直しや朝日幹部の証人喚問がありうる」。つまり、朝日幹部の国会への証人喚問阻止――。真相は、木村と吉田という2人の政治部出身幹部の自己保身という色彩が濃厚なのだ。
 この極秘調査は、もともと記事にする予定のない下調べだったが、その極秘調査をファイルにまとめつつあった12年暮れ、東京の隠れ家フレンチ「サロン・ド・グー」で人目を忍ぶ密会がとりもたれている。ホストは木村(社長)、常務の和気靖、政治部長の曽我豪の3人。招かれたのは自民党総裁の安倍晋三だった。このとき総選挙で自民党が圧勝し、政権返り咲きを確実にしていたが、まだ安倍は国会で首班指名を受ける前。つまり新聞各紙の首相動静欄に密会が掲載される恐れがない時期だった。
 ご馳走に舌つづみを打ちながら、曽我と木村が安倍をほめそやす。…同日夜、安倍は「朝日の人とこんなに楽しい夜を過ごしたことは、いまだかってなかった」と漏らしている。
 しばらくして第二次安倍政権が発足すると、官邸サイドから「朝日の社長が詫びを入れてきた」という情報が漏れ、さきの密会の模様の詳細が広まった。安倍側近が匿名を条件にこう語る。「あの晩のことは官邸で『手打ち』と言われている。NHKの番組改編問題で関係が険悪になったが、安倍さんが政権に返り咲いたので関係修復を求めたんだろう」。
 まもなく木村と安倍にホットラインが開通。木村が「総理から直電がきちゃったよ」と嬉しそうに話す姿が目撃され、安倍も官邸で「木村さんは話が分かる人」と極めて高い評価を与えている。
 このあと木村は、吉田慎一と曽我を従えて13年2月にも帝国ホテルの「北京」で、同7月には永田町「黒澤」で総理と会食。朝日政治部OBの元常務が「ときの権力者にあまり近づきすぎない方がいい」と諌めても、木村は聞く耳を持たなかった。こうした状況をもとに類推すれば、安倍から「朝日の従軍慰安婦報道は問題だ。吉田清治氏に依拠した記事は訂正した方がいい」と示唆された可能性は大いにある

P16〜
――こうしてできた(14年)8月5日付の検証紙面を見た朝日の元重役は、こう見破った。「木村君は安倍総理に褒められたかったんだ。『私はこんなに誠意がありますよ、誠実ですよ』と」。この日、自民党は石破茂幹事長が「なぜ裏付けの取れない記事を正しいとしてきたのか」と朝日を批判したが、案の定、官邸は静観。安倍も菅義偉官房長官も沈黙することで、朝日の恭順の意を受け入れたのである。
 あの検証記事が初めから安倍政権への恋文″だったと考えると、池上彰のコラム「新聞ななめ読み」における朝日批判「訂正、遅きに失したのでは」は、木村ら朝日経営陣にはあまりに余計であった。…


【資料の解説】第二次安倍政権になってから、朝日の木村社長が安倍首相と「夜の会食」をしたのは、13年2月7日と同年7月22日の最低2回であることは、資料DやEでも明らかにされているように、いまや有名な事実である。ところが、同政権が成立する直前の12年暮れ、それらに先立つ木村・安倍の「夜の会食」があったという。何をかいわんやである。まさに、ダメ押し的な大スクープである。
 リークされた、その「会食」の内容もすごい。「あの晩のことは官邸で『手打ち』と言われている。NHKの番組改編問題で関係が険悪になったが、安倍さんが政権に返り咲いたので関係修復を求めたんだろう」(安倍側近の話)。
 ときの政権との関係修復の証が、14年8月5日の検証紙面であったという。それは、安倍氏から「朝日の従軍慰安婦報道は問題だ。吉田清治氏に依拠した記事は訂正した方がいい」と求められ、朝日がそれに「誠実」に応えたものだったと考えられるという。
 ここから誰もが読み取れる真相は、朝日が吉田証言の関連記事を取り消したのは、吉田証言が虚偽だからではなく、安倍政権と関係修復したいからだったということである。
 取材内容が事実かどうかではなく、ときの権力者との関係修復のために、自らの記事を取り消したということであれば、朝日は真実を報道するジャーナリズムから決定的に転落したことを自覚すべきだろう。
 (2015年3月26日、経済ジャーナリスト・今田真人)



I西野瑠美子さんも吉田証言を虚偽とする検証記事に疑問符つける、雑誌『Journalism』3月号掲載の論文


【資料】朝日新聞社発行の月刊誌『Journalism』2015年3月号掲載の西野瑠美子著の論文「迫りくる不穏な時代の足音の中 朝日は権力批判のペンを貫けるか」

P163〜
――〈吉田証言を虚偽とした検証記事に疑問が残る〉
 報告書の検討に入る前に、朝日新聞が吉田証言を「虚偽」とした判断について少し触れておきたい。なぜならその判断は「取り消し問題」の核心的要件であるにもかかわらず、いまだにしっくりこないからだ。結論から言うと、14年8月5日の紙面に示された検証だけでそれを「虚偽」と言い切ることができるのか、という率直な疑問である
 誤解のないように断っておくが、「吉田証言は真実」であると言いたいのではない。私自身もその証言には疑問をもっている。だからこそ、「虚偽」と言い切る説得力ある検証を、特集紙面には期待した。しかし、残念ながらジレンマが消えることはなかった。
 第一に、吉田証言をめぐり、朝日新聞を国会で証人喚問するという「噂」が焦りに火をつけたのか、この特集自体、訂正が先にありきの後付け検証の感が否めないことだ。1997年の特集を超える決定的な虚偽証拠がないなか、それでも「虚偽」としたのは、済州島で目撃証言が得られなかったことが最大の理由だと思われるが、不消化感の原因は、実はそこにある。
 済州島調査にアリバイ的印象が否めず、「慰安婦」問題で忘れられてならない「性暴力」という視点が感じられない。見ようとしないものには見えてこない。聞こうとしなければ、沈黙からは何も聞こえてこない。しかし、「沈黙」の中に真実が隠されていることもある。
 「慰安婦」のような性をめぐる問題について、強制性を立証しようと押し寄せる取材者を前に、それがメディアであれ研究者であれ、日本人であれ韓国人であれ、済州島の住民の方々がそう簡単に心を開くだろうか。性暴力事件の場合、口を閉ざすのは加害者だけではない。むしろ、被害当事者(近親者を含む)の沈黙こそ重い。…

P165〜
――第二に、証言のポイントであるはずの「動員命令書」に関しての検証の形跡がないということだ。紙面では、吉田氏は動員命令書の内容は妻の日記にあったと言うが、長男は、母は日記をつけていなかったと話していると紹介されているだけだ。動員命令書の検証はそこで断ち切られている。…
 実は、私もかつて吉田氏が属していた労務報国会があった山口県でその証言を確かめるべく取材をしたことがある。下関警察署警備課長で特高だった人物は「(朝鮮半島で)朝鮮人女性を集めてくることはやらなかった」と語ったが、吉田清治氏を知っているという産業報国会の主事だった人物は、「済州島で慰安婦を狩り出した話は聞いたことがないが、下関の大坪で在日朝鮮人の女性を集めたことはやったかもしれん」と語った。吉田証言を「虚偽」とすることで断ち切ってしまう事実はないと、誰が言いきれるだろう。…


【資料解説】西野瑠美子さんと言えば、吉見義明さんとともに、従軍慰安婦問題での第一級の研究者の一人である。その西野さんが、「訂正が先にありきの後付け検証の感が否めない」と、吉田証言を虚偽として取り消した朝日検証記事に、初めて本格的な疑問を表明している。
 なかでも、朝日検証チームによる済州島の現地調査について、アリバイ的印象が否めないと指摘しているところが特筆される。その根拠として、西野さんは言う。「見ようとしないものには見えてこない。聞こうとしなければ、沈黙からは何も聞こえてこない」。まったくその通りである。
 「性暴力」という視点からすれば、強姦も慰安婦も変わりはない。その目撃証言を探すことは容易ではない。加害者も被害者も、マスメディアや研究者の取材に、積極的に応じるはずはない。できれば隠し通したいと考えるのは、韓国であろうと日本であろうと、少し考えればわかることである。
 朝日幹部の証人喚問の回避などという不純な思惑が検証の動機では、結論は、吉田証言の否定・取り消し以外にはなくなる。こんな動機の検証では、済州島の目撃証言探しに記者が真剣になるはずもない。「探したけど見つかりませんでした」という結果を導くための調査取材では、例え、そのとっかかりの事実を見つけたとしても、記者は、それ以上の追求ができるはずもない。
 吉田氏の妻が日記に慰安婦狩りの動員命令書を書き写していたとされる件でも、西野さんの指摘はするどい。朝日の検証チームは、吉田氏の長男が、母は日記をつけていなかったと話しているというだけで、日記の存在を否定する証拠にしている。西野さんは、これをもって朝日に「検証の形跡がない」と断言しているわけだが、まったくもって同感である。
 資料Aの『週刊新潮』2014年9月18日号によると、このときの長男の年齢は64歳だから、単純計算では1950年生まれである。まだ自分が生まれてもいない戦中に母親が日記をつけていたかどうかを、戦後生まれの長男が証明することは、どのような証言であっても不可能だ。西野さんは、そうした朝日の検証の不誠実さを的確に批判している。
  (2015年3月26日、経済ジャーナリスト・今田真人)


J「危機管理案件」なら真理を曲げるのか、第三者委報告書で浮き彫り、朝日の曲学阿世"


 【資料】朝日新聞社第三者委員会報告書(2014年12月22日発表)

P30・31
――〈2014年8月の検証記事について〉
(1)検証記事が組まれた経緯
 …同年(2014年)2月中旬ごろから、政府による河野談話の見直しが実際に行われることになった場合には、改めて朝日新聞の過去の報道姿勢も問われることになるとの危機感が高まり、慰安婦問題についての本格的な検証を行わざるを得ないとの考えが経営幹部を含む社内において強まってきた。また、他の報道機関も朝日新聞の慰安婦問題に対する報道姿勢などに批判を集中し、読者の中にもこれについて不信感を抱く者が増加して、お客様オフィスレポートでも慰安婦報道に対するネガティブな意見が広がり、これが販売部数や広告にも影響を見せ始めてきたことから、販売や広報の立場からも放置できないという意見が高まってきていた。
 このような状況下において、同年3月1日に編集担当に就任した杉浦(信之、ゼネラルエディター〔GE〕兼東京本社編成局長)は、前任者の吉田慎一から、自分のときにはできなかった慰安婦報道の検証をやってもらいたいと引き継ぎを受け、編集担当に就任後まもなく、社長の木村の意見も聴いてその承認を受けたうえ、GEに就任した渡辺(勉、国際報道部長)及びGM(ゼネラルマネジャー)であった市川(速水、元東京本社社会部記者)に対し、編集部門として検証チームを作って準備する方針を明らかにした。
 そのころ、政府において河野談話の出された経緯を検証するとの方針が発表されており、当該検証の際に吉田証言も俎上に上る可能性があったため、朝日新聞としては、特に吉田証言を中心に検証することとし、政府の検証結果をみながら遅くとも2014年中には記事にするという方向となった。
 既に、吉田証言については、1997年特集の際、「真偽は確認できない」と結論づけたことから、朝日新聞としてはこれで事実上訂正をしたと総括してきた。しかし、前記のとおり、このような表現では、訂正したものとは到底見ることができず、紙面においてこれまで明確に吉田証言に関する記事を訂正し又は取り消すなどしてこなかったことから、吉田証言を「訂正していない」との強い非難を受け続けてきた。このような経緯から、2014年の検証では、97年の特集の内容を超える、より徹底した検証が行われなければならなかった。
 なお、経営幹部において、この検証は、日常扱う記事とは異なり、多分に危機管理に属する案件であるとし、経営幹部がその内容に関与することとして、広報担当執行役員の喜園尚史にも検証を行う方針が知らされた。

P32・33
――(4)紙面検討の経緯
 ア 経営幹部らの関与
本件検証記事の掲載は、朝日新聞の危機管理に属する案件であったため、記事の方針について経営幹部らが関与した
 まず、2014年5月の経営会議の場において、社長の木村が慰安婦問題の検証作業を行っていることについて言及し、編集担当の杉浦が概要を説明した。なお、当時の経営会議の構成メンバーは、社長の木村を始めとする役員、執行役員など、合計18名である。
また、記事の原案が完成しつつあった2014年7月上旬ころ以降は、記事の構成・内容についても、編集担当の杉浦、広報担当の喜園及び社長室長に就任した福地の3名が本件における危機管理担当の経営幹部として子細に検討し、社長にも諮って、検証チームに対して指示をしていた。
 紙面構成の原案が作成され、同年7月17日に常務会懇談会(通称「拡大常務会」。以下「拡大常務会」という。)が開催された。販売・広告を含め経営上の影響が大きいと考えられたことや、議論の内容を踏まえ、通常の常務会参加メンバーの社長以下8名に加え、販売担当取締役、杉浦、喜園、渡辺及び市川も参加した。
 紙面の方針については、7月17日の拡大常務会のほか、同月24日及び同年8月1日の経営会議懇談会(経営会議のメンバーが参加し随時開かれる)の場においても議論が交わされ、最終的な朝日新聞社としての方針が定まった。…
 ウ 吉田証言の取扱い
吉田証言の取扱いについては、検証チーム内でも温度差があり、様々な意見が出された。訂正するか取り消すかしておわびをすべきであるとの意見に対し、歴史的事実の報道については、事実報道を上書きする形で修正していくべきであって、訂正や取消しになじまないという意見もあった。
 しかし、今回は1997年特集時と異なり、単に吉田証言の裏付けが取れないというだけでなく、その虚偽性をうかがわせる資料を確認することができたほか、GEの強い意向もあり、検証チームの方針としては、訂正しておわびをする方針で固まり、7月15日までは、1面掲載の論文及び囲み記事においておわびする旨を明記した紙面案が作成された。
 拡大常務会の前日である7月16日、社長の木村、危機管理担当の経営幹部ら及びGEの渡辺が集まって協議した。この場において、木村から、おわびすることに反対する意見が出された。そのため、翌日の拡大常務会に提出する紙面案は、おわびを入れない案が提出された。
 拡大常務会においては、おわびをすると慰安婦問題全体の存在を否定したものと読者に受け取られるのではないか、かえって読者の信頼を失うのではないか等の意見があった一方、謝罪もなく慰安婦問題をこれまでどおり報じていくのは開き直りに見えてしまうのではないかという懸念も表明された。最終的には、8月1日の経営会議懇談会を経て、吉田証言については、虚偽と判断して取り消すこととするが謝罪はしない、1面の編集担当の論文で「反省」の意を表明するという方針が決定した。

P45・46
――〈2014年検証記事に関する意思決定〉
(4)「経営と編集の分離」原則と今回の対応
 2014年検証記事の作成に対して、経営上の危機管理として経営幹部が関与したことについては、朝日新聞が組織体として新聞の発行事業を行っている以上、経営幹部が記事の内容等、編集に対して一定の関与をすること自体はあり得ることであり、2014年検証記事のような、朝日新聞の経営にも大きな影響があり得る記事について経営幹部が関与したこと自体は必ずしも不適切とはいえない
 しかし、経営幹部において最終的に謝罪はしないこととしたのは誤りであった。また、このような経営幹部の判断に対し、編集部門にはこれに反対の者がいたのであるから、反対する者は、できる限り議論を尽くし、そのような結論となるのを回避する努力をすべきであり、編集部門の責任者や経営幹部はこれを真摯に受け止めるべきであった。このような努力が十分尽くされたとまではいえない。

P49〜
――〈「経営と編集の分離」原則〉
(1)「経営と編集の分離」原則について
 新聞社における報道の自由については、国政に関し国民に重要な判断の素材を提供し、国民の知る権利に奉仕することから、報道の自由は表現の自由について規定する憲法21条の保障のもとにあると理解されている。他方、新聞社における報道は新聞社の事業として行われているものであることから、経営幹部が報道の内容に関与する権能を有すること自体は、理論的にあり得ることである。
 しかし、経営幹部が報道の内容に対し不当に干渉することによって報道の内容が歪められるようなことがあれば、報道の自由が認められる目的を達することができない。
 そこで、経営幹部が報道の内容に不当に干渉することを防止するため、編集機能と経営機能を分離し、編集に関する最終決定は経営に携わらない編集部門の責任者が行うようにすべきであるという考え方(「経営と編集の分離」原則)が提唱されている。
(2)2014年検証記事への経営幹部の関与について
 経営幹部の関与については、日本の戦後に確立された編集権の概念として、編集権が経営、編集管理者に帰属するという考え方がある。
 編集権は、概念自体の妥当性にいまだ議論があり、必ずしも確立された概念ではない。他方で、とりわけ、編集権の第一の効果が「新聞に対する政治的権力の干渉排除」と説明されている点に鑑みれば、完全には否定され得ない面がある。また、「経営と編集の分離」原則の考え方が妥当な考え方であるとしても、そもそも、組織体としての新聞社においては、経営幹部が編集に関与する権能を有するということ自体は、理論的にあり得ることである。
 以上のとおり、「経営と編集の分離」の考え方は、民主主義社会における言論の自由の十全な発展のために極めて重要な考え方であり、新聞社において守られるべき原則であるとしても、新聞社が組織として危機管理を必要とする場合については、合理的な範囲で経営幹部が編集に関与すること自体はあり得ることである。
 ただし、今回の慰安婦特集は、企画立案から紙面の内容に至るまで、経営による「危機管理」という側面が先行しすぎている。問題の取り上げ方から紙幅、おわびの有無に至るまで、経営幹部による「社を守る」という大義によって、さまざまな編集の現場の決定が翻された。それゆえに、本論である慰安婦問題の伝え方は、一般読者や社会の納得のいく内容とはなっておらず、結果的に危機管理そのものも失敗した。その意味でも、報道機関において「経営と編集の分離」の原則を維持し、記者たちによる自由闊達な言論の場を最大限堅持することの重要さについて、経営幹部はいま一度確認すべきである。


【資料解説】朝日第三者委員会報告書が発表されて5カ月近く経つのに、そこで事実関係を指摘された、朝日の吉田証言検証記事の曲学阿世ぶりを、批判的に紹介する意見がいまだに出てこない。ならば私がと筆をとる。
 曲学阿世とは、ネットで検索してみると、「学問上の真理をまげて、世間や権力者の気に入るような言動をすること」ということである。
 キーワードは「危機管理に属する案件」。吉田証言を朝日などに取り消させることは、時の権力者、安倍首相の年来の狙いであった。その安倍氏と3回も夜の会食をしてきたのが朝日の木村社長。その木村氏が「危機管理」という呪文を唱え、吉田証言取り消しの検証記事をトップダウンで作らせたことを、この報告書は浮き彫りにしている。
 こうした検証のやり方は、「新聞に対する政治的権力の干渉排除」を目的とする新聞社の大原則「経営と編集の分離」にも明らかに反するものだった。
 しかし、報告書は「経営と編集の分離」原則を擁護しているように見せかけながら、事実上、朝日の経営幹部がその原則を踏みにじったことを追認している。「新聞社が組織として危機管理を必要とする場合については、合理的な範囲で経営幹部が編集に関与すること自体はあり得る」という容認論には、噴き出してしまう。
 賢明な読者はもう、気づかれているだろう。朝日は、「危機管理」の名の下に、権力者の気に入るように、真理をまげたのである。
    (2015年5月26日、経済ジャーナリスト・今田真人)
 


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