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(2016年7月17日からカウント)


☆(論評)「朝日検証記事」の検証


(従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ)



 従軍慰安婦問題での吉田証言を「虚偽」と断定した朝日新聞2014年8月5日付。その根拠を紙面の該当個所を紹介しながら、検討していきたい。

(経済ジャーナリスト・今田真人、2014年10月4日初稿、同13日確定)


 @朝日が吉田証言を「虚偽」と断定した記事

 朝日は、8月5日付の特集の中の「『済州島で連行』証言――裏付け得られず虚偽と判断」と題する記事で次のように書く。後で、逐次検討するため、記事のまとまりごとに、アルファベットをつけた。

 A「疑問――日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。」
 B「男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内の講演内容として『済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』』と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は『講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。」
 C「92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も『『創作』の疑い』と報じ始めた。東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。」
 D「97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚構ではないかという報道があることを電話で問うと『体験をそのまま書いた』と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、『真偽は確認できない』と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。」
 E「しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。」
 F「今年4〜5月、済州島内で70代後半〜90代の計40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。」
 G「干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は『作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない』と語った。」
 H「『かやぶき』と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。」
 I「93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。
 J「吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという。」
 K「吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、『(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は『証言として使えないと確認するしかなかった』と指摘している=注@。」
 L「注@ 吉見義明・川田文子編『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店、1997年)」
 M「戦争中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、『指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい』と話す。」
 N「吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は『陸軍部隊本部』が『軍政を敷いていた』と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。『記述内容は事実とは考えられない』と話した。」
 O「読者のみなさまへ――吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。」


 A虚偽と判断するにはあまりに根拠がない

 朝日の「検証記事」の最大の問題点の一つは、朝日の取材記者が2回、吉田氏に証言を裏付ける話を聞こうとして「拒否」された(CとDの個所)理由について、明らかにしていないことだ。
 私もジャーナリストの端くれだからわかるのだが、取材対象者に特定の質問への回答を拒否される場合、なんらかの拒否理由を示されているはず。とくに、記事の該当部分Cでは、「(朝日新聞の)東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという」と書いている。取材対象者と面会しているわけで、それなりの信頼関係が記者と取材対象者の間に存在したことがわかる。そのときに、吉田氏は、裏付けのための関係者の紹介をなぜ拒んだのか、データ提供の要請をなぜ拒んだのかを話したはずである。
 「裏付けのための関係者」とは元軍人や元特高関係者であり、当時、その脅迫やおどしがあったかもしれない。戦中のデータなどはそもそも、戦後の戦犯追及を逃れるために組織的に焼却されたといわれており、要請自体が無理難題だったかもしれない。
 2回目の吉田氏への取材、つまり、記事の該当部分Dでは、記者は、面会を拒否されている。これは、朝日のその記者と吉田氏の間に信頼関係が存在しないか、朝日の取材目的に吉田氏が賛同しなかったことを示している。つまり、いまはやりの言い方では「ノーコメント」と言われたわけだ。それでもその記者は、電話取材を敢行し、「虚構ではないかという報道があることを電話で問うと『体験をそのまま書いた』と答えた」と書く。この取材経過は、いわば「けんか腰」のものであり、ずいぶん失礼なやり方だったと思われる。実際は口語だから、「虚構」などという言葉は使わず、「あなたの証言はうそだと産経が書いているけど、どうなんですか」と記者が電話で挑発し、吉田氏はぐっとこらえて冷静に「体験をそのまま書きました」と答えたのだろう。ようするに産経新聞の記者のように、頭から吉田氏の話を「つくり話」と断定して、朝日記者は電話したと思われる。
 吉田氏へのこの2回の取材のありようをもっと詳しく聞きたいものだ。少なくとも、吉田氏が裏付け話を拒否したことをもって、吉田証言が「虚偽」というのは、あまりに一方的であり、根拠とはなりえない。
 問題点の2つ目は、記事の該当部分Dの後半である。97年3月31日の特集記事の作成過程で、「済州島でも取材し裏付けは得られなかった」というが、どんな取材で、誰に話を聞き、何と答えたのか、この記事ではまったく明らかにされていない。それとも、朝日は「図書館に行って朝日の当時の縮刷版を読め、そこに書いてある」という態度なのか〈注1〉。その特集記事には、本当に「誰に話を聞き、何と答えたか」が書かれていて、それぞれの話の裏どりもされているのか。結論だけの押し付けであり、「裏付けは得られなかった」というだけである。朝日の社内検証の内容は「知らなくていい、信用しなさい」ということか。
 朝日の1回目の検証作業では、「真偽は確認できない」と結論したというが、1回目の検証作業も、今回の検証作業も、それ以上でも、以下でもない。「真偽は確認できない」ことをもって「虚偽」と判断する論法は、裏付けが様々な理由でできない、あらゆる歴史的証言を「虚偽」とすることになる。その理由には今回のように、相手が裏付け取材を拒否する場合もあるし、取材者側の力量不足・努力不足もある。戦争中の加害者にしろ、被害者にしろ、当事者の証言には大きな苦痛と勇気がいるものであり、それ自身が重い価値を持つ。朝日には、そうした証言者に対する謙虚さを感じることができない。
 問題点の3つ目は、記事の該当部分F以降の「検証」である。
 該当部分Fの40人の済州島の住民への聞き取りは、その内容が明らかにされていない。その40人は、本当に当時を知る人間なのか。当時、何をしていた人間なのか。もし、当時を知る年配の人間がいても、はたして「地元のあの家の娘は、ここで強制連行された」と話すだろうか。それは、儒教道徳の強い韓国では、その娘の親類・縁者の名誉を傷つける最悪の行為になるだろう。ましてや、当時を知らない年配者に何人話を聞いても「知らない」といわれるだけで、現地での「慰安婦狩り」を否定することにはならない。同じことは、すべての慰安婦の強制連行に言えることだ。
 同じ論理で、現在までに名乗り出ている元「慰安婦」らの韓国の出身地で、それぞれ40人程度の年配者の聞き取り調査をしたらどうなるか。「あすこに住んでいた〇〇さんが元慰安婦だと名乗り出ているが、本当に昔、警官や日本軍人に、暴力的に連行されたのか」と。そういう取材が、逆に元「慰安婦」を出身地で孤立させ、親類縁者に多大な迷惑がかかることを、朝日は知らないわけがない。
 該当部分Gの「検証」には笑ってしまう。「干し魚の製造工場」の経営に携わった地元男性(故人)の息子の証言だが、その息子は当時何歳だったのか。父親の当時の経営内容を直接知っていたのか。息子は、父親とは別人格であり、「父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」という話は、なんの証明にもならない。
 該当部分Hの「検証」もそうだ。「かやぶき屋根」は、吉田氏の著書『私の戦争犯罪』のP121に出てくる記述だが、「慰安婦狩り」をした製造工場の屋根が、かやぶきか、トタンか、かわらぶきか、が吉田氏の著書の「核心部分」でないことは、吉田氏の著書を読んだものなら、明らかだ。こういう「検証」を「重箱の隅をつつく」という。
 該当部分Iであるが、93年6月に姜貞淑さんが「(済州島の)数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語ったというが、こういう超あいまいな伝聞情報をいくら重ねても、体験者の証言を「虚偽」と断定することはできない。
 該当部分Jについて。故人の妻が日記をつけていたかどうかを、「今回、吉田氏の長男(64)に取材」して、「日記をつけていなかったことがわかった」というが、「済州島の慰安婦狩り」は1943年のことで、いまから、71年前のことだ。吉田氏と別人格の64歳の息子の発言が、どうして、母親が日記をつけていないことの証明になるのか。朝日の認識論は、とてもあやうい。
 該当部分Kについて、93年5月当時、吉見義明・中央大教授らと面会した際のことだが、吉田氏が「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、「動員命令書を写した日記の提示も拒んだ」という。これも「強制連行した日時や場所を変えた」とは書かれていないし、「強制連行した」という記述はカッコ書きだ。「場合もある」とは、どんな場合だったのか。そこまで吉見氏は突っ込んで聞いたのか。いすれにしても、引用が朝日新聞にとっては孫引きである。朝日の直接取材に対して吉田氏が言った話ではない。吉見氏が「証言として使えないと確認するしかなかった」というのも、学者のそれぞれの研究方法の問題であり、証言として使えると思う学者も当然いるだろう。日記の提示を拒んだというのは、その理由も、やり取りも明らかでないが、高齢の吉田氏が日記をもうなくしていたことも考えられるし、吉田氏が吉見氏を信頼に足る人物と考えていなかったことを示しているかもしれない。吉見氏が「証言として使えない」と判断したことと、吉田証言の真偽は、関係ない。吉見氏は、歴史の審判者ではない。
 該当部分Mについて。労務報国会に対して、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す外村大・東京大准教授の指摘が紹介されるが、一学者が「考えづらい」といっているだけであって、吉田証言は間違いだとは言っていない。一つの見解にすぎない。
 該当部分Nについて。「吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は『陸軍部隊本部』が『軍政を敷いていた』と説明していた」というが、これはどこで吉田氏が言っているのか。吉田氏の著書『私の戦争犯罪』のP103の記述は「決戦下のこのごろは、朝鮮半島防備のために陸軍部隊が警察署を管理し、朝鮮人島民20万人を直接統治して、事実上の軍政を敷いていた」とある。「事実上」という言葉を朝日の記事は、意図的かどうかはわからないが、引用していない。永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘したというが、話がかみあっていない。吉田氏は、「旧陸軍の大部隊が集結する」時期を問題にしているのではなく、「陸軍部隊が警察署を管理し、朝鮮人島民20万人を直接統治」していた時期を問題にしている。朝日は、永井氏が「記述内容は事実とは考えられない」と結論したというが、まったく説得力がない。逆に吉田証言のリアルさを浮き彫りにしている。
 該当部分Oについて。この部分が吉田証言についての朝日の「検証記事」の結論部分だが、これまで、ひとつひとつ分析したように、吉田証言を「虚偽」とするには、あまりに根拠がない。全体の印象を言えば、吉田証言の枝葉末節を取り上げ、難癖をつけているようにみえる。こんな「検証」で、吉田証言を「裏付け得られず虚偽と判断」と結論するのであるから、朝日も落ちたものである。
 意味深なのは、該当部分E。自民党の安倍晋三総裁が2012年11月に記者会見で、吉田氏を「詐欺師のような男」と指摘したくだりだ。もし、権力をチェックするジャーナリズムを自認するなら、朝日新聞は、安倍総裁(現首相)に、まずその根拠をただすべきだった。公人中の公人の発言である。故人に対して公の場で、「詐欺師のような男」と「詐欺師」よばわりをしたのだから、安倍氏は、それを証明する義務がある。しかし、朝日はそれをした形跡がない。むしろ、安倍氏の意向に沿い、その発言の裏取りをするような形で取材班をつくり、いいかげんな検証で、吉田証言は「虚偽」だという、先に結論ありきの記事を書いたように読める。朝日の「検証記事」は安倍総裁に対して、あなたの圧力に屈しましたよと、問わず語りに「告白」している文章ではないのか。安倍首相が大喜びするはずである。

 〈注1〉この記述を書いたあと、念のために近くの図書館に行き、朝日の縮刷版で97年3月31日付の特集記事を調べた。残念ながら、朝日自身による済州島の裏付け取材については、そういう取材をしたという事実も書かれていない。その特集記事には「済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」とあるだけである。


 B吉見教授の著書は吉田証言を本当に否定したのか――アッと驚く誤読!、朝日や赤旗は日本語がまともに読めないのか?

 吉田氏を「詐欺師」よばわりする安倍首相は、何を根拠にしているのか。安倍首相にしろ、朝日にしろ、赤旗にしろ、その最大の根拠の一つとしているのは、吉見義明・川田文子編著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』(1997年6月24日、大月書店発行)という著作のP26・27の記述だ。

(写真は、吉見教授らの問題の著作)


 安倍晋三衆院議員(当時)は97年5月27日の衆院決算委員会第二分科会で、次のように発言し、議事録が残っている。
 「そもそも、この従軍慰安婦につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が本を出した。この内容がもう既にめちゃくちゃであるということは、従軍慰安婦の記述をすべきだという中央大学の吉見教授すら、その内容は全く根拠がないということを認めております」(下記別項で関連発言部分全体を紹介)
 朝日は今回の「検証記事」のKとLで、この著書の記述の一部を引用している。繰り返しになるが、再掲する。
 「吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、『(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある』と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は『証言として使えないと確認するしかなかった』と指摘している=注@。」「注@ 吉見義明・川田文子編『『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実』』(大月書店、1997年)」
 「しんぶん赤旗」2014年9月27日付の「検証記事」も、同じ部分が引用・紹介されている。念のため、次に示す。
 「『慰安婦』問題に取り組んできた吉見義明中央大教授は、93年5月に吉田氏と面談し、反論や資料の公開を求めましたが、吉田氏が応じず、『回想には日時や場所を変えた場合もある』とのべたことなどから、『吉田さんの回想は証言としては使えないと確認する」(『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』97年6月出版)としました。『吉田証言』の信ぴょう性に疑義があるとの見方が専門家の間で強まり、…」
 ただし、安倍氏は、この本が発行される1997年6月24日より少し前の同年5月27日に、国会で「中央大学の吉見教授すら、その内容は全く根拠がないということを認めております」と質問している。安倍氏はこの著書が発行される1カ月前に、吉見教授の「見解」を知っていたことになる。吉見教授が吉田氏と面会したのは「93年5月」(同著)。それが何を意味するのかは、まだわからない。
 それはともかく、同著の該当個所を改めて読んで驚いた。この吉見教授の文章は、「吉田清治さんの本での告白が強制連行の証拠とされてきたのが、現地でのその後の調査で、この告白はウソだと証明された」という「ゆがめられた言説」に対して「実際はどうなのかを、ひとつひとつ事実にもとづいてあきらかにした」(同著「はじめに」)ものだからだ。
 吉田証言が「ウソ」だという「ゆがめられた言説」に反論して、吉見教授は次のように書く。
 「吉田清治さんは、『私の戦争犯罪』(1983年)という本のなかで、軍の動員命令により、徴用隊10名の一員として朝鮮の済州島にいき、現地の陸軍部隊とともに、華中(中国中部)方面に送る慰安婦として205名の女性をつかまえ、『女子挺身隊』の名目で輸送した、と記している。だが、
現在、朝鮮で強制連行があった証拠として、この本をあげる人はいない。いまでは研究はずっとすすんでおり、これによらなくても、強制連行や強制使役があったことは証明できる
 「(動員命令書が奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開してはどうかなどとの要請に対して)
吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言としては使えないと確認するしかなかった」
 詳しい同著の記述は、PDFでダウンロードできるようにするので、そちらを熟読してほしい
 吉見教授の著書は、吉田氏が本に書いた核心的事実である「朝鮮で慰安婦の強制連行があった」ということを、いまでは、吉田氏の本によらなくても、証明できるとのべているのだ。そして、吉田氏に、その正しさがすでに研究で立証されているので、名誉回復のために、いくつかの疑問に反論すべきだと忠告しているにすぎない。吉田氏はその忠告に「家族に脅迫などが及ぶ」というもっともな理由で拒否したわけだ。
 したがって、吉見教授の著書は、吉田証言を否定しているものではなく、むしろ、「ウソだと証明された」という「ウソ」に反論し、吉田証言を「真実」として擁護しているものだ。
 それをまったく逆さに描く、安倍首相や朝日、赤旗の認識は、吉見教授の著書の著しい誤読である。安倍首相は誤読だけでなく、吉田氏への激しい敵意すら感じる。朝日や赤旗の「検証記事」を書いた担当者は、日本語がまともに読めていないようだ。責任は重大だ。
 もしかしたら、吉見教授の著書の該当記述の冒頭に「ゆがめられた言説」として紹介されている文章、つまり、「吉田清治さんの本での告白が強制連行の証拠とされてきたのが、現地でのその後の調査で、この告白はウソだと証明された」という黒線で囲われた記述を、該当記述の見出しや要約と思ったのかもしれない。そのページのコピーだけを読めば、そうとも読めなくもない。そういうことなら、朝日や赤旗の「検証記事」の吉見教授の著書の紹介の仕方が自然に納得できる。しかし、それは重大な誤読である。各項目の初めの黒線で囲われた記述は、吉見教授らの見解の見出しや要約ではない。見出しや要約であるなら、目次にも記載された「強制連行によって慰安婦を集めたケースはない」とか、「責任を問うなら、朝鮮人業者を追及したらどうか」などの他の項目の黒線で囲われた記述が、すべて吉見教授らの見解となる。そんな馬鹿な、である。実際は、そういう「ゆがめられた言説」=「ウソ」に吉見教授はすべて事実で反論して「真実」を示しているのだ。
 吉田証言が「真実」であるという吉見教授の著書を、なんとか真逆にするために、朝日や赤旗の検証記事は、引用まで改ざんしている。
 朝日の検証記事では、吉田氏が「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明したと書いているが、吉見教授の著書には「回想には日時や場所を変えた場合もある」と書かれている。「回想には」という言葉をカッコ書きの「(強制連行した)」に変えている。朝日の検証記事は、吉田証言を何が何でも「ウソ」にしたい意図がみえみえである。
 赤旗の検証記事でも同様の改ざんがある。赤旗の検証記事は、吉見教授らが「吉田さんの回想は証言としては使えないと確認する」としている。吉見教授と吉田氏の間で「証言としては使えない」という確認があったかのように読める。しかし、実際の吉見教授の著書は「そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言としては使えないと確認するしかなかった」と書かれている。確認したのは、吉田氏を訪ねた「私たち(吉田氏以外の人間)」の間であることがわかる。吉見教授と吉田氏との確認なら「確認するしかなかった」という主観的な文章にはならない。やはり、吉田証言の真実性を何とか打ち消したい意図を感じる改ざんである。
 ともに、新聞社の検証記事であり、こんな核心部分の短い文章を改ざんしたのでは、検証記事全体の「信ぴょう性」が著しく失われてしまう。
 もう一つ、引用の改ざんには、あえて重大な文章を隠すという方法がある。朝日と赤旗の検証記事は、吉見教授の著書の引用で共通して隠している文章がある。少し長いが次に引用する。
 「この証言自体の信頼性はどうか。これに疑問をいだいた秦郁彦教授は、済州島にいって調査したが、現地でえられた証言は否定的なものばかりだといっている。このほか、この証言にたいする多くの疑問がだされているが、吉田さんは反論していない。そこで、私たちは、1993年5月に吉田氏を訪ね、積極的に反論するように勧めた」
 つまり、吉見教授は、秦郁彦氏の「調査」を研究者として信用し、その「使い走り」のような形で吉田氏に面談し、ただしているということだ。秦郁彦氏がどういう人物かは、あとで詳しくのべるが、国家犯罪としての従軍慰安婦はなかったと主張するタカ派の論客の一人であることは有名である。こういう態度が、吉田氏には、吉見教授が秦郁彦氏と「同類」に映ったかもしれない。吉田氏が吉見教授を相手にしなかったのもわかる気がする。
 ところで、吉田氏に反論を促した吉見氏らの行動だが、やはり、それは戦中の権力機関の幹部として、さまざまな脅迫に負けずに命がけで証言してきた吉田氏への配慮や敬意が、欠落していると思わざるをえない。
 当時の「時代の雰囲気」を知る者は、吉田氏を含め、戦争犯罪を証言する加害者らが、どんなに元軍人や保守勢力から、暴力的脅迫を受けていたかを記憶している。私も当時、ジャーナリストとして、吉田氏自身が、日常的に元軍人・元特高警察関係者らしき者から、暴力や脅迫を受けていたことを知っている。これは、いまのヘイトスピーチや在特会らのデモどころではない、異常極まるものだった。
 そういう「時代の雰囲気」の中で、当時、80歳過ぎの高齢の吉田氏に、研究者のような詳しい反論をせよと要求し、国家犯罪の証人として矢面に立ち続けるべきだと忠告する神経を私は理解できない。しかも、裏付けにつながる話を拒否したからといって「私たちは、吉田さんのこの回想は証言としては使えないと確認するしかなかった」という言い草はないだろう。
 従軍慰安婦の強制連行の裏付けを示す責任が、その加害体験を証言した高齢の吉田氏に第一義的にあったとは思えない。戦争犯罪の加害者が、勇気を持ってその歴史的事実を証言することは、闇に埋もれた歴史的真実を明らかにするうえで大きな意味を持っている。その証言をもとに、裏付けの事実を探し、真実を追求することは、むしろ、吉見教授などの研究者やメディアの責務なのではないか。
 
                      

 

 Cタカ派論客の秦郁彦氏と『週刊新潮』に依拠する検証記事

 
 朝日と赤旗の検証記事は、タカ派論客で有名な秦郁彦氏の「調査」を全面的に肯定することで成り立っている。
 吉田証言を最初に批判したのが、産経新聞社発行の月刊誌『正論』1992年6月号に掲載された秦氏の論文「昭和史の謎を追う 従軍慰安婦たちの春秋」と、その論文をもとに秦氏の見解などを報じた産経新聞92年4月30日付記事とされる。(その論文は『正論』2014年11月号に全文が再録されている)
 この論文は、赤旗日曜版1992年1月26日号の吉田インタビューと、朝日92年1月23日夕刊の吉田証言を、名指しで批判している。そして、これらの記事は、いずれも今回の赤旗と朝日の検証記事で取り消されたものだ。朝日と赤旗の検証記事は、そういう点で、秦論文による攻撃に、そのままま屈服した形になっている。
 その秦論文だが、吉田証言を「虚構」とする根拠は、済州島に秦氏が行き、吉田証言を否定する現地の新聞「済州新聞」89年8月14日付を入手したという話が中心である。
 その新聞の引用に目を疑う。その済州新聞には「慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない」と書かれているという。「ほとんどいない」とは、少数だが、裏付け証言をする人がいたということだ。それなのに、秦氏は、これをもって「慰安婦狩りの虚構」と見出しをつける。その記事を書いた許栄善記者は秦氏に「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞いたという。
 次に示す秦氏の答えぶりが、秦氏の立場と品性を端的に表している。
 「有名な南京虐殺事件でも、この種の詐話師が何人か現われました。彼らは土下座してザンゲするくせがあります」
 秦氏が吉田氏を「職業的詐話師」と誹謗中傷してきたのは有名だが、同様に秦氏は南京虐殺事件でも、それを証言する者を「詐話師」とののしっていたことがわかった。まさにタカ派のデタラメ論客なのである。
 こういういかがわしい学者の話を最大の根拠にして、吉田証言を「虚偽と判断」とか「信ぴょう性がない」する朝日と赤旗の検証記事の信ぴょう性は、完全にゼロだといわざるをえない。
 ちなみに、赤旗の検証記事は、『週刊新潮』に掲載された吉田氏のコメントをそのまま引用し、朝日以上に特異なものとして注目されている。『週刊新潮』は公安情報誌ともいわれる、共産党や民主団体を権力機関の情報組織でしかわからないような情報を使い、謀略的に攻撃してきた超タカ派の週刊誌である。
 赤旗の検証記事の末尾に掲載された「『吉田証言』の記事を取り消します」と題する訂正記事には、次のように書かれている。
 「吉田氏自身がのちに、『本に真実を書いても何の利益もない』『事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか』(『週刊新潮』96年5月2・9日号)などとのべています。『吉田証言』は信ぴょう性がなく、本紙はこれらの記事を掲載したことについて、お詫(わ)びし、取り消します。赤旗編集局」
 ここにその歴史的な特集記事を、PDFでダウンロードできるようにしたので、じっくりと読まれたい。
 赤旗が間違いないものとして掲載した吉田氏のコメントは、赤旗記者が直接取材したものではなく、『週刊新潮』記者が取材したものだ。伝言ゲームでも正確な情報を伝えるのは至難の業だが、こういうタカ派のメディアを通じたのでは、真実からますます遠ざかってしまう。
 吉田氏のコメントの引用も、改ざんが明らかである。吉田氏が「本に真実を書いても何の利益もない」と言ったと赤旗は書いているが、実際の『週刊新潮』の記事にはこうある。「秦さんらは私の書いた本をあれこれ言いますがね。まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もあるんですよ」。赤旗の引用は、本人の意図をねじまげる最悪の改ざんである。もう一つの引用も意識的な改ざんというほかはない。ぜひ、じっくりと読み比べていただきたい。
 報道機関であるはずの朝日と赤旗の検証記事のデタラメさはあまりにひどく、その政治的立場の変節・退廃はあまりに深刻である。
 その他、まだまだ、明らかにしていない多くの問題点があるが、それは、別の論評に譲りたい。請うご期待である。
                       (おわり)




〈参考資料〉

☆安倍晋三氏の「吉田証言」中傷質問(1997年5月27日、衆院決算委員会第二分科会の議事録から)

○安倍(晋)分科員 先ほど申し上げましたように、特にことし、中学の教科書、七社の教科書すべてにいわゆる従軍慰安婦の記述が載るわけであります。この問題に絞って幾つか質問させていただきたいと思うわけであります。
 私も従来から我が国の歴史教科書の記述については問題点が多いな、こう思っておりました。しかし、この従軍慰安婦の記述については余りにも大きな問題をはらんでいるのではないかと私は思います。これは私だけではなくて、そういう問題意識を持っている議員はたくさんいるのですね。ことしになって、特にこの記述に疑問を持つ若い議員が集まって、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会というのを発足いたしました。当選五回以下に絞っているにもかかわらず、自民党だけで六十名近い議員が集まって、勉強会を既に八回、文部省からも説明要員として御出席をいただいたわけでございますが、勉強会を重ねてきました。それぐらいたくさんの議員が問題意識を持っているということであります。
 それはなぜかといえば、この記述そのもの、いわゆる従軍慰安婦というもの、この強制という側面がなければ特記する必要はないわけでありますが、この強制性については全くそれを検証する文書が出てきていないというのは、既に予算委員会、先ほど私が申し上げました小山議員、片山議員の質問の中で、外政審議室長の答弁等々から明らかであります。唯一のよりどころは、十六名の元慰安婦の人たちの証言ということでありますが、これはやはり私どもの勉強会におきまして、石原元副長官に講師としてお越しをいただきまして証言をしていただいたわけでございますが、もう既に、これは十六名の人たちから聴取をするというときに強制性を認めるということで大体方針が決まっていた。それを否定するというのは、とてもそういう雰囲気ではなかった。これは実際の話としてお話があったわけであります。明らかにこれは外交的配慮から強制性があったということになってこの官房長官談話につながったのだ、私はこういうふうに思います。
 そもそも、この従軍慰安婦につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が本を出した。この内容がもう既にめちゃくちゃであるということは、従軍慰安婦の記述をすべきだという中央大学の吉見教授すら、その内容は全く根拠がないということを認めております。しかし、この彼の本あるいは証言、テレビでも彼は証言しました。テレビ朝日あるいはTBSにおいてたびたび登場してきて証言をいたしました。また、朝日新聞は大々的に彼の証言を取り上げて、勇気ある発言だということを新聞紙上で扱って、その訂正はいまだかつて一回もしていない。テレビ局も新聞もそうであります。
 しかし、今は全くそれがうそであったということがはっきりとしているわけであります。この彼の証言によって、クマラスワミは国連の人権委員会に報告書を出した。ほとんどの根拠は、この吉田清治なる人物の本あるいは証言によっているということであります。その根拠が既に崩れているにもかかわらず、官房長官談話は生き、そしてさらに教科書に記述が載ってしまった。これは大変大きな問題である、こういうふうに思っております。

 ただ、それならたくさん教科書があるのだからそういう教科書ばかりにはならないだろうと思っていたら、すべての教科書にこの記述が載ったということであります。当然、中等段階でありますから教科書は無償でありまして、国の予算も教科書全体として四百三十五億円ついております。歴史の部分については十億円がついているということであります。
 七社それぞれ記述が若干違うわけであります。慰安婦と書いてあったり、従軍慰安婦と書いてあったり、あるいは慰安施設をつくったということでありますが、実態は、最も多く売れている、十億円のうち四億円は東京書籍株式会社であります。この東京書籍に至っては四億円、十分の四ですね。「従軍慰安婦として強制的に戦場に送りだされた若い女性も多数いた。」強制性を堂々と書いております。
 そしてまた、次は大阪書籍、一・九億円であります。「慰安婦として戦場に連行しています。」という形で書いてありますが、これは強制性をかなり疑っている、強く示唆しているということではないかと思います。
 そしてさらに教育出版社、これは一億八千万円でありますが、「従軍慰安婦として戦地に送り出された。」と書いてあります。
 一社だけ、慰安施設をつくったということでありますが、これは清水書院であります。強制性については余り言及をしていないわけでありますが、これは結局三千万円だけであります。十億円のうち三千万円でしかないということであります。
 ということは、予算的には多くの、ほとんどの教科書が強制性を疑わせる記述になっているのだ、こういうふうに思います。
 問題は、私はこれは採択の現場にもあるのではないかと思うわけであります。我々は、この東京書籍の社長も含めて、教科書会社の人たちを呼んで話を伺いました。彼らが言うには、本音ベースで言えば、こういう教科書をつくらないと教科書を採択してもらえないということでありました。
 そのときに、大阪の現場の先生、大阪府の桜丘中学校教諭の長谷川先生にもお越しをいただいたわけであります。彼の証言でありますが、「採択権は現場の教師に実質的には握られている。枚方市では教師が投票し、その投票の上位となった教科書が教育委員会に報告され、それが採択される。」「教科書会社は教育委員会よりも現場教員、その思想傾向におもねるようになる。」ということであります。
 日教組の組織率は、今極めて低下をしているわけでありますが、残った先生方は大変先鋭化をしております。そして、思想的な傾向も強まっているわけでありまして、教科書会社は営利を上げるためにみずから内容を社会主義化することによって利益を上げているという大変皮肉な結果になっているということであります。
 さらに、この教科書の採択に大きな影響を持っているのが、労働組合、出版労連であります。共産党系の労働組合の出版労連というグループ、これは教科書執筆者がつくっている労働組合でありますが、それが極めて大きな影響力を持っております。そしてもう一つ、大阪の場合は大同協、つまり同和教育研究協議会という部落解放同盟系の組織であります。これらがいわゆる事前チェックを行いながら、こういう傾向でなければ採択はさせないという大きな圧力をかけているというお話が現場の先生から、そういう生々しい証言があったわけであります。
 この現場の採択の状況について、文部省は問題点を把握しておられるのでしょうか。
(以下略)



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