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《2015年7月8日からの閲覧回数》
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☆2015年6月27日、バウラックセミナーでの筆者の報告(要点)


(筆者のセミナーでの報告の様子)


《目次》

@日本軍や官憲が植民地・朝鮮で、慰安婦にする女性を強制連行した事実は、96年に警察庁が共産党・吉川春子参院議員に提出した公文書で以前から立証されている。知られてないだけ。

A週刊金曜日の吉方べきリポートで、朝日の吉田証言関連記事の取り消しの最大の根拠が崩れた。

(以下、随時書き加えていきます)


@日本軍や官憲が植民地・朝鮮で、慰安婦にする女性を強制連行した事実は、96年に警察庁が共産党・吉川春子参院議員に提出した公文書で以前から立証されている。知られてないだけ。

 セミナーでは、以下の警察庁提出資料をプリントしたものを読み上げ、説明しました。


★★【以下、いずれも(財)女性のためのアジア平和国民基金編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料@』(龍溪書舎、97年)所収の警察庁提出資料】
 ★「支那渡航婦女ニ関スル件伺〔内務省警保局長〕(38年11月4日)」から。
「適当ナル引率者(抱主)ヲ選定、之ヲシテ婦女ヲ募集セシメ現地ニ向カワシムル様…。…
本件渡航ニ付テハ内務省及地方廰ハ之ガ婦女ノ募集及出港ニ関シ便宜ヲ供與スルニ止メ、契約内容及現地ニ於ケル婦女ノ保護ハ軍ニ於テ充分注意ス…」
 ★「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件〔内務省警保局長〕(38年11月8日)」から。
「(イ)引率者(抱主)ハ何処迄モ経営者の自発的希望ニ基ク様取運ビ之ヲ選定スルコト…(ロ)醜業ヲ目的トシテ南支方面ヘ渡航ヲ認ムル婦女数ハ約四百名トス。…但シ航スル婦女ノ出府県ハ右指定府県(大阪・京都・兵庫・福岡・山口の五府県)以外ニテモ差支エナキコト…(ホ)前項報告ニ基キ軍部ノ證明書ヲ送付スルニ付之ニ依リ右醜業ヲ目的トシテ渡航スル婦女ヲ密ニ募集スルコト
 ★「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件〔和歌山県知事〕(38年2月7日)」から。
「(長崎県外事課ヨリノ回答)客年(1937年)十二月二十一日付ヲ以テ在上海日本総領事館警察署長ヨリ本県長崎水上警察署長宛左記ノ如ク依頼越シタルヲ以テ・・・。本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之ガ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中ノ處頃日来當館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ・・・右要領ニ依リ施設ヲ急ギ居ル處既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ對シテハ當館発給ノ身分證明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付・・・」
 

 この点について、最も重要なのは、3番目の「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件〔和歌山県知事〕(38年2月7日)」という公文書だ。
 和歌山県知事は、和歌山県の警察部長(いまで言う県警本部長)を兼務していた。この文書は、同警察部長が、当時の全国の警察組織の元締めである内務省警保局長に報告したものである。
 その中で、38年1月6日、和歌山県内で「誘拐ノ容疑」で警察が逮捕した男たちが「軍部ヨリノ命令ニテ上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来タルモノ」と釈明、軍の「命令」は、慰安婦にする女性を年内に3000人集めよというものであったことを話した事実を書いている。この事実を、関係する大阪府九条警察署と長崎県外事警察課に問い合わせたところ、間違いないという回答であったという。
 長崎県外事警察課長からの回答文には、在上海日本総領事館警察署長から長崎県長崎水上警察署長への依頼状「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ニ件」という文書が含まれており、それが、上記に抜き書きし、セミナーで読み上げたものである。
 その内容は、中国・上海にある日本領事館の武官室で、日本陸軍の憲兵隊が合議した結果、日本陸軍の前線各地に軍慰安所を設置することを決定したこと、そのための慰安婦を募集するために、日本国内や植民地・朝鮮方面に人を派遣したこと、その人物には日本領事館発行の身分証明書を携帯させているので、便宜を供与してほしいというものだ。
 これらの一連の公文書は、日本陸軍の「命令」で、慰安婦の募集をする男たちが、日本国内や朝鮮に派遣され、1938年中に3000人の慰安婦にする女性たちを「誘拐」するために動いたということを示している。そういう事情を知らない日本国内の各県の警察が男たちを逮捕したものの、軍当局に問い合わせたら正式な命令であったので、釈放したということである。
 ここで強調したいのは、この公文書が日本国内の各県の警察部長の報告文書であるにとどまらず、同じように軍命令で慰安婦を集めるために動いた男たちが植民地・朝鮮にまで出向いていたという事実を明らかにしていることである。
 一連の警察庁提出文書には、「追テ既ニ台湾総督府ノ手ヲ通ジ同地ヨリ約三百名渡航ノ手続済ノ趣ニ有之」(1938年11月4日、内務省警保局警務課長)というものもある。植民地・台湾からも慰安婦にするための女性が約300人も台湾総督府の官憲により連行されたことを示している。
 和歌山県警察部長の文書は、男たちの逮捕容疑を「誘拐」としている。誘拐とは「他人を騙して誘い出して連れ去ること」(ウィキペディア)であり、強制連行以外の何ものでもない。
 また、女性を連行する「引率者」の男たちを民間業者のように言う向きがあるが、これは違う。上から2番目の公文書にあるように、どこまでも経営者の自発的希望に基づく様に取り運べ"と警察当局が指示している。軍命令で動く「業者」であるが、外形上は金儲けで自発的に動く民間業者を装えと指示しているのである。この「業者」が民間業者などではなく、軍の別働隊員、いわゆる特務機関員のような者であることを示唆している。
 軍の密命を受けた男たちが朝鮮や日本国内で、官憲などの庇護を受けて、何千人もの慰安婦を「誘拐」することが、官憲による強制連行でなくてなんであろう。
 ちなみに、当時の「募集」という用語は、何か強制のない人集めのように思う方がいるかもしれない。だが、戦中の朝鮮人動員のやり方において、「募集」も「官あっせん」も「徴用」も、すべて強制連行であったことは、いまの日本政府でさえ認めている。
 1997年3月12日の参議院予算委員会で、辻村哲夫文部省初等中等教育局長は、以下のように答弁している。
 「…強制連行はご案内のとおり官あっせん、あるいは徴用という形で行われている。…一般的に強制連行は国家的な動員計画のもとで人々の労務動員が行われたわけでございまして、募集という段階におきましても、これは決してまさに任意の応募という事ではなく、国家の動員計画ということで、自由意思ではなかったという評価が学説等におきまして一般的に行われているわけでございます」(吉川春子『従軍慰安婦――新資料による国会論戦』=1997年、あゆみ出版=P72)
 また、これら一連の内務省警保局の公文書は、1996年の暮れに、警察庁幹部が、日本共産党参院議員の吉川春子さんの部屋に訪れ、手渡され、公表されたものである。
 同上の吉川著の本のP43〜44に、以下のような記述がある。
 「瓢箪(ひょうたん)から駒(こま)ということか。私(吉川)は1996年11月26日、参議院決算委員会の質問で敗戦直後に米兵のために設置された、慰安所問題を取り上げた。その際それを指示した『旧内務省通達』の提出を政府に強く要求したが、それは出さずに代わりに(?)従軍慰安婦関係の資料を警察庁が持ってきた。…それは決算委員会の三週間後、1996年の暮れであった。警察庁の総務課長補佐が議員会館の私の部屋にやって来た。『例の資料が見つかったの?』『いいえ。それはありませんでしたが、警察大学校から従軍慰安婦の資料が偶然発見されましたので、お届けにあがりました」とカバンからとりだした。私はいろいろ言いたいことはあるが、ぐっと言葉を飲み込んで、その資料を手に取ってみた。旧内務省職員の種村一男氏(故人)の寄贈ということである。警察が従軍慰安婦の資料を提出するのはこれが初めてだ。政府は国会での追及に対して資料の発見に『務めている』といってきたが、そうした中でも、警察庁はゼロであった。私も再三警察の保管資料の提出を求めたが、いつも答えは『探したがない』であった。それが出てきたのだ」

  ◇ ◇ ◇

〈以下、バウラックセミナーでの報告後の追記〉

 朝日新聞は、昨年8月5日付の検証記事で、「日本の植民地下で、人々が大日本帝国の『臣民』とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない」としていた
 こうした誤った事実認識は、警察庁が提出した内務省警保局の公文書類が日本共産党議員に提出された経過をおもしろく思えない反共的潜在意識がなせるわざだろうか。
 戦後一時期、日本共産党公認の地方議員候補であった吉田清治氏の証言を、理由にもならない理由で、簡単に「虚偽」と判断した、当時の朝日新聞の認識と共通するものを感じてならない。
 ただ、朝日新聞は今年7月2日付「『慰安所は軍の施設』公文書で実証――募集や渡航 軍が警察に協力を要請」と題する大型記事を掲載した。それは、永井和さんという学者にインタビューする形で、1996年に公表されたこの警察庁提出の公文書の存在を示すものである。
 1998年に慰安婦問題の研究を始めたという永井和さんを、1996年公開のこの公文書の権威のように扱い、共産党が警察庁に公開させた文書であることに一切触れないところが、朝日らしいといえば、朝日らしい。
 それはともかく、昨年8月5日付の検証記事の「朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない」という記述を、事実上、訂正したわけであり、大きな前進である
        (2015年7月8日、今田真人)


A週刊金曜日の吉方べきリポートで、朝日の吉田証言関連記事の取り消しの最大の根拠が崩れた。

 朝日新聞が昨年8月5日付の検証記事で、「吉田証言」関連記事を取り消した最大の根拠は、「済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした」(同記事)ということである。これは、検証記事の見出し「裏付け得られず虚偽と判断」にも示されている。
 済州島の再取材とは、どんなものだったか。検証記事は「今年4〜5月、済州島内で70代後半〜90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった」としか説明していない。


 再取材の詳しい内容は、昨年12月22日に発表された朝日新聞社第三者委員会の報告書で、やっと明らかにされた。そこには、以下のような記述がある。
 (P30〜)
 ――検証チームのうち主として国外取材を担当した記者は、まず、韓国の済州島において、老人ホームを訪問するなどの方法で、1週間かけて約50名に対して取材を試み、そのうち40名ほどから話を聞くことができた。また、吉田氏の著書に地名が記載してある場所については、実際にその地へ行って村長(むらおさ)や年長者の話を聞いた。吉田氏の著書において場所の特定が十分でない場合、例えば、工場で働いている女性を強制的に連行したという内容について、「〇〇村と〇〇村の中間くらい」との趣旨の記載があるような場合には、当該記載の条件にあう工場を探し、唯一該当する可能性があると考えられた工場まで出かけて話を聞くなどした。以上のような聞き取り取材の結果、挺身隊として徴用されるのが怖かったから早く結婚した、というような話はあったものの、吉田氏が証言しているような強制連行については「聞いたこともない」という反応であり、吉田証言を裏付ける話は得られなかったとのことだった。工場(該当する可能性があると思われた工場3軒くらい)付近に住んでいる老人からも話を聞いたが、「そのようなことはない」との答えであった。――

 一見して、不十分な調査であり、話を聞いたお年寄りの氏素性はまったくわからない。戦中にその人が、どういうことをしていたのか、はたして済州島にいたのかも確認できていない。40人のサンプルで、「聞いたこともない」と回答した人が何%いるといった、お年寄り対象のアンケートのようなものである。
 済州島のお年寄りは現在、何人いるのか。ウイキペディアによると、済州島の人口は約55万人。70代後半〜90代の高齢者の人口は、数万人にのぼると推計される。約40人では、アンケートとしても、あまりに不十分だ。
 「裏付け得られず虚偽と判断」という朝日の認識論は、秦郁彦氏が『正論』1992年6月号の「昭和史の謎を追う・第37回従軍慰安婦たちの春秋」や、その内容を報道した産経新聞1992年4月30日付の記事「朝鮮人従軍慰安婦強制連行証言に疑問、秦郁彦教授が発表――加害者側の告白"被害者側が否定」の論法と同じである。


 秦郁彦氏は1992年3月末、済州島に行って「調査」し、「慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない」と書かれた地元新聞『済州新聞』1989年8月14日付の許栄善記者の記事を「発見」した。
 その記事には次のように書かれているという。
 ――開放(「解放」の翻訳間違いか?)44周年を迎え日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が刊行され大きな衝撃を与えている。しかし裏付けの証言がなく波紋を投げかけている。
(吉田著の概要を紹介)
 しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない。島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信ぴょう性に対して強く疑問を投げかけている。城山里の住民のチョン・オク・タン(85才の女性)は「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」と語った。郷土史家の金奉玉(キム・ポン・オク)氏は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と慨嘆している。――

 秦氏自身も「通訳により城山浦の老人クラブで、四、五カ所あった貝ボタン工場の元組合役員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認した」という。
 結局、秦氏の現地調査による「裏づけ証言する人はほとんどいない」という結論は、地元紙の記事の孫引きである。また、彼自身のやった調査は、五人の老人との「話し合い」であり、「虚構らしいことを確認」という結論は、虚構らしいという印象だったという程度のことにすぎない。「らしい」ことを「確認」したという言葉づかいは、矛盾する言葉の合成であり、こういう文章を見ただけでも、秦氏の研究のいいかげんさを十分示して余りある。
 それはともかく、秦氏の論法は「裏づけ証言する人はいない」から、吉田証言は「虚構」だと結論するもので、朝日の検証記事のそれとうり二つである。

 
 吉田清治氏は、1993年10月4日、私のインタビューに答えて次のように、この秦郁彦氏の済州島調査のやり方を批判していた。

 【吉田証言】(拙著『吉田証言は生きている』P45〜)
(済州島の現地訪問について)済州島問題だが、済州島には、私も七、八年か前(1980年代半ば)にいったんですよ。韓国のテレビ局かなんかの招待で、済州島に私は謝罪旅行にいった。そのときにKBC?〈ママ〉、韓国の公共放送ですね、あそこの済州島の支局長室を根拠地にして、あすこのテレビ局の車で、ずっと現場まわりをしたんです。そしたら、もちろん新聞記者が、現地の新聞記者、あるいは光州から新聞記者もきてました。そういう連中、十五人ばかりが、ぞろぞろついてくるが、最初のときに私は、記者会見で、今度は謝罪旅行で、お願いがある。慰安婦の強制連行は発表しないことにする、これは女子艇〈ママ〉身隊で軍需工場の女子艇〈ママ〉身隊徴用としてほしい。でないと、ここに私がきて、しかも部落から何人、あそこから何人、全部、私がここで証言しなければならない。そこの部落の人たちは、自分とこのおばあちゃんが慰安婦だったというと大変なことになる。それでOKじゃなければ、いっさい証言しない、と。この歳になってもう一度、韓国で戦争犯罪になる、そんなことしたくない、そのくらいの分別は、日本人の吉田清治は持っている、と、たんかをきった。そしたら、みんなそれはもっともだということになった。通訳は感動して、みんなよろこんでいますよと、あなたのその気持ちを。そういうことで全面協力した。・・・そういう事実があって、現場でずっと、ここでなんぼと確認してるんです。それが毎日、ソウルからニュースで報道されている。それをいっさい無視して産経新聞やら、あの教授たちが大騒ぎをしているんです。済州島新聞の記者がいったとか、八十なんぼの老婆が証言したとか、そんな、わずかな人数の部落で、十人も十五人も娘連れだしたら、大騒ぎになる、と。しかし、あの当時、大騒ぎできる状況の済州島の状況でないことを、そのばあさん知りもしないで。昭和十八年、十九年ごろの済州島の実態は、知らずに。済州島の新聞記者といっても、戦後生まれの新聞記者がなにがわかりますか。一人の新聞記者が語ったのが、いかにも真実だというが、その裏をとっていない。ばあさんの裏もとっていない。地元民の証言、地元民の裏もとっていない。その信憑性も追求していない。

 私は、拙著で、朝日の検証記事の「裏付け得られず虚偽と判断」という認識論について、以下のように批判した。


【拙著】P104〜
 ――朝日の吉田証言検証記事が有名になる中で、危うくなっていると思うことがある。それは、歴史上の事実認識での当事者の証言の重要性である。朝日の検証は、吉田証言について「裏付け得られず虚偽と判断」という論理で全否定してしまった。歴史を記録するジャーナリズムの認識論として、大きな誤りに陥っているといわざるをえない。そもそも新聞記者は、事件・事故に関係した様々な人を取材し、その人が話すことを使って事実を記録するのが仕事である。その中には、当事者だけしか知りえない事実もある。その当事者の話と同じ話をする人が他にいないからといって、それは事実でないとか、それはウソだと言い始めれば、新聞記者の仕事はできない。確かに、大きな事件で、その証人が1人しかいない場合、裏どりに心がけるのは、新聞記者の姿勢として大切である。しかし、裏どりとは、それができなければ、その証言がウソになるという性質のものではない。矛盾した証言が別の当事者から出たら、今度は、どちらが正しいかを検討し、必要なら、さらに別の当事者を探す。それが真実を探求するジャーナリストの取材方法である。だから、済州島に行って慰安婦狩りの裏づけ証言が得られなかったということは、吉田証言がウソという証明にはまったくならない。もし、住民の中に、「(そんなことは)聞いたこともない」という人だけではなく(当事者でなければ、聞いたこともない住民が圧倒的に多いのは当たり前だ)、「そのようなことはない」と言い切る住民がいたらどうなるか。14年12月22日発表の朝日新聞社第三者委員会の報告書(31頁)には、そう言い切った老人がいたというが、それなら今度はなぜ、そう言い切れるのか、その人の経歴を調べ、その証言の信憑性を調べなければならない。朝日の検証は、約40人の住民に取材して「(慰安婦狩りは)聞いたこともない」という人がほとんどだったというものだ。これでは吉田証言を虚偽と証明したことにはならないだろう。なぜなら、今後、1人でも「慰安婦狩りがあったことを知っている」という関係者が出てくれば、「虚偽」だとする検証結果はすべてひっくり返るからである。その可能性は依然として存在する。朝日の検証は、認識論的にいって、実に危うい。赤旗のインタビューでの吉田証言を注意深く読めば、吉田氏は、「裏付けが得られないから虚偽」とする、そうした認識論に、私と同じような危惧を表明している。――

 この私の警告は、早くも現実のものとなった。
 『週刊金曜日』2015年6月26日号は、私と西野瑠美子さんとの対談記事とあわせて、韓国・仁徳大学講師の吉方べきさんのリポート「知られざる済州島地元紙の『吉田証言』報道の中身」を掲載している。
 この吉方べきさんのリポートは、秦郁彦氏が紹介した「済州新聞」の記事の決定的な翻訳間違いを指摘したうえで、済州島には慰安婦に徴用(強制連行)された女性が何人もいることを、現地の別の新聞の記事や、太平洋戦争犠牲者遺族会の梁順任会長の長年の現地調査の結果などで、明らかにしている。
 まさに、「慰安婦狩りがあったことを知っている」という関係者が、複数出てきたのである。これによって、秦郁彦氏や朝日検証記事の「裏付けが得られないから虚偽」という検証結果は、すべてひっくり返ったのである。
 全部を引用するのは著作権上、問題があるので、その一部を引用したい。ぜひ、『週刊金曜日』の該当号を購入され、全文をじっくり読まれることをお勧めする。


 (吉方べきさんのリポートから)
 ――(郷土史家の)金奉玉氏のコメントとして(実際の『済州新聞』の)記事では「事実無根の部分もあった」となっているが、秦氏の引用では「事実でないことを発見した」と多少ニュアンスの違う表現に訳されている。…(地元紙の)『済民日報』は90年6月8日付の、済州島四・三事件を振り返る長期連載の中で、「慰安婦」の徴用に触れている。地元の人の証言として、村で青年25人ほどが徴用されたが、その中に18〜19歳の女性が含まれていたとしたうえで「従軍慰安婦に送られたようだ」と説明している…。…(太平洋戦争犠牲者遺族会の)梁(順任)会長の場合は、93年に発足した遺族会済州支部の人脈を頼りに現地に通い詰め、吉田氏が手記の中で描写した地理的特徴に合致する地区で6、7人が「慰安婦」に徴用されたとの証言を得ることができたという。…これらの証言がどれほどの客観的検証に耐えうるものか。現在調整中という記録資料の公開が待たれる。――

 吉方べきさんのリポートの筆致はきわめて控え目だが、秦氏が翻訳した「事実でないことを発見した」という文章と、吉方さんが翻訳した「事実無根の部分もあった」という文章では、意味合いが180度違う。秦氏の現地調査の「虚構」が、この韓国語に精通した学者によって、みごとに暴かれた形である。ウソつきは、吉田氏ではなく、秦氏ではないのか。
 そして、済州島で慰安婦の強制連行を証言する人の存在が、何人も明らかになった。梁会長は、その記録資料を近く出版するという。「吉田証言は虚偽」という朝日や秦氏の結論が、もろくも崩れてしまった。つまり、吉田証言関連記事取り消しの最大の根拠が、『週刊金曜日』の記事で崩れたのである。
 あとは、吉田証言関連記事の取り消しという「軽挙妄動」に走った、朝日を初めとする、いくつかのメディアが、この現実を前に、どうするかである。そのメディアの姿勢がいま、するどく問われている
         (2015年7月9日、今田真人)


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