異論を生かす提案
(2013年10月1日のツイッター再録)
@共産党の規約第三条「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」を本当に生かすには、どうしたらいいか。私なりの提案をしていきたい。まず第1に、意見を発表するとき、それが個人の意見か、あるいは、党組織を代表する意見かを明確に区別すること。
B「デフレ不況」の定義は、持続的物価下落を伴う不況。物価が上昇しているのに「デフレ不況」というのは、誰が考えても間違っているだろう。書記局長といえども人間だ、間違うことはある。その間違いを例えばツイーターで、ある党員が個人の意見として指摘するのは当然と思う。
Cもちろん、書記局長は組織を代表する人であり、その発言は党を代表する意見として、多くの人は受け止める。それを間違いだと指摘する意見発表は、例えば地区委員長とかいう肩書では、社会常識に反する。だが、肩書はあっても個人的見解だと断れば許されるべきではないか。
D確かに、党から給与を受け取る党職員や、党議員が、異論を発表するのは、工夫が必要だ。しかし、党中央の政策や方針を自分の頭で考える民主的党風を前提とするなら、異論の発生は必然である。その節度ある発表の方法の一つが、個人的意見だと明記して発表することである。
E提案の第2。異論を発表するときに、党の肩書(もちろん現職の肩書だが)をつけないこと。一般党員なら、自分が党員だといわないこと。これだったら、党員が異論を発表しても、個人的見解であることは自明だ。それでも、党員であることが有名な人は、個人的見解だと断ればいい。
F党員が個人として異論を発表する権利を強調するのは、そうしないと共産党の組織運営の健全さが保てないと思うからだ。先の例のように書記局長の間違いを指摘したい場合、いまは、電話やメールで党中央に意見をいう程度しかできないと思う。しかし、それでは事態は改善しない。
G個々に電話やメールで、党中央に批判的意見を伝えても、そうした無数の意見に一つ一つ誠実に答える時間や党職員は、共産党中央といえども物理的に確保できるとは思えない。しかし、公表された批判的意見への回答は、きちんと考えた内容を1回、発表するだけで解決するだろう。
H党規約第3条「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決できめる」という規定は重要だ。これは、民主的な議論をつくしていない党の政策・方針は、党を代表しないということでもある。民主的議論を尽くしていない政策・方針を是正する方策が求められている。
Iもう一つ。民主的な議論をつくし云々の後にくる規約の規定「決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である」の解釈。これは、民主的な議論をつくしていない一方的な決定に、党員が従うべきだということを意味しないだろう。
J決定をみんなで実行という意味も、社会常識にあった解釈をすべきであろう。異論を持つ党員が、それが決定だからといって、自分の意見とは違う政策・方針を宣伝したり、知人・友人に話したりすることが「決定の実行」ではない。常識的に考えても、それを個人に強制できない。
K党規約第五条「党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」。「自覚的に実行」「保留」「決定に反する意見」とある点に注目すべきだ。
L先の党規約第五条の規定は、誤解されて、決定には無条件で従い、決定に異論があれば、その意見は放棄すべきであり、異論は発表してはいけない、などと解釈される向きがある。しかし、規約は、そうは書いていない。少なくとも異論は、イコール「党の決定に反する意見」ではない。
M先の党規約第五条の規定は、上意下達の官僚組織の決まりのように誤解される恐れがある。それは党大会などで、本来の民主的運営のルールとして改定されるべきであると考える。しかし、改定されていないからといって、個々の党員の異論を押しつぶす方便として解釈すべきではない。
N例えば、党規約第五条「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」の改善意見。現行規定だと、異論は発表してはいけないという、抑圧規定と誤解される。これを「党の決定に批判や異論がある場合、個人的見解と明記して発表できる」と改定すれば、ずいぶん違う。
O党規約第五条は、一般党員の権利と義務を定めた重要な規定だ。その規定が憲法第21条で保障された言論・表現の自由を制限・抑圧するものだと受け止められてはいけない。異論が大切にされ、生かされる道を探究することが、民主主義の先頭に立つ共産党にもっと求められている。
P党規約第五条「党の決定に反する意見」、第一七条「党の全国方針に反する意見」の勝手な発表を禁ずる規定についての改善意見。党の決定や全国方針に批判的な意見、異論、疑問など善意の個人的意見の発表までを禁止すると解釈すべきではない。表現を限定的・前向きにすべきだ。
Q規約第三条「党の意思決定は民主的な議論をつくし…」云々という趣旨を生かすにも、善意の批判や異論、疑問の発表を認め、汲みつくす度量と寛容さが共産党には必要。問題は、誰が見ても党を誹謗・中傷する悪意ある反対意見の発表だが、それは禁じるまでもなく淘汰されるだろう。
R「民主的な議論をつく(す)」(規約第三条)の内容も問われている。それは、異論を持つ仲間を理を尽くして説得し、納得してもらうことである。そうしてこそ、その決定は「自覚的に実行」(規約第五条)されるだろう。その議論を公開で行うことも「民主的」である条件だと思う。
S党員が異論をのべると、その人を一方的に批判し、納得していなくても議論を打ち切り、多数決で決定し「意見を保留して従え」と迫ることをどう考えるか。「党機関が決定をおこなうときは、党組織と党員の意見をよく聞き、その経験を集約、研究する」(規約第一五条)にも反する。
(21)確かに党幹部にしてみれば、例えば、常任幹部会で「いまの不況を『デフレ不況』と呼ぼう」と決定する、そのあとに党員がいちいち異論を出してくるのは、うるさいだろう。最高幹部が熟慮して決定したのだから文句を言うな、という気持ちにもなる。しかし、そこに落とし穴がある。
(22)異論を持つ党員によく投げつけられる言葉に「党はサロンではない。いつまでも議論するのではなく、決定を実践しろ」と言うものがある。でも、そうだろうか。異論の存在を、どうしようもない反対意見と捉える党風こそ、自らの決定の説得力に自信がない証拠と言えないだろうか。