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季論21」2014年夏号の聽濤弘論文「『ソ連』とは何だったのか」が興味深い(2014年8月27日のツイートから再録)


@「スターリンは党内の異論を許さなかった。『一国社会主義論論争』を行政手段で決着させて以来、公開論争を一切禁じた(トロツキーは除名・国外追放、ブハーリンは除名・出身地モスクワの市党委員会の解体・再編)。」


A「よく1921年にレーニンが分派を禁止したため『スターリン体制』ができたという議論があるが、『一国社会主義論争』は歴史の必然としておこったのであって、レーニンは論争を弾圧するような人物ではけっしてなかった」。そうだったのか!


B「徹底的な民主的公開討論を組織し解答を見つけだしながら、党を団結させていったであろうことは確かである。イタリア共産党のグラムシは、スターリンがトロツキーを行政的に排除しようとしていることを察知した1926年に、スターリンにたいし・・・書簡を送った」


C「(グラムシはスターリンにたいし)『あなたがたは自らの事業を破壊し』、『権威を地に落とし』、ボリシェビキ党の『レーニン主義的安定化』を台無しにしているという強烈な抗議の書簡を送っている(イタリア・グラムシ研究書編『グラムシと20世紀』)」


D「政権党であるが故に公開討論の禁止は、『ロシア人はみな一つの言葉で話す』国(アンドレ・ジード)にすっかり変えてしまった」。まったく同感。共産党が党内の異論を許さないで、公開討論も組織しなければ、共産党員は同じ言葉しか話さない不気味な人間集団になる。


E「論争の成否は実践によって検証されるといわれる。これは実践がもつ一つの真理であるが、『正論』であろうと『異論』であろうと人間の認識は実践をとおして得られているのであり、結果がでる以前から双方とも尊重され討論されなければならないものである」。納得!


F聽濤弘さんは知る人ぞ知る日本共産党の元幹部。その共産党が2014年初に開いた第26回党大会に向け「決議案への感想・意見・提案」なる冊子(2分冊)が非公開で刊行された。しかし、大会を特集した雑誌類には、それはまったく掲載されていない。残念でならない。


G「レーニンは論争を弾圧するような人物ではなかった」と強調した後、聽濤さんはいう。「(レーニンは)徹底的な民主的公開討論を組織し解答を見つけだしながら、党を団結させ前進させていったであろうことは確かである」。これは現在の日本共産党への注文でもあろう。


〈参考〉聽濤弘『レーニンの再検証』(2014年6月28日のツイートから)


@レーニンの民主集中制についての考えの紹介が興味ぶかい。「レーニンはいつでも少数意見が自由にいえるよう保障した。大会や協議会で展開された論争をそのまま記録した大会、協議会の速記録(野次まで記録されている)がすぐに出版され、市民はだれでも読むことができた」


A「(つづき)これらの記録はいまでもロシア史研究の第一級の資料である。党の統一を守りながら展開された論争は、ロシアの党を前進させる機動力になった。レーニンがたどった道をみると、党内討論というのは大いに活発なものでなければならないことがわかる」


B「新しくおこる問題や意見が分かれている問題をめぐって党の機関紙誌がさまざまな見解を客観的に紹介し、議論の材料としていくことは民主集中制の当然の、初歩的なことであろう」(P106)。レーニンが党内の異論や少数意見の発表をいかに大切にしていたかがわかる。


〈参考〉聽濤弘氏の異論。26回党大会の意見集(非公開)から
(2015年9月23日のツイートから)


@「軍事強権国家づくりに暴走する安倍政権を許すな」の統一戦線をつくり国政選挙をたたかうべきだし、「3勢力」に依拠すれば可能だ――。聽濤弘氏の異論が26回党大会の意見集(非公開)に載った。志位氏は一顧だにしなかった。あるサイトから紹介。
livedoor.blogimg.jp/busayo_dic/img


A聽濤弘氏の異論でもう一つ共感した個所。「最後に党はもっとオープンになる必要がある。いま党内には討論すべき多数の理論・政策上の問題がある。…しかし、討論の場がない。最低限のこととして大会時に限定せず常に民主的公開討論ができるようにすることは、もはや今日の近代政党として当然のこと」


B念のため、第26回党大会(2014年1月)に向けての意見集(非公開)に載った元党幹部・聽濤弘氏の異論を、あるサイトから全文紹介する。同様な意見は、私を含め多くの党員から聞かれた。
@livedoor.blogimg.jp/busayo_dic/img
Alivedoor.blogimg.jp/busayo_dic/img


〈参考〉聽濤弘氏の新著『マルクスならいまの世界をどう論じるか』(かもがわ出版)を読む。(2016年1月31日のツイートから)


@赤旗は広告を拒否した。その偏狭さにはあきれるが、逆に、日本共産党が何を怖がっているのかを考えながら読むと、また興味深い。以下、注目した個所を紹介する。www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%8


A「ゴルバチョフが『人間疎外の克服』としてソ連市民に『市民的政治的自由』を保障し、言論・出版の自由・複数政党制・議会制度導入などの『政治改革』をおこなった意義はきわめて大きい。…しかしこの『政治改革』はソ連崩壊への『引き金』になった」(補論1、P204〜)


B「(続き)ソ連の歴史を知る者なら誰でもレーニン時代はいうまでもなくトロッキー、ブハーリンが党内にいた時期には全ロシア共産党(ソ連共産党)は『思考し討論する能力をもった党』であったが、スターリンが両者を行政的に処分したあとこの党は一切の異論を許さない(続く)」


C「(続き)軍事的規律にも似た『厳格さ』にもとづく『一枚岩の党』に変質したことを知っている。民主集中制の悪用と党による国家権力の乱用がこれを可能にした」「しかし『一枚岩の党』は一見して堅固にみえるが存外脆いものであった」


D「レーニン時代とその余韻がまだ残っていた時代のロシア共産党大会と党全国協議会の速記録(野次まで記録されている)は、ただちに出版され誰でも読めたものでありソ連共産党史とソ連史を知るうえでの第一級の原資料であった。しかしその後は入手不可能になった」


E「『グラースノスチ』という名の言論・出版の自由が許されるとまず一挙に噴出したのはスターリンと党史・ソ連史にかかわる暴露であった。ソ連共産党権力の『正当性』は一挙にぐらついた」


F「党を『聖域化』せず批判を許していれば、ペレストロイカが党にとってもソ連社会にとっても『爆弾』となることはなかったであろうと確信している」「よくソ連共産党はレーニンが1921年に分派を禁止したため変質したといわれる。しかし分派の形成と討論の自由は違う」


G「レーニンはいかなる論争も禁じたことはない。どんな困難な時期でも自由な意見の表明を認め、論争し自分の意見を述べ党を団結させながら前進をはかっていった」


H「ソ連の覇権主義は日本と世界の変革の事業に大きな害悪を流した。…しかし覇権主義の誤りの側面だけからソ連の国内生活の全てを演繹させることもできない。経済問題の複雑さ困難さを覇権主義だけでは説明できない」


I「またわれわれ自身、ソ連が崩壊するまで一方で覇権主義と闘いながらも、ソ連を『社会主義』だと看做していたことは誰も否定できない事実である。われわれはけっして『聖人』ではない。歴史は人間がつくるものであり、それが現実である」


J引用はこの程度でとどめよう。同氏が、ソ連共産党の崩壊の原因の分析を通して主張していることは、もうおわかりだと思う。赤旗はこのすばらしい著作の広告を拒否した。日本共産党がこの態度を続けていけば、行く先はかの党と同じ運命かもしれない。そうならないことを切に願う。


〈参考〉(2016年2月1日のツイートから)


友党・社民党の機関紙『社会新報』2016年2月3日号に私のリポート「歴史から目を背けるな――『慰安婦の強制連行』示す旧厚生省『極秘通牒』」が載った。同党の度量の広さ、事実への誠実さに感銘する。 pic.twitter.com/vJBva8oc79


いまの赤旗編集局は、私との接触は分派活動として禁じられているようだ。電話をかけても返答なし。毎年交わした年賀状も返信なし。資料を贈っても礼状なし。私の著作物を購入することはもちろん、持っていることもタブーだという。それでは政党機関紙の機能は果たせず、報道機関としても機能すまい。


赤旗編集局の人たちも、すべてが上の判断を盲信しているわけではないと信じます。だけど、それでは相手にも社会にも通用しない。自分で確かめることなく、親しい同僚だった人間を「反党分子」と決めつける。それがどんなに人間的に恥ずべきことか。ジャーナリスト以前の問題です。残念です。


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