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怪文書の撤回を!(2013年6月4日〜8月5日のツイート再録)


@怪文書の撤回を!――ネット上での党の政策・方針に対する意見・異論の交流について「党内に派閥・分派はつくらない」という規約に「真っ向から背く行為」で「分派の誘い」だと攻撃する「常幹メモ」が出回っている。血迷うな、といいたい。livedoor.blogimg.jp/busayo_dic/img


Bこの怪文書が本物なら、大変深刻な事態だと思います。党の政策や方針にたいして、党員を含め国民が自由、かつオープンに意見をのべ、質問できなければ、それが正しいかどうかも検証されず、ましてや、国民に受け入れられることはありません。民主主義のイロハでは。


C党員は様々な団体や集まりに参加し、さまざまな友人・知人を持っています。そのつながりで、党の政策や方針について意見交換することは当然あります。相手が党員である場合も多い。怪文書の論理は、そのすべてが分派に見える視野狭窄、人間不信に陥っています。


D政党の政策や方針に異論や疑問を持ち、それを党員がインターネットでオープンに表明することを「分派」というなら、党員はツイッターなどのインターネットで党中央の政策や方針を賛美し、おうむ返しにするしかなくなります。怪文書の論理はどう考えてもおかしい。


Eこの怪文書はもし本物ならば、共産党の党内民主主義がいかにないかも示しています。党内で中央委員会にいたるどの機関にたいしても質問し意見をのべ回答を求めることができるのは、民主的な政党なら当たり前。問題は党中央がその意見などに回答する義務がないこと。


Fこの怪文書がもし本物なら、これを閲覧できる立場の共産党幹部が義憤にかられて公開したものと思います。その勇気にこたえるためにも、私もあえてこの文書を公開しています。これを契機に、共産党が国民に開かれた本物の民主主義政党として再生してほしい。


G政党の政策・方針の正しさに自信があるなら、党内外の意見・疑問が公開で出されることを恐れる必要はないと思います。言論には冷静な言論で応じれば、やがては正しい方が国民に支持されます。この怪文書の筆者には、そうした寛容がないのが残念です。


H怪文書の論理は、いったん党中央が間違った政策・方針を出した場合、それを自律的に正す機能を自ら放棄したようなもの。間違いに気づいた仲間を次々と「分派」として切り捨てていくことが、どんなに政党の自浄作用を失うことか。


I怪文書の文言でもっとも気がかりな個所は、党の決定への異論をSNSやメールに発表することを「党の決定を攻撃」する行為と断じているところ。ここには怪文書の筆者の人間性が浮き彫りになっていて、ぞっとする。


J「共産党に党内民主主義がない」というと、「中央にいたるどの機関にたいしても質問し意見をのべ回答を求めることができる」という規約の規定を示して、さも民主的な運営の証拠のようにいう人物がかならず出てくる。だが、そんなことは党員でなくても、だれでもできるでしょ。怪文書の論理の滑稽さだ。


K怪文書の論理は、共産党員になると自主的な意見の発表の権利がなくなるといっているのと同じ。個人的な意見の発表はすべて、指導部の事前了解・事前検閲が必要だという風にとられてしまう。そうではないでしょう?これから多くの党員を迎えようとしているいま、怪文書の論理は最大の障害になっている。


L私のツイッターで怪文書と言っているのは、以下のブログで公表された「常幹メモ」という文書です。議論の土台になる資料ですから、改めてアドレスを表示します。参考に。
kinpy.livedoor.biz/archives/52055
livedoor.blogimg.jp/busayo_dic/img


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