川上徹『査問』(97年、筑摩書房)を読む(2016年2月20日〜のツイートからの再録)
フリージャーナリスト、今田真人
@川上徹『査問』(97年、筑摩書房)を読む。日本共産党組織の非民主的性格を具体的事実で描く、本格的なルポ。こういう本を、反党分子の本として忌み嫌うのでなく、同党の発展のための貴重な財産として研究される日が来ることを願いたい。
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A川上徹『査問』で最も興味深い事実がある。「党が査問の体制に入ると同時に、最も率先して『分派分子』の摘発に乗り出した」2人の人物(当時の民青大阪府委員長と同愛知県委員長)が後に「公安当局のスパイ」であったことが判明(P114〜)。ここには、いまでも生きる多くの教訓があるように思う。
B川上徹『査問』で紹介される分派活動の理由が笑える。「党内民主主義がないと言っては党を中傷し、党の掲げる方針である『人民的議会主義』に対して『大衆闘争』を機械的に対置して党の路線に反対したこと」(P69)。いやはや、こんなことを言ったら、党内で生き残れるのは、ヒラメ党員だけ。
C川上徹『査問』(97年、筑摩書房)は、いまも続く党内の査問が、民主的な話し合いとは無縁であることを示している。刑法の監禁罪にも該当するかもしれない。しかし、隠せば隠すほど国民の信頼はなくなるだろう。憲法の基本的人権を本気で守る政党になりたいのなら、思い切った自己改革が必要である。
〈参考〉共産党は本当に変わったのか?(2016年2月24日〜のツイートの再録)
@川上「分派活動って、下司(順吉)さんは、いったい何を指してそうおっしゃるのでしょうか」。下司「ここ(党本部内の査問の部屋)はね、君のチャラチャラしたお喋りを聞く場ではないんだよ!」(川上徹『査問』P20〜)
A下司「君がいま身に着けている一切のものを提出してほしい。…君には、党に対して隠すべき私物というものはないんです。…党は組織全体が一つの体のようなものであり、細胞の情報の一切が頭脳に集中されてこそ『ことの真相』が解明されるんです」(川上『査問』P23)
B川上「妻と連絡をとりたいのですが」。下司「それはできない。査問期間中は、査問される者はいっさい外界との連絡はとれないことになっています。それが査問を成功させるために必要なことだからです」(『査問』P27)
C「トイレまで無言男(防衛隊員)はついて来た。ドアを開けておけと手で指図した。『それも中央委員会の決定ですか』と問うと、彼は怯んだ。その一瞬にドアに鍵をかけた」(『査問』P32〜)
D分派活動の禁止。共産党が現在の規約でも明記している理念が、党内の批判者の人権を踏みつけても平気な、党幹部と取り巻きの暴走を、絶えず生み出している。「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」(規約第3条)?笑わせてはいけない。
E川上徹氏が査問部屋から解放された直後、茨木良和と今井伸英の両氏が投げつけた迷言。茨木「絶対にマスコミに知られてはならない」。今井「君、君が消えてくれるのがいちばんいいんだけどな。ネ、茨木さん、ネ」(『査問』P109)。このくだりには説明はいらない。