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「朴裕河現象」と朝日新聞記事問題との通底感――前田朗編『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)の覚書的感想

 2016年4月11日、今田真人


 4月15日発売の前田朗編『「慰安婦」問題の現在――「朴裕河現象」と知識人』(三一書房)を、発売に先立って入手し読むことができた。12人の共著の一人という「特権」?のためであり、発売日まで読めない一般の方にはお許しいただきたい。
 私は同著の第三部「朝日新聞記事問題を問う」で、「『吉田証言』は本当だった――公文書の発見と目撃証人の登場」と題する論文を寄稿している。
 私の論文は、同著の第二部「『朴裕河現象』を考える」とは、直接的には関係がない。しかし、朝日新聞記事問題(「吉田証言」否定論を指す。以下同じ)が「朴裕河現象」と大いに関係があることを指摘する分析が、残念ながら第二部掲載の6人の先生方の論文にはない。そこで僭越ながら私が、とりあえずの覚書的感想を書こうと思い立った。全面的な論考は、別の機会に行いたい。

《「あとがき」と「編集部から」の指摘》

 同著の「あとがき」(前田朗氏著)や「編集部から」(三一書房編集部)には次のような指摘がある。
 「歴史修正主義が猛威をふるっている。…河野談話の見直し、朝日新聞記事訂正事件、意図的に作り出された『朴裕河現象』、戦後70年安部談話、朴裕河訴追事態、そして12・28日韓合意という一連の流れは、その全部があらかじめ用意されたというわけではないだろうが、見事に交響しあって歴史の改ざんを既成事実にしてしまったように見える」(あとがき)
 「今回、本書の出版の企図である。朴裕河の『帝国の慰安婦』ほか、一連の『慰安婦』問題の著書とそれをめぐる日本での『評価』、ここにいたるまでの歴史認識の根本を問われる経緯を考えれば、朝日新聞の検証記事問題から、安部首相の70年談話、今回の日韓『合意』へと、まるで目には見えない大きな筋書きがあるかのように感じる」(編集部から)
 2つの論考には、「見事に交響」とか、「目には見えない大きな筋書き」とか、言葉自体は違うが、同じ意味を持つ言葉が使われている。
 つまり、朝日新聞記事問題と「朴裕河現象」には、同方向の意図、すなわち、歴史修正主義の意図が感じられるということだろう。私も両者について、通底感を持っている一人である。その根拠を、次に示したい。

《『帝国の慰安婦』に書かれた「吉田証言」否定論》

 朴裕河『帝国の慰安婦』(日本語版)の初版は、朝日新聞出版から2014年11月30日に発行(韓国語版は13年8月に出版)されている。日本語版には、「吉田証言」についての否定的な言及があることをご存知の方がいるだろうか。
 彼女は「吉田証言」を「信頼に足るものではない」と結論しているのだが、その根拠が、秦郁彦氏の著書と『週刊新潮』の記事なのである。
 彼女が日本の右派・歴史修正主義者の主張に全面的に依拠していることを示す事実である。
 念のため、『帝国の慰安婦』の該当ページを引用しておく。
 「自ら朝鮮人女性の『強制連行』に参加したかのように語って、『朝鮮人慰安婦強制連行』説を広めた吉田清治の本(『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』〈一九八三〉)を、慰安婦『強制連行」の証拠のように引用する記事は今でも続いている(「朝鮮日報」2012年9月6日付)。しかしこの本も信憑性が疑われて久しい(秦郁彦一九九九、『週刊新潮』一九九六年五月二・九日号、『朝日新聞』一九九七年三月三一日など)。一部で強調していた『強制連行』説は、信頼に足るものではない」(日本語版P56・57)
 彼女の「吉田証言」否定論が、こういう歴史修正主義者の本や雑誌の論述を鵜呑みにするものであることは、一読して明らかである。そこには、学者としての科学的慎重さもなければ、日本の名だたる歴史修正主義者に対する当然の警戒もない。
 秦郁彦氏の著書や『週刊新潮』の記事に対する批判は、私の著書『吉田証言は生きている』(15年4月、共栄書房)の第3・4章で徹底してやっているので、繰り返さない。
 ただ、一言付け加えるなら、彼女がこの著書や雑誌記事を実際に読んで、それが正しいと本気で思ったのなら、学者としての科学的分析力はゼロというべきだろう。
 引用した個所でも、いきなり「自ら朝鮮人女性の『強制連行』に参加したかのように語って、『朝鮮人慰安婦強制連行』説を広めた吉田清治」と断定するあたり、言葉づかいまで、日本の歴史修正主義者とそっくりである。
 ちなみに、『帝国の慰安婦』と、朝日の検証記事(14年8月4日付)は、作成時期が重なっていて、どちらが先で「主犯」なのかわからないが、「吉田証言」を全面否定する点やその非論理的な論法が共通していることはすぐわかる。「共犯」というべき関係なのだろう。

 《昨年末の日韓「合意」の直前に私のツイートで発信》

 「朴裕河現象」と朝日新聞記事問題が通底しているということは、なにも今回の三一書房の本を読んでから感じるようになったものではない。
 その証拠と覚書を兼ねて、昨年11月27日の私の一連のツイートを示しておこう。

(昨年11月27日)
朴裕河『帝国の慰安婦』(14年11月、朝日新聞出版)を読む。@元「慰安婦」被害者が怒るのはあまりに当然のトンデモな内容。強制連行の「法的」責任は直接的には業者にあり、日本国家の行為は「批判はできても『法的責任』を問うのは難しい」(P46)と断言。彼女の根拠のない確信犯ぶりに驚く。
(同上)
朴裕河『帝国の慰安婦』を読む。A「慰安婦問題でもっとも責任が重いのは『軍』以前に、戦争を始めた『国家』である」(P32)と言う。軍が国家の中心であった歴史的事実をひっくり返す妄言だ。しかも法を犯したのは業者であって「誘拐」を取り締まった軍ではないとは、開いた口が塞がらない。
(同上)
朴裕河『帝国の慰安婦』を読む。Bきわめつけは、戦中の日本政府の言い分を鵜呑みにして「挺身隊とは、…女性などを工場などの一般労働力として動員するために作った制度であった」(P53)と断定している個所。日本の官憲が挺身隊だと騙して慰安婦にしたのではないのかという当然の疑問に答えず。
(同上)
朴裕河『帝国の慰安婦』を読む。C「挺身隊=慰安婦」ではないとする根拠のない確信に基づき、「『挺身隊』という名で慰安婦が募集された」とする千田夏光氏や金一勉氏などの「慰安婦」強制連行の研究者をなで斬りにする(P51〜)。そこには研究者としては当然の、先人の研究に対する謙虚さはない。
(同上)
朴裕河『帝国の慰安婦』を読む。D千田夏光『従軍慰安婦』について。朴氏は「元慰安婦の多くは、まずは船に乗れるような場所に連れて行かれたと証言している」から、千田氏が同書で描く駐在所前に集めトラックなどに乗せた情景は、慰安婦ではなく挺身隊の動員のものだと批判(P55)。説得力なし。
(同上)
朴裕河『帝国の慰安婦』を読む。E「村から強制的にトラックに乗せられていった女性たちの姿は、だまして連れていった業者たちによるものか、挺身隊をめぐる状態だった可能性が高い。ただし、挺身隊の場合だとしても、人狩りのような〈強制〉的な場面ではなかったはずだ」(P56)。ええええええ?
(同上)
朴裕河『帝国の慰安婦』を読む。F西野瑠美子他『「慰安婦」バッシングを越えて』という本に各国別「慰安婦」連行状況という表がある。朝鮮人女性の証言52件のうち、拉致・誘拐が11人で、うち、トラックに乗せられて連行されたのは5人。詐欺・甘言が33人。身売り8人。被害女性が怒るのは当然。
(同上)
朴裕河『帝国の慰安婦』を読む。G私が一番腹が立つのは、吉田証言の信ぴょう性を否定している記述。「自ら朝鮮人女性の『強制連行』に参加したように語って、『朝鮮人慰安婦強制連行説』を広めた吉田清治の本を、慰安婦『強制連行』の証拠のように引用する記事は今も続いている。(続く)」(P56)
(同上)
朴裕河『帝国の慰安婦』を読む。H「(続き)しかしこの本も信憑性が疑われて久しい(秦郁彦99、『週刊新潮』96年5月2・9日号、「朝日新聞」97年3月31日付など)。一部で強調していた『強制連行』説は、信頼に足るものではない」(P56)。朴氏が信頼するのは秦氏や『週刊新潮』らしい。
(同上)
朴裕河『帝国の慰安婦』を読む。I結論。一見中立を装うが、内容は秦郁彦氏ら「歴史修正主義者」らが繰り広げる「慰安婦強制連行はなかった」論や「慰安婦は挺身隊の名で動員されなかった」論、「吉田証言」否定論など、デタラメばかり。あの朝日新聞などが朴氏を擁護するのもうなづける。
      ◇◇◇

《日韓「合意」を「前進と評価」した日本共産党の問題》

 今年7月の参院選に向けて、野党共闘の中心を担っている日本共産党に水を差したくはないが、昨年12月28日の「慰安婦」問題の日韓「合意」についての同党の態度について、元「赤旗」記者で「慰安婦問題」の担当者でもあった私が触れないわけにはいかない。
 今回の共著『「慰安婦」問題の現在』の第1部「問われる日韓『合意』」で鈴木裕子氏は、日本の各党の態度を紹介する中で、日本共産党の志位和夫委員長が「前進と評価」したと述べ、次のような抑制的な批判をしている。
 「わたくしは、率直にいって、この志位氏の談話に疑問を持っている。後述するように、今回の両国政府の『合意』は、両国の国内世論や支援団体そして最も大切な被害者の声に耳を傾けていないことを問題視していないからである」
 ちなみに、「しんぶん赤旗」15年12月29日付は1面トップ記事で、この日韓「合意」を報道し、その記事につける形で、同党の志位和夫委員長の談話を発表している。そこでは、日韓「合意」での日本政府の態度表明について、「問題解決に向けての前進と評価できる」としている。
 1面本記には「ソウルの日本大使館前に設置された『慰安婦』問題を象徴する少女像について伊氏(韓国外相)は、『可能な対応方法に対し、関連団体との協議などを通じて適切に解決されるよう努力する』と発言。岸田氏(日本外相)は会談後、在韓日本大使館で記者団に対し、『(少女像は)適切な移転がなされるものだと認識している』と表明しました」などの記述がある。しかし、「少女像」の移転を批判するような記述はまったくない。
 2面には韓国の挺対協などが「反発」しているという記事が載ってるが、「批判」とか「反対」とかいう、「しんぶん赤旗」の通常の記事の書き方ではなく、明らかに発言する者への不同意を意味する「反発」という言葉が使われている。見出しも「挺隊協など反発」であり、記事も「『ナヌムの家』の安信権(アン・シングォン)所長は『妥結内容は政治的野合だ』と反発」としている。一方で、同じ記事に登場する被害者の発言は「表明しました」などと書いている。こうしたやり方は、朴裕河氏が常用する挺対協への執拗な攻撃と、挺対協と被害者との意図的な分断工作と類似している。
 「しんぶん赤旗」と日本共産党の日韓「合意」への態度は、その後、いくつかの軌道修正らしきものがあったが、明確な自己批判はされていない。
 もちろん、私の著書『吉田証言は生きている』(15年4月、共栄書房)でも言及しているように、日本共産党は「しんぶん赤旗」14年9月27日付の検証記事で、「吉田証言」を秦郁彦氏の著作や『週刊新潮』の記事などを根拠に「信ぴょう性がない」と断定し、過去の同紙の一連の「吉田証言」関連記事(私が当時書いた記事を含む)を取り消している。その重大な事件の自己批判も、いまにいたるまでされていない。

《朴裕河氏に心酔する共産党の元幹部の著作》

 同党の不可解な点は、同党政策委員会の元・安保外交部長で、同党の「慰安婦」政策を担当したこともある松竹伸幸氏(現・かもがわ出版編集長)の著作と親和的なことにもある。右翼的といわれる大手出版社の小学館から出された松竹氏の著書『慰安婦問題をこれで終わらせる。』(15年4月)のことである。
 私は、以前、経済問題の著書の出版で、松竹氏にお世話になったこともあり、この間、彼の著書を批判する気にならなかった。しかし、テーマが「慰安婦問題」であることもあり、最近入手して読んで驚愕した。あまりに朴裕河氏の著作とそっくりだからだ。以下、気になっている点を引用する。
 「吉田証言が虚偽のものであることは、政治の場で慰安婦問題にかかわる人には自明のことだったからだ。吉田証言が虚偽なら、河野談話も見直すべきだという議論が根強いが、河野談話作成にあたって吉田証言が根拠にならなかったことは、安部首相のもとでおこなわれた政府の検証結果が公式に認めていることである。河野談話の起案にあたるような人にとっては、吉田証言の虚偽性はあまりに常識的だったのである」(P34)
 「吉田証言の虚偽は、産経新聞の報道等によって、すぐに明白になった。それでも朝日は、しばらくの間、本質が国家による強制連行にあるという立場を変えなかった。そういう立場から、新たな証拠を探し続け、その一環として、慰安婦本人に密着した取材をおこなっていく。取材のなかで、軍が慰安婦制度の創設、管理等に関与しており、民間業者に募集を求めているような文書はいくつも見つかる。民間業者がだまして慰安婦にした事例も少なくない。しかし、いくら調べても、政府や軍が慰安婦を強制的に集めろと指示した証拠はひとつも見つからないのである。そういうことに直面すれば、政府が強制連行を命令したことはなかったのではないかと、ふつうは悩むものである。ところが朝日は、そこに疑問を感じなかったのか、立場を変えなかった」(P37・38)
 「金学順さんをめぐる報道にも同じことが言える。母親によってキーセンに売られ、その後、だまされて慰安婦になったという金さんの生い立ち証言を植村記者が書かなかったのは、国家によって強制連行されたという朝日の構図に当てはまらないものは切り捨てたからだ、と言われても仕方がないのではないか。植村氏自身は、書かなかった理由について、〈キーセン学校に通っていたから慰安婦にされても仕方ないとは、僕は思わない〉(青木理氏『抵抗の拠点から』収録のインタビュー)と答えている。しかし、キーセンに行ったから慰安婦にされても仕方ないとは、植村氏だけでなく日本国民のほとんどは思っていない。問題になっているのは、母親にキーセンに売られ、だまされて慰安婦になったと証言しているのに、日本軍に連行されてそうなったととられる記事になった理由なのである」(P40・41)
 「慰安婦を徴募した当事者のほとんどは、いうまでもなく個々の業者である。日本人も朝鮮人もいただろうが、民間の業者である」(P45)
 「裁判においてさえ、誰に強制連行されたのかという点は、慰安婦によって大きく異なっている。軍人が連行したとされるのは10名中1名、警察官によるものも1名である。それ以外の8名は、自分を連行したものがどんな人物かを特定できず、『日本人と朝鮮人に』だとか、『朝鮮人女性に』などとなっている。そもそも日本人が連行したわけではない場合だってあるのだ。…いま紹介したのは、強制連行されたと名のり出て、日本を裁判で訴えた方の話であるが、そういう人物は被害者のごく一部であって、多くの人は何も語っていない。他方、慰安婦の証言を否定するような日本の兵士や軍医などの証言もある。たとえば、いやがっていた慰安婦は朝鮮半島に戻してあげたという話もあるし、慰安婦と兵士の間には心の交流があり、必ずしもいやがっていたわけではないという話すら存在する。これらは、慰安婦は強制連行されたのだとか、慰安所での生活は悲惨なものだったとか、運動団体などから出てくる情報と違うものである」(P44〜46)
 「なんらかの記念碑的なもの、モニュメントのようなものが大事ではなかろうか。このモニュメントは、在韓日本大使館前に設置された慰安婦像にかえて、日韓が協力して建設するものであってほしい。慰安婦像は現在、韓国側の怒りの象徴のようになっているが、新しいモニュメントは慰安婦問題での日韓の和解を象徴するものになってほしい。…新しいモニュメントは、現在の像を包摂するようなものになることが望ましい。…日本大使館前は現在、日韓が対立する場になっているが、そうすれば、その後は協力を象徴する場になる。大使館前にふさわしい場所になる」(P175)
      ◇◇◇
 ここまで、問題と思う個所をあげたが、きりがないので、やめる。いずれにしても、松竹氏の著書の論点は、朴裕河『帝国の慰安婦』とあまりにうり二つである。どうしてこういう誤った発想のオンパレードになるのかと、いささか彼の頭の構造が心配になったが、著書の最後のくだりを読んで納得した。そこには、以下のような謎解きがある。
 「本書の生みの親」という小見出しのある文章である。
 「最後に、本書の近くて遠い『生みの親』を紹介しておきたい。何の面識もないのだが、韓国世宗大学教授の朴裕河さんである。先ほど書いたように、私は20年ほど前に慰安婦問題にかかわったが、その後は関心を抱くという程度にとどまり、距離を置くことになった。それは、安全保障分野の仕事が忙しくなったこともあるが、この分野での市民運動のあり方に懸念をもったからである。懸念を感じた最大のできごとは、女性戦犯国際法廷(2000年)の開催と結末であった。…犯罪者として(戦争責任ではなく慰安婦問題で)『天皇ヒロヒト』を有罪にし、その結果に狂喜乱舞する人々の姿を見るにつけ、それを主導する人々がもしも政権の座につけばこういうことをやるのだと国民は感じるだろうと思うと、市民運動の常識と普通の市民の常識との溝の深さに驚き、暗澹たる気持ちになるのであった。あまりかかわりをもたないでおこうと決めてしまった。そうして長い時間がすぎたのだが、つい数年前、朴裕河さんの『和解のために』(日本語版は2011年)に接したのである。これは、韓国の市民運動のあり方をきびしく批判し、タイトルのとおり、日本との和解を呼びかけるものであった。予想された通り、朴さんは韓国ではげしいバッシングに遭うことになる。この本を読んだとき、韓国の人がバッシングを覚悟で和解を説く勇気をもつのなら、日本でも誰かがやらないといけないと、私は強く思ったのである。そのときは、その『誰か』が自分になるとは思いも寄らなかったが、世論状況がますます深刻化するなかで、1年ほど前、自分が書かねばならないと決断した。本書執筆過程で、朴さんは新たに『帝国の慰安婦』(日本語版は2014年)を上梓し、自説をさらに深められた。…このような事情があるので、本書刊行にあたり、誰よりもまず海の向こうの朴裕河さんに感謝の気持ちを伝えたい」(P241〜243)
 このくだりを引用しながら、改めて松竹氏の朴裕河氏への心酔の根深さを感じざるをえない。また、現在の日本共産党の「慰安婦問題」の政策が、松竹氏の著書や考えに、かなり影響されているように思えてならない。
 卑近な例になるが、日本共産党本部前に、同党関係の書籍を専門に販売する美和書店という本屋がある。私の著書『吉田証言は生きている』を発売当時、顔見知りの店長に贈呈した。店長は「党本部の担当部局に読んでもらっているので、了解が出れば店頭に置きましょう」と請け合ってくれた。その後、1年経つが、いつ聞いても「まだ党本部からの返事がない」と言われ、いまだに私の著書は置かれていない。ところがである。松竹氏の『慰安婦問題をこれで終わらせる。』は、堂々と美和書店の店頭に並んでいるのである。一般の人には理解できないかもしれないが、美和書店などの民主書店の店頭に、党関係者の本が並べられるということは、その本が党本部の「検閲」に合格したということにほかならない。さらに驚いたことに、朴裕河氏の『帝国の慰安婦』も店頭に並んでいた。
 日韓「合意」を評価したり、「吉田証言」を否定したり、最近の日本共産党の「慰安婦」政策は、おかしなことが多いが、ちょっとしたミスだとは、私には思えない。
 日本共産党がこの問題で、「慰安婦」被害者や日韓の市民に本当に信頼を得たいのなら、やはり、誤りには誠実で公然とした自己批判が必要だろうと思う。
 日本共産党政策委員会の元幹部の著書も、そうした経歴を隠さないで書かれたものであるから、日本共産党は当然、目に見える形で批判をすべきであろう。
 そうでなければ、日本共産党への不信は深まるばかりである。

                             (以上)


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