吉川春子『従軍慰安婦ーー新資料による国会論戦』(97年、あゆみ出版)を読む(2016年5月14日~)
(経済ジャーナリスト・今田真人)
官憲による「慰安婦」強制連行を示す警察庁提出資料を報じる「赤旗」96年12月20日付。ところが、志位論文(「赤旗」14年3月15日付)は、強制連行を示す公文書はないと主張。事実上、過去の「赤旗」報道を否定。「歴史の偽造は許されない」
「強制的に『慰安婦』とされたことを立証する日本側の公文書が見つからなかったことは、不思議なことでも、不自然なことでもありません。…政府であれ、軍であれ、明々白々な犯罪行為を指示する公文書などを、作成するはずがありません」(14年3月15日付の志位論文)
「河野談話」当時、「強制連行を立証する日本側の公文書が見つからなかった」と認定するのは、当時の日本政府を免罪することになる。当時、警察庁だけが「慰安婦」関連公文書の存在を否定。後から出してきたのは隠していたからに他ならない。おめでたいな、日本共産党。
「慰安婦」被害者の証言に登場する、朝鮮総督府の官憲による「強制連行」。同府の管轄は1942年11月、拓務省から内務省に移った。内務省は警察庁の前身だ。警察庁がその公文書を93年「河野談話」当時、知っていたが隠していた理由をもっと真剣に考えるべきだ。
志位論文は、警察庁が96年12月19日、日本共産党参院議員に提出したこの「種村一男資料」(「種村一夫」は誤り)にまったく触れていない。自党議員の画期的な実績を無視して、何が「歴史の偽造は許されない」か。http://masato555.justhpbs.jp/newpage122.html
「従軍慰安婦は、国家権力によって動員された。それを強制連行という」(P70)。志位論文は、この警察庁提出資料を分析した、自党の吉川春子参院議員の著作『従軍慰安婦ーー新資料による国会論戦』(97年、あゆみ出版)すら学んだ形跡がない。不思議な委員長である。
吉川春子氏の著作のいまに生きる指摘。「政府は、『挺身隊』の名を語って植民地の女性を従軍慰安婦にしたという事を絶対に『認めない』…。国策として行った事を認めることになるから」(P93)。朝日検証記事の欺瞞も見通す。過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる。
旧内務省職員の故・種村一男氏は70年代に「種村文書」を警察大学校図書館に寄贈し、97年に国立公文書館に移管、99年に公開。だが、警察内部の官僚は閲覧できた。写真は『山口県警察史・下巻』(82年、山口県警)
吉川春子『従軍慰安婦ーー新資料による国会論戦』は、共産党員なら繰り返し学ばなければならない著作だ。①「従軍慰安婦を銃剣で引っ張るという事だけが強制連行なのではない。『強制連行』を認めまいとする人々はその定義をかってにせまくしている。(続く)」(P69)
吉川春子『従軍慰安婦』②「(続き)例えば、『…軍隊が銃を突きつけて婦女子を連れだし、慰安婦にした、と思っている人が多いがそれはあったにしてもレアケース』等といっている(…島村宜伸自民党代議士)。例えレアケース(少ない例)でも、(続く)」(P69)
吉川春子『従軍慰安婦』③「(続き)銃剣で軍隊が連れてゆくとはとんでもないが、それ以外でも、本人が嫌がるのを無理に連れていく事はもちろんだまし討ちで強制連行だ。連れていくことそのものが、本人の意思とは無関係なのだ。(続く)」(P69)
吉川春子『従軍慰安婦』④「(続き)そして最近は政府も、強制連行とは、国家の動員計画のもとで人々の勤労動員が行われたことをいうと、たびたび国会で答弁している。もちろん軍人の直接関与や、まして銃剣云々は要件ではない。」(P69)
吉川春子『従軍慰安婦』⑤「(続き)『強制連行』を認めた官房長官はけしからん、取り消せ、と反動勢力はかまびすしい。しかし強制とは、物理的強制のみをいうのではない事はもちろんである。本人の意思に反して従軍慰安婦にしたのも強制である。(続く)」(P70)
吉川春子『従軍慰安婦』⑥「(続き)だまされて、あるいは最初は仮に『任意で』従軍慰安婦になったとしても(こういうだまし討ちを任意とは言えないが…)その後やめたいと思っても絶対やめられない。(続く)」(P70)
吉川春子『従軍慰安婦』⑦「(続き)逃げようとしても、軍の(銃剣を持っている)見張りがいて逃げられない。または場所がジャングルの中などでは、命の危険なしには逃げられない。政府の資料によってもこの点はあきらかだ。こういう状態を含めて…強制連行である」
吉川春子『従軍慰安婦』⑧「(続き)1993年8月に宮沢内閣の河野洋平内閣官房長官は、前年12月より行った調査結果とともに次のような強制連行を認める政府の談話を発表した。政府が強制連行を認めたのは、当然である。…」(P72・73)
志位論文(2014年3月14日)は、「女性たちがどんな形で来たにせよ、それがかりに本人の意思で来たにせよ、強制で連れて来られたにせよ」と、一たび「慰安所」に入れば性奴隷となるから、国家の責任はある、という。いつのまにか「本人の意思できた」場合を認める。
最近の日本共産党の政策は、志位論文もそうだが、反動派の論法を一部受け入れながら「例えそうだとしても、本質は変わらない」と逃げる論法を多用している。「吉田証言」問題でも同じ論法が使われ、〝吉田証言が例え虚偽であっても強制連行はあった″となる。何か変だ。
いまの日本共産党の「慰安婦」政策は①強制連行を示す日本側の公文書は存在しない②「慰安婦」の中には本人の意思で「慰安所」に行った者もいる③強制連行をしたという「吉田証言」は虚偽であるーーということになる。吉川春子氏の著作の認識からの大きな後退である。
吉川春子『従軍慰安婦』⑨補論。政府の「挺身隊と慰安婦の混同」論について。「(日本政府は)『女子挺身隊』と従軍慰安婦の関係についてはべつものであるとはっきり区別し、教科書検定でも執筆者にこの点を明確に区別するよう要求している。しかし、(続く)」(P78)
吉川春子『従軍慰安婦』⑩「(続き)韓国では『女子挺身隊』と従軍慰安婦とは同じものと認識されている。私は朝鮮の被害者の何人からも『「女子挺身隊」の名で従軍慰安婦にさせられた』という訴えを聞いた。(続く)」(P78)
吉川春子『従軍慰安婦』⑪「(続き)…このことは、朝鮮人女性の、人間としての尊厳をふみにじった軍隊慰安婦政策が、国家総動員法、勤労報国、挺身勤労を大義名分にした国家によって組織的に行われたことを物語っている。(続き)」(P79)
吉川春子『従軍慰安婦』⑫「(続き)…軍隊慰安婦の狩り集めは、最も苛烈を極めた時期は、『女子挺身隊』、『女子愛国奉仕隊』等の名の下で行われたが、『挺身隊』の名を持たない以前から、朝鮮における軍隊慰安婦の狩り集めは、始まっていた。(続き)」(P79)
吉川春子『従軍慰安婦』⑬「(続き)1910年代から朝鮮人女性を日本に売り飛ばし、売春をさせることが日常的に行われていたことを背景にして、軍隊慰安婦は、1938年ころから、国・軍の関与の下で組織的に狩り集められ、管理されるようになった(続く)」(P80)
吉川春子『従軍慰安婦』⑭「(続き)…男子労働者は強制連行というれっきとした『法的根拠をもつ制度(!)」があって、事実朝鮮半島の人々は、相当乱暴な方法で狩り集められ、強制労働をさせられた。(続く)」(P82)
吉川春子『従軍慰安婦』⑮「(続き)それを、女性だけは強制的に集めなかった、従軍慰安婦にはしなかったなどと、どうして言えるのか。現に挺身隊として従軍慰安婦にさせられたという被害者の証言もたくさんある。(続く)」(P82)
吉川春子『従軍慰安婦』⑯「(続き)当時の政府は、日本国内において、一般の女性に厳しい貞操を求めつつ、他方『醜業に従事する婦人』などという侮蔑的な呼び方で、公娼制度(=国家が認める売春制度)を維持していた。(続く)」(P82)
吉川春子『従軍慰安婦』⑰「(続き)植民地、そして女性という二重の差別的取り扱いに、朝鮮の女性はさらされたのだ。たしかに一般の日本人女性を『女子勤労動員令』(筆者注=「女子挺身勤労令」のことか)で集めて、従軍慰安婦にしたという事はないかもしれない。」
吉川春子『従軍慰安婦』⑱「(続き)しかし問題は、当時植民地であった朝鮮半島の女性達に対して、政府は日本本土の女性と同じような方針で臨み、扱ったのかということである。そうではあるまい。(続く)」(P82)
吉川春子『従軍慰安婦』⑲「(続き)植民地であった朝鮮半島の女性については、『挺身隊』の名で集めた女性を従軍慰安婦にしたのは公知の事実である。被害者、韓国国民の数々の証言がある。これを否定する日本政府は、根拠となる資料は全く示せていない」(P82・83)
吉川春子『従軍慰安婦』⑳「(続き)日本の女性が女学生にいたるまで『女子挺身隊』の名札をつけて工場にかりだされたとき、朝鮮では多くの女性が、従軍慰安婦にかりだされたのである」(P89)。
吉川春子『従軍慰安婦』(21)補論その2。吉田証言について。同著作には1992年11月6日付の吉川氏の「従軍慰安婦に関する質問主意書」の全文が掲載されている。その関連部分を紹介する。「政府はこれまで『従軍慰安婦』問題について、(続く)」(P202)
吉川春子『従軍慰安婦』(22)「(続き)『民間業者が連れ歩いたもの』として、自らの関与を否定していたが、元朝鮮人『従軍慰安婦』の証言や、防衛庁資料室により当時の資料が発見されたことなどによりようやく政府の関与を一部認めるに至った。」(P202)
吉川春子『従軍慰安婦』(23)「(続き)以下具体的に質問する。…〈強制連行について〉加藤官房長官は今回の調査の結果、強制連行を裏づける資料はなかったことを強調している。しかし、当時の政府は1944年の勅令、女子挺身勤労令によって(続く)」(P203)
吉川春子『従軍慰安婦』(24)「(続き)朝鮮の女性を強制的に戦争に動員できる法的根拠を整備した。だまされたり強制連行されたりして『従軍慰安婦』にされた当事者の証言もたくさんある。(続く)」(P203)
吉川春子『従軍慰安婦』(25)「(続き)従って『従軍慰安婦』が本人の意志と関係なく強制的に連行されたことについての調査を真剣に行う必要がある。1.強制連行された朝鮮人の実数はいまだに把握されていないが、確認された約12万6千人(続く)」(P203)
吉川春子『従軍慰安婦』(26)「(続き)の名簿には従軍慰安婦の可能性の高い朝鮮人女性だけの名簿もあった(日弁連人権擁護委員会シンポジウム第二部資料『補償処理の課題』)。彼女達が『従軍慰安婦』として徴用されたのではないかについてなぜ調査しないのか。」
吉川春子『従軍慰安婦』(27)「(続き)3.山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治氏はその著書(『私の戦争犯罪』三一書房刊)で国家総動員体制の下、軍需工場や炭鉱に送り出された朝鮮人の中に慰安婦1千人も含まれていると証言している。」(P203)
吉川春子『従軍慰安婦』(28)「(続き)かつて従軍慰安婦をかり出した側の担当者からも聞き取り調査を行うべきではないのか」(P203)。これに対する宮沢喜一首相(当時)の答弁書(1992年11月27日付)がある。これも興味深いので、該当部分を引用する。
吉川春子『従軍慰安婦』(29)宮沢首相(当時)の答弁書から。「(日弁連調査の名簿で強制連行された朝鮮人女性について)各個人についてその方々がいわゆる従軍慰安婦であったかどうかの調査を行うことは、プライバシーの問題等がある、考えていない」(P206)
吉川春子『従軍慰安婦』(30)宮沢首相(当時)の答弁書から。「(吉田清治氏など狩り出した側の担当者からの聞き取りについて)元軍人等の方々から聞き取り調査を行うことについては、一部の方からのみの聞き取り調査は均衡を欠くおそれがあり、(続く)」(P206)
吉川春子『従軍慰安婦』(31)宮沢首相(当時)の答弁書から。「(続き)他方、全面的な聞き取り調査を行うことはプライバシーの問題にも触れかねないこと、また、仮に関係者から聞き取り調査をしても、その証言の真偽の判定が極めて困難であること等の理由から、」
吉川春子『従軍慰安婦』(32)宮沢首相(当時)の答弁書から。「(続き)政府の調査の一環としてこれを行うことは考えていない。なお、これらの方々からの証言、情報等は、いろいろな形で公表されており、調査に当たり十分に参考にしてきている。」(P206)
92年11月27日の答弁書で、吉田清治氏の聞き取りを「考えていない」としていた宮沢内閣は、93年8月4日の「河野談話」を出すまでに一転して、吉田氏の聞き取りをした。しかし、当時の官房副長官・石原信雄氏は「眉唾もんだ」というだけで根拠を一切示していない。
いずれにしても同党の吉川議員は同著作発行年の97年時点でも、吉田証言を信頼していたことがわかる。「赤旗」は14年の無署名論文で「(93年「河野談話」までに)『吉田証言』は、研究者によって否定され(た)」という。同党には、吉川氏は研究者ですらないらしい。
また、政府答弁書は吉田証言について「十分に参考にしてきている」と言う。「赤旗」は14年無署名論文で「『河野談話』はもともと『吉田証言』を根拠にしていない」と言い募るが、「参考」とは「根拠にしていない」ことではない。「赤旗」の妙なこだわりが気にかかる。
「必要悪」と言う元警察官らしき人物の体験的な書評(レビュー)が、逆に「慰安婦」募集での警察の主体的関与をにおわす。日本共産党の元国会議員の歴史的な著書、吉川春子『従軍慰安婦――新資料による国会論戦』(1997年、あゆみ出版)。
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