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『「慰安婦」問題の現在――「朴裕河現象」と知識人』(2016年4月19日、三一書房)出版記念シンポジウムでの私(今田真人)の報告レジュメ
(日時:場所、2016年6月18日(土)、全水道会館)


〈注1〉同シンポジウムでの各氏の報告の動画は、以下の三一書房のフェイスブックで公開しています。
facebook.com/31shobo/

〈注2〉以下、会場で配布したレジュメです(若干の誤植を訂正しています)。
 なお、印刷用にPDF版を用意しました。ここをクリックして、ダウンロードしてお使いください。


6・18出版記念会での報告レジュメ(朝日新聞記事訂正問題)20分
     *公文書の写真など6枚を添付    今田真人

@ 厚生省職業局「一八六号通牒」発見の重大な意義(共著論文の補足)

・国家総動員法に基づく毎年度の「労務動員計画(国民動員計画)」(1939年度〜44年度)は、朝鮮人の内地への「供出」などを定めた日本政府の閣議決定文書でもある。今回発見した厚生省職業局「一八六号通牒」は、この国家による朝鮮人動員先の職種に「軍慰安婦」があったことを示す衝撃的なものである。まさに安倍政権が否定する、「慰安婦」の強制連行を示す決定的公文書だ。ところが、この公文書の発見を「週刊金曜日」や「社会新報」を除く、日本の大新聞・テレビはいっこうに報道しない。日本のマスメディアの異常を象徴している。
・なぜなのか。2014年8月5日付の吉田証言報道を検証した朝日特集記事(朝日検証記事)が、日本のマスメディアを大きく右旋回させたからだと思う。時代を画する大事件だった。
・あの朝日検証記事がもし、単なる過去の記事の誤りをただす訂正なら、朝日は逆に国民の信頼が高まったはずである。ところが、そうはならなかった。あの記事は、誤りでもない過去の記事を、ときの政権の意向を忖度して、無理やり「虚偽」としたのではないのか。だからこそ、その及び腰を敏感に察知され、極右から猛烈な朝日バッシングを受けたのだと思われる。
・朝日検証記事が「誤り」とした問題は2つ。強制連行の加害者、吉田清治氏の証言(以下、吉田証言)。そして、植民地・朝鮮の女性を「挺身隊」の名で「慰安婦」として国家が強制連行したという説。知識人としてこの2つを否定するのが、歴史修正主義者の代表、秦郁彦氏である(『慰安婦と戦場の性』)。朝日の木村社長(当時)は、同記事を検証する「第三者委員会」を設立する際、「委員に加わってくれ」と秦氏に要請(朝日発行の月刊誌『ジャーナリズム』15年3月号の秦論文)。秦氏は難題をふっかけて結局辞退したが、この人選にも朝日の立場が浮き彫りだ。朴裕河『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版)もこの2つを基本的に否定。日韓合意も、官憲による強制連行の象徴、少女像の撤去を事実上約束。年初の国連での日本政府代表の発言は、吉田証言を虚偽とした朝日検証記事を天まで持ち上げている。朝日検証記事や、朴裕河『帝国の慰安婦』、日韓合意には、歴史修正主義者の主張が通底している。

A 同通牒発見の経過〜権力が否定し隠そうとするものにこそ真実が潜んでいる″という取材哲学と、吉田証言に導かれて

・安部政権が必死に存在を否定する、朝鮮人「慰安婦」の強制連行。これを示す公文書は本当にないのか。閣議決定までして否定する。しかし、歴史的真実は、閣議決定や新聞社の取締役会で決まる性格のものではない。権力が隠そうとするものにこそ真実が潜んでいる、それが私の取材哲学である。
・まず、政府が公表した公文書資料に、本当に強制連行を示すものがないのかを調べ始めた。政府公表資料は「女性のためのアジア平和国民基金」編の復刻本全5巻(97年3月20日〜98年7月20日発行)がある。そこには、第4巻に収録された公文書「第二次許可認可等行政事務簡捷化ニ関スル件」(閣議決定、44年1月6日)があった。その一覧表に「●●●●●●●慰安所的必要ニ依リ酌婦女給ヲ雇入ノ場合」という、一部墨塗りされた行政事務の内容と、その根拠法令として「昭和16年12月16日厚生省役徴第一八六号厚生次官ヨリ各地方長官宛通牒」(「役徴」は「発職」の誤り)という記述がある。次に、「行政事務ノ整理簡捷化及中央官庁ノ権限ノ地方委譲等ニ関スル件」(閣議決定、43年12月14日、同第4巻)という公文書もある。その中に「軍慰安所ニ於ケル酌婦女給等ノ雇入就職ノ認可ニ付テ厚生大臣ヘノ稟伺【りんし】(労務調整令ニ依ルモノ)」という記述もあった。行政事務として「軍慰安所」の「酌婦女給」の雇入就職の認可という、重大な内容が記述されている。
・この2つの公文書だけで、1940年代の「慰安婦」の徴集が、行政の認可事項であったことがわかる。つまり、法令に基づく国家による就労の強制だったことを示唆するものだ。この公文書をなぜ、もっと調べないのか。とりわけ、「一八六号通牒」そのものを見つけ出したい。これが私の取材の出発点であった。
・まず、政府公表資料の復刻本に掲載された公文書そのものの原文を、国立公文書館で閲覧した。そして、この墨塗りをよくみると、「○ノ要求ニ依リ」の文字が透けてみえた。しかし、この調査は、そこで壁にぶつかった。
・ではどうして、この壁を突破したのか。結論からいえば、吉田証言のおかげである。並行して行っていた取材、つまり、労務報国会の規約の現物を国会図書館で探す中で、この通牒を発見した。同規約は、吉田氏の著書『私の戦争犯罪』(三一書房)の付録に掲載されている。この取材経過は、吉田証言の真実性を別の角度から裏付けるものである。
・拙著『吉田証言は生きている』(共栄書房)の中に吉田氏のインタビュー発言として「私の本の付録だけは、私が国会図書館の資料として(見つけた)労務報国会の規約です。あれは日本に1冊しかない」(P61)という指摘がある。
・この指摘に基づき、国会図書館で労務報国会関連の文書を探していると、いくつかの本には、「鈴木僊吉氏寄贈」のスタンプが押されている。それで、鈴木僊吉氏が何者かを調べていくうちに、一橋大学の図書館で、鈴木氏の遺族が労働省図書館(当時)に寄贈した図書目録を見つけた。その目録をもとに国会図書館で調べる中で、ついに「第一八六号通牒」を発見した。

B 法令整備への移行期の朝鮮人「慰安婦」強制連行の時代(1937年〜38年)

*憲兵と警察の連携による徴集時代。法令整備への移行期。陸軍幹部の名刺(別掲)が象徴的。主に中国派遣軍(憲兵隊)の決定に基づき軍慰安所の設立を決定。派遣軍の幹部が内務省警保局幹部に要請し、内務省警保局は一連の時限的な通牒を発して、各地警察に便宜を図らせた。また、「業者」を装う軍任命の人物を使って、強制連行を実施した。これが、法令のない時代の「慰安婦」強制連行の初期の方法。これらは、吉川春子氏に警察庁が提出した種村一男文書で裏付けられる。

・1937年7月7日、日中戦争開始(盧溝橋事件)。
・1937年12月13日、日本軍、南京を占領(南京大虐殺)
・1938年2月7日、和歌山県知事(警察部長)が内務省警保局長に宛てた文書「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」。「前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之ガ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中ノ處頃日来當館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ・・・右要領ニ依リ施設ヲ急ギ居ル處既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ對シテハ當館発給ノ身分證明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度」
・1938年3月4日、陸軍省副官の文書「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」。「副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒案」の中に「将来是(従業婦)等ノ募集等ニ當リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ當リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局ト連繋ヲ密ニシ以テ軍ノ威信保持上竝ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス」とある。
・1938年11月8日、内務省警保局長の文書「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」。
「(イ)引率者(抱主)ハ…何処迄モ経営者の自発的希望ニ基ク様取運ビ之ヲ選定スルコト…(ロ)醜業ヲ目的トシテ南支方面ヘ渡航ヲ認ムル婦女数ハ約四百名トス」

C 整備された法令による朝鮮人「慰安婦」強制連行の時代(1939年〜45年)

*国家総動員法に基づく動員関係の勅令が整備され、「労務(国民)動員計画」という名の政府による組織的な強制連行が行われる。1942年9月に内地各地に労務報国会ができると、この組織に「業者」を装わせて強制連行の実働部隊にした。

・1938年3月31日、国家総動員法公布
・1939年7月4日、昭和14年度労務動員計画(初の動員計画)を閣議決定。
・1939年7月7日、国民徴用令公布
・1940年1月20日、朝鮮職業紹介令施行。同令施行規則の第16条「紹介業者ハ左ニ掲グル行為ヲ為スコトヲ得ズ」の13項に「芸妓、娼妓、酌婦又ハ之ニ類スルモノノ周旋ヲ為スコト」とある。
・1940年1月27日、朝鮮総督府の通牒「朝鮮職業紹介令施行ニ関スル件」。「募集事業者ニ付テハ其ノ素行及身許ヲ厳重調査シ不適当ナル者ヲシテ募集ニ従事セシメザルコト就中左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ許可官庁ニ於テ特ニ支障ナシト認メラルル場合ノ外之ヲ従事者タラシメザルコト…(二)…貸座敷、芸妓屋、…芸妓、娼妓、酌婦若ハ之ニ類スルモノノ周旋業」
・1940年1月31日、青少年雇入制限令公布
・1940年2月15日、厚生省告示、青少年雇入制限令の指定業務に「娼妓」などを明示
・1940年7月16日、昭和15年度労務動員計画を閣議決定
・1941年8月29日、閣議決定「労務緊急対策要綱」。→「労務配置ノ調整ヲ強化スル為従業者移動防止令及青少年雇入制限令ヲ廃止シ新ニ勅令ヲ制定ス」
・1941年9月12日、昭和16年度労務動員計画を閣議決定。「本計画ノ実施ニ当リテハ…労務緊急対策ニ基キ急速ニ之ガ具体的措置ヲ講ズルモノトス」
・1941年11月20日、朝鮮総督府が「昭和16年度労務動員実施計画ニ依ル朝鮮人労務者ノ内地移入要領」を定める。「本要領ニ依リ内地ニ移入セシムルベキ朝鮮人労務者ノ供出ハ従来ノ朝鮮職業紹介令ニ依ル労務者募集ノ方法ヲ廃止シ爾今朝鮮総督府及ビ地方庁ノ斡旋ニ依ルコトトスルコト」。「朝鮮労務供出機構ノ整備拡充」として「朝鮮ニ於テ労務担当職員ニ適任者ヲ得難キトキハ内地関係官庁ハ之ガ供出ニ付協力スルコト」と明記。
・1941年12月8日、米英両国に宣戦布告、太平洋戦争始まる
・1941年12月8日、労務調整令公布(青少年雇入制限令を廃止・吸収)
・1941年12月16日、厚生省が極秘の「一八六号通牒」を出す。指定業務に軍慰安所の「酌婦、女給」を示す
・1942年2月13日、「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策」を閣議決定。
・1942年2月13日、「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策中要領七ノ運用ニ関スル関係省間ノ覚書」を決める。その中に「内地ニ在住スル朝鮮人労務者ハ勿論新ニ内地ニ就労スル朝鮮人労務者ハ総ベテ労務調整令其ノ他労務ニ関スル統制法令ノ運用ニ依ル認可ヲ要件トシ統制ノ完璧ヲ期スルモノトス」と規定。
・1942年5月26日、昭和17年度国民動員計画を閣議決定。
・1942年9月30日、厚生省が「労務報国会設立ニ関スル件依命通牒」を出す
・1942年11月1日、拓務省廃止により、朝鮮総督府に関する事務を内務省に移管
・1943年5月3日、昭和18年度国民動員計画を閣議決定。「女子ニ付テハ其ノ特性ト民族力強化ノ必要トヲ勘案シ強力且積極的ナル動員ヲ行フ」とある
・1944年8月16日、昭和19年度国民動員計画を閣議決定。
・1945年3月5日、国民勤労動員令(労務調整令・国民徴用令などを廃止・吸収)を公布
・1945年8月15日、敗戦

D 次々と発見される吉田証言関連の主な公文書の紹介(いずれ雑誌などで発表予定)

・厚生省発の労務報国会関係の通牒の発見
〜「道府県労務報国会ノ労務配置ニ対スル協力方指導指針ニ関スル件」(昭和18年5月18日勤発第1368号厚生省勤労局長ヨリ道府県長官宛通牒)。道府県労務報国会が「国民動員計画」に基づく政府機関の「労務配置」に「協力」するよう命じていた。
〜「勤労挺身隊ノ組織整備ニ関スル件」(昭和18年10月9日労動発第793号大日本労務報国会理事長ヨリ都道府県労務報国会長宛通牒)。道府県労務報国会が地方長官の要請に基づき「勤労挺身隊」を組織し、「軍の緊急要員」などとして出動するよう命じた。
・陸軍の通牒の発見
〜「陸軍労務要員募集取扱ニ関スル件陸軍一般ヘノ通牒」(昭和17年8月17日、陸亜普第789号通牒)。労務調整令に基づき、「一般青壮年(労務調整令第7条該当者)の女性」の「求人」を日本陸軍の各部隊ができるよう法的手続きを定めている。

E 済州島の「慰安婦狩り」の目撃証人の取材の途中経過の報告(口頭)

・梁順任さんの済州島調査での目撃証言
・済州島出身の在日の男性の目撃証言

   ◇ (以下、公文書等の写真) ◇
















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