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(2016年9月23日からカウント)


旧日本軍の『検閲月報』の記述がすごい(2016年9月18日~21日のツイートから再録)


①『検閲された手紙が語る満州国の実態』(P155)がすごい。①「慰安所の兵力(慰安婦)は僅かに20名そこそこの鮮人にして、然も国家総動員法に縛られ…」。日本軍の検閲で押収された1941年の日本人の手紙の文面。同法に基づき朝鮮人強制連行が始まったのが39年(昭和14年労務動員計画)。


②この文面は旧日本軍の『検閲月報』の記述。「慰安婦」徴集が国家総動員法に基づく強制連行だったことを示す。戦後、旧関東憲兵隊司令部跡地の地中から発見。権力が否定し隠そうとするものにこそ真実が潜んでいる。
japan.hani.co.kr/arti/internati
〈注〉このハンギョレ新聞の記事はPDFで参照できます。


③中国政府は14年3月、この公文書を公表。
japan.hani.co.kr/arti/internati
朝鮮人「慰安婦」徴集が法律に基づく国家の強制(強制連行)だったことを明らかにした。ところが同年8、9月、朝日と赤旗が吉田証言を相次いで取り消す。何とも胡散臭い。


④「国家総動員法は1937年に中日戦争を起こした日本が人力、物資、資金を統制し動員する目的で1938年4月に公布した戦時統制法だ。 日本はこの法を根拠に作られた朝鮮職業紹介令等により慰安婦を動員した」japan.hani.co.kr/arti/internati


⑤上記のハンギョレ新聞の記事の記述は、共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)の拙稿の記述を別の角度から裏づけている。拙稿は、朝鮮総督府の通牒「朝鮮職業紹介令施行に関する件」の該当個所も復刻。参照してほしい。(共著P152、165、166)


⑥当時の法律による朝鮮人「慰安婦」強制連行の経過と時代背景は、三一書房主催の出版記念集会での私の報告とそのレジュメの年表で、詳しく解説している。参照を。
masato555.justhpbs.jp/newpage141.html


⑦中国が発掘した旧日本軍の公文書の分析。「文書に兵力という言葉が使われていることから見て、慰安婦が(私的)に金を稼ぎに来たのではなく、日本軍が指示した公的行為をするために動員されたという事がわかる」
japan.hani.co.kr/arti/internati


ヘタレ経営者@Edoo0001 9月20日 この文章が「本物である」という証拠がない限りは信用すべきでないでしょうが、一方で「従軍慰安婦」という名称が当時存在せず、慰安所の兵力が慰安婦を指しているのか軍属的な朝鮮人管理者を指すのか不明であるため、いずれにしても断定する根拠としては薄弱です。


⑧引用先の本や原典を調べるなど、相手を批判する場合の最低限の努力もしないで難癖をつけるのがネトウヨの特徴らしい。「慰安所の兵力」とは「軍属的な朝鮮人管理者」かもしれないという。念のためもう少し引用する。


⑨「(関東憲兵隊の)『検閲月報』にみられる朝鮮人女性、日本軍強制慰安婦に関する書簡を取り上げる。…(次に示す)書簡は、ともに日本人男性から、日本国内の日本人に宛てられた手紙であり、日本人男性の視線を通して、書簡に記された朝鮮人女性の姿である。…」


⑩「…これまで中国東北地方における日本軍強制慰安婦関係の史料は極めて乏しかったが、『検閲月報』はその実態を示す貴重な記録を残している。そして三江省の中某に宛てられた手紙に『特殊慰安婦の多きを憂慮する』という文言があり通り、当時から、…」


⑪「…憲兵隊がこうした事実が外部に漏れることを警戒していたことがわかる。◆日本人・宮木某(蜜山)→日本人・今井某(三重)39・4・4〔憲兵隊の手紙の処分の種類・記載なし〕――俸給も11円頂くが全部朝鮮人の女の処で戦友達と遊(ん)で渡してやるよ。…」


⑫「…一文も残らない。当地は鮮人、満人の遊び処があるだけだ。我々が銃剣を抜いてやると、驚いてどんな事でも服従するよ。兵隊は乱暴だからね。◆日本人・武田某(黒河)→村上某(秋田)41・10・16〔押収〕前文略。北満黒河市街を去る北方四里にある…」


⑬「…山神府兵舎〔中略〕果てもなき嚝野に村もなく只一面に国威を示す各兵科の兵舎のみ。唯僅かに見えるのは陸軍兵舎の一隅を利用して開設せられたる東西に慰安所あるのみ。慰安所と申せば一寸劇場か、見せ物小屋の様にも想像せられますが、さにあらず。…」


⑭「…此の兵舎に起居する兵どもの貴重なる精力の排出ヶ所なのです。慰安所の兵力は僅に20名そこそこの鮮人にて、然も国家総動員法に縛られ、芳子や花子など桃色配給券が分けられ、軍隊でなければ見られぬ光景です。おまけに公定価格といふ解にて安サラリーには…」


⑮「…向きません。配給券も職権濫用にて専ら将校連中専用の状態です。後文略」。(以上は、小林英夫・張志強編『検閲された手紙が語る満州国の実態』〈2006年、小学館〉のP154~156、田中隆一論文「『検閲月報』にみる満州国の朝鮮人」から引用)


⑯「『検閲月報』は、戦後偶然の機会から発見されることとなった。敗戦直前の1945年8月9日午前零時ソ満国境からソ連軍が怒涛のように侵攻したとき、関東軍指令官が出した指令は、短期間に機密文書を焼却破棄することだった。この指令に従い新京(現長春)の…」


⑰「…憲兵隊司令部でも文書の焼却が行われた。文書の多くが掘られた穴のなかに埋められたといわれている。『検閲月報』もその例外ではなかった。戦後しばらくはその存在は知られていなかった。しかし1953年11月、旧関東憲兵隊司令部跡地(現吉林省政府)の…」


⑱「…敷地内で事務所拡張工事を行っていた際に地中から偶然掘り出されたのである。この史料は長春市公安局の手で整理され、その後、吉林省公安庁に引き継がれ保管された。長期間、地中に埋められていたため、史料の大部分は癒着しており、あるものは腐食して…」


⑲「…ボロボロになっていた。これを復元するために、吉林省公安庁は作業チームを組織し、癒着した檔案(公文書)を蒸してページを分離し、紙を貼って補強することで初期の補修を行った。作業チームの努力によって56年関東憲兵隊司令部の『検閲月報』の整理作業は…」


⑳「…完了した。さらに82年3月に、この史料は吉林省公安庁から吉林省檔案館に移された。…この史料の公開によって、我々は、これまでのベールに包まれていた関東憲兵隊の検閲の実態を明らかにすることが可能になった。検閲という憲兵の活動の中でもとりわけ…」


㉑「…秘密の闇に包まれていた部分が、『検閲月報』の公開と分析によって、明らかになり、満州国の裏面史に光が当てられることになったのである」(以上、同書P23~24、小林英夫・張志強論文「『検閲月報』の全容と史料的価値」から引用)


㉒同書所収の『検閲月報』の紹介は、中国当局の保存努力や、論文を執筆した7人の研究者などの長年の研究の成果を踏まえたものである。先のネトウヨ氏のように「この文章が『本物である』という証拠がない限りは信用すべきでない」などという、いい加減な史料ではない。


㉓まして、「慰安所の兵力」とは「軍属的な朝鮮人管理者」かもしれないという、前後の文脈や史料の意味を無視した「解釈」をするのは、あまりに滑稽である。こんな「解釈」が通用するなら、関東憲兵隊はこの手紙をなぜ検閲して「押収」したのかさえ、わからなくなる。


㉔しかも「慰安所の兵力」が「朝鮮人管理者」なら、国家総動員法で縛る必要もない。また、多くの兵士で守られている兵舎の敷地内の慰安所に、さらに20人もの「朝鮮人管理者」が配置され、人数が「僅(わずか)」だと形容するのも変だ。この「解釈」、何重にも笑える。


㉕もう一つ。「桃色配給券が分けられ」たと言う表現。配給とは、戦時中、日本政府が国家総動員法により生活必需品を国民に支給し、その自由売買を禁じた制度として有名。桃色配給券は、国家による「慰安婦」の強制連行・強制使役そのものずばりを物語る。


ヘタレ経営者@Edoo0001 9月21日 疑問にまともに答えず、中共の資料を盲目的に信用する。 これがパヨクジャーナリストです。


㉖いよいよ、本性を現したネトウヨ氏。私の指摘がよほど痛かったのかな。


ヘタレ経営者@Edoo0001 9月21日 共産党員ならではの見解。 いまだに慰安婦に縋っています。


㉗批判者に「共産党員」だとレッテルを張るところも、ネトウヨの特徴かも。まあ、この単細胞な人物は、共産党・赤旗が吉田証言を確かな根拠もなく、朝日に右に倣えで取り消したなんて、理解不能だろう(笑)。


オータム@autumn_fathom 9月21日 「大須事件」「白鳥事件」を国民が知らないと思うなよ、この反日テロリストめ!



㉘それにしても最近、私宛にネトウヨの妄言ツイートが多く寄せられる。なかでも「慰安婦」被害者をこういうイラストで誹謗中傷するのは、日本人云々以前のもので、社会人として恥ずかしくないのか。犯罪だぞこれは


オータム@autumn_fathom 9月21日 @masatoimada2 吉田証言の捏造は既に証明されているぞ、日本国と日本人を貶める事しか能の無いクソは黙った方が身の為だぞ、それが嫌なら日本国から出て行け非国民め


㉙このネトウヨのツイートなんか、もう暴力団かヤクザの脅し文句そのもの。アホか!


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