被害証言でも裏付けられる吉田証言
(2016年12月23日~26日のツイート再録)
=経済ジャーナリスト・今田真人=
①気付いていない人が多いが、朝日や赤旗の吉田証言取り消しは、同氏を人物として信用できないと判断したからではない。検証に人物評価はない。主な理由は「強制連行の証拠がない」ということ。同証言を否定する理由として強制連行の事実を裏づける証拠がないとしたことが朝日・赤旗の最大の誤りである。
②韓国の「慰安婦」被害者の証言には、官憲による強制連行をリアルに語ったものが多い。吉田証言は裏づけがないと同証言を貶めれば貶めるほど、「慰安婦」被害者の証言も貶めている。吉田証言を虚偽とする以上、被害証言も虚偽としていることに気づかなければならない。
④朝鮮半島での「慰安婦」強制連行の被害証言は、いくつもある。韓国平安南道の朴永心(パク・ヨンシム)さん。「(1939年、17歳のとき、勤めていた)店に日本人の巡査がやって来ました。腰にサーベルをつけた怖い顔の男です。巡査は私に『お金が稼げる(続く)」
⑤「(続き)いい仕事があるから、おまえも行かないか』と誘いました。…(平壌)駅にはすでに、十数名の娘たちが待っていました。みな私と同じように誘われ、それを信じて集まった娘たちでした。けれども、希望に胸をふくらませたのは束の間のことでした。(続く)」
⑥「(続き)巡査は、私たちを憲兵に引き渡すとそそくさと姿を消してしまいました。私たちは屋根のついた貨車に詰め込まれました。…一緒に乗り込んだ憲兵は『逃げようとしたら殺すぞ』と私たちを脅し、娘たちが互いに話すことも禁じられました。…『帰りたい』(続く)」
⑦「((続き)と泣き叫んでも殴られるだけで、どうすることもできなかったのです。『だまされた』と気がついたときはすでに手遅れでした」。こうして朴さんは、列車やトラックで、南京の日本軍専用慰安所に連れて行かれた。(『証言・未来への記憶・上』(明石書店)
⑧この証言は、就業詐欺なのか、強制連行なのか。読めば両方であることがわかる。しかし、こういった証言も就業詐欺に分類されてしまい、朝鮮では強制連行はなかったという証拠にする識者もいる。偏見なく読めば、日本人巡査や憲兵が連行しているのだ。ここに業者はいない。
⑨朴さんが「慰安所」送りに気付いたのは貨車に乗った後。逃げようとしても憲兵に殴られ、手遅れだった。もし、気付くのが早ければ、日本人巡査にサーベルで斬りつけられたかもしれない。吉田証言の「慰安婦狩り」と本質的な違いはない。このような証言は他にもある。
⑩韓国の「慰安婦」被害者、郭金女(カク・クムニュ)さん。1939年10月ごろ、全羅南道光州の製糸工場で職工として働いていた。当時、16歳。「突然、私と数人の女工が事務室に呼ばれたのです。そこには10人余りの女工たちが集められていましたが、(続く)」
⑪「(続き)みな体も丈夫で顔立ちもきれいな女ばかりでした。事務室には日本人の監督と警察官らしい日本人がいました。…監督は『明日、京城(ソウル)の食品工場に行くことになった。そこに行けばいっぱい食べられ、きれいな服も着られる』と言い、(続く)」
⑫「(続き)『旅じたくをしろ』と命じました。…翌日、私たちは監督と一緒にいた日本人の警察官に連れられて光州駅に行きました。…私たちが『どこに行くのか』と聞くと、『中国の牡丹江だ』と答えました。あまりにも意外な言葉に、私たちは声を荒げて(続く)」
⑬「(続き)『なぜ中国に行くのか。そんな所には行きたくない』と抗議したのですが、警察官は日本語でどなり、私たちを蹴飛ばして無理やり汽車に乗せました。…翌々日の朝、牡丹江に着きました。そこで、私たちを引率して来た警察官は出迎えに来た憲兵将校に(続く)」
⑭「(続き)『長谷川さん、20人を連れて来ました』と報告し、名簿のようなものを渡しました。私たちはまたトラックに乗せられ、日本兵の監視の下で牡丹江から180キロは離れた穆稜という所に連れて行かれました。…私たちは高い塀のある鉄門を通り抜けて(続く)」
⑮「(続き)トラックから降ろされましたが、そこには三階建ての大きなレンガ造りの建物など数棟の建物があり、四方に赤い筋の入ったズボンと長靴を履いた日本兵がうろうろしていました」。こうして彼女は「慰安婦」にされた。〈『証言・未来への記憶・上』(明石書店)〉
⑯郭金女(カク・クムニュ)さんの証言は、強制連行の恐怖をリアルに物語っていて、まるで映画に出てくるアウシュビッツ送りのようである。興味深いのは、彼女が連行される前に勤務していた工場が、全羅南道だということである。吉田証言も同じ全羅南道の済州島だった。
⑰彼女の証言にも女衒のような業者は出てこない。ソウルの食品工場に変わると工場監督が言ったのは、たしかに就業詐欺であるが、汽車に乗る前にウソがばれ、警察官に蹴飛ばされて乗せられた段階で、強制連行という本質があらわになっている。官憲の強制連行そのものである。
⑱だますといっても、ばれれば暴力を振るう。初めから「慰安婦」にするといって連行するバカはいないだろう。強制連行とは、そういうものだ。ただ、初めから暴力で連行する場合もある。韓国の慶尚南道の朴玉善(パク・オクソン)さん。1941年ごろの17歳のときだった。
⑲友達と2人で、近くの小川に水を汲みに行っていたとき、「後ろの方から『ちょっと待て!』という声がしました。…土手の方から2人の男がこちらに向かって走って来ました。…2人の男に捕まってしまいました。2人とも腕に腕章をはめた日本人の男でした。(続く)」
⑳「(続き)…男たちは自分たちと一緒に来ればいいと、掴んだ腕を放してくれませんでした。…両腕を抱えられ、引きずられるようにして私たちは連れて行かれてしまいました。…しばらくして辿り着いた所に、大きな軍のトラックが停めてありました。(続く)」
㉑「(続き)私たちが手足をばたつかせるので、男たちはまるで荷物でも放り込むようにして私たちを荷台へ投げ入れたのです。中には同じ年頃の女の子たちが20名ぐらいいました。…見張りのための軍人が2人一緒に荷台にいました」(『証言・未来への記憶・上』)
㉒朴玉善(パク・オクソン)さんの証言は、最初から暴力で連行された例である。だが、この場合、「慰安婦」にするなど、連行の目的を告げていないので、就業詐欺も伴っていない。加害者は、連行したトラックにすでに軍人がいたので、民間業者ではない。憲兵であろう。
㉓吉田清治氏らの「慰安婦狩り」と非常に似ているのは、韓国南端の大都市、釜山で働いていた李玉善(イ・オクソン)さんの証言。1942年7月ごろ、買い物を頼まれ道路を歩いていたときに連行された。当時15歳。「突然2人の男に捕まってしまいました。(続く)」
㉔「(続き)…1人は朝鮮人、もう1人は日本人でした。この2人の男が私の手を掴んで無理やりひっぱって連れて行こうとしたので、どこへ連れて行くんだ、帰してくれ、と抵抗しましたが、そのまま引きずられるように連れ去られたのです。(続く)」
㉕「(続き)連れ去られた先には天幕を張った大きなトラックが待っており、その男たちが私に乗れと命令しました。私は嫌だと言って激しく抵抗しました。すると男たちはまるで積荷を扱うかのように私のことをポンッとトラックの荷台に投げ込んだのです。(続く)」
㉖「(続き)そこには私と同じ年頃の少女がほかに5名もいました。みんなで泣きながら、帰してくれ、うちに帰りたい、と足をバタバタさせていると、うるさいと言って、私たちの手足を縛り、さるぐつわまでかまされました」。彼女達はそのあと、汽車で中国に連行された。
㉗連行された先は、中国・延安の日本軍の飛行場の拡張工事現場。そこで草むしりや重労働をさせられ、日本軍兵士に連れ出されては強姦されたという。同飛行場に約1年いたあと、延安市内の慰安所に連行され、地獄の日々を送った。(『証言・未来への記憶・上』)
㉘李玉善(イ・オクソン)さんの例は、連行した加害者が何者かを認識できなかったが、連行先は中国の日本軍の工事現場。日本軍人が管理し、日本軍人に強姦され、その後、慰安所に連行された。日本軍による強制連行は明らか。この例を含めみな業者による人身売買ではない。
㉙「慰安婦」被害者の証言の中には「挺身隊」として連行されたという事例も、いくつかある。韓国慶尚北道に住んでいた金福童(クム・ポットン)さん。1941年、16歳のとき、「区長と班長が、階級章のない黄色っぽい服の日本人と一緒に家に訪ねて来ました。(続く)」
㉚「(続き)…日本人は韓国語がとても上手でした。彼らは母に『テイシンタイ(挺身隊)に娘を送るので出しなさい』と言いました。『息子がいなければ、娘をお国のために送らなくちゃね?それも嫌なら奥さんは反逆者になるから、ここでは暮らせませんよ』(続く)」
㉛「(続き)とも言います。母が『テイシンタイっていうのは何ですか?』と訊ねると、『軍服をつくる工場に行き働くことです。3年だけ働けばいいし、その前でも嫁にゆくことになれば、故郷にそう連絡すれば、帰れるのだから安心して行かせなさい…』と(続く)」
㉜「(続き)彼らは答えました。その人たちは母に何やら書類に印を押すようにと言い、母は…とても押すわけにはいかない、と大声で喚いていた姿が目に浮かびます」。その後、彼女は20人くらいの少女達と一緒に下関を経由して船に乗せられ、中国・広東の慰安所に送られた。
㉝金福童(キム・ポットン)さんの証言は、『証言・未来への記憶・下』(2010年、明石書店)から引用した。「挺身隊」と同じ勤労動員のことを「処女供出」とも言った。同著には、当時の朝鮮黄海道に住んでいた李相玉(イ・サンオク)さんの「処女供出」の証言もある。
㉞1943年、朝鮮平安南道で区長の家の下女として働いていた李相玉(イ・サンオク)さんは、当時17歳。「区長が『処女供出』だといって、…私を連れて、兼二浦駅前に行きました。駅前にはすでに私たちと同じような少女が15人くらい連れてこられていました。(続く)」
㉟「(続き)私は彼女たちとともに、『ヤシダ』という日本軍将校に渡されたのです。ヤシダの指揮のもと、日本の軍人たちが私たちを軍用自動車に荷物のように押し込め、どこかに出発したのでした」。連行先は「鉄条網が張り巡らされた日本軍の兵舎」。軍慰安所である。
㊱これらの強制連行の事例は、戦時中、行政機構を使って実施された「朝鮮人労務者供出」と同じである。男も女も日本内地や外地に強制連行され働かされた。その業種には「軍慰安所」の「酌婦・女給」があったことは共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)に詳しく書いた。
㊲「慰安婦」が、民間業者による人身売買でないことは、以上の多くの被害証言からも明らかである。当時の植民地に適用されていた法律でさえ、民間業者による、こうした拉致・誘拐は違法であった。それを合法的に可能にしたのは拉致・誘拐したのが官憲であったからである。
㊳朝鮮の自宅から、トラックや列車で何日もかけて、遠くの日本軍部隊の「慰安所」に、官憲によって組織的に連行された「慰安婦」被害者たち。その強制連行の過程そのものが、国家犯罪であることを物語る。それをごまかす理屈の一つが、民間業者による人身売買論である。
㊴「慰安所」では日本軍兵士は、確かに料金を払ったであろう。しかし、それは、組織的強姦を「買春」と思わせ、兵士に罪悪感を持たせない方便だったと考えられる。悪いのは、大もうけをした民間業者というわけである。事実は、歴史修正主義者の主張と大きくかけ離れている。
㊵「慰安婦」が残酷な軍性奴隷だったことに異論はない。しかし、「買春」をしたのが日本軍兵士だから軍に責任があるとはいえない。例えば動物園のキリンは、なぜ檻の中にいるのか。アフリカから自発的に来たのか。やはり、どうやって檻に入れられたかは重要な論点である。
㊶被害証言は大変な勇気がいる。同時に、加害証言も、別の意味で、大変な勇気がいる。朝日や赤旗の吉田証言の「検証」記事は、その配慮が著しく欠けている。だから、簡単に「吉田氏は裏づけ資料を示すことができなかったから、信ぴょう性がない」と決めつける。情けない。
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以下、ツイート閲覧者との議論
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㊷《①の私のツイートに対しての匿名氏の意見1》
Inocybe@funkyfungifun 違うよ。本人が著作で書いた内容が虚偽であることが、日韓の研究者などの様々な調査で明らかになり、95年には吉田氏自身も証言が虚偽だったと認めたからです。
「強制連行」全ての存否じゃなく、吉田証言での「強制連行」が完全なる作り話だったことが事実として判明したから取り消したのです。
㊸《私の反論1》
妄想でものを言うのはやめてほしい。日韓の研究者の様々な調査? 具体的な研究者の名前と調査報告の題名ぐらい言ったらどうか。吉田氏が証言が虚偽だと認めたなんて、週刊新潮のデタラメを信じてどうするの?記者名や取材メモを公開したのか?
㊹(匿名氏の意見2)
書かずとも知っていないといけないのでは? 済州島の金奉玉氏や、秦郁彦氏の済州島現地調査などで、済州島での強制連行の事実は否定されていることは有名です。
また、上杉聰氏や吉見義明氏も、吉田氏を聞き取り調査をして証拠価値がないこと確認しましたね。
㊺《私の反論2》
匿名氏の妄想には付き合いきれない。秦氏の調査を鵜呑みにしたり、吉見氏や上杉氏の調査を真逆に読むなど、知性あふれる識者ぶりに涙が出る。この人は私の著書はもちろん、『季刊・戦争責任研究』14年冬期号の上杉論文も読んだことはないのだろう。
㊻《匿名氏の意見3》
私だけの妄想ならいいんですが、そうした理解が現在の圧倒的多数の到達点ですから。
虚偽が混じっていることを本人も認め、真実が入っているかどうかを本人が語らなかった今、証拠としての採用価値がないことは明白。 そんな妄想証言にこれ以上付き合うのは時間の無駄。
㊼《匿名氏の意見4》
証拠価値のない「証言」なんかとはさっさと決別し、本当に「強制連行」はあったのか?なかったのか?を調べることの方が遥かに生産的でありましょう。
㊽《匿名氏の意見5》
秦氏の済州島調査報告は、現地の他の研究者の報告とも整合性があり、信憑性が高いと言えます。これに疑義を出すのであれば、あなた自身が現地調査をして、秦氏の調査が虚偽であると証明する必要があります。
㊾《匿名氏の意見6》
この元赤旗記者さんは、吉見氏の著作『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』を読んでいないのだろうか?
虚偽と分かった「吉田証言」にこだわるのは、911陰謀論にいつまでも取り憑かれているのと同じくリソースの無駄です。
㊿《②の私のツイートに対しての匿名氏の意見7》
ここが愚かなんだよね。 虚偽と分かった「吉田証言」に拘れば、ますますこうした本物の被害者たちの証言まで一緒に「虚偽」として葬られる危険が増すのです。
デマと判明した「吉田証言が正しい」と言い張るのは、逆効果にしかならない。 さっさと決別することこそが元慰安婦のためでもある。
(51)《私の反論3》
この知性あふれる匿名氏に涙が出る。「虚偽と分かった『吉田証言』」云々のフレーズを連発。しかし、断定は自信のなさのあらわれ。ちなみに、吉見氏の著書は拙著『吉田証言は生きている』(共栄書房)で詳しく分析した。読んでいないわけがない。
(52)《㊵の私のツイートについての神原卓志さんの意見1》
神原卓志(かんばらたくし)@shiawasetakiji
このツイート、「軍に責任が無いとはいえない」では?
(53)《私の返事1》
いつもお世話になります。もちろん、日本軍の責任が主要なものです。ここで言いたいのは、「『買春』をしたのが日本軍兵士だから」という理由では、日本軍の責任に結び付けるのは無理だという意味。動物園に来る観客に動物を檻に入れた責任を問えないという事。
(54)《神原卓志さんの意見2》
ご返信ご教示ありがとうございます。
私の読みがあまりに浅かったために、お手数をお掛けしました。
お許しください。
(55)《私の返事2》
とんでもありません。ご指摘、ありがとうございました。強姦と買春の差は、セックスを金で買うかどうかという点が大きい。しかし、買春だとしても兵士に罪悪感は残る。「慰安婦」制度の責任を問うとき、男性の戦争体験者が口を閉ざし、研究者に反感を持つ原因では。
(56)《神原卓志さんの意見3》
御意!と存じます。
重ねてのご懇切なご教示、まことにありがとうございます。
(57)《①の私のツイートに対してのAkiko Peace@akiko_peace さんの意見》
強制連行と書いたのは産経で朝日じゃないのに、なぜか、当時の社長が謝ったのが朝日の失敗だと思います。政治部出身の幹部は政治家と仲良くなりすぎて、毅然とした対応ができないのだと思います
〈次のリテラの記事にリンクしている〉
「韓国人慰安婦を強制連行」と書いたのは朝日でなく産経新聞だった! 植村記者に論破され阿比留記者が赤っ恥