アクセスカウンター

(2017年7月18日からカウント)


オウンゴール証言と外務省警察
(2017年7月12日~のツイート再録)
=経済ジャーナリスト・今田真人=


《参考ツイートとユーチューブ》
☆参考ツイート
Chris Ryouan三宅
慰安婦の実情を知っていた元陸軍曹長の故・吉冨正光氏は当時の外務大臣・河野洋平に手紙を出したが、返事はなく、葬られた。さぞかし悔しい思いをされたと察する。現代の文化人と称する人はどうして「日本国と日本人」を悪者にしたてようとするのか?
☆参考ユーチューブ
「THE FACT」【重要証言】葬られた手紙―元憲兵曹長が河野洋平氏に訴えた慰安婦の実情―


《参考ツイート》
堀家康弘陸軍憲兵曹長が「仲買いと話して、紳士的に取引した」「仲買いの人と自分たちとの話し合いであって」 これが本当だとすると100%<人身取引>の話であり、それを憲兵が直接やっていたなら、そりゃ国家関与の犯罪なんですけど・・・(笑)


①これは完全なオウンゴールですね。憲兵曹長が「朝鮮人の仲買人」から朝鮮人女性を「軍慰安婦」にするために買ったと堂々と証言。人身売買そのもの。「仲買人」がどうやって遠い前線まで女性を連行できたのかを考えれば、自ずと日本政府による強制連行の事実が浮かび上がる。この元憲兵、頭が悪すぎる。


②このユーチューブ製作者の不勉強ぶりに驚く。戦時中の「領事館警察」の存在すら知らないらしい。解説文で「領事」と「警察」とを一字離して書いている。これでは「領事館警察」が「慰安婦」強制連行を担った官憲の一つだと示唆した証言の価値も半減している。反省のない加害証言のデタラメの典型。


③元憲兵曹長の手紙をよく見ると、「領事館警察」と書いてあるじゃないか。ユーチューブ製作者が解説文で、「館」という崩し字を読めず、そのまま一字アケにしたというお粗末。「THE FACT」とは、読めない字は注釈もつけずパスすることだったのか。




④「邯鄲(かんたん)憲兵分隊には領事館警察が駐在していなかったので、憲兵の兵長の私が、四・五回本件の受付業務を担当した」。つまり、領事館警察(外務省警察とも言った)が駐在していれば、同警察が「慰安婦」の人身売買をしたという証言である。見事なオウンゴールである。拍手。




⑤侵略戦争を美化するはずの証言が、みごとなオウンゴールになった典型だが、領事館警察(外務省警察)が果たした犯罪的役割を改めて気づかせてくれる重要証言でもある。当時の領事館警察とは、日本軍が侵略戦争で占領した外国の地で、占領行政のためにまず置いた日本帝国の官庁。外務省に属していた。


⑥「慰安婦」に関わる政府公表資料には、たくさんの外務省警察の文書がある。なかでも有名な在上海領事館警察暑の文書「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼の件」(1937年12月21日付)を紹介。1937年7月7日、日本軍が中国に対する侵略戦争(支那事変)を開始した直後の文書である。








⑦まずP36の文書冒頭に「本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之ガ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中ノ處頃日来(けいじつらい)當館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ」と明記している。






⑧いまだに天皇を敬愛する方々には耳が痛いかも知れないが、皇軍とは天皇の軍隊のことである。その皇軍将兵の「慰安」のために「関係諸機関」が考え、領事館と陸軍武官室、憲兵隊が合議して、軍慰安所を設置したと、当時の公文書は明記している。その合議による官憲の役割分担もすごい。まず、領事館。


⑨「(イ)営業願出者ニ対スル拒否ノ決定(ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続(ハ)渡航上ニ関スル便宜取計(ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答(ホ)着滬(ちゃっこ)ト同時ニ当地ニ滞在セシメザルヲ原則トシテ許否決定ノ上直ニ憲兵隊ニ引継グモノトス」。


⑩次に憲兵隊。「(イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続(ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締」。武官室は「(イ)就業場所及家屋等ノ準備(ロ)一般保健並検黴(けんばい=梅毒に感染しているかどうか検査すること)ニ関スル件」。ちなみに、着滬の滬(こ)とは上海のこと。


⑪例の元憲兵曹長のオウンゴール証言、「邯鄲(かんたん)憲兵分隊には領事館警察が駐在していなかったので、憲兵の兵長の私が、四・五回本件の受付業務を担当した」の意味がわかる。領事館警察がやるべき仕事を、同警察がいなかったのでやった、ということ。官憲の仕事であることにかわりはない。


⑫私がこの文書で特に注目するのはP38の個所。「既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈(はず)ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其ノ他ニ付便宜供与方御取計相成度」。


⑬ここに、「支那事変(1937年7月7日)」以降に起こった、すべてのおぞましいことが盛り込まれている。日本軍・官憲の意を受けた者が「慰安婦」を「募集」するために向かったのは、日本「内地」だけでなく植民地「朝鮮」でもあったことを明記している。領事館発給の身分証明書が「印籠」となった。
〈注〉「印籠」=「水戸黄門の印籠(いんろう)」を意味させた


⑭ちなみに、この領事館警察署長の文書の宛先は、長崎県長崎水上警察署長である。前者は外務省に属する警察だが、後者は内務省(警保局)に属する警察。このほか、戦時中の日本帝国の警察には、植民地・朝鮮総督府に属する警察があった。この文書は当然、朝鮮総督府の警察にも送付されと思われる。






⑮領事館警察暑の文書は、写真(P27)に示される和歌山県知事の報告で引用されたものなので、便箋が内務省のものになっている。しかし、「乗船其他ニ付便宜供与」(P38)を求めたこの文書の宛先が、朝鮮総督府の警察でもあったことは文脈から明らかだ。添付の「営業許可願」の雛形がおぞましい。







⑯1937年8月31日、外務次官から秘密通牒が発せられた。「不良分子ノ渡支取締方ニ関スル件」。「日本内地及各植民地ヨリ支那ニ渡航スル日本人(朝鮮人及台湾籍民ヲ含ム)ニ対シテハ当分ノ間居住地所轄警察署長ニ於テ甲号様式ノ如キ身分証明書ヲ発給スルモノトス」。「支那事変」直後である。


⑰領事館警察の「印籠」を持って内地や朝鮮に来た募集者は、その地で集めた女性たちを抱え支那(中国の日本軍占領地)に渡航する際、現地の警察署から「身分証明書」を発給された。その雛形が政府公表資料にある。一般の渡航が禁じられた時期、警察の厳重監視下の海外への連行が強制でないわけがない。












⑱歴史修正主義者は、「慰安婦」の募集が儲け本位の民間業者によるものだと宣伝する。しかしこの通牒は、渡航制限が「混乱ニ紛レテ一儲ケセントスル等無頼不良ノ徒ノ支那渡航ハ此際厳ニ之ヲ取締ル」ためのものだったことを明記。その制限を易々と通過できた渡航者の募集が、軍命の強制でないはずがない。


⑲有名な翌年2月の内務省警保局長通牒「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」はいう。「醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ現在ノ内地ニ於テ娼妓其ノ他事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上…ニ限リ当分ノ間之ヲ黙認スルコトトシ昭和12年8月米三機密合第3776号外務次官通牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト」。









⑳内務省警保局長通牒は、支那に渡航する日本内地の女性の場合、現在「醜業」を営む者で満21歳以上、婦女売買や略取誘拐にならないよう等、数々の制限を設けた。それが守られた保証はないが、この制限は朝鮮には適用されなかった。朝鮮での募集が未成年女性の露骨な強制連行だったことを示唆している。




㉑なぜ、朝鮮での女性の「募集」では、数々の制限がなかったと考えられるのか。それは、内務省警保局長通牒の次の文言にある。「是等婦女ノ募集周旋等ノ取締ニシテ適正ヲ缼カンガ…出征兵士遺家族ニ好マシカラザル影響ヲ與フル」。朝鮮の男子には当時、徴兵制は実施されていなかったからである。






㉒いずれにしても、1937年7月の「支那事変」の後、中国の日本軍占領地の領事館警察署から「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与」を依頼された朝鮮総督府の警察が、「稼業婦女(酌婦)募集ノ為…朝鮮方面ニ旅行中ノモノ」と、その者が「募集」した朝鮮の女性の中国への渡航を許可したのである。


㉓朝鮮総督府の警察は、慰安所設置のため「朝鮮方面ニ旅行中ノモノ」の正体を当然知っていた。その者が軍慰安所で必要とする人数の未成年女性らを集められなかったら、どういう処罰が待っていただろうか。警察は朝鮮での婦女売買や略取誘拐も黙認していた。強制連行は事実と道理で考えれば必然である。


㉔「慰安婦」募集のあり方で内地と植民地・朝鮮で大きな違いがあったことを理解できない人がいる。当時の朝鮮には、内地人のような参政権も義務教育もなかった。徴兵制も、朝鮮人に武器を持たせることを恐れた権力者は実施しなかった。そういう大きな歴史的構図を歴史修正主義者は理解できないのである。


《参考ツイート》
堀家康弘1940年までは、総督府警察が、女衒を逮捕していた朝鮮半島の新聞記事があります。ところが、41年以降はまったく逮捕記事が存在しなくなる事から考えて、総督府警察が全体的に「軍が慰安婦を集めていること」を認識し、協力体制になったのは41年頃からだと考えることができます。


《参考ツイート》
堀家康弘つまり41年7月の関特演での「慰安婦」大量動員や太平洋戦争勃発後の南方進出に伴う「慰安婦」大量動員によって、総督府警察は「慰安婦」動員への全面的な協力体制になったと考察できます。そこで今田さんが発見された186号通牒によって法的な裏付けも可能となったわけです。


《関連の私のツイート》
①〝吉田清治氏が自らの証言をウソと認めた″。こんな戯言をいまだに口にする人がいる。ネタモトは『週刊新潮』1996年5月2・9日号の記事だ。吉田氏に対する脅迫的言辞満載の極右のヨタ記事である。国民一人ひとりの見識が問われている。
http://masato555.justhpbs.jp/44444.pdf


②この新潮の記事では、秦郁彦氏が吉田氏に対して根拠も示さず「職業的詐話師」と決めつけるくだりが目立つ。国連のクマラスワミ氏への批判も、小バカにしたような誹謗中傷だ。こんな人物が、まともな歴史研究者であるはずがない。「時代の狂気」が沈静化した今、冷静な国民の見識の広がりを期待したい。



ページトップに戻る

トップページに戻る