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(2025年1月31日からの閲覧回数)
韓国人原爆犠牲者慰霊碑と『朝鮮人徴用工の手記』
(2024年10月24日〜のツイート再録)
フリージャーナリスト・今田真人
先週、広島市の実家に数日間、帰ってきた。時間があったので平和公園に行き、韓国人原爆犠牲者慰霊碑にもお参りした。碑文によると、広島原爆の犠牲者の1割、2万余が韓国・朝鮮の人たちであったという。その縁もあってか、近くの繁華街の古本屋で鄭忠海(チョンチュンヘ)『朝鮮人徴用工の手記』を見つけた。(続く)
(承前)鄭さんは1944年12月、植民地・朝鮮で徴用令をうけ、25歳で日本に連行され、翌年8月まで、広島の東洋工業(現マツダ)などで強制労働の日々を過ごした。この本(1990年発行)は当時の体験を韓国語で日記として書いていたものの日本語訳である。【注】(続く)
【注】正確には、この本(1990年発行)は1944年〜45年当時の日記をもとに、当時を思い起こしながら書いた韓国語の回顧録の日本語訳である。
【アマゾン】鄭忠海『朝鮮人徴用工の手記』
(承前)広島の本屋では高価すぎて購入できず、東京に帰って国会図書館に行き、コピーして読んだ。その手記の冒頭「ソウルから広島へ――徴用令を受ける」の見出しのある文章に、私はくぎ付けになった。以下、引用する。「いわゆる大東亜戦争(太平洋戦争)が土壇場にさしかかった1944年末、(続く)
(承前)日本は物的資源はいうまでもなく、人的資源さえも枯渇していく状態になっていた。当時、朝鮮にいた青壮年たちも各種の名目で徴用され、日本各地の軍需工場および炭鉱に、また戦場に動員されており、年ごろの娘たちも女子挺身隊の美名のもと、各戦線に動員されるなど時局は緊迫(続く)
(承前)していた。聞くところによれば、女子挺身隊として動員された乙女たちは、戦場で軍人の慰安婦にされたという。年ごろの娘たちを持った親たちは戦々恐々としていた。未婚の女性は有無をいわさず挺身隊に動員されるので、婿になる男がみつかればとにかく無理やり結婚させた。(続く)
(承前)よい家柄とか、よい婿をなどとは言ってはおれず、幼い男、年とった男でも結婚相手がいればよい方で、中には病身でもかまわず結婚をさせるなど、笑えない悲劇が続出していた」。これは、朝鮮人「慰安婦」強制連行を、鄭さんのような当時の朝鮮の人たちが、事実として認識していた証拠である。
朝鮮人「慰安婦」の非人間的な強制連行を加害者側から告発した吉田証言について、日本の「知識人」がいくら「信ぴょう性がない」「証拠として採用できない」「虚偽である」などと否定に躍起になっても、それが歴史的に客観的な事実であるからこそ、次から次へと新たな証言や資料が出てくるのである。
「赤旗」はときにスクープを報じるが、重大な誤報を報じることもある。最近の誤報で重大なものが、吉田証言を取り消した「検証記事」(2014年9月27日付)。この誤報は歴史的事実に反し、戦前の日本の非人間的な植民地支配を美化する。この誤報の撤回なくして選挙での共産党の躍進はありえない。
今年(2025年)の正月、広島市の実家に帰省。親類の会合などの合間に平和公園に行き、また、韓国人原爆犠牲者慰霊碑にお参りし撮影。近くの古本屋で昨年10月には高価すぎて買えなかった鄭忠海『朝鮮人徴用工の手記』が不思議と手ごろな値段になっており、即購入。多くのことを学ぶ。
この著書は1944年〜45年、植民地下の朝鮮で、日本内地の広島市に徴用工として強制動員された男性が、当時の日記をもとに書いた回顧録。1990年11月発行で、「慰安婦」問題が韓国で大きな話題になった金学順氏の名乗り出(1991年8月)前に「慰安婦」強制連行を詳述していて興味深い。
鄭さんが言う。「岡田さん(親しくなった女性の名前)、女子挺身隊について話すのだが、誤解をしないで聞いてください。朝鮮でも、日本と同じように未婚の女性たちが、無条件に女子挺身隊という名のもとに動員されています。国家総動員、非常時ですから、男女の区別なく国家民族のために(続く)
(承前)闘わなければならない、国民として当然の義務ではあります。ところで日本本土の女性たちは軍需工場等で仕事をしているのに、朝鮮の女性たちは違うところに動員されているようです。事実はよくわかりませんが、噂によれば、朝鮮の女性たちは最前線に送られるといいます。(続く)
(承前)未婚の女性たちを最前線に送って何をさせるのですか。看護婦はそんなにたくさん必要ではないし、必要であったとしても、なにも知らない女性たちに何ができるでしょう。次の言葉を想像して下さい」。彼女(岡田さん)は驚いた表情で、「それが事実なら慰安婦?」と。(続く)
(承前)女性たちを最前線に送って犠牲にしている、そんなことがあるのだろうかと首をかしげる(引用止め)。以上の記述は、当時の朝鮮人徴用工でも、若い朝鮮人女性が「挺身隊」として「慰安婦」に動員されていたことが知られていたこと、また、日本人女性の「挺身隊」でも実際は「慰安婦」制度が知られていたことを示している。
ちなみに、鄭さんは広島の原爆被害者でもある。原爆投下当時、偶然、広島市の比治山の陰になる社員寮にいて、原爆の熱光線の直接的な被害から免れた。私(今田)の亡父も被爆者だが、学徒動員に行く途中、やはり比治山の近くの民家の壁の影にいて、原爆によるやけどはなかった。何かの縁を感じる。
鄭忠海『朝鮮人徴用工の手記』のもう一つの注目点は、日本の植民地支配の犠牲者であり、かつ、原爆被害者でもある立ち位置からの、核兵器のとらえ方である。彼は原爆による惨状を「全く地獄の風景」と言う一方、朝鮮民族を解放した「前代未聞の新兵器」と高く評価している。
「36年間という長い歳月をしっかり縛りつけていたこの鎖、だれも切ることも、解くこともできなかったこの鎖を、一瞬にして溶かしてしまったあの新兵器、原子爆弾、恐ろしくもあり、ありがたくもある存在ではないか。犠牲となられた人々には申し訳ないことだが」(P162)。考えさせられる視点だ。
これは日本の侵略戦争を、原爆の使用で最終的に終わらせたという歴史認識であり、過酷な植民地支配をされた朝鮮の人たちの偽らざる実感であろう。核兵器は非人道的な大量破壊兵器だが、現実の侵略戦争に反対の立場を明確にせず核抑止力論を否定するだけでは、核兵器使用阻止も全面禁止も実現できない。
これはウクライナ問題で、核兵器の先制使用の脅しを公然としている侵略者・ロシアに対して、ほとんど批判や糾弾の声を上げていない、いまの日本共産党指導部にたいする苦言でもある。核禁条約への日本の加盟は大切だが、最優先すべきは現実の核兵器使用、とりわけロシアの使用への警鐘乱打であろう。
第二次世界大戦は、日独伊のファシズムに対する国際的な統一戦線的抵抗戦争であった。最後まで侵略戦争・植民地支配をやめなかった日本の非人道性の徹底的な告発なくして、戦後の民主的な国際秩序も説得力をもたない。核兵器の非人道性だけの強調が、ロシアの核の脅しへの加担になることを危惧する。
広島・長崎の原爆投下は、日本の侵略をやめさせるために、連合国・被侵略国の一員の米国が行った。しかし、いまのロシアの核使用の脅しは、ロシアの侵略戦争に対するウクライナの抵抗を屈服させるために、侵略国ロシアが行っている。その本質的な違いを無視しては核兵器の非人道性の告発は意味がない。
非人道的な核戦争の危機を回避するために、ウクライナは抵抗戦争をやめ、核先制使用で脅すロシアの侵略と占領に甘んじよというのか。目の前の侵略者ロシアの核兵器使用の脅しに怒らないで、どうして核戦争が阻止できるのか。ふざけるなといいたい。