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(2025年12月6日からの閲覧回数)


☆学生党員の「独習3文献」
(2025年11月9日~のツイート再録)
     フリージャーナリスト・今田真人


ネットの根拠なきデマの恐ろしさを指摘した興味深いユーチューブ。デマを見抜く認識論はどうあるべきかを考えさせられる。
~哲学系ゆーちゅーばーじゅんちゃん「日本で「愛国者」向けにデマを流してた韓国人youtuberが警察の捜査対象に」


「確認されていない情報」をそのまま発信するユーチューバーは無責任であり、社会的に許されないのはそのとおりだ。しかし、「確認されていない情報」イコール「デマ」ではない。確認された情報だけを信じるのは、ともすれば、実証主義の弊害を生む。われわれは不可知論に陥ってはいけない。(続く)


(承前)私は大学で文学部史学科で勉強し、歴史学をかじった。私は当時、共産党員でマルクス主義者のつもりだったので、当時の歴史学の主流であった「実証主義」には批判的だった。ちなみに『社会科学総合辞典』(1992年、新日本出版社)で「実証主義」を引いてみると次のようにいう。(続く)


(承前)「実証主義——実証的な知識だけを唯一のたよりにするという主張。このさい、実証的な知識としては人間の意識に生ずる経験のことであって、これだけが思考したり行動したりするよりどころになるとみる。これは主観的観念論の立場にほかならない。そこで、意識から独立した客観的実在が(続く)


(承前)存在することも、それを認識する可能性をも否定し、諸事物の普遍的で客観的な内的関連を明らかにするものとしての一般的概念や法則も実証的でないとしてしりぞける。実証主義は、『実証』ということで科学的なみせかけをするが、じつは反科学であり、歴史的には反動化した資本家階級の(続く)


(承前)哲学である。これをまずとなえたのは19世紀のコントであり、物理学者マッハらの経験批判論をへて、現在の論理実証主義にひきつがれている」。この辞典の規定は、少し決めつけのきらいはあるが、私もそういう考えであった。というのは、私が学生時代、学生党員が学ぶべき(続く)


(承前)「独習3文献」というものがあり、その一つにレーニン著『唯物論と経験批判論』(1908年)というのがあったからだ。この著書は、歴史学上の実証主義にたいする批判にもなっている。その一部を引用する。「自然は人間以前に存在したか?――…自然科学は、人間も、また一般にどんな(続く)


(承前)生物もそのうえにいなかったし、またいることもできなかったような状態のもとで、地球が存在していたことを、肯定的に主張している。…物質は第一次的なものであり、思惟、意識、感覚はきわめて高度の発展の産物である。これが唯物論的な認識であって、自然科学は自然発生的にそれに(続く)


(承前)立脚している」(『レーニン全集』第14巻、P80)。「観念論は言う、主観なしには客観は存在しない、と。地球の歴史は、主観の存在するはるか以前に、すなわち、それとみとめられる程度の意識をそなえた有機体の出現するはるか以前に、客観が存在していることをしめしている。(続く)


(承前)…進化の歴史は唯物論の真理をあきらかにする」(レーニンがプレーハーノフの文書を肯定的に引用した箇所。同P89)。「唯物論の基本前提は外界の承認、われわれの意識のそとの、また意識から独立した物の存在の承認である」(P90)。これらのレーニンの指摘の中で、(続く)


(承前)「意識」を「確認されていない情報」に置き換え、「意識から独立した物の存在」を「客観的な真実」に置き換えると、分かりやすい。ある情報について、それを裏付ける「信頼できる情報源」を確認していないというだけでは、それを「デマ」とは即断できないということ。もちろん、(続く)


(承前)じゅんちゃんが批判する人物は、「信頼できる情報源」を確認する姿勢すら示さず、明らかにいかがわしい情報をそのままうのみにし、ユーチューブで垂れ流したのだから、責任は重大である。それはデマゴーグとは言えないとしても、明らかに差別扇動者であり、社会的犯罪行為である。


(承前)なお、レーニン『唯物論と経験批判論』については、日本共産党から不当に除籍された神谷貴行さんが、ペンネーム「紙屋高雪」名で出版した新著『正典(カノン)で殴る読書術——「日本共産党独習指定文献」再読のすすめ』(2025年10月、かもがわ出版)で、興味深い分析をしている。(続く)






(承前)神谷さんは、あの故・宮本顕治氏に直接、このレーニンの著作を勉強するように勧められたというから、おもしろい。神谷さんは、このレーニンの著作の社会科学の真理の証明のし方、「実践」について、いまの日本共産党の民主集中制の運用で正しい結果が出せるのかの考察をしている。(続く)


(承前)「宮本顕治がこの本で絶対的真理と相対的真理の関係から民主集中制の大事さを教えようとしたのは頷けますが、今必要なことは、そのモデルにおける実践(実験)の科学性をどう担保するかということでしょう」。神谷さんの新著は、古典の訓詁学ではない、新鮮な日本共産党の組織論になっている。


【著者が語る】(前編)『正典(カノン)で殴る読書術 「日本共産党独習指定文献」再読のすすめ』
【著者が語る】(後編)『正典(カノン)で殴る読書術 「日本共産党独習指定文献」再読のすすめ』


ちなみに学生党員の「独習3文献」は『唯物論と経験批判論』のほか、宮本顕治著『日本革命の展望』(1968年、新日本出版社版)、マルクス著『資本論』1~3部(1867年~1894年)があった。斜め読みだったが、とくに『資本論』は大変、時間がかかった。(続く)






(承前)この3文献を神谷貴行さんがやったように、『資本論』を除く2文献を、今の時点でとりあえず、ざーと再読してみた。確かに、それぞれ新鮮な箇所がいくつもある。『唯物論と経験批判論』は先に少し引用したので省略して、『日本革命の展望』のいまに生かせる新鮮な箇所をいくつか(続く)


(承前)引用する。『日本革命の展望』は社会変革の方法(綱領路線)を、『唯物論と経験批判論』は万物の認識方法(哲学)を、『資本論』は、現実の社会経済構造の分析方法を、それぞれ理解するための基本文献。現在の党は『資本論』の党幹部解説本だけの学習を提起。まったく不十分である。(続く)


(承前)『日本革命の展望』の再読で、もっとも注目したのは、その綱領(草案)についての全党討議の方法である。神谷貴行さんも注目しているが、「びっくりするぐらい、『間違った議論』が詳細に紹介され、それへの反論が書かれています」「そこには民主主義的な議論の痕跡がくっきりと(続く)


(承前)残っている」「こうした形の決定は、その決定を世の中の人に紹介するだけで、『共産党の中では広く民主主義的な討議が行われている』ことを示すものになります」(神谷著『正典(カノン)で殴る読書術』P146・147から)。綱領案(「党章草案」)は1957年10月に発表。(続く)


(承前)1958年7月の第7回党大会に向け「綱領について熱心な討論が全党的におこなわれてきた。党中央委員会は、草案発表以来、党組織内の討議を積極化するとともに、大会向けの討論誌として『前衛』別冊『団結と前進』を発行し多くの代表意見を発表してきた。…その後『団結と前進』の(続く)


(承前)発行は第5集に達しており、その他、中央委員会のいわゆる少数意見の発表は『前衛』でおこなわれ、これと関連して同誌上で中央委員会の綱領問題についての見解発表もおこなってきた」(第7回党大会での宮本顕治常任幹部会員の「報告(二)」から。『日本革命の展望』所収)。(続く)


(承前)7回党大会後の1961年5月の全国都道府県委員長会議での宮本顕治氏の報告「綱領(草案)について」では次のようにいう。「第7回党大会では、『党章草案』という形で、綱領部分と規約部分の両方をふくんだものが提案されました。これは…綱領部分のうち、組織綱領の部分は(続く)


(承前)規約の前文となり、条文とともに『規約』として採択され、政治綱領の部分は、行動綱領の基本にかんする部分を『行動綱領』として採択し、政治綱領部分全体については、つぎのような決定をおこなったわけであります。『党章草案の綱領部分は全体として、この大会では最終的な決定を(続く)


(承前)おこなわず、今後も新中央委員会の指導のもとにひきつづき討議すべき草案として承認すること。同時に、いわゆる51年綱領(【注】暴力革命不可避論を含んだ綱領的文書のこと)はこれを廃止する。』こうして、『党章草案政治綱領部分』は、新中央委員会の指導のもとにひきつづき(続く)


(承前)討議すべき、大会の草案になったのであります。第7回党大会で選ばれた中央委員会は、第2回中央委員会総会において、綱領問題小委員会をもうけ、この小委員会は、大会から委託された草案を中心に29回にわたって討議をつづけてきました。また、第10回中央委員会総会(5日間)(続く)


(承前)と、第16回中央委員会総会(17日間)において、合計22日間にわたる討議がおこなわれました。以上のような討議の経過をへて、はじめにあげた、16中総の『決定』(この草案の基本的正しさを確認し、必要な補足などをして第8回党大会に提起する草案として決定したもの)に到達(続く)


(承前)したのであります」(『日本革命の展望』所収)。また、1961年7月の第8回党大会での宮本顕治書記長の報告はいう。「中央委員会は、2中総において綱領問題小委員会をもうけ、長期間にわたって討議をつづけ、また中央委員会自体としても10中総、16中総において20数日間の(続く)


(承前)討議をおこなってきた。そして、このような十分な討議を経て、中央委員会の具体的提案として今回の草案をまとめ、その上で全党討議にかけたのである。これは、草案の討議を新しい中央委員会の指導のもとにおこなうという、第7回党大会の決定にもとづいていたのである」(続く)


(承前)「全党の草案討議は、民主集中制の原則にもとづいて、中央委員会の指導のもとに全体として積極的におこなわれた。…同時に、それは3年間の全党の実践にもとづく検証という観点からおこなわれた。これは、この3年間、歴史的な安保闘争をはじめ、…大衆闘争に全党が積極的にとりくみ、(続く)


(承前)また、このたたかいとむすびつけて、党員の倍加、機関紙の飛躍的な拡大という党建設の課題に全党がとりくみ成功したという、大衆闘争と党建設のうえでの大きな経験を、すべての党員がもっていたからである。このように実践的な経験と結びついて、全党の積極的な討議が(続く)


(承前)おこなわれたことが、草案討議の第一の特徴であった」(『日本革命の展望』所収)。長い引用になったが、民主集中制にもとづき、民主的な議論をつくすとは、こういうオープンな討議をいうのではないだろうか。ここには、現在の党がやっている、「党の外」での異論の公表禁止とか、(続く)


(承前)党内討議での異論の公表の禁止とか、横の組織員同士の交流の禁止など、まるで秘密サークルのような言論の自由の抑圧・制限はない。中央委員会が討議を理論的にリードしていれば、異論とそれへの道理のある反論は、党の理論的団結の促進にこそなれ、団結を破壊するものにはならない(続く)


(承前)ことを、よく示している。さて、決定の民主的討議のあり方とは別に、今日的テーマとしては「敵の出方」論についての宮本顕治氏の分析が重要だと思われる。昨年12月の隣国の韓国で起きたユン・ソンニョル大統領の「非常戒厳」がその典型的な事例だろう。(続く)

【解説】 なぜ尹大統領はいきなり非常戒厳を宣布したのか……翌朝には解除


(承前)「革命が非流血的な方法で遂行されることはのぞましいことである。…今日の憲法が一応政治社会生活を規制する法制上の基準とされている情勢では大衆闘争を基礎にして、国会を独占資本の支配の武器から人民の支配の武器に転化さすという可能性が生じている。しかし反動勢力が(続く)


(承前)弾圧機関を武器として人民闘争の非流血的な前進を不可能にする措置に出た場合には、それにたいする闘争もさけることができないのは当然である。支配階級がその権力をやすやすと手ばなすものでけっしてないということは、歴史の教訓のしめすところである。われわれは反動勢力が(続く)


(承前)日本人民の多数の意志にさからって、無益な流血的な弾圧の道にでないように、人民の力をつよめるべきであるが、同時に最後的には反革命勢力の出方によって決定される性質の問題であるということもつねに忘れるべきではない」「革命運動の発展を未然におさえるために、民主勢力がまだ(続く)


(承前)強大にならないうちに、暴圧をくわえる可能性のあることも見失ってはならない。このような暴力的な弾圧や抵抗を米日反動がおこなうとしてもとうてい成功しないように、つねに内外の民主的世論をたかめ、平和・独立・民主勢力の団結力を強大にしておくことが、解放運動にとって(続く)


(承前)きわめて重要である。独立と平和の勢力があくまでも国民の権利と自由を維持してすすむならば、反動勢力の出方によってどのような道をとろうとも、もっとも犠牲のすくない方法で反動の暴力から革命運動とあたらしい政府を効果的に防衛し、勝利の道を確実にすることが(続く)


(承前)できる」(1958年7月、第7回党大会での宮本顕治常任幹部会員の「綱領問題についての中央委員会の報告(一)」から。『日本革命の展望』所収)。韓国では大統領の「非常戒厳」が宣告された直後から、深夜にもかかわらず、多くの市民が国会周辺に集まり、軍隊の国会突入を妨害・(続く)


一部阻止し、バリケードなどもつくって国会議員を守り、国会での「非常戒厳」解除決議を実現させた。突入した軍隊も、国民に銃を向けることの重大性を自覚し、銃弾を抜く措置を事前にしていたという。まさに「敵の出方」論のような、市民や軍隊の民主的自覚が、あと一歩の流血の事態を防いだのである。


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