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(2016年9月11日からカウント)

新著の参考文献

新著(『円高と円安の経済学』(2012年、かもがわ出版)を理解してもらううえで、参考になると思われる著書と、若干の紹介です。ご興味があれば、ぜひ購入してお読みください。
    (2012年7月11日初稿、その後いくつかを追加。経済ジャーナリスト・今田真人)


@『自由論』(著者=19世紀イギリスを代表する哲学者・経済学者のジョン・スチュアート・ミル、光文社古典新訳文庫、斉藤悦則訳、税込1100円)

 「その意見は正しくないと確信しているからといって、意見の公表を禁ずるのは、自分たちにとって確実なことは絶対的に確実なことだというに等しい。議論を封ずることは自分たちは絶対に間違わないというに等しい」(P47)
 「専制君主や、人の絶対的な服従に慣れているひとびとは、ほとんどあらゆる問題で、自分の意見は完全に正しいと思ってしまう。その点では、民衆のほうが恵まれた立場にある。自分の意見が反駁されることもあるし、間違っていれば訂正されることに不慣れなわけでもないからだ」(P48)
 「自分の意見に反駁・反証する自由を完全に認めてあげることこそ、自分の意見が、自分の行動の指針として正しいといえるための絶対的な条件なのである。全知全能でない人間は、これ以外のことからは、自分が正しいといえる合理的な保証を得ることができない」(P52)
 「人間は自分の誤りを自分で改めることができる。知的で道徳的な存在である人間の、すべての美点の源泉がそこにある」(P53)
 「その人の判断がほんとうに信頼できる場合、その人はどうやってそのようになれたのだろうか。それは、自分の意見や行動にたいする批判を、つねに虚心に受けとめてきたからである。どんな反対意見にも耳を傾け、正しいと思われる部分はできるだけ受け入れ、誤っている部分についてはどこが誤りなのかを自分でも考え、できればほかの人にも説明することを習慣としてきたからである」(P54)
 「ある意見を、自分たちの独断でそれはダメなものだとあらかじめ決めつけておいて、聞いてみようともしないのは自分たちにとっても有害である」(P60)
 「自分の知性がどんな結論に達しようと、とにかく最後まで自分で考え抜く、それが思想家の第一の義務である。そのことを認めない者は、けっして偉大な思想家にはなりえない。自分の頭で考えず、世間にあわせているだけの人の正しい意見よりも、ちゃんと研究し準備をして、自分の頭で考え抜いた人の間違った意見のほうが、真理への貢献度は大きい」(P84)
 「意見の違いがありうる問題の場合、真理は、対立し衝突し合う二つの意見をあれこれ考え合わせることによってもたらされる。自然科学の分野でさえ、同一の事実について、つねにまた違った説明を加えることが可能なのである。天動説に変わって地動説、燃素説に変わって酸素説が登場した。そこで、なぜ相手の理論は正しくないかを説明する必要がでてくる。その説明がなされないかぎり、われわれは自分の意見でも根拠がわかっていないのである」(P90〜)
 「自分の意見をもつ自由、その意見を率直に表明する自由、それは人間にとって絶対に必要なものである」(P136)
 「人間は間違いをおかすものであること、人間の真理の大部分は半真理にすぎないこと、あらゆる反対意見をちゃんとふまえた上でないかぎり、意見の一致は望ましいものではないこと、…以上は、人間の意見にばかりでなく、人間の行為についてもあてはまる原理なのである」(P138)


A『日本国憲法』(「六法全書」などに収録)

 「第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」
 「第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」
 「第23条 学問の自由は、これを保障する」


B『マルクス主義と福祉国家』(聽濤弘著、2012年4月20日・大月書店発行、税込2100円)

 「(第一章・多種多様な今日の福祉国家論)最後にあげておきたいのは、日本一国での経済成長はもはやありえないので、『アジア地域共同体』をつくり、日本がそこで積極的に活動し成長をはかるならば『高福祉』を実現できるという考えである。…私が重視するのは、同じような主張が左翼系出版社からも出ていることである。…日本の大企業の『おこぼれ』に期待するというものである。『トリックルダウン』方式では国民の未来が開けないことはすでに証明ずみのことである。…これまでEUが加盟諸国民の利益になるための指令を採択し、それが加盟国で実施されることがあったとすれば、それは欧州左翼政権と『欧州労連』などの労働者の努力と闘争があったからこそである。いまアジアにはその国の人民を代表する民主的政権はどこにも存在しない。左翼の側からの安易な『アジア共同体』論は控えるのが良識であろう」(P37〜)
 「本書では国際関係をくわしく検討する余裕はない。最低限のことを述べて終わりにしたい。それは経済のグローバル化によって世界が複雑になるなかで、変革を目指す勢力はどういう立場をとらなければならないかを、マルクスに照らして考えてみることである。…ジャノッティ(元イタリア共産党トリノ県委員長)は端的に次のように述べている。『…トリノのある工場の壁にこんな落書きがあらわれた。中国人のようにならなければならないのは我われではなく、中国人が我われのようにならなければならないのだ″。これは、中国人の低賃金、長時間労働および過酷な労働条件を受け入れなければならないのはヨーロッパの労働者ではなく、むしろ中国の労働者がヨーロッパ並みの条件を主張すべきなのだ、という意味である。…』(寄稿論文)。私は中国それ自体についてジャノッティが述べていることに、さらに多くをつけくわえるつもりはない。…いま中国人が何百年にもわたる屈辱の歴史を破り、著しい経済発展をとげ、それを誇らしく思う感情を理解することは十分に可能である。しかし、この理解は社会主義的国際連帯に基礎づけられたものではない。社会主義を目指すという国が経済力を大きく発展させたとしても、いま確かにいえることは少なくとも世界市場で中国が社会主義的特徴を刻印しているとはいえないことである。新たな経済大国が出現したということ以上にいえるものはない。国内的側面についていえば、『20世紀社会主義』の歴史が教えた普遍的真理は、社会主義は民主主義なしには成り立たず、崩壊せざるをえないということであった。もし社会主義的国際連帯の立場に立つならば、中国が二度とソ連の轍を踏むことのないよう望むだけである」(P188〜)
 「周知のとおりフランシス・フクヤマはソ連が崩壊したとき、これからは対抗軸がなくなり、世界は『退屈』な時代を迎えることになろうといった。いま『退屈』どころか資本主義世界は危機的であり、支配層は対応に窮している。しかし『退屈な世界』が一つある。それは一般ジャーナリズムを含めた『知的世界』である。『知の世界』で世を動かすほどの論争がまったくなくなってしまった。…これは一種の『知的退廃』現象である。論争がなければ世の中は変わらない。けだしマルクスの全生涯は生活資金を得るために新聞論評を書いた以外はすべて論争にあてた生涯であった。日本の戦後史は論争の歴史であった。だから面白かった。だから若い人々は魅了され革新の側に立った。いま誰か一人が『正解』をもっているほど単純な世界ではない。意見はいろいろある。いわゆる『市民社会』には実にさまざまな意見がある。それらをつき合わせてこそ解答がでてくる時代である。政治は市民運動を『私物化』せず、逆に市民運動は政治を『排除』するのではなく、意見を交換し論争もし進歩に向けて大きな輪をつくっていくことが求められている。その姿が浮かび上がったとき、どこかで座標軸を求めている『若い世代』をひきつけ、変わらないかにみえる日本社会が進歩に向かって動き出すであろう」(194〜)


C『新・日本経済への提言』(著者・日本共産党経済政策委員会、1994年4月10日・新日本出版社発行、税込2650円)

 「多国籍企業優先が国民経済の発展をそこなう…多国籍企業が海外生産のネットワークをつくりながら、全世界を舞台にして利益を最大にしようとする、多国籍企業に特徴的な経営活動は、疑いもなく進出先の相手国と自国との二方面で、全体として否定的な影響をつくり出している。…自国においては、多国籍企業の海外への生産移転のため国内産業の空洞化を引き起こしていく」(P181〜)
 「激しいレートの変動をつづける国際通貨制度をどうするかということも、重要な国際経済問題である。…変動相場制に加えて金融の自由化・国際化がすすめられたため、巨額の資金が投機的利益を求めて国際市場を動きまわるようになり、この国際金融資本の活動が、これまで考えられなかった経済の大きなゆがみや、国民生活に損失をもたらすようになったことは重大である」(P184〜)
 「外国為替市場における資金の流れが貿易取引にともなうものよりも、資本取引にともなうものが大きくなったため、高い投資利益をねらい国際市場を徘徊する資本の動きによって為替レートが動かされるようになった。かつて米連邦準備制度理事会議長などとして国際通貨制度問題に長くかかわってきたボルガーも、この点を指摘しながら、そのため『貿易パターンの合理的バランスを維持する水準からまったくかけ離れた大幅な通貨変動を起こしうる』『このことは、一国の為替相場が、その経済にとってもっとも重要な単一の価格であるが故に問題である』と述べている。ボルガーが述べたことは重要である。一国にとってもっとも重要な価格が、銀行や投機筋の投機的利益をあさる取引で動かされるようになったという、驚くべき事実である。日米の労働者の賃金を購買力平価をとって比較すると、日本を100として、アメリカは153(89年)である。これは、実質賃金の比較であり、労働省の『賃金統計総覧』91年版も発表している正しい比較の方法である。ところが、円が1ドル=100円などというレートにされると、たちまち企業にとってのコストとしての賃金は、計算上、日本を100として、アメリカは78と逆転し、それが企業の海外への移転、産業の空洞化、失業の大増大という一国にとって重大な事態が引き起こされる。国際金融資本を自由放任にしたため、このような経済のゆがみを生み、国民生活は損失を受けるようになったのである」(P185〜)
 「80年代以来おこなってきた資本自由化、為替先物取引の実需原則の撤廃、東京オフショア市場の設立など金融自由化、国際化の政策は、再検討すべきである」(P188〜)
 「問題は新しい国際経済秩序をいかに実現していくかである。日本共産党は従来からこの問題で、…決定的に重要なのは、共同闘争と国際連帯であることを強調してきた。飢えと貧困をなくす課題、地球の環境をまもる課題、国際金融機関の民主的改革、多国籍企業・国際銀行への民主的規制など、いずれをとっても、共同闘争と国際連帯をすすめることなしには実現できない。われわれは、この精神に立って、各国の勤労人民の闘争との連帯を強めていくものである」(P188〜)


D『資本主義の変容と経済危機――大銀行、多国籍企業は何をしたか』(工藤晃著、2009年11月30日・新日本出版社発行、税込2100円)

 「ここでわれわれは次の五つの問題を検討しなければならない。…第4、日本の大企業も多国籍企業化し、日本の国民経済をもぬけの殻のようにしてグローバルな利益追求に走っている大企業のトップが、日本の財界トップになっているという問題がある。その上、そのような財界トップにこれまで自民党政権が国の経済政策づくりを丸投げしてきたという問題がある。たとえば1998年、小渕恵三首相の諮問機関として設けられた経済戦略会議は、財界から6名、学者から4名、議長は樋口廣太郎アサヒビール名誉会長という財界主体の構成であり、その中には奥田碩トヨタ社長もいた。答申は1999年2月26日に出された。この中で『労働者派遣及び職業紹介の対象業種をネガティブリスト化するなど、原則自由化の方向を一刻も早く打ち出すべきである』と打ち出した。それはたちまち国政で実施され、同年12月から対象業種が港湾運送など一部を除き、原則自由化となった。この流れを受けて、2004年3月には製造業への派遣も解禁となった」(P103〜)
 「現在日本の大企業が金融危機への対応として海外事業をいっそう積極化する方向をとっていることに注目しなければならない。2008年末ジェトロのアンケート調査では、金融危機への対応として海外事業をいっそう積極化すると回答した企業は半数を占め、中止・延期と回答した企業は15%にとどまった。…日本の大企業が今日このような方向を強めていることからも、多国籍企業に対してかれらの社会的責任を具体的に規定し、かれらの行動をきびしく規制する体制づくりと、多国籍企業の利益優先によってもたらされたこれまでの労働法制改悪を根本から改善しなければならない」(P140〜)


E『レーニンの再検証』(聽濤弘著、2010年8月20日・大月書店発行、税込2310円)

 「本章(『帝国主義論』と現代世界)の目的は現代の世界を見る場合、レーニンの『帝国主義論』は意味を失っているのかどうなのかを検討することにある。誰にでもわかることは、今日の時代が帝国主義戦争を不可避としていたレーニンの時代とは違うことである。…ところが内外の左翼系の論調のなかには二つの極論が存在する。一つはほぼレーニン時代と変わらないとする見方である。…このような主張は全く無視していいものであるが、国際的に一定の範囲では議論されている。もう一つの議論は、今日の世界に現われた新しい傾向を過度に強調し、その誇張のうえに現代世界を描こうとするものである。…経済のグローバル化にたいして『地域経済共同体』の役割がクローズアップされていることをとらえ、『共同体』と名がつけば一律に肯定的にとらえる議論である。日本一国の枠内ではいまや『内需』拡大はむずかしい。『アジア経済共同体』が形成されれば中国、ベトナムなどがそこに入るので、広大な市場が開ける。日本企業がそこで活発に経済活動を展開すれば、得られた利益を国民に還元でき、日本に高賃金、高福祉社会が実現できる、このように労働者が大切にされる社会ができれば『内需』が拡大し、企業の業績もまた延びる。こうして『アジア経済共同体』は日本国民『繁栄の共同体』となるというのである。あたかも今日の世界では『帝国主義』概念はもはや存在しないかのようである。私はこういう状況のもとで、レーニンの『帝国主義論』をもう一度検討してみる価値があるように思う」(238〜)
 「ここでどうしても検討しておかなければならない問題がある。それは現代の資本輸出はレーニン時代のそれと本質的に同じかという問題である。現在では途上国は先進国の直接投資を歓迎しており、資本輸出はレーニン時代のような帝国主義的性格をもっていないのではないかという問題である。たしかに途上国は直接投資を概して歓迎している。しかし決して無条件ではない。多くの途上国は『技術移転を伴う投資』、『合弁企業の設立を伴う投資』、『現地規制をかけることのできる投資』なら歓迎している。この三つの条件を先進国にのませるのは決して容易なことではないのが現状である。途上国が無条件でのむ場合の多くは、その国の政権の姿勢や多国籍企業との腐敗と深く結びついている。このことは、はっきりとさせておかなければならない。多国籍企業は現地で『歓迎される』から投資するのではない。利潤追求のために投資し、投資先よりさらに労働力の安いところがあれば、すぐそこに投資先を変え、自由に世界を移動しようとするのが多国籍企業の本質である。…レーニン時代の資本輸出は相手国を植民地化していくものであり、その現地で果たした役割は野蛮であった。しかしレーニンのいう『商品輸出』にかわる『資本輸出』の重要性とは、国際経済の中心が商品の交易にあるのではなく、相手国の搾取に変わることを意味する点にある。この本質を現代の資本輸出の態様変化によって除去してしまうことはできない」(P253〜)


F『変貌する財界――日本経団連の分析』(佐々木憲昭編著、2007年1月20日・新日本出版社発行、税込2625円)

 「多国籍企業のアジアにおける展開が、勤労者の生活をいっそう引き下げる方向に作用することである。自動車、電機など日本財界を主導する巨大企業は、裾野の広い加工組立部門をアジアに移転し大量の低賃金労働者を活用するとともに、国内の基盤を技術開発の分野にいっそう集約・特化しようとしている。…この動きが強まるほど、国内の労働者と下請中小企業にたいし際限のないリストラとコスト削減を押しつけ、アジア諸国並みの低賃金・低単価をもとめることになる。アジアにおける労働者の賃金は、日本の6分の1から10分の1という低水準であり、労働者としての基本的権利がなおざりにされている。財界は今後、日本国内でも外国人労働者の活用を大規模に広げようとしている。劣悪な労働条件を国内に広げるテコとなっているのが、労働分野における規制緩和政策である。御手洗会長が、『日本の製造業はすでに、多様な雇用形態を活用しながら、アジアの国などとの国際競争に打ち克つべく日々努力しております。労働法制の整備が急速に求められる所以であります』とのべたのは、日本型多国籍企業の貪欲さのあらわれである」(P81〜)
 「日本の巨大企業は、アジアにおける生産ネットワークを効率的に推進するため、EPA(経済連携協定)の締結を位置づけ、関税引き下げによる輸出入の拡大、外資参入規制撤廃による新規投資・再投資の拡大などを求めている」(P100〜)


G『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」全訳解説』(志水速雄訳、1977年12月10日・講談社発行、講談社学術文庫、税込600円)=1956年2月、ソ連共産党第20回大会でおこなわれたフルシチョフのロシア語による報告を翻訳したもの)

 「ある特定の人物を殊更に持ち上げ、その人物を神にも似た超自然的能力をもつ超人に仕立て上げることは、マルクス=レーニン主義にとって許しがたいことであり、また無縁のものであります。スターリンの死後、党中央委員会は、そのような立場を解明する政策を次第にしかし断固として実行しはじめたのであります。このような人物はすべてを知っており、万人に代わって考え、あらゆることを必ずなしとげ、その行為においては誤ることがないと考えられているのです。このような人間が存在しうるという信仰、とりわけスターリンに対するこのような信仰が、長年にわたり、われわれのあいだに培われてきたのであります」(P15)
 「われわれが今関心を寄せているのは、現在のみならず将来においても、党にとってきわめて大きな意味をもつ問題なのであります。すなわち、スターリンという一人格に対する崇拝がいかに、やむことなく成長してきたかという問題なのです。実際この崇拝は、ある段階まで達したとき、党の原則や党内民主主義や党内法秩序をいちじるしく乱暴にねじまげる一連の原因となったのであります。しかし、個人崇拝というものが実際上どのようによくない結果を引き起こすか、また、党の集団指導原則の破壊がもたらす害毒がどれほど大きいものであるか、1人の人間の手に大きな、事実上無制限の権力が集中することが何を意味するか、こういったことがまだ十分に理解されてはおりません。そこで党中央委員会は、ソ連共産党第20回大会に対し、この問題に関してわれわれが管理している資料を提供することが絶対に必要であると考えます」(P16)
 「なによりもまず、マルクス=レーニン主義の創始者たちが個人崇拝の顕われを、どれほど厳しく非難したか、思い出していただきたいのです。ドイツの政治家ウィルヘルム・プロスに宛てた手紙の中で、マルクスは次のように書いております(原注 ロシア語版『マルクス=エンゲルス著作集』第1版、第26巻、487−488ページ)。『私は、どんな種類の個人崇拝も好みませんから、インターナショナルが存在していたあいだ、私の功績をとくに持ち上げているようなーーそのことで私はいつも腹を立てていたのですーー外国から受け取った多くの手紙を公表するようなことは、けっしてありませんでした。私はそういう手紙には返事さえ書かなかったくらいです。もっとも、例外があるとすれば、そういう手紙の筆者を叱りつけようと思ったときだけです。エンゲルスと私は共産主義者の秘密結社に入りましたが、その際、この結社の規約の中に、誰か権威者に盲目的に服従することを認めるような規定が含まれているなら、そんな規定はいっさい取り除くことを条件にしました。…』…」(P17)
 「同志の皆さん!個人崇拝の結果、党活動と経済活動において誤った原則が適用されるようになりました。すなわち個人崇拝は、党内民主主義とソヴィエト民主主義を乱暴にも破壊し、不毛な官僚化とあらゆる種類の逸脱をもたらし、欠陥を隠して現実を美化するという結果を生み出しました。わが国の人民の中に、多くの追従者、ペテンと欺瞞を専門とする者が出現しました」(P126)


H『産業の空洞化″と国民本位の経済再建』(1987年2月20日・日本共産党中央委員会出版局発行、税込509円)

 「日本経済は、いま歴史的な岐路にたたされている。アメリカについで世界のトップクラスの地位におどりでた日本の大資本が、その地位を維持・強化するため、アメリカによる異常円高のおしつけや『市場開放』などの不当な対日圧力の犠牲を国民に転嫁しながら、国を捨て多国籍企業として繁栄する″新たな戦略を推進し、日本経済にかつてない深刻な事態をもたらしつつあるからである。日本の大資本は、今回の異常円高に対応すべく、これまで競争力がつよく輸出ラッシュの中心になってきた電機、自動車などの生産拠点をも、アメリカやアジアの新興工業諸国(NICs)に大規模にきりかえる一方、巨大な規模にふくれあがった資金を、ものをつくるための投資にまわさず世界をまたにかけた資金運用(マネーゲーム)や、土地投機などに投じて巨額の利益をあげるなど、ますます投機的な性格をつよめている。また、アメリカのSDI(戦略防衛構想)計画への参加など、軍需生産にいっそう傾斜し、造船、鉄鋼などの部門では、おどろくべき規模の雇用削減計画を強引に実行に移しつつある。このような大資本の行動は、国内での大規模な失業・雇用不安、中小企業の大量の倒産・廃業、地域経済の破壊、自主的経済基盤の破壊などをひきおこし、日本経済の著しいゆがみと産業の空洞化″をもたらしつつある。こうして日本独占資本は、対米従属のもとでますます寄生性、腐朽性をつよめている。利益さえあがれば、国民経済を破壊し国民にどんな苦しみをあたえてもかえりみないという大資本の反国民的な行動を、日本共産党はきびしく糾弾する」(同書P7〜、同書所収の1987年1月14日発表の政策論文「大資本による産業の空洞化″をゆるさず、国民本位の経済再建を」からの引用)
 「今日の状態を放置すれば、そのゆく手には経済構造の著しいゆがみと大企業栄えて民滅ぶ″という日本経済のいっそうの空洞化″がまちかまえている。こうなれば、税収はさらに落ち込み、軍拡・大企業奉仕が促進され、国民への大増税と生活破壊にますます拍車がかけられる。アメリカの副官として大もうけをあげる世界一流の大資本と、多くの貧しい勤労国民という、日本経済のおどろくべき二極化がいっそう拡大される。日本共産党は、このような事態を生みだす日米独占資本の横暴にたいして、正面からたたかうとともに、自民党政府の反国民的な政策をただちに中止させ、日本経済の自主的・民主的発展の方向に向けて軌道を根本的にきりかえるために奮闘するものである」(同書P11〜、同上論文からの引用)
 「アメリカは日本の市場は閉鎖的だ″などといって、はてしない『市場開放』をせまってきた。しかし『市場開放』のもっとも重要な目安である日本の関税は、すでに先進資本主義国で最低の水準に引き下げられており、輸入制限品目も国際的にみて少なく、日本の市場開放は高度にすすんでいる」(同書P15〜、同上論文からの引用)
 「日本産業の空洞化″は、自動車や電機など多くの下請け中小企業と労働者をかかえる生産拠点を、貿易摩擦などの回避をねらって最大の輸出市場のアメリカに移し、かつ日本の数分の1という低賃金労働力の活用できるアジア諸国に移しかえてしまうということに端的にしめされている。それは、まさに経済の屋台骨″そのものに大きな穴がぽっかりとあくようなきわめて深刻な事態をもたらす。ところが、昨年12月の経済審議会経済構造調整特別部会の中間報告は、産業の空洞化を恐れず海外投資をすすめるべきだ″と逆にひらきなおってさえいる」(同書P19〜、同上論文からの引用)
 「『構造調整』政策の最大の特徴の1つは、このような労働者や地域住民の苦しみを痛みをわかちあう″などと称して当然視し、まともな対策をすすめないことである。しかもいっそう許せないのは、『国際分業の推進』などと称して、大企業による東南アジアなどからの製品・部品輸入や海外直接投資の拡大を国が積極的にテコ入れし、雇用不安を新たにひろげてさえいることである」(同書P22〜、同上論文からの引用)
 「自民党政府の産業政策・『構造調整』政策は、日米軍事同盟を軸とする日本の対米従属構造を前提とし、日本の大資本・多国籍企業の利益のみを追求しようとする立場からでている。…日本共産党は、経済政策の最大の目的は、多数の勤労国民の暮らしの向上すなわち民生の安定″におくべきであり、日本経済の発展方向や産業政策もこれに沿ったものでなければならないと考える。政府・自民党の反国民的政策に反対し、大企業への民主的規制と、それをつうじた日本経済の自主的再建へむけてたたかう道こそ、困難からのただ一つの脱出策である。日本共産党は、そのたたかいの方向をつぎのように提起したい。…(1)異常円高を是正し『構図調整』政策を中止する…とくにいま、円高是正の緊急対策をすすめながら、経営危機にあえぐ中小企業を救済することは急務となっている。1年以上にわたる異常円高のもとで中小企業の円高倒産が急増し、長いあいだ耐えしのんできた中小企業も、ここにきてつぎつぎと倒産・廃業に追い込まれる例がふえている。最近の労働省の発表によっても、日本の円は購買力平価で1ドル=231円である。1ドル=160円というあまりにも異常な円高が是正されれば、国民の暮らしと営業の困難のかなりの部分が緩和の方向にむかう条件がつくられる。そのためには、まず政府自身が、現在のレートが異常であることを認め、1ドル=150円〜160円の円高を長期につづけることを事実上約束した昨年10月の宮沢・ベーカー(日米蔵相)合意を破棄し、早急な是正にとりくむべきである。政府は、異常円高是正のき然たる態度を内外に公式に宣言し、ただちに関係諸国に申し入れるのをはじめ、必要で可能なあらゆる措置をとらなければならない。…(2)非核・非同盟・中立への転換は経済再生の根本的保障…国際通貨・金融問題でも自主的立場をまもり、必要なときは為替管理や対外資本取引の規制を強化するなどの措置をとる。非同盟・中立日本は、為替投機や国際的な価格操作などで、各国の国民経済を破壊し自主的な経済運営を困難にしている多国籍企業にたいする民主的規制のための体制をつくりだす」(同書P30〜、同上論文からの引用)
 「投資の対象は(国内に)うんとあるんですよ。ところが、そこにむけないで、外国にでるということは、もうかるかどうかという点だけで資金が動いているからです。外国では土地が安いとか、円高で事業のいろんな経費を払ってももうかる。もうかるかもうからないかということが企業の最大の選択の基準です」(同書P58、1987年1月1日発表の「産業『空洞化』と日米経済摩擦問題――『赤旗』新春インタビュー『宮本顕治議長に聞く』から」の中の宮本顕治氏の発言)


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