共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)の見どころ(2016年11月1日~9日)
【㉒~吉田清治氏の長男の発言の批判、労務報国会の性格について】
=経済ジャーナリスト・今田真人=
①李在承(イ・ジェスン、韓国・建国大学校教授)の論文から。「朝鮮総督府は朝鮮の婦女子、未成年者を軍慰安婦にするために刑法上の略取誘拐罪を有名無実にする職業紹介法制を導入し、実際に軍慰安婦の動員を包括的に許容した」(P75)。
②李在承論文のこの指摘とその前後の記述が興味深い。「植民地における法統治の二元性」ということを解明した韓惠仁(カンヘイン)氏の論文「総動員体制下での職業紹介令と日本軍慰安婦動員」(『史林』46巻)も紹介されている。読んでみたい。→この韓惠仁(カンヘイン)氏の論文を国会図書館で調べたが、見つからなかった。どうも韓国語で書かれた論文のようだ。誰か訳してくれないかなあ。
③李論文には次の指摘もある。「日本は…総動員体制において制定した朝鮮職業紹介令(1940年)で民間業者に対する許可と統制に関する規則を定めることで、朝鮮総督府をはじめとする官が介入した慰安婦動員の法制を完全に整えていたことになる」(P76)
④李論文が度々指摘している朝鮮職業紹介令は、拙論「『吉田証言』は本当だった」でも言及した。「別の朝鮮総督府の公文書には、『娼婦、酌婦』などの周旋業は、『許可官庁に於て特に支障なしと認めらるる場合の外』は禁止すると定めている」云々の個所だ(P152)。
⑤拙論のこの記述「別の朝鮮総督府の公文書」とは、〈注7〉で明記しているように「朝鮮職業紹介令施行に関する件(1940年1月27日)」と題する朝鮮総督府の通牒のことである(P154、写真P165・166)。
⑥通牒は法令の下位に属する規制だが、行政機関内の連絡事項という性格から、法令と違って公表されないことが多い。この通牒は、上位の法令「朝鮮職業紹介令」が「娼妓、酌婦」の募集を禁じているのに、「許可官庁に於て特に支障なしと認められる場合」は許すとした。
〈訂正〉「『朝鮮職業紹介令』が『娼妓、酌婦』の募集を禁じている」と書いたが、正確には、「朝鮮職業紹介令施行規則(昭和15年1月20日朝鮮総督府令第7号)が『娼妓、酌婦』の募集を禁じている」。
同規則の第16条に「紹介業者ハ左ニ掲グル行為ヲ為スコトヲ得ズ…芸妓、娼婦、酌婦又ハ之ニ類スルモノノ周旋ヲ為スコト」とある。
朝鮮職業紹介令施行規則は、朝鮮職業紹介令の関連法制の一つ。他に「募集ニ依ル朝鮮人労働者ノ内地移住ニ関スル件」(昭和15年3月12日)と題する朝鮮総督府の通牒もある。
この通牒の注目点は、「労務動員計画」に基づく朝鮮人労務者の「内地供出」の基本は、まず「内地府庁県」がその「募集雇人」を承認することと定め、「内地以外ノ鮮外」への「供出」もこれに準ずるとしていること。吉田清治氏の著作で描かれる、山口県労務報国会による朝鮮での「慰安婦狩り」が、山口県知事の命令で実施されたことの意味を法的に説明している。
(以上の法令文は、樋口雄一編『戦時下朝鮮人労務動員基礎資料集Ⅴ』(2000年、全5巻、緑蔭書房)から引用)
⑦法令で禁止している「慰安婦」の募集を、通牒で官庁が認めた業者には許可するというのは、まさに二重基準である。しかし、公表された法令では禁止していたので、募集目的が「軍慰安婦」とは言えなかっただけである。これは官製の就業詐欺であろう。
⑧そして、日本のアジア侵略戦争が激化していく中で、この政府公認の「慰安婦」募集はより強制性を強めていく。それが、1941年11月20日に朝鮮総督府が定めた「昭和16年度労務動員実施計画ニ依ル朝鮮人労務者ノ内地移入要領」である。
(国立公文書館所蔵・簿冊『公文雑纂・昭和17年・8巻・内閣』の「昭和17年9月・労務関係例規集・拓務省管理局」から)
⑨そこには次の記述がある。「本要領ニ依リ内地ニ移入セシムルベキ朝鮮人労務者ノ供出ハ従来ノ朝鮮職業紹介令ニ依ル労務者募集ノ方法ヲ廃止シ爾今朝鮮総督府及ビ地方庁ノ斡旋ニ依ルコトトスルコト」。
⑩さらに同「要領」には、「朝鮮労務供出機構ノ整備拡充」として「朝鮮ニ於テ労務担当職員ニ適任者ヲ得難キトキハ内地関係官庁ハ之ガ供出ニ付協力スルコト」と明記された。「内地関係官庁」とは、日本内地の警察や警察の外郭団体・労務報国会のことである。
(同上)
⑪これらの事実は、2016年6月18日に開かれた同共著の出版記念会での私の報告のレジュメで説明した。興味のある方は参照されたい。
→http://masato555.justhpbs.jp/newpage141.html
⑫ちなみに、吉田清治氏が属した労務報国会について「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、(労務報国会の)職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」(「朝日」2014年8月5日付の検証記事での外村大・東京大准教授のコメント)などという反論がある。
⑬この外村氏の指摘がいかに的外れかは、私のレジュメ
http://masato555.justhpbs.jp/newpage141.html
が復刻写真入りで紹介している厚生省の通牒「道府県労務報国会ノ労務配置ニ対スル協力方指導指針ニ関スル件」(昭和18年5月18日)でも明らかだ。
⑭この厚生省の通牒は、道府県労務報国会が「国民動員計画」に基づく政府機関の「労務配置」に「協力」するよう命じていた。労務報国会は、当時の厚生省の通牒が直接伝達されるような事実上の厚生省(及び内務省)の下部組織・別働隊であったこともわかる。
⑮また、この通牒に関連して、1943年10月9日に発せられた通牒「勤労挺身隊ノ組織整備ニ関スル件」も重要である(前出のレジュメ参照)。43年10月の時点で、労務報国会に対して勤労挺身隊を組織し、「軍ノ緊急要員」などの動員に応ぜよと命じるものである。
⑯同通牒によると、労務報国会が組織する勤労挺身隊の出動は「地方長官(県知事)ノ要請」で県労務報国会が「出動指令」を出すとしている。吉田証言にある「慰安婦狩り」の指揮系統、軍→県知事→労務報国会そのものである。
⑰また、「朝日」の検証記事(14年8月5日付)は、「女子勤労挺身隊」は「44年8月の『女子挺身勤労令』で国家総動員法に基づく制度となった」として、「慰安婦と挺身隊が別だということは明らか」と断定しているが、43年の通牒はその断定の誤りも示している。
⑱外村大・東京大准教授は「朝日」の検証記事で「指揮系統からして軍が(県知事に)動員命令を出すことも…考えづらい」とコメントした。県知事→県労務報国会のルートの存在は先の通牒で証明された。では、軍→県知事のルートはどうか。本邦初公開の文書がある。
⑲元・内務省幹部職員の種村一男氏(故人)が秘蔵していた内務省文書だ。国立公文書館所蔵の「種村氏警察参考資料80集」に収録されている公文書「戦時ニ於ケル警備実施準備ノ為ニスル軍部ト地方庁の連絡協議ニ関スル件」(1943年3月)に次のような記述がある。
⑳「最近屡々(しばしば)陸軍司令官(軍、師団等)ヨリ地方長官ニ対シ戦時警備実施ノ準備ニ対スル連絡又ハ防空防衛演習等ノ為警察部長其ノ他主任者ノ会同ヲ要望シ来ル向尠(すくな)からず」云々。軍→県知事の指揮系統が当時、実態として横行してたことを示している。
㉑「朝日」の検証記事は、この外村大・東京大准教授の不確かな指摘などを列挙して「研究者への取材でも(吉田)証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました」と書いた。それをもって「(吉田)証言は虚偽だと判断」したのだから、本当にどうかしている。
㉒吉田清治氏の長男の発言が物議を醸している。「労務報国会の下関支部は朝鮮人男子の労務というか、下関市内の大工、左官、土木工事の方々を雇って日当で払う仕事の現場監督みたいなものですから、従軍慰安婦とは何の関係もない」(『新潮45』2016年9月号)
㉓私はこのコメント(P60)を読んで、唖然とした。労務報国会の構成員が使用者にあたる「甲種会員」と、労働者にあたる「乙種会員」に分かれることは、吉田証言の原典『私の戦争犯罪』P178の付録「道府県労務報国会ノ組織並ニ事業等ニ関スル件」で明らか。
㉔この公文書について、吉田清治氏は私に国会図書館に原本があると証言した(拙著『吉田証言は生きている』P61、65)。その証言に基づき、私は国会図書館でその存在を確認した。甲種会員とは「労務供給業者及日雇労務者ヲ使用シテ作業ノ請負ヲ為スヲ業トスル者」。
㉕長男のコメントは、労務報国会の構成員に「労務供給業者」がいたことを無視している。しかし、労務供給業者とは戦前、若い女性を売買したことで有名な「女衒(ぜげん)」や「手配師」などのことを指す。だからこそ、戦後できた職業安定法は第44条で禁止した。
㉖労務報国会を日雇い業者とその労務者の組織と描くことほど、その危険な性格を隠す表現はない。警察官僚が侵略戦争遂行のために「女衒」や「手配師」を組織するという側面を持っていたのが労務報国会だ。朝鮮人「慰安婦」強制連行に同組織が利用されたのは当然である。
㉗「朝日」の検証記事も「労務報国会は厚生省と内務省の指示でつくられたとし…」という外村大・東京大学准教授の意味不明なコメントを紹介しているだけだ。だから「慰安婦」の強制連行とは関係ないというのか。「労務供給業者」を無視する点で、長男と同類である。
㉘ちなみに、労務報国会の「乙種会員」に男子朝鮮人だけでなく女性もいたことは、この間発見した戦中の公文書で明らかだ。追々公表していきたいが、何の裏付けもなく父親の証言を否定してしまう長男など、メディアによる無責任なコメントの垂れ流しはぜひ止めてほしい。
㉙補足。国会図書館が所蔵する「大日本労務報国会要覧」(昭和18年6月)という公文書集がある。その中の「事業計画概要」という表も興味深い。労務報国会の事業の(二)に「国民動員ヘノ協力ニ関スル事項」があり、その内容の一つに「労務者供出ヘノ協力」がある。
㉚同「要覧」は、吉田清治氏の著作『私の戦争犯罪』で紹介されている労務報国会の会則などのほか、前出の厚生省の通牒の一部も収録。奥付では、編者・大日本労務報国会の住所を「東京市麹町区大手町1丁目7番地、厚生省内」としている。同会の性格を端的に示している。
㉛この問題に関して、山口県労務報国会が戦時中、多数の朝鮮人を乙種会員にしていたことを示す公文書を発見した。山口県文書館所蔵「昭和20年(山口県)長官事務引継書」に綴じられた同県警察部労政課作成の「昭和20年10月・労政関係事務引継書」である。
㉜同「労政関係事務引継書」には「労務報国会ニ関スル事項」という個所がある。「其会員ハ終戦当時凡ネ65000名程度ニ達シタルモ終戦ニ伴ヒ事業場ノ休廃止並ニ鮮人労務者ノ帰還等ニ因リ現在会員総数5000名程度に減少セリ」。鮮人とは、朝鮮人の蔑称である。
㉝続けて、この文書はいう。「終戦前ニ於テハ『労務統制規程』ヲ設ケ之ニ依リ重点的労務配置統制ヲ実施シ主トシテ軍方面ノ要求ニ応ジ」。日本軍の要求に応じた労務者の供出を山口県労務報国会が実施してきたとしている。労政課とは、職員禄によると県警察部の一部署。
㉞全国各地の労務報国会は、戦後直後、米占領軍の民主化措置の一環として、その一部幹部は労働団体から追放された。山口県文書館にはその措置の基礎資料として同県労務報国会の幹部名簿が存在する。その中に吉田清治氏と思われる名があることがこのほど、わかった。
㉟数百人に及ぶ名簿を調べていくと、昭和18年3月1日に山口県労務報国会の主事に就任した下関支部所属の人物に「吉田」某の名前がある。下の名前が不鮮明なのだが、「輝晃」とも、本名といわれる「雄兎」とも読める。
㊱吉田氏の著作『朝鮮人慰安婦と日本人』によると、彼は戦中、陸軍航空輸送隊の嘱託だった。しかし、朝鮮独立運動家幹部を飛行機に乗せた罪で上海憲兵隊に捕らわれる。2年の刑を終えたのが昭和17年6月。その後、山口県労務報国会下関支部に就職。時期は矛盾しない。
㊲興味深いのは、満州国官吏→陸軍嘱託→日本軍設立「中華航空株式会社」上海支社営業主任という吉田氏の経歴。日本の傀儡国家の役人を経て軍嘱託となり、軍の任命で「民間会社」で活動してきたこと。しかも軍慰安所設立でも有名な上海の憲兵隊に逮捕されたことだ。
㊳上海憲兵隊。警察庁が1996年12月19日、日本共産党参院議員の吉川春子氏のところに初めて持参した「慰安婦」関連の旧内務省警保局文書。その中の「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件(和歌山県知事)」所収の在上海日本領事館警察署の文書を思い出す。
㊴1937年12月21日付の在上海日本領事館警察署の文書はいう。「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付キ関係諸機関ニ於テ考究中ノ処頃日来(けいじつらい)当館陸軍武官室(と)…」
㊵「…憲兵隊合議の結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上の貸屋敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ」。同要領には憲兵隊の分担として「(イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続(ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締」とある。
㊶(中国国内の)前線各地に軍慰安所を設置することを決めたのは、上海の陸軍武官室と憲兵隊であった。そしてその憲兵隊の分担は、前線の軍慰安所に女性を強制連行することであった。そして、中国に渡る前の「慰安婦」募集を任されたのが内務省警保局だった。
㊷日本軍が上海から南京に侵攻し、南京大虐殺事件を起こしたのが1937年12月13日。そのときの日本軍の強姦事件の多さに国際的な批判が起こり、その「対策」が軍慰安所だったとされる。在上海日本領事館警察署の文書の日付の37年12月21日との一致が絶妙。
㊸支那事変(1937年7月7日)、南京事件(1937年12月13日~、南京大虐殺)と、中国への侵略戦争の拡大を受け、「慰安婦」女性の軍の需要はいよいよ拡大。1938年1月11日に内務省は厚生省を独立新設して、「慰安婦」などの動員業務を担当させる。
㊹1938年3月31日、国家総動員法を公布。侵略戦争が激化する中で、内務省と厚生省の両省が朝鮮人強制連行の実働部隊として創設したのが、1942年9月30日付の依命通牒による労務報国会の設立であった。
㊺ちなみに、それまでの拓務省管轄だった朝鮮総督府が1942年11月1日、拓務省廃止に伴い、内務省管轄になった。内務省警保局の指揮に従う労務報国会は、朝鮮での「慰安婦狩り」の仕事がよりやりやすくなったと思われる。
㊻国会図書館で『決戦下の国民運動』(昭和19年11月、思想国策協会発行)という戦時中の官庁情報誌を見つけた。「大日本労務報国会では…理事会で左の如く決定した…1、外地労務の移入斡旋を労報が担当することになったので配置部新設」。事実は隠してもばれる。
㊼大日本労務報国会の理事長、三島誠也氏は昭和19年2月付の講演録『労報の使命』(国会図書館所蔵、鈴木僊吉氏寄贈)で言う。「労務者の重点的配置動員…此仕事は国家権力を以て為すべき仕事で、政府は厚生省が之を受け持ち、地方庁国民勤労動員暑等が其の実行に…」
㊽「((続き)当るわけであります。然るに厚生省では此仕事の援助者としての役目を労報に扱はしめる事にしました。印ち労報は政府の指揮に従つて此の実際の仕事に当る事になつたのであります。…此労務の配置動員の事は産報(産業報国会)では全然扱つて居りません」
㊾理事長の三島誠也氏は1932年に警視庁警務部長も務めた経歴を持つ警察官僚。他の理事の顔ぶれもすごい。内務省警保局長、陸軍省整備局長、海軍省兵備局長、厚生省勤労局長。「日雇労働者の現場監督みたいなもの」(吉田清治氏の長男)でないことは明らかだろう。
㊿補足。では、労務報国会には何人の会員がいたか。防衛省防衛研究所に「昭和19年・勤労査察調査関係資料」という、当時の陸軍省の調査資料がある。乙種会員180万人余(うち、女子8万5千人余)。甲種会員28万人余(うち、職員15万人)。
(51)労務報国会の会員には女性が8万人余いたこと、業者会員を超える規模の職員が15万人もいたことが確認できる。当時の政府予算書を見ると同会に多額の補助金も出ていた。これは民間組織ではない。戦時中の国の強制連行を担った、民間を装う巨大官庁組織だった。