アクセスカウンター


戦時動員職種に未成年朝鮮人女性の「接客業」(2016年11月12日~16日)
  =経済ジャーナリスト・今田真人=


①1944年7月時点の戦時動員職種に未成年女子対象の「接客業」があったことを示す。政府が98年に公表した「慰安婦」問題の公文書「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件(昭和19年7月12日、閣議決定)」。共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)P147の「極秘通牒」を裏づける。




②公文書は言う。「労務調整令ヲ改正シ接客業、娯楽業等ニ於ケル女子青少年(概ネ年齢12年(歳)以上25年(歳)未満ノ者)ノ使用制限ヲ実施スルコト尚此ノ場合労務調整令ノ適用ヲ受ケザル女子青少年ニシテ警察取締ヲ受クル者ニ付テハ本件ニ準ジ之ガ取締ヲ強化スル」




③共著『「慰安婦」問題の現在』は、旧・厚生省の「極秘通牒」(昭和16年12月)で、青少年女子の動員対象に軍慰安所の「酌婦、女給」があることを明らかにした。この動員は、少なくとも1941年12月から44年7月までの2年余、無制限だったことになる。




④先の公文書は「生産増強労務強化対策」というタイトルが付いている。「朝鮮総督府」「本府」「道内」などの言葉が散らばる、明らかに朝鮮総督府管内を対象にした文書だ。労務調整令のほか、警察による未成年の朝鮮人女子の「慰安婦」動員もあったことも示している。




⑤もちろん、労務調整令による動員も警察による動員も国家総動員法に基づくものであり、「強制連行」であったことは明らかだ。安倍内閣は「慰安婦の強制連行を示す公文書はない」と閣議決定までしているが、そのウソが、この政府公表の公文書でも浮き彫りになってる。



⑥「労務調整令による動員」は同令7条・19条によって、25歳未満の国民学校未卒業で、いったん日本内地に連行された朝鮮人女性という制限があった。「警察による動員」とは、それ以外の者、つまり、国民学校卒業者か、25歳以上か、内地を経由しない同女性になる。


⑦「労務調整令による動員」は、内地に労務報国会ができて以降は、同会が朝鮮に渡って行ったものと思われる。「警察による動員」は、朝鮮職業紹介令法制によるもので、警察の他、日本軍が直接関与した可能性もある。
masato555.justhpbs.jp/newpage144.html


⑧共著『「慰安婦」問題の現在』が明らかにした「極秘通牒」(昭和16年12月16日、厚生省発「労務調整令施行ニ関スル件依命通牒」)は、1998年に政府が復刻本全5巻として公表した膨大な公文書類を「解読」する上で、大きなカギを与えてくれている。


⑨政府公表資料復刻本の第4巻に収められている内務省警保局長文書「昭和16年・満支外地渡航取締例規」には「渡支邦人暫定処理ニ関スル件」という閣議決定文書がある。それは、当時、日本軍が侵略戦争をしていた中国(支那)への邦人の渡航を原則禁止したものだった。


⑩この文書は、当時中国への渡航が原則禁止される中で、特別に渡航を許される邦人が少数ながら列挙されている。その1つが「本邦ニ於テ婦女(芸妓、酌婦、女給等)雇入ノ為一時帰国シタル在支接客業者」。もう一つが「労務調整令ニ依ル雇入就職制限ノ適用ヲ受クル者」。




⑪政府公表資料復刻本の第1巻には、この閣議決定の解説的文書「『渡支邦人暫定処理ノ件』打合事項(昭和15年)」がある。中国に渡るには現地「帝国領事館警察(外務省警察)」発行の証明書が必要だった。それを入手するには「軍の呼び寄せ」が必要だったという。




⑫この公文書は言う。「問 領事館ナキ地ノ軍ヨリ特殊婦女ヲ呼寄セントスル場合ハ如何ニスルヤ」「答 当該軍ノ証明書ニ依リ最寄領事館ノ証明書(渡支事由証明書又ハ身分証明書)ヲ受クルコトトス」。最前線の軍慰安所に慰安婦を呼ぶには、まず軍の証明書が必要だった。




⑬ちなみに「特殊婦女」とは何か。同じ政府公表資料復刻本の第1巻にある公文書「渡支邦人暫定処理取扱方針中領事館警察暑ノ証明書発給範囲ニ関スル件(昭和15年」に次のように説明されている。「特殊婦女(芸妓、酌婦、女給、軍慰安所雇用員其ノ他)」。




⑭この文書は「原則トシテ証明書ヲ発給セサルコト」と「慰安婦」の渡支を禁止しているように装っているが、その但し書きで「欠員補充」なら許可するとしている。中国での侵略戦争の戦線がどんどん拡大しているとき、その制限規定は事実上、なきに等しかっただろう。


⑮注目したいのは、「特殊婦女」の「呼び寄せ」をしているのは、中国の前線各地の日本軍そのものであったこと。ここには、業者はまったく主体性や存在感がない。戦地における「軍の要求」は絶対であり、だからこそ「慰安婦」の連行は、強制連行そのものであった。


⑯中国だけではない。日本は東南アジアなど「南洋方面」各地を侵略戦争で占領して行った。そこでの「慰安婦」はどうしたのか。政府公表資料復刻本の第1巻には「南洋方面占領地ニ於ケル慰安所開設ニ関スル件(昭和17年1月10日)」という日本政府の公文書がある。




⑰東郷(茂徳)外務大臣に宛てた電報である。おそらく暗号電報であったろう。「南洋方面占領地ニ於テ軍側ノ要求ニ依リ慰安所開設ノ為渡航セントスル者(従業者ヲ含ム)ノ取扱振リニ関シ何分ノ御指示相煩度(あいわずらいた)シ」。その回答文が振るっている。




⑱「貴電第10号ニ関シ此ノ種渡航者ニ対シテハ【旅券ヲ発給スルコトハ面白カラザルニ付】軍ノ証明書ニ依リ【軍用船ニテ】渡航セシメラレ度シ」。カギカッコ内は棒線を引き取り消した個所。外務大臣でさえ軍部に絶対服従せざるを得ない当時の権力構造をよく表している。




⑲ではどうして、日本軍は、何百㌔、何千㌔も離れた前線や占領地の「慰安所」に朝鮮人女性を連行したのか。その理由も、政府公表資料復刻本の第2巻の陸軍幹部・早尾乕雄氏による研究論文「戦場生活ニ於ケル特異現象ト其対策(昭和14年)」に明記されている。




⑳陸軍幹部の研究論文は言う。「出征者ニ対シテ性欲ヲ長ク抑制セシメルコトハ自然ニ支那婦人ニ対シテ暴行スルコトゝナロウト兵站ハ気ヲキカセ中支ニモ早速ニ慰安所ヲ開設シタ其ノ主要ナル目的ハ性ノ満足ニ依リ将兵ノ気分ヲ和ゲ皇軍ノ威厳ヲ傷ケル強姦ヲ防グノニアッタ」




㉑この陸軍幹部は「慰安所」の開設が中国人女性に対する強姦を防ぐのが目的と明言する。だから、敵ではない女性を強制的に「慰安婦」にしたと正直に書いている。「敵ではない女性」とは誰か。それこそ植民地朝鮮の女性ということだろう。おぞましい侵略者の論理である。


㉒この陸軍幹部の論文は、日本軍がなぜ、多数の中国人を強姦したのか、その侵略戦争の現場の様子を「侵略者の目」から正直に書いている。目を覆いたくなる記述だが、その一端を紹介する。「憲兵ノ活躍ノナカッタ頃デ而モ支那兵ニヨリ荒サレズ殆ンド抵抗モナク(続く)」




㉓「(続き)日本兵ノ通過ニマカセタ市町村アタリハ支那人モ逃ゲズニ多ク居ツタカラ相当ニ(強姦ノ)被害ガアツタトイフ加エ部隊長ハ兵ノ元気ヲツクルニ却ツテ必要トシ見テ知ラヌ振リニ過シタノサエアッタ位デアル」。無抵抗の住民を次々強姦した行為は野獣以下である。


㉔これらの公文書はすべて「マル秘」とされている。「これまでに政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」と繰り返す安倍首相は、都合の悪い事実は徹底して隠そうとした戦時中の政府・軍と何ら変わらない。


㉕労務調整令が、動員女子を「慰安婦」にする内容であることは、朝鮮総督府の担当部局は知っていた。同令に関する「極秘通牒」が出されたのは1941年12月16日。翌42年4月9日付で朝鮮総督府厚生局長が同文書の「領収証」を出している。外務省外交史料館所蔵。




㉖「極秘通牒」が収められていた冊子の題名は「労務調整令事務取扱関係通牒集(1)」。同じ題名が、この朝鮮総督府厚生局長の「領収証」に書かれている。







㉗さらに問題なのは、この「極秘通牒」とともに朝鮮総督府に送られたと思われる「労務調整令関係質疑応答」と題する法令解説書である。その中では、戦時動員対象業務を強制する労務調整令が「公娼」にも「適用」されていることを認めている。外務省外交史料館所蔵。




㉘「内務省ノ公娼廃止方針ニ基キ公娼ヲ廃止シ従来ノ貸座敷ニ於ケル娼妓ヲ指定料理店酌婦ニ改メタルモノハ実質上何ラ公娼ト異ナル点ナキヲ以テ其ノ雇入ハ本令ノ適用外トシテ差支ナキヤ」という質問。対する日本政府の回答に驚く。「答 本令ノ適用ヲ受クルモノトス」




㉙この「労務調整令関係質疑応答」という冊子の送り状にはもちろん、「秘」印が付いている。その送り状の文言も振るっている。「労務調整令関係認可方針ニ関スル質疑応答ハ外部ニ発表セザル様致度為念(いたしたく、ねんのため)」。「酌婦」の認可方針は確信犯だった。




㉚戦中の日本政府の二枚舌は、いまの安倍内閣に勝るとも劣らない。「慰安婦」にする女性を前線等に送る許認可権を持っていた外務省が当時、帝国議会でどんな説明をしようとしたのかを示す興味深い「帝国議会用擬問擬答」と題する公文書もある。外務省外交史料館所蔵。




㉛「醜業婦又ハ醜業媒介者ノ渡航取締」と題する項目には次のように言う。「邦人醜業又ハ醜業媒介者並ニ此ノ種賤業(せんぎょう)ニ従事スル虞アル者ノ海外渡航取締方ニ関シテハ不断深甚ノ考慮ヲ払ヒ居ル所ナルカ是等醜業関係者ノ渡航ヲ防遏(ぼうあつ)セント欲セハ(続く)」




㉜「(続き)須(すべか)ラク内地官憲ト在外公館トノ間ニ緊密ナル連絡ヲ保持シ以テ其ノ渡航ヲ阻止シ他面渡航後賤業(せんぎょう)ニ変スルガ如キ者ニ対シテハ極力善導シテ正業ニ就カシムルコト肝要ナリトス」。強制連行が犯罪であることを当時の日本政府が認識していた証拠でもある。




㉝厚生省「極秘通牒」は、これまで見過ごされてきた公文書解明の大きなカギにもなっている。「慰安婦」を雇ったのは業者ではなく、日本軍そのものだった。「陸軍労務要員募集取扱ニ関スル件陸軍一般ヘノ通牒」(1942年8月)が証明している。防衛省防衛研究所の所蔵。




㉞この陸軍通牒は言う。「部隊ハ左記種別ノ要員ヲ雇入レントスル場合ニ於テハ…別紙様式第1ニ依リ求人ノ申込ヲ為スモノトス」。「左記」の中には「一般青壮年(労務調整令第7条該当者)」とある。「別紙様式第1」(写真)の「一般青壮年」には「女」の欄がある。




㉟通牒には、ご丁寧にも労務調整令など関連条文を添付。「第7条…年齢14年(歳)以上25年未満ノ女子ニシテ技能者及国民学校修了者タラザルモノ(以下一般青壮年ト称ス)ノ雇入及就職」。就職地が「外国」の場合、厚生省に求人の申込をせよ(職業紹介規程)とある。




㊱改めて、厚生省「極秘通牒」(昭和16年12月16日付)の該当個所を見よう。「酌婦、女給」…「〇(軍のこと、念のため)ノ要求ニ依リ慰安所的必要アル場合ニ厚生省ニ禀伺(りんし)シテ承認ヲ受ケタル場合ノ当該業務ヘノ雇入ノミ認可ス」。日本軍が雇ったのである。




㊲軍が雇ったからこそ、遠く離れた戦地の「慰安所」に連れていく事ができた。「業者」が雇ったのでは戦時統制下で、食料やトラック、船舶等の調達さえ不可能。出国手続きもある。連行中に戦闘もあるだろう。日本政府・軍でなくては、その連行は不可能だった。「業者」は付添人程度の位置づけだろう。


㊳次に、先の陸軍通牒の2枚目を見よう。「部隊ハ…求人ノ申込ヲ為シタルトキハ其ノ写1部ヲ申込期日ノ月ノ10日迄ニ陸軍省ニ提出スルモノトス但シ軍需動員部隊ニ在リテハ要員募集管理官ヲ経由スル」。「要員募集管理官」という言葉が初めて出てくる。「官」とは官僚である。




㊴「陸軍労務動員」の募集業務の管理も、官僚がやったことを示している。また「要員募集管区は附表の通」の「附表」には「管区外ヨリ要員ヲ募集セントスル場合ニハ陸軍大臣ノ認可ヲ要スル」とある。陸軍大臣が認可すれば、植民地・朝鮮からの「募集」も可能だったのだ。




㊵附表を見てあっと驚いた。故・吉田清治氏の証言を思い出したからだ。「日本列島を五つか、軍管区に分けて、…事実上の軍政を日本列島に敷いていた」(拙著『吉田証言は生きている』P26~)。その軍管区の一つ、西部軍司令部が「慰安婦狩り」を山口県知事に命じたと。




㊶防衛省防衛研究所には、戦中の軍管区を表にした公文書がある。その中の一つ、「西部軍管区部隊編合並びに配置表」には、下関を「衛戊(えいじゅ)地」(基地のこと)とする「下関重砲兵連隊補充隊」(通称号・西部74)の名前がある。この部隊名を見覚えのある人は?




㊷そう、吉田清治氏の著作『私の戦争犯罪』(1983年、三一書房)P101に出てくる済州島での「慰安婦狩り」の命令書で、強制連行された女性たちの「集合場所」が「西部軍第74部隊」である。西部軍による山口県労務報国会会長(県知事兼任)への命令書の記述だ。




㊸「西部軍第74部隊」とは何をしていた部隊なのか。防衛省防衛研究所にある戦中の陸軍の公文書「下関重砲兵連隊ノ人員増加の件」には次の記述がある。「防空ニ服スルト共ニ教育及動員其他ノ業務ヲ担任シアリ」。「動員其他ノ業務」という記述に注目したい。




㊹「軍事機密」と書かれ、多くの印が押された公文書、西部軍参謀長・佐々眞之介氏が陸軍省副官・川原直一氏に宛てた「留守(補充)業務担任区分表送付ノ件通牒」(昭和16年9月25日)を発見した。防衛省防衛研究所・所蔵。「舊(旧)表ハ焼却相成度」とある。




㊺その中の一つ、「西部軍直属部隊留守(補充)業務担任区分表・其1」に「南支方面第23軍(今村部隊)隷属・重砲兵第一連隊・早川方良部隊長」の「留守(補充)業務担任」として下関市が所在地の「下関重砲(西部74)」の名前がある。冒頭にまた「軍事機密」とあり。




㊻同じく「特編部隊留守業務(補充業務ヲ含ム)担任区分表・其2」には、「満州方面関東軍隷属・重砲兵第二連隊(通称1214)・池田亮部隊長、同重砲兵第三連隊(通称1215)・飛松伸三部隊長」の留守担任部隊として「下要重(西74)」の名前。「軍事機密」だ。




㊼これらの「軍事機密」文書は、「下関重砲兵連隊(西部軍第74部隊)」が中国大陸に侵攻したいくつもの日本軍部隊の「留守・補充業務」を担当していたということを示す。ところで、表紙にある「陸軍副官・川原直一」の名前に見覚えのある人はいるだろうか。写真を再掲。




㊽川原直一氏は、未成年の女子などを前線の陸軍部隊に求人させるよう命じた「通牒」の責任者。前出の「慰安婦狩り命令書」には、勤務地は「中支方面」とある。西部軍第74部隊を通じて、前線部隊に「慰安婦」を移送したのではないか。天網恢恢疎にして漏らさず、である。


㊾西部軍参謀長・佐々眞之介氏もまた、知る人ぞ知る人物のようだ。同氏の「戦犯自筆供述書」もすごい。 http://blog.goo.ne.jp/yshide2004/e/b20d5bf0309b15cb7bac37de21b05477


ページトップに戻る

トップページに戻る