アクセスカウンター

(2017年6月27日からカウント)

ツイートする


「オール連帯6・20集会」での私の報告とレジュメ、声明
(経済ジャーナリスト・今田真人)


 私は2017年6月20日、参議院会館で開催された「オール連帯6・20集会」で報告しました。持ち時間は3分だったため、報告を補足する詳細なレジュメを配布しました。以下に報告の全文(録音からの起こし)と、配布したレジュメ(誤字などを訂正済み)を掲載します。また、集会のプログラムと、集会で決議された「声明」も以下、添付します。


【報告の全文(思い違いなど一部を訂正済み、実際は9分間発言させてもらいました)】
 今田といいます。
 たぶん発言する時間がないだろうと思いましてですね、レジュメを2枚作って配っております。「2017年6月20日、『オール連帯』の学習会レジュメ」というもので、おそらく2時間ぐらい、しゃべれるレジュメなんですけど、一応これをお配りしましたので、あとでね、ちょっと読んでください。結構、スクープ的なことを、それとなく入れております。
 今回、小林(久公)さんがいろいろ国会図書館にプレッシャーをかけて、内閣官房副長官補室に正式に送っていただいた資料ですけど、これはですね、4〜5枚ぐらい提出されたみたいなんですが、本当は国会図書館で全部コピーしてもらいまして、これだけあるんです(原資料93ページ分の資料を手に持って示す)。あすこに書かれた、「酌婦、女給」について「厚生省ニ稟伺(りんし)シテ」云々という意味が、この100ページ近い文書で縷々書かれているわけですね。

 官僚の文書、法律の解説ですから、非常に難解なんですよね。だけど、あの表だけを見ると、やはり明らかに「〇ノ要求ニ依リ」となってますよね。この文句が私のこだわりの出発点なんです。この文句は、政府が「慰安婦」関連文書として認めて復刻本まで出している国立公文書館の公文書の文句と同じなんですね。
 まあ、私は復刻本を見て記事を書いたりするというのは、新聞記者だったので、非常にしゃくにさわりましたので、必ず原文を見たいということで、どこにあるか探して、国立公文書館にあるのを見つけたわけです。これがそれなんです(以下の写真を示す)。

 墨塗り部分を拡大しましたけど、これはね、マジックじゃないんです。墨で消してあるということは、当時の、戦時中の官僚が消したんだと思うんです。だから透けて見えるんです。これはビデオカメラであれこれ透かして撮った写真なんですけど、これ「〇ノ要求ニ依リ」と書いてあるんです。「〇ノ要求ニ依リ、慰安所的必要ニ依リ酌婦女給ヲ雇入レノ場合」と。で、その下にですね、これは厚生省の通牒だと書いてあるんですね。(以下の政府公表の復刻本CP41の写真)

これは大変なものだな、と思いました。政府が公然と「慰安婦」関連文書ですよと、発表してるわけですよね。復刻本まで出して。
 これが私の追求の動機、出発点だったんです。かならずこの通牒に何かが書いてある。この通牒を発見したい、とういう思いで、いろいろな情報を片端からつぶしていって、経過はもう省略しますけど、最後に国立国会図書館の議会官庁資料室の奥深くに眠っていたわけですよね。で、出してくるのにえらく時間がかかって、もうダメかなと思うくらいだったんですけど、それで見つけた。これが、この「労務調整令事務取扱関係通牒集(1)」に入っている厚生省の極秘通牒です。
 これはなぜあるのか。「慰安婦」関連の文書というのは、だいたい焼却された。内務省はみんな片端から焼いてるし、軍も焼いたと、いうふうに言われていて、あるはずはないと思っていたんですよね。だけど、これはまあ、いろいろと意見があるんですけど、吉田清治さんが、私がインタビューしたときに、ヒントをくれたわけですよ。国会図書館にあったぞ、と。別の資料(下の写真)ですけどね。

 そういうことで国会図書館に行ったら、その資料にスタンプが押してある。「鈴木僊吉氏寄贈」というのがあったんです。その経過は本(共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)所収の拙稿「『吉田証言』は本当だった――公文書の発見と目撃証人の登場」)に書いてありますので、あと本を読んでいただければ、わかるんですけど。鈴木僊吉さんというのは、おそらく厚生省の「慰安婦」担当の官僚だった人で、この通牒を作った人らしいのです。
 その人が戦後直後に亡くなったんですけど、そのときに膨大な資料を残した。それを遺族が国立国会図書館支部・労働省図書館(当時)に寄贈した。(下の写真が一橋大学の図書館にある鈴木氏の寄贈目録)

 それがめぐりめぐって国会図書館にあった。本来なら焼却されて出てくるはずがない文書が国立国会図書館にあったということなんで、私にとって非常に思い出深い文書です。

 そういう意味で、見つけてから1年半以上経つんですけど、小林さんが執念深く正式な文書として内閣官房に認めてもらうようにプレッシャーをかけていただいた。そのおかげで、ようやく今回、6月2日付で送付されたということが、国立国会図書館の担当者から報告(電話の問い合わせに対する回答)がありました。あとは、レジュメを見てください。よろしくお願いします。
(以上)


【レジュメ】(当日配布したものと同様形式のレジュメのPDF版はこの枠の最下段にあります)
☆2017年6月20日、「オール連帯」の学習会レジュメ(今田真人)

@ 安倍首相発言「さきの第一次安倍内閣のときにおいて、質問主意書に対して答弁書を出しています。これは安倍内閣として閣議決定したものですね。つまり、それは、強制連行を示す証拠はなかったということです。つまり、人さらいのように人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったということは、それを示すものはなかったということを明らかにしたわけであります」(2013年2月7日、衆院予算委員会)
A この安倍発言が虚偽であることを示す公文書、厚生省の「労務調整令施行ニ関スル件依命通牒」が見つかったということ。「あったことをなかったことにすることはできない」(前川氏)
《関連公文書の年表》
★1931年9月18日、満州事変
★1936年末現在の「全満藝妓酌婦其他特殊接客婦女表」(在満日本大使館警務部)によると在満29公館の総計で、1万1407人の「特殊接客婦女」が満州に存在した。
★1937年7月7日、日中戦争(支那事変)が起こる
★1938年3月4日、陸軍省副官の文書「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」。「副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒案」の中に「将来是(従業婦)等ノ募集等ニ當リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ當リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局ト連繋ヲ密ニシ以テ軍ノ威信保持上竝ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス」
★1938年3月31日、国家総動員法公布
★1939年末頃の『昭和15年・海外在留本邦人調査結果表(外務省調査部)』の職業別人口によると、中国在留の邦人の「慰安婦」は、内地人女性が1万4554人、朝鮮人女性が6430人、台湾人女性が251人。
★1940年1月20日、朝鮮職業紹介令施行(通牒で官庁許可あれば酌婦等の周旋を認める)
★1940年1月31日、青少年雇入制限令公布(12歳以上20歳未満の女子などが対象)
★1940年3月〜5月、朝鮮総督府が「労務資源調査」を実施。男子だけでなく12歳〜19歳の女性も動員対象として調査。(樋口雄一編『戦時下朝鮮人労務動員基礎資料集T』)
★1941年11月20日、朝鮮総督府「昭和16年度労務動員実施計画ニ依ル朝鮮人労務者ノ内地移入要領」。「本要領ニ依リ内地ニ移入セシムルベキ朝鮮人労務者ノ供出ハ従来ノ朝鮮職業紹介令ニ依ル労務者募集ノ方法ヲ廃止シ爾今朝鮮総督府及ビ地方庁ノ斡旋ニ依ルコトトスルコト」。
★1941年12月8日、米英両国に宣戦布告、マレー作戦開始、ハワイ真珠湾を空襲
★1941年12月8日、労務調整令公布
★1941年12月16日、厚生省が極秘の「労務調整令施行ニ関スル件依命通牒」(186号通牒)を出す。同令7条第3号の認可業態に軍慰安所の「酌婦、女給」を指定
◎労務調整令(勅令)
第1条 国家ニ緊要ナル事業ニ必要ナル労務ヲ確保スル為ニスル国家総動員法…第6条ノ規定ニ基ク従業者ノ雇入、使用、解雇、就職及退職ノ制限ハ別ニ定ムルモノヲ除クノ外本令ノ定ムル所ニ依ル
第4条 技術、技能又ハ学識経験ヲ有スル者ニシテ厚生大臣ノ指定スルモノ(以下技能者ト称ス)ノ雇入及就職ニ付テハ命令ノ定ムル所ニ依リ国民職業指導所ノ認可ヲ受ケタル場合又ハ国民職業指導所ノ紹介アル場合ヲ除クノ外之ヲ為スコトヲ得ズ
第7条 年齢14年以上40年未満ノ男子又ハ年齢14年以上25年未満ノ女子ニシテ技能者及国民学校修了者タラザルモノ(以下一般青壮年ト称ス)ノ雇入及就職ハ左ノ各号ノ1ニ該当スル場合ヲ除クノ外之ヲ為スコトヲ得ズ
……(1と2は略)……
3、 命令ノ定ムル所ニ依リ特定ノ一般青壮年ノ雇入及就職ニ付国民職業指導所長ノ認可ヲ受タル場合
第19条 朝鮮及台湾ニ在リテハ第6条、第7条、第8条及第11条ノ規定ハ之ヲ適用セズ
朝鮮及台湾ニ在リテハ年齢12年以上40年未満ノ男子ニシテ技能者タラザルモノ(以下男子青壮年ト称ス)ノ雇入及就職ハ左ノ各号ノ1ニ該当スル場合ヲ除クノ外之ヲ為スコトヲ得ズ 
(以下、1〜6号あり、内容省略)

★1942年1月10日、台湾総督府外事部長→外務大臣「(電報)南洋方面占領地ニ於ケル慰安所開設ニ関スル件」。「南洋方面占領地ニ於テ軍側ノ要求ニ依リ慰安所開設ノ為渡航セントスル者(従業者ヲ含ム)ノ取扱振リニ関シ何分ノ御指示相煩度シ」
★1942年1月14日、外務大臣→台湾総督府外事部長「(電報)南方方面占領地ニ対シ慰安婦渡航ノ件」。「此ノ種渡航者ニ対シテハ軍ノ証明書ニ依リ渡航セシメラレ度シ」
★1942年2月13日、「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策中要領七ノ運用ニ関スル関係省間ノ覚書」。「新ニ内地ニ就労スル朝鮮人労務者ハ総ベテ労務調整令其ノ他労務ニ関スル統制法令ノ運用ニ依ル認可ヲ要件トシ統制ノ完璧ヲ期スルモノトス」
★1942年2月28日、朝鮮総督府「昭和16年度労務動員実施計画ニ依ル朝鮮人労務者ノ内地移入要領及同実施細目」の別紙「朝鮮人労務者移入雇傭願(斡旋申請書)記載要領」に、「8、所要員数(男女別、労務別、月別)」とある。
★1942年3月12日、台湾軍司令官→陸軍大臣「(電報)第602号」。「陸軍第63号ニ関シ『ボルネオ』行キ慰安土人50名為シ得ル限リ派遣方南方総軍ヨリ要求セルヲ以テ陸密電第623号ニ基キ憲兵調査選定セル左記経営者3名渡航認可アリ度申請ス」
★1942年3月30日、内務省警保局長「渡支邦人暫定處理ニ関スル件中改正ノ件」。「左ニ該当スル者渡支セントスル場合ハ労務調整令及同関係法令適用ノ有無ニ関シ調査ヲ為スコト…年齢14年以上25年未満ノ女子ニシテ技術者及国民学校修了者タラザルモノ(一般青壮年)」
★1942年8月17日、陸軍省副官から陸軍一般へ依命通牒「陸軍労務要員募集取扱要領」発す(防衛省防衛研究所所蔵)。「部隊は左記種別ノ要員ヲ雇入レントスル場合ニ於テハ…別紙様式第一ニ依リ求人ノ申込ヲ為スモノトス…1、技能者(労務調整令第4条該当者) 2、一般青壮年(労務調整令第7条該当者) 3、労務調整令非適用者」。
★1943年5月3日、昭和18年度国民動員計画を閣議決定。「女子ニ付テハ其ノ特性ト民族力強化ノ必要トヲ勘案シ強力且積極的ナル動員ヲ行フ」
★1944年7月31日、内務省管理局長宛の同省嘱託・小暮泰用氏の復命書=外務省外交史料館A−5−0−0−1−1第2巻=から。「朝鮮人労務者ノ内地送出ノ実情ニ当ツテノ人質的掠奪的拉致…」「徴用ハ別トシテ其ノ他如何ナル方式ニ依ルモ出動ハ全ク拉致同様ナ状態デアル其レハ若シ事前ニ於テ之ヲ知ラセバ皆逃亡スルカラデアル、ソコデ夜襲、誘出、其ノ他各種ノ方策ヲ講ジテ人質的掠奪拉致ノ事例ガ多クナルノデアル」
★1944年10月30日発行の朝鮮総督府労務課監修『国民徴用の解説』。「今迄朝鮮の女子挺身隊は、みな官の指導斡旋によるもので、内地の…飛行機工場等に出してをります。…今後ともこの官の指導斡旋を建前とする心算です」

【上記レジュメのPDF版】
ここをクリックしてダウンロードしてください。


【集会のプログラム】



【集会で決議された「声明」】




☆関連の私のHPのページ「国会図書館が極秘通牒を内閣官房に提出(2017年6月17日〜のツイート再録)」へのリンク


ページトップに戻る

トップページに戻る