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2018年6月22日・拙著『極秘公文書と慰安婦強制連行』(三一書房刊)出版記念シンポジウムのページ
 2018年6月22日〜、今田真人


 拙著『極秘公文書と慰安婦強制連行』(三一書房刊)出版記念シンポジウムは2018年6月22日(金)午後6時半から、東京都豊島区の会場で行われ、50人以上が参加しました。
 その際提出された私の報告レジュメを以下、添付します。(PDFのダウンロードはこちらから。当日配布したレジュメの誤植を訂正しています)
 全体のシンポの模様は、三一書房さんがユーチューブにアップしました。→こちら
 拙著についての書評や、出版記念シンポジウムの報道記事は、三一書房のHPからも閲覧できます。→こちら
 朝鮮総連機関紙「朝鮮新報」2018年6月27日号が出版記念シンポジウムを報道してくれました。→こちら
 社民党機関紙「社会新報」2018年7月18日号が「このひと」欄で筆者を紹介してくれました。


 拙著について、外村大・東大教授が批判をしているので、それに反論する一文を書きました。参考にしてください。→こちら


(左から今田、梁、鈴木、前田の各氏=社会新報記者提供)


(パネラーの面々=先輩の赤旗記者OB提供)


(シンポジウムの会場風景=先輩の赤旗記者OB提供)


(シンポでの報告風景=北海道から来てくれた友人提供)


(シンポジウムの案内チラシ)


(今田の報告レジュメ)
◎6月22日・出版記念シンポでの報告
「吉田証言は生きている―どこまで分かったか、その到達点」レジュメ
                     ジャーナリスト、今田真人
@はじめに

 吉田証言について、2014年8月5日付の朝日新聞の検証記事が「裏付け得られず虚偽と判断」(同記事の見出し)としてから、4年弱の期間が経った。同検証記事が虚偽と判断したのは「日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出した」という吉田清治氏の著作や証言のすべてに及んでいる。それは、一見して吉田証言の否定であるが、実質的には、植民地・朝鮮での日本政府・軍による「慰安婦」の暴力的な強制連行という歴史的事実のすべての否定である。
 暴力的な強制連行は、「慰安婦」制度の強制性と組織性を端的に示す象徴的な事例であると私は考える。朝日新聞の検証記事が暴力的な強制連行の否定だけでなく、一見無関係な「挺身隊」との混同説を否定してみせているが、これも「慰安婦」制度の強制性と組織性の否定が同検証記事の狙いと考えれば、うなづけるものである。
 そして、日本を代表するオピニオン紙ともいわれる朝日新聞が、暴力的な強制連行の存在を一切否定したことが、日本のメディアの重大な変質として画期をなすものと考えられる。背景には、以下の2つの事例に示すように、安倍政権を先頭にした日本の戦犯勢力の執拗な圧力がある。
 朝日新聞社第三者委員会報告書(2014年12月22日発表)は、先の同紙の検証記事について、「本件検証記事の掲載は、朝日新聞の危機管理に属する案件であったため、記事の方針について経営幹部らが関与した」(P32〜)と明記している。これは、暴力的な強制連行の存在を否定しなければ、朝日新聞が経営危機に陥るほどの政権からの圧力があったことを認めたものでもある。朝日新聞は、「危機管理」の名の下に、権力者の気に入るように、真理をまげたのである。
 また、安倍首相自身が2014年10月3日の衆院予算委員会で、この朝日新聞の検証記事の感想を自民党の稲田朋美議員に問われ、次のように答弁している。
 稲田議員「私は弁護士時代からこだわってきたことがあって、それは、日本の名誉を守るということであります。…ことしの8月5日、慰安婦問題について、朝日新聞が32年たって誤りを認め、謝罪をいたしました。これにより、慰安婦を奴隷狩りのように強制連行をしたという吉田証言が虚偽であって、さらには、慰安婦と挺身隊を混同したということは誤りだったということが認められたわけであります。…総理は、若手議員のころから、教科書から慰安婦の記載を削除して日本の名誉を回復するために尽力をされていたわけですけど、今回の慰安婦問題をめぐる状況、そして、世界中で地に落ちているこの日本の名誉を回復するために、政府としてどのように取り組まれるのか、お伺いをいたします」
 安倍首相「本来、個別の報道についてコメントすべきでないと思っておりますが、しかし、慰安婦問題については、この誤報によって多くの人々が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えたのは事実でありますし、ただいま委員が指摘されたように、日本のイメージが大きく傷ついたわけであります。日本が国ぐるみで性奴隷にした、いわれなき中傷が今世界で行われているのも事実であります。…かつてはこうした報道に疑義を差し挟むことで大変なバッシングを受けましたかつて、まさに、日本が性奴隷にしたとの判決をクローズアップした番組をNHKがつくったわけでありますが、これに中川昭一さんと私が事前に介入して番組を変えさせたという朝日の報道があったわけでありますが、これも中川昭一さんは事前に会っていないと認めていますし、私が呼び出したということも、そうではないということが明らかになったわけでございます。しかし、今回、これが誤報であったことが明らかになったわけでございます」
 この安倍首相の答弁は、今回の朝日新聞の検証記事が、NHKの番組改編事件(2001年1月30日放送のNHK番組「問われる戦時暴力」)や、その番組改編に安倍晋三氏らの圧力があったことを暴露した2005年1月12日付の朝日新聞の記事とその後の同紙の「謝罪」という、一連のメディアの屈服劇の延長線上にあることをも示している。(参考文献、川崎泰資・柴田鉄治『組織ジャーナリズムの敗北――続・NHKと朝日新聞』〈2008年、岩波書店〉)
 「かつてはこうした報道に疑義を差し挟むことで大変なバッシングを受けました」と、安倍首相が率直に語っているように、この答弁は、安倍氏が朝日新聞の吉田証言報道にも「疑義を差し挟」んだことを暗に認めている。「報道に疑義を差し挟むこと」とは、権力のメディアへの介入そのものである。それを国民から批判されたことを「大変なバッシングを受けました」というところに、安倍氏の言葉の詐術を感じる。
 また、権力が報道に介入し、メディアがそれに屈服し、事実を捻じ曲げることを、誤報の訂正とはいわない。これは、メディアの権力への屈服そのものである。
 さらに深刻なのは、この朝日新聞の権力への屈服ともいえる紙面に追随し、日本の左翼政党の代表的存在である日本共産党の機関紙、「しんぶん赤旗」が2014年9月27日付で、吉田証言についての過去の報道記事3本(私が書いた吉田氏へのインタビュー記事1本を含む)を取り消したことである。
 「しんぶん赤旗」の検証記事の特徴は、先の朝日新聞の検証記事について、メディアの権力への屈服であるという本質を一切見ようとせず、「これ(朝日新聞の吉田証言取り消し記事)をきっかけに…異常な『朝日』バッシングが続けられています」などという表現で、この問題で権力に屈服せずに抵抗していたかつての朝日新聞と、屈服したその後の朝日新聞を、ミソもクソもいっしょに擁護していることである。
 「日本の名誉を回復するために」、歴史的事実を捻じ曲げるのは、かつての侵略戦争や植民地支配の痛切な反省の下、平和憲法に基づき戦後民主主義を歩んできた日本国民の努力の成果を覆すものである。この問題はいまや、メディアや革新政党が戦中の国家犯罪を擁護する戦犯勢力の圧力に屈服していいのかという、きわめて重要な政治問題になっている。

A拙著『吉田証言は生きている』(共栄書房)の出版
 私は2015年4月10日に、拙著『吉田証言は生きている』(共栄書房)を出版し、朝日新聞や「しんぶん赤旗」の検証記事に異議を唱えた。その内容は、先の朝日新聞や「しんぶん赤旗」の検証記事が吉田証言を虚偽と判断する大きな根拠にしている、秦郁彦氏の済州島での調査結果(産経新聞1992年4月30日付が紹介)などについて、1993年10月4日、18日、吉田氏が反論したインタビュー(当時、赤旗記者だった私によるもの)の録音起こしの全文紹介とその解説が中心である。

B共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)の出版
 その後、私は2016年4月19日に、共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)の中で拙稿「『吉田証言』は本当だった――公文書の発見と目撃証人の登場」を発表した。拙稿は、労務調整令による「慰安婦」の強制連行を示す「極秘通牒」(1941年12月16日付、厚生次官「労務調整令施行ニ関スル件依命通牒」)などの公文書を写真復刻で紹介した。
 これまで、「慰安婦」強制連行の証明は、ある意味で、軍の強制連行の命令書が存在するかどうかが焦点だった。しかし、勅令(天皇の法的命令)である労務調整令の「極秘通牒」に、慰安所での酌婦・女給(「慰安婦」の別名)が「戦時労務動員」の動員対象として明示されていたことは、軍の命令書の存在以上に決定的なことである。戦時中に最大の法的強制力を持った勅令で、「慰安婦」が戦地の慰安所に動員されていたわけである。法令によって権力機関が「慰安婦」を動員することは、権力の手先である個々の「業者」の暴力以上の強制力を持つ。それに違反すれば、権力機関による、あらゆる刑罰・処罰が待っている。逃げることはできない。

C拙著『極秘公文書と慰安婦強制連行』(三一書房)の出版
 そして、2018年2月15日、今回の拙著『極秘公文書と慰安婦強制連行――外交史料館等からの発見資料』(三一書房)の出版に至った。その各章の要点と注目点を報告したい。
〈第1章 戦時動員職種に未成年朝鮮人女性の「接客業」〉
 これまで、「極秘通牒」のいう慰安所の酌婦・女給について、日本人(内地人)女性だけでなく、朝鮮人女性をも対象にしていたことが、いま一つ、明確でなかった。
 それを、外交史料館で発見した朝鮮総督府の公文書「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件」(1944年5月19日付、巻末の資料39)が明確にした。
 そこには「労務調整令ヲ改正シ接客業、娯楽業等ニ於ケル女子青少年(概ネ12年以上、25年未満ノ者)ノ使用制限ヲ実施スル」と、明記されている。
これは、労務調整令を改正するまでは、その労務調整令により、植民地・朝鮮で、未成年を含む若い朝鮮人女子を「接客業」へ無制限に動員していたことを意味している公文書である。しかも、その後、労務調整令がその趣旨に沿って改正されたという公文書は見つかっていない。なお、「接客業」とは、当時の公文書では、軍慰安所での酌婦・女給業を主に意味する隠語である。
 そのうえ、労務調整令が改正されたとしても、「慰安婦」としての朝鮮人女性の「使用制限」とは「禁止」ではなく、その「使用」を肯定した上での制限である。現状で無制限の動員だったものが、いくつかの「使用制限」が加わるにすぎない。

〈第2章 吉田清治氏が属した労務報国会を追う〉
 吉田清治氏が属した労務報国会について、発見した公文書で詳しく分析した章である。中でも重要な公文書は、帝京大学図書館の所蔵されている厚生省勤労局長「道府県労務報国会ノ労務配置ニ対スル協力方指導指針ニ関スル件」(1943年5月18日付)と、大日本労務報国会理事長「勤労挺身隊ノ組織整備ニ関スル件」(1943年10月9日付)の2つである。いずれも大日本労務報国会が編集した冊子『労務配置関係通牒集』(1944年5月)に収録されたもので、その題名の符号から厚生省発の通牒と考えられる。
 それは、労務報国会が国家総動員法に基づく「国民動員計画」による「労務配置」に「協力」し、事実上、朝鮮で国家権力に代わって動員業務をする「朝鮮労務供出機構」になっていた可能性を示している。また、労務報国会は、会員を「勤労挺身隊」に組織して動員できたことも示している。
 これは、先の朝日新聞の検証記事が「慰安婦と女子挺身隊が別だということは明らか」などと断定したことが、本当は誤りであることも証明している。「軍の緊急要員」として挺身隊の名で労務報国会が動員した女性の職種が、「慰安婦」であった場合もあったわけである。

〈第3章 奥野誠亮氏の死去〉
 「従軍記者や従軍看護婦はいたが、『従軍』慰安婦はいない。商行為に参加した人たちだ。戦地で交通の便を(国や軍が)図っただろうが、強制連行はなかった」との発言をした奥野誠亮氏が2016年11月16日に亡くなった。彼は1996年6月4日に結成された「『明るい日本』国会議員連盟」(自民党の国会議員116人を組織)の会長に就任し、そのときの記者会見で、上記のような発言をした。(朝日新聞1996年6月5日付)
 1997年2月27日に戦後世代の自民党国会議員を中心に結成された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(代表・中川昭一、事務局長・安部晋三、国会議員107人を組織)と設立時期がほぼ重なる。
 奥野氏は、「慰安婦」強制連行を否定する自民党国会議員の先駆であるが、戦時中、内地から出たり内地に入ったりする朝鮮人を管理していた鹿児島県の特高課長という経歴を持っていた。また、米軍占領直前に「公文書の焼却」を各省の官房長に指示した内務官僚の実務者トップでもある。(読売新聞2015年8月10日付)
 その理由は「ポツダム宣言は『戦犯の処罰』を書いていて、戦犯問題が起きるから、戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ」というものだった。
 安倍首相の思想的先輩といえる奥野氏の経歴を通じて、「慰安婦」強制連行否定説が、日本の侵略戦争・植民地支配の戦争犯罪を隠蔽することを目的に流布された、壮大なデマゴギーの体系であることを浮き彫りにする。

〈第4章 「業者」は初めから軍の偽装請負・手先〉
 「慰安婦」強制連行での「業者」の役割の解釈は、奥野誠亮氏や朴裕河氏をはじめ、それが国家犯罪かどうかの判断を分ける最大の指標になっている。この章は、政府公表の公文書のうち、比較的初期の1938年の警察庁公表文書3点を詳しく分析し、「業者」が日中戦争(日本の中国侵略戦争)の初めから、日本軍の絶対的指揮下にあったことを示し、「業者」は日本軍の手先・偽装請負業者にすぎないことを浮き彫りにしている。その決定的指標は、「業者」の仕事内容について、上部組織が指揮命令を行っているのか否かである。指揮命令を行っていれば、法的には「業者」と上部組織(日本軍)は一体であり、元請け・下請けといった相互に独立した組織とはみなされない。日本軍が「業者」に指揮命令を行っていれば、それは日本軍が「慰安婦」の強制連行をしたことと法的に同じ意味になる。これは慰安所の管理についても同様であり、「業者」が慰安所を管理していても、その「業者」が日本軍の指揮命令下にあれば、日本軍が慰安所を管理していたことと法的に同じ意味になる。   
 では、なぜ、わざわざ日本軍は、「慰安婦」強制連行で兵士ではなく、「業者」を使ったのか。それは、官憲の人員不足の補てんのほか、「やくざ・女衒のような汚い仕事はしたくない」という日本軍の威信の保持、戦争責任の回避などにあった。
 ・吉田証言「(軍需工場をダイナマイトで破壊するなどする朝鮮人を動員する業務の)責任者を、公務員にしてたら…県知事、首が飛ぶ。しかも、戦時軍法ですから、連中、辞職どころですまない。死刑か重刑に処せられる。その責任のがれをするために、労務報国会の各県単位、各支部にも動員部長を置いた。…そうすると、すべてが動員部長が最高責任をもつ。…不逞鮮人に動員をかけて、軍需施設に送り込んだ奴は、当然、軍法にかけられ、動員部長がその責任を負うような、ちゃんと内務省はそういう綱領をつくってしまった。だから、そのために、これは絶対に警察の嘱託というふうにしていない」(『吉田証言は生きている』P43〜)
 ・吉田証言「(1942年9月の労務報国会設置当時)各支部に『事務局』を置き、数人から数十人の事務職員には、官公吏、復員の傷痍軍人、各建設事務所の労務係、炭鉱の人事係などの労務監督の経験者の中から適任者を選んで、警察が半ば強制的に志願させて採用した。『道・府・県労務報国会』の会長は、現職の知事が兼務していて、『支部長』は警察署長が兼任であった。そのころの警察署は署員の『召集』で人員が不足していて、本来の警察業務のほかに労務動員業務を行う余力がなかった。『支部』設立のはじめから、動員業務の実務は事務局で行ない、事務局責任者の『動員部長』が、事務局職員を指揮して実行した」(『私の戦争犯罪』P10〜)
 ・1938年(昭和13年)3月4日 陸軍省副官→北支方面軍・中支派遣軍参謀長
「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」
 【出典】政府公表資料、防衛省防衛研究所所蔵
(内容)
副官ヨリ北支方面軍及(および)中支派遣軍参謀長宛通牒案
支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ故(ことさ)ラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少カラザルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密(ひそか)ニシ次デ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス

〈第5章 国会図書館が「極秘通牒」を内閣官房に提出〉
 国会図書館は2017年6月2日、同館所蔵の戦中の公文書『労務調整令事務取扱関係通牒集(1)』(「極秘通牒」と呼んでいる)を、「慰安婦」関連資料として内閣官房副長官補室(外政審議室の後身)に提出した。この章では、労務調整令が1941年12月8日公布の勅令で、国家総動員法第6条の規定する戦時労務動員の具体的運用を定めた法規であったことにかんがみ、朝鮮人女性の「慰安婦」への戦時労務動員が「挺身隊」の名の下、「官斡旋」で行われたことを、いくつかの公文書を使って示す。
 また、当時の「官斡旋」による朝鮮人動員が、暴力的な強制連行そのものであったことを、外交史料館所蔵の内務省嘱託・小暮泰用「復命書」(1944年7月31日付)で示す。なお、「官斡旋」は、連行の主体が官憲であることはいうまでもない。
 中でも朝鮮での「動員ノ実情」として「全ク拉致同様」であったと指摘する箇所は、暴力的な強制連行を示す決定的証拠である。とくに「全ク拉致同様」を言い換えて「夜襲、誘出、其ノ他各種ノ方策ヲ講ジテ人質的掠奪拉致」と描写している点も重要である。
 また、「全ク拉致同様」だった理由として「若シ事前ニ於テ之ヲ知ラセバ皆逃亡スルカラデアル」と書いていることは、重要である。強制連行は、朝鮮人が逃げるから実施されたのである。動員先の仕事は、逃げたくなるような危険で嫌な内容であった。いかに植民地・朝鮮の住民が貧困にあえいでいても、動員先の仕事が出稼ぎであったり、高給で自発的な仕事であったなら、逃げる必要はないからだ。
 朝鮮人男性の「官斡旋」の動員が「人質的掠奪拉致」であった1944年前後の時期、朝鮮人女性の「官斡旋」が「人質的掠奪拉致」以上のむきだしの暴力的な動員であったことは、想像に難くない。
 この公文書を前にして「政府としては、これまでに政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったという立場を辻元清美議員の質問主意書に対する答弁として平成19年(2007年)に閣議決定しており、その立場に何ら変更はありません」(2016年1月18日、参院予算委)という安倍首相の答弁は、まったく説得力を持たない。
 ついでに、2014年8月5日付の朝日新聞の検証記事が出される直前まで、日本の大新聞や官僚がまだ、吉田証言で正常な判断をしていたことを示そう。
 毎日新聞2013年8月28日付夕刊の記事「特集ワイド――『河野談話』『村山談話』谷野作太郎・元駐中国大使に聞く(下)」である。谷野氏は1993年の「河野談話」作成時、内閣外政審議室長として関わった。
 その中で、谷野氏は言う。
 「私の韓国の友人。この人は日本の学校を出た人で私と同い年(1936年生まれ)ですが、彼は『子供のころ、自分の村では年ごろの娘を外に出すなと言われたものだ。それでも彼女らが横付けされたトラックに乗せられ、泣き叫びながら連れ去られていくのを目にしたことがある。そこにはオマワリやヘイタイもいた……』と。竹島(韓国名・独島)の話では冷静さを保つ彼も、この話になると大変感情的になります」
 朝日新聞の検証記事は、他の日本の大新聞や官僚まで、大きく権力寄りに変質させてしまった。

〈第6章 労務調整令の前身、青少年雇入制限令〉
 朝鮮人の「慰安婦」の強制連行は、1940年1月31日公布の青少年雇入制限令で、それまでの日本軍や警察権力の強制によるものから、法的強制力を持つ戦時労務動員に位置づけられた。その動員ルートは、朝鮮職業紹介令関連の朝鮮総督府内務・警保局長通牒(1940年1月27日付)により、周旋業者が植民地・朝鮮から内地に連れ出した朝鮮人女性を、年齢(12歳以上20歳未満)や学歴で日本人女性と差別・選別し、「芸妓、酌婦其ノ他之ニ類スル業務」に強制連行するものになっている。
 その就業地は、外交史料館所蔵の内務省警保局長の公文書「渡支邦人暫定処理ニ関スル件」(1941年6月3日付)によると、当時の中国(支那)における日本軍占領地が中心であった。同じく外交史料館所蔵の1940年5月7日付の閣議決定文書「渡支邦人ノ暫定処理ニ関スル件」の関連文書「『渡支邦人暫定処理ノ件』打合事項」には、次のような露骨な表現もある。いわく「軍慰安従業婦カ開館シ居ラザル領事館管轄区域ニ渡支セシメントスル場合ニハ軍ノ証明書ヲ最寄領事館ニ提出シ右領事館ノ警察署ヨリ渡支事由証明書ヲ発給スルコト」。「軍慰安従業婦」が軍「慰安婦」であることは言うまでもない。
 この「『渡支邦人暫定処理ノ件』打合事項」の記述は、領事館が開館していない区域の現地軍が「慰安婦」を「渡支」させるには、「最寄領事館」に軍の証明書を提出する必要があるというものだが、領事館が軍の証明書なしで「慰安婦」を「渡支」させることができたかといえば、そうではない。
 外交史料館所蔵の内閣総理大臣指令「(極秘)渡支邦人ノ暫定處理ニ関スル件」(1940年5月7日、茗荷谷文書J31)の付属文書「許可要領」には「定住又ハ現地勤務ノ為トハ半永久的ニ支那ニ居住シ具体的計画ト所要ノ準備トヲ以テ一般実務ニ従事セントスル場合在支商社ニ勤務スル場合現地軍採用ニ係ル軍属又ハ雇傭人ノ渡支セントスル場合並ニ永住ヲ目的トスル家族ノ呼寄ノ場合ニ限ルモノトス」とされ、領事館警察署が「渡支事由証明書」を発給できる「酌婦・女給等(慰安婦)」は実質的に、軍属か軍が雇うと決めた場合に限られていた。
 領事館警察署の証明書は、支那(中国)に駐屯する現地日本軍の「(慰安婦の)呼び寄せ証明書(事実上の慰安婦強制連行命令書)」の隠れ蓑になったのである。
 しかし、外交史料館所蔵の外務大臣発・台湾総督府外事部長宛ての秘密電報「南方方面占領地ニ対シ慰安婦渡航ノ件」(1942年1月14日、外務省記録J.2.2.0−J21)によると、「支那」以外の「南方占領地」への「慰安婦」の渡航は、「此ノ種渡航者ニ対シテハ軍ノ証明書ニ依リ渡航セシメラレ度シ」という方針になり、領事館(外務省)の介在が省略されるようになった。手続き上も領事館の「呼び寄せ」という隠れ蓑を脱ぎ、日本軍の「呼び寄せ」であることを隠さなくなったのである。
 青少年雇入制限令は、1941年12月8日公布の労務調整令に吸収・廃止され、法的枠組みによる朝鮮人女性に特化された「慰安婦」強制連行は、いっそう強化されていく。その方法は、「年齢14年以上25年未満ノ女子ニシテ技術者及国民学校修了者タラザルモノ」を選別するというものである。国民学校への通学が義務教育であった内地の女子と違って、植民地・朝鮮の女子には義務教育制度が適用されていなかった。1940年以降、朝鮮の「過剰労力」として鮮外への強制連行の対象とされた朝鮮農村の婦女子が、「其ノ9割以上ガ殆ンド無教育」(拙著P222、資料40)であったことから、「慰安婦」の動員対象として、明確に狙いが定められたのである。

〈第7章 発見した1938年当時の外務省関連資料〉
 「週刊金曜日」2017年11月24日号掲載の拙稿に加筆したものである。外交史料館でさまざまな資料を閲覧していた際に偶然見つけた公文書である。見つけてしまえば、インターネットのサイト「アジア歴史資料センター」の検索ページで、「社会問題諮問委員会」と打ち込めば、その復刻写真は、ネットでも容易に検索・閲覧できる。検索画面に出てくる12件の文書の件名から、8〜12の5つの文書(3つに分割してあるが、いずれも簿冊「社会問題諮問委員会一件第二巻」に綴じられた文書である)をPDF形式でダウンロードすれば、すべて復刻写真(白黒)としてパソコン上で入手できる。しかし、拙著P92で示した12の文書の題名や「内地親元ヨリ捜査願」などのキーワードをそれぞれ打ち込んでも、この文書は検索できない。
 これは、この12件の文書が、当時の国際連盟の社会問題諮問委員会(婦人児童売買委員会の後身)の付属資料として、この簿冊(ファイル)に綴じられており、保管する外交史料館の担当者が、「慰安婦」関連資料として認識していなかったからだと思われる。これらの公文書を私の「発見」ではないかと考えたのは、見つけた後の、こうした資料検索の困難さからだが、もちろん、最終的には、既存の多くの著作を国会図書館などで調べ、確認した結果でもある。しかし、もし、私の調査が不十分で、すでに著書などで言及している研究者がおられれば、ぜひお知らせ願いたい。その場合、「発見」という言葉は潔く撤回したい。それほど、この資料を「発見」したと明記するのは、冷や汗ものだった。
 ところで、この公文書は、第7章の文章だけでなく、第8章(P104〜)での、中国への「慰安婦」連行のルートや人数を示した分析や、第10章での、戦時中の国際連盟を中心にした国際法の分析などの、原資料にもなっている。さまざまな新発見がある貴重な公文書の山である。詳しくは拙著を読んでいただければいいのだが、こういう公文書がまだまだ埋もれているのが、外務省の公文書館である外交史料館である。

〈第8章 公文書が示す「慰安婦」強制連行のルートと人数〉
 1937年7月7日の「支那事変」以降、本邦(内地や朝鮮、台湾)からの「慰安婦」の中国(満州を除く)への渡航数は、「女給」「仲居」「芸妓」「娼妓」「女中」「接客業者(初渡航者)」を「慰安婦」の別名と考えれば、おおまかな数字をつかむことができる。外交史料館には、その数字は1939年末まで、ほぼそろっている。
それによると、1937年〜39年末までの渡航数合計(統計欠落月を除く)は2万5922人、内訳は、内地人女性が2万0740人(80%)、朝鮮人女性が4406人(17%)、台湾人女性776人(3%)である。しかし、山海関(陸路)という地元警察の渡支身分証明書のいらない「抜け道」経由の渡支者は、1937年〜39年末で1万2726人(そのほとんどが朝鮮人女性と考えられる)、同じく同証明書のいらない「満州国」(関東軍の慰安所)への渡航者(これもほとんどが朝鮮人女性と考えられる)、内地の日本軍慰安所への連行者を合わせると、朝鮮人女性は内地人女性を大きく上回わったと考えられる。
 また、1940年以降の渡航数は、それを示す統計は、断片的にしか発見できなかった。なぜか。それは、1940年以降の「慰安婦」の渡航数について、戦況が厳しくなったため、統計を取らなくなったか、あるいは敗戦時に統計を廃棄したかである。しかし、いくつか残っている統計や公文書からすると、日本軍の戦線が東南アジアや太平洋諸島へ拡大したこともあり、朝鮮人女性の渡航数はけた違いに激増する一方、内地人女性は激減しているようである。
 1940年以降の朝鮮人女性の渡航者数がけた違いに激増したとする根拠の一つに、「慰安婦」強制連行の法的枠組みである、青少年雇入制限令(1940年1月31日公布)や労務調整令(1941年12月8日公布)が施行され、とりわけ未成年の朝鮮人女性がターゲットにされたことがある。また、1940年3月に朝鮮総督府が鮮外への労務動員可能数を調べた「労務資源調査」(韓国記録保存所所収)の結果が残っている(拙著P110〜)。それによると12歳〜19歳の朝鮮人未成年女性の動員可能数を35万2570人としている。調査実施以降に当該年齢になる未成年女性の数を考えると、合計40万人を超える規模になる。動員可能数すべてが「慰安婦」に動員されたわけではないにしても、1937年〜39年末の朝鮮人女性の「慰安婦」への動員数合計2万人前後より、ケタ違いに多いものになったであろう。
 日本の歴史修正主義者は、朝鮮人「慰安婦」の強制連行数約20万人という通説を否定するが、これらの様々な断片的な公文書は、むしろ、20万人を裏付けするものになっている。

〈第9章 女子動員計画に「民族力強化」の言葉〉
 この章は、国家総動員法に基づく国民動員計画(1939年度〜44年度、閣議決定)における、朝鮮人女性の戦争動員の思想的位置付けについて分析した。
 1つ目の分析の視点は、「民族力強化」という言葉が、1943年度の同計画に入ったことである。これは、内地や植民地すべてを対象にした同計画で、植民地の女性の戦争動員の在り方について、特別に民族差別を強化することを打ち出したものである。女性の戦争動員の強化で、朝鮮人差別をするということは、それを「慰安婦」にするということの思想的表現であった。この言葉によって、朝鮮人女性を日本軍「慰安婦」へ戦争動員する道が思想的に踏み固められたと考えられる。
 2つ目の分析の視点は、同じ時期の朝鮮人女性のこうした戦争動員が「挺身隊」と呼ばれたことを特記している。内地人女性の戦争動員も「挺身隊」と呼ばれたが、それは国民登録をされて身分保障をされた女性であった。後には女子挺身勤労令の適用を受け、国家総動員法による、より手厚い身分保障がなされた。一方、朝鮮人女性の「挺身隊」制度は、そうした身分保障がなく、あくまで「官の指導斡旋(官斡旋)」という形で官憲に強制連行される異民族女性と位置付けられた。朝鮮人の「官斡旋」は、内地人にない戦争動員形態であり、男女とも官憲による奴隷狩り的な強制連行であった。「挺身隊との混同」論を朝日新聞の検証記事は「誤用」としているが、この章の2つ目の分析の視点は、その論に対する公文書による反論でもある。1943年前後の朝鮮人女性の「慰安婦」の強制連行が「挺身隊」の名で実施されたことを示すものである。人数の上でもこの時期が圧倒的に多く、歴史的にもそれ以前の「慰安婦」の強制連行より新しい。戦後、韓国で名乗り出た「慰安婦」被害者の多くが「挺身隊」として連行されたと記憶しているのは、むしろ当然である。
 3つ目の分析の視点は、当時の「大東亜共栄圏」思想の中で、朝鮮人の職業について、「慰安婦」の別名である「接客業」を明示し、民族差別の下位に位置づけていることを示している。また、当時の内務省資料にある「朝鮮統治施策企画案」という極秘文書に、「大和民族化」のために朝鮮民族を「抑制」しようとする方針が書かれていることも示している。人口の抑制に「優生法」の施行まで打ち出しており、その発想はナチス張りの異常なものであった。

〈第10章 婦女売買を禁じた戦前の国際法〉
 この章は、このほど発見した1938年当時の「慰安婦」に関する外務省文書が、外務省の国際連盟・社会問題諮問委員会(婦人児童売買委員会の後身)についての出先と本省のやりとりを収録したファイル(簿冊)から発見されたことをヒントに書いたものである。
 国際連盟が中心になって策定してきた、婦人児童売買禁止の一連の国際法の中で、1937年7月7日の「支那事変」以降の日本軍の中国侵略戦争拡大とともに、その国際法の流れに反して、「慰安婦」の強制連行を拡大していく様子が、発見した公文書に赤裸々に綴られている。
 日本の「慰安婦」強制連行は、外務省が、植民地・朝鮮からの女性動員という「抜け道」を国際法で確保することで拡大していった。国際連盟は、欧州各国の協調を中心とした世界秩序であったが、それは、1941年12月8日の日本の対米英戦争開始で、最終的に崩壊した。それは、「慰安婦」強制連行の法的枠組みを確立した労務調整令の公布と期せずして一致したのである。
 拙著は巻末の「抜き書き」で、@1904年「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止取締ニ関スル国際協定」(P138〜《資料2》)、A1910年「醜業を行ナワシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約」(P139〜《資料3》)、B1921年「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」(P141〜《資料4》)、C1933年「成年婦女ノ売買禁止ニ関スル国際条約」(P146〜《資料5》)、D1936年「他人ノ醜業ニ依ル利得ヲ禁止スル為ノ国際条約(草案)」(P148〜《資料9》)、E1950年「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」(P224〜《資料41》)の6つの協定・条約(案)を紹介している。
 日本政府は、@〜Bについて植民地を適用除外としながら加入し、Cは未加入、Dは条約の成立そのものに反対、Eは戦後加入というという態度を取った。ここに「慰安婦」問題に関して、戦前戦中の日本政府の朝鮮民族差別の思想と方針が浮き彫りになっている。

《資料》安倍首相の吉田証言関連の言説の変遷
@【1997年5月27日】
 衆議院決算委員会第2分科会(1997年5月27日)での安倍晋三議員の質疑(議事録)からの引用
――
 先ほど申し上げましたように、特にことし、中学の教科書、7社の教科書すべてにいわゆる従軍慰安婦の記述が載るわけであります。この問題にこの問題に絞って幾つか質問させていただきたいと思うわけであります。
 私も従来から我が国の歴史教科書の記述については問題点が多いな、こう思っておりました。しかし、この従軍慰安婦の記述については余りにも大きな問題をはらんでいるのではないかと私は思います。これは私だけではなくて、そういう問題意識を持っている議員はたくさんいるのですよね。ことしになって、特にこの記述に疑問を持つ若い議員が集まって、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会というのを発足いたしました。当選5回以下に絞っているにもかかわらず、自民党だけで60名近い議員が集まって、勉強会を既に8回、文部省からも説明員としてご出席をいただいたわけでございますが、勉強会を重ねてきました。それぐらいたくさんの議員が問題意識を持っているということであります。
 それはなぜかといえば、この記述そのもの、いわゆる従軍慰安婦というもの、この強制という側面がなければ特記する必要はないわけでありますが、この強制性については全くそれを検証する文書が出てきていないというのは、既に予算委員会、先ほど私が申し上げました小山議員、片山議員の質問の中で、外政審議室長の答弁等々から明らかであります。唯一のよりどころは、16名の元慰安婦の人たちの証言ということでありますが、これはやはり私どもの勉強会におきまして、石原元副長官に講師としてお越しをいただきまして証言をしていただいたわけでございますが、もう既に、これは16名の人たちから聴取をするというときに強制性を認めるということで大体方針が決まっていた。それを否定するというのは、とてもそういう雰囲気ではなかった。これは実際の話としてお話があったわけであります。明らかにこれは外交的配慮から強制性があったということになってこの官房長官談話につながったのだ、私はこういうふうに思います。
 そもそも、この従軍慰安婦につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が本を出した。この内容がもう既にめちゃくちゃであるということは、従軍慰安婦の記述をすべきだという中央大学の吉見教授すら、その内容は全く根拠がないということを認めております。しかし、この彼の本あるいは証言、テレビでも彼は証言しました。テレビ朝日あるいはTBSにおいてたびたび登場してきて証言をいたしました。また、朝日新聞は大々的に彼の証言を取り上げて、勇気ある発言だということを新聞紙上で扱って、その訂正はいまだかつて1回もしていない。テレビ局も新聞もそうであります。
 しかし、今は全くそれがうそであったということがはっきりしているわけであります。この彼の証言によって、クマラスワミ報告は国連の人権委員会に報告書を出した。ほとんどの根拠は、この吉田清治なる人物の本あるいは証言によっているということであります。その根拠が既に崩れているにもかかわらず、官房長官談話は生き、そしてさらに教科書に記述が載ってしまった。これは大変大きな問題である、こういうふうに思っております。

A【1997年12月23日】
 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問――若手国会議員による歴史教科書問題の総括』(1997年12月23日、展転社)所収の安倍晋三氏(当時、同会事務局長、衆院議員)の論文「勉強会で明らかになったこと」からの引用(全文)
――
 (P448〜)民主主義が正しく機能するためには、「言論の自由が保障されなければならないということは、自由主義国家においては常識と言えます
 本年1月29日に、三浦商工会議所が、櫻井よしこさんを講師として招き、講演会を行う予定でしたが、社団法人神奈川人権センターより、櫻井さんの「従軍慰安婦」問題に対する発言はけしからんから講師を変更しろという申し入れがあり、その圧力に屈する形で前日にキャンセルするという事件がありました。
 櫻井さんの発言というのは、昨年10月、横浜市教育委員会主催の講演会で「自分が取材した範囲では従軍慰安婦の強制連行を裏付ける事実はなかった」と述べた発言です。櫻井さんはその後、さらに様々ないやがらせを受け、講演会もいくつか中止せざるを得なくなったとのことです。私はこの事件を産経新聞と読売新聞の記事で知りました(他の新聞はこの事件を無視した)
 以前より、いわゆる「従軍慰安婦問題」が、今年から中学校のすべての教科書に登場することに問題意識を持っていたのですが、それを強引に推し進めてきた勢力が、ついに言論弾圧を堂々と始めた事に、政治家として危機感を抱きました。
 4月までに勉強会を8回開催し、賛否の立場からなる講師のご意見、さらに資料を検討した結果、軍、政府による強制連行の事実を示す資料は、2次にわたる政府調査、各民間団体の執拗な調査によっても、まったく発見されなかったこと(調査の責任者だった石原前官房副長官も明確に証言、吉見教授もその事は認めている)、従軍慰安婦騒動のきっかけを作った吉田清治氏の済州島での慰安婦狩り証言とその著書と、それを紹介した朝日の記事、また朝日新聞の『女子挺身隊を慰安婦にした』との大々的報道、いずれもまったくのでっち上げである事が解りました
 平成5年(1993年)8月4日の河野官房長官談話は、当時の作られた日韓両国の雰囲気の中で、事実より外交上の問題を優先し、また、証言者16人の聞き取り調査を、何の裏付けも取っていないのにもかかわらず、軍の関与、官憲等の直接的な加担があったと認め、発表されたものであることも判明しました。教科書採択権を持つ各地の教育委員会は、左翼的な教師に採択の実体をゆだねており、結果として、そうした教科書のみ学校で使われることになっていることも明らかになりました。
 私は、小中学校の歴史教科書のあるべき姿は、自身が生まれた郷土と国家に、その文化と歴史に、共感と健全な自負を持てるということだと思います。日本の前途を託す若者への歴史教育は、作られた、ねじ曲げられた逸聞を教える教育であってはならないという信念から、今後の活動に尽力してゆきたいと決意致します。

(参考)吉見義明教授の1997年3月26日の第5回勉強会での発言。同上著書からの引用
――
 (P181〜)問題の強制連行ですけれども、強制連行には少なくともそこにA、B、C、Dと書きました4つぐらいが問題になるというのは、私どもがずっと言っていることであります。
 まずAですが、前借金によって親に、あるいは親族におカネを渡して、身売りのような状況で一定期間連れていくということがあります。
 次のB、慰安婦であるということを告げないで、騙して、工場で働くとかというふうに言って連れていくというケースも強制になると思います。
 Cの拉致や誘拐ということもあったということは事実だろうと思います。
 A、B、Cはいずれも朝鮮半島や台湾で官憲が直接手を下しているということではなかったと思うんですけども、それがなぜ問題なのかはあとで申し上げます。
 それから4番目(D)として、官憲による奴隷狩りのような連行があったかどうかということですが、藤岡先生はこのDだけが問題だというふうにおっしゃっているわけでありますが、そういうふうに考えてみますと、これを狭義、狭い意味の強制連行というふうに言いますと中学校の教科書で「官憲による奴隷狩りのような連行があった」というふうに書いたものは実は1冊もないわけですね。そういう意味での強制連行があったというふうには言ってないわけであります。
……
  (P184)次に、あまり時間はありませんが、徴募時の強制はどうであったのかということです。朝鮮半島や台湾では、「官憲による奴隷狩りのような連行」があったかどうかということは資料では確認できないのが現状であるということであります。私どもはこういう「官憲による奴隷狩りのような連行があった」ということはこれまでずっと言ってきておりません
 問題は、それでは戦争中の朝鮮半島や台湾での状況はどうであったかということですけども、実は政府所管の資料の中にそういうものがたくさんあると思いますが、それが公開され、調査されていないからいろんな議論が出てくるということだと思うんですね。もしそれが公開され、調査されればこの点は非常にはっきりすると思います。その結果、あったかなかったかということがはっきりするのではないでしょうか。なかったということがはっきりする可能性も非常にあるわけでありまして、これは調査してみる必要があるのではないかというふうに私は思います。
 それから狭い意味の強制連行ではなくて広い意味での強制連行はあったということは、ほぼ意見の相違はないのではないかと思います
……
 (P224)先程吉田清治さんの証言を取り上げられましたが、私ども吉田清治証言が正しいというふうには言っていないわけですね。私の書きました本『従軍慰安婦』でも吉田証言は一切取り上げておりません。それから元慰安婦の証言でも信用できないというものについては、一切取り上げていないわけです。そのうえで実証していくとどういうことになるかということを先程のとおり申し上げたことになるわけであります。
 (P243)吉田清治さんのような事態が実際にあったのかどうなのかということについては、まだなかったというふうに完全に断定できるところまではいかないと思うんですね、1件もなかったかということにすると。そのへんが非常にあいまいではっきりしていないというのは、政府がもっているはずの総督府関係の資料にあるかもしれない。警察関係の資料の中にもそういうものがあるかもしれないと思うんです。これまで警察庁には1点もないというふうな答弁だったわけですが、去年幾つか出てきたわけですから。
 ですから、それはどういう立場に立つにせよ、事実関係をはっきりさせるという意味で、こういうものも含めて調査してみたらどうでしょうかというのが私がご提案したいことなんです。その結果、吉田清治さんが言っているようなことはないということがはっきりする可能性もあるわけですよね。あるいは、幾つかの例でそういうことがあったという例が出てくるかもしれないですけれども、それはどちらになっても仕方のないことであって、あいまいなままに放置するというよりも、事実関係をきちんと調査することが大事なんじゃないかというふうに私は思っています。

B【2006年10月6日】
衆議院予算委員会(2006年10月6日)での志位和夫議員の質問に対する安倍首相の答弁(議事録)からの引用
――
 今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか
 また、私が議論(1997年5月27日の衆院決算委員会第2分科会での質疑)をいたしましたときには、吉田清治という人だったでしょうか、いわゆる慰安婦狩りをしたという人物がいて、この人がいろいろなところに話を書いていたのでありますが、この人は実は全く関係ない人物だったということが後日わかったということもあったわけでありまして、そういう点等を私は指摘したのでございます。
……
 ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れて行ったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、こう考えております。

C【2007年3月5日】
 参院予算委員会(2007年3月5日)での小川敏夫議員の質問に対する安倍首相の答弁(議事録)からの引用
――
 言わば狭義の意味においての強制性については言えば、これはそれを裏付ける証言はなかったということを昨年の国会で申し上げたところでございます。
……
 この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入って人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制はなかったということではないかと、こういうことでございます。
 そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけであります。つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。
……
 (小川議員が「今証言はないと言いましたね。しかし、実際にアメリカの下院において、アメリカ合衆国の下院において慰安婦をされていた方がそういう強制があったという証言をしている、だから下院で決議案が採択されるということになっているじゃないですか。今証言はないとおっしゃいましたね。実際にそういう体験をしたというふうに証言している慰安婦が現にいるわけですよ。そういう人たちの発言は証言じゃないんですか」と質問したのに対して)
 言わば裏付けのある証言はないということでございます。
 証言といえば、先ほど申し上げたように、吉田清治氏の証言も証言じゃないんですか。全くこの人の証言はでっち上げだったということでございます

D【2012年11月30日】
 日本記者クラブ主催「党首討論」(2012年11月30日、ニコニコ動画の録画からの起こし)での安倍晋三・自民党総裁の発言
――
 (朝日新聞の星浩氏が河野談話の見直しという公約の実行について質したのに対して)
 河野談話についてはですね、これは閣議決定されたものではありません。安倍政権において、それを証明する事実はなかったということは閣議決定しております。そもそも、まあ、朝日新聞の、星さんの朝日新聞の誤報による、吉田清治という、まあ、詐欺師のような男が作った本が、まるで事実かのように、これは日本中に伝わっていったことで、この問題がどんどん大きくなっていきました。その中で、はたして人を人さらいのように連れてきた事実があったかどうかとういうことについては、それは証明されていない、ということを閣議決定しております。ただ、そのことが内外に、しっかりと伝わっていないということを、どう対応していくか。ただ、これも対応の仕方によっては、真実いかんとは別に残念ながら外交問題になってしまうんですよ。ですから、新聞社のみなさんにも、そこは慎重になってもらいたいと思います。そこで我々は、どうこれを知らしめていくかということについては、有識者のみなさまの知恵も借りながら、考えていくべきだろうと思っています。

E【2013年2月7日】
 衆院予算委員会(2013年2月7日)での前原誠司議員の質問に対する安倍首相の答弁(議事録)からの引用
――
 整理をいたしますと、まずは、さきの第1次安倍内閣のときにおいて、質問主意書に対して答弁書を出しています。これは安倍内閣として閣議決定したものですね。つまりそれは、強制連行を示す証拠はなかったということです。つまり、人さらいのように人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったということは、それを示すものはなかったということを明らかにしたわけであります。
 しかし、それまでは、そうだったと言われていたわけですよ。そうだったと言われていたものを、それを示す証拠はなかったということを、安倍内閣においてこれを明らかにしたんです。

F【2014年10月3日】
 衆院予算委員会(2014年10月3日)での稲田朋美議員の質問に対する安倍首相の答弁(議事録)からの引用
――
 (稲田議員が「私は、弁護士時代からこだわってきたことがあって、それは、日本の名誉を守るということであります。それは、殊さら、日本がよいことをしたとか、日本はすぐれた国であるということを言うのではなく、いわれなき非難に対しては断固反論をするという当たり前のことを言ってきたわけであります。ことしの8月5日、慰安婦問題について、朝日新聞が32年たって誤りを認め、謝罪をいたしました。これにより、慰安婦を奴隷狩りのように強制連行をしたという吉田清治氏の証言が虚偽であって、さらには、慰安婦と挺身隊を混同したということは誤りだったということが認められたわけであります。……現在、国際的に慰安婦問題は非常に憂慮すべき事態になっております。国連勧告やらアメリカの非難決議、そして、慰安婦の碑、慰安婦の像が建てられています。そこで何が言われているかといいますと、戦時中の日本が20万人の若い女性を強制連行して、性奴隷にして監禁をした。さらには、あげくの果てに殺害までしたという、あたかも日本が誘拐監禁、強姦致死の犯罪集団であるという汚名を広められているわけですが、それは全くの虚偽であるということであります。この吉田証言の虚偽を根拠として、日本の名誉は地に落ちていると言ってもいいと思います。……総理は、若手議員のころから、教科書から慰安婦の記載を削除して日本の名誉を回復するために尽力されていたわけですけれども、今回の慰安婦を、めぐる状況、そして、世界じゅうで地に落ちているこの日本の名誉を回復するために、政府としてどのように取り組まれるのか、お伺いをいたします」という質問に対して)
 本来、個別の報道についてコメントすべきではないと思っておりますが、しかし、慰安婦問題については、この誤報によって多くの人が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えたのは事実でありますし、ただいま委員が指摘されたように、日本のイメージは大きく傷ついたわけであります。日本が国ぐるみで性奴隷にした、いわれなき中傷が今世界で行われているのも事実であります。この誤報によってそういう状況がつくり出された、生み出されたのも事実である、このように言えますし、かつては、こうした報道に疑義を差し挟むことで大変なバッシングを受けました。
 かつて、まさに、日本が性奴隷にしたという判決をクローズアップした番組をNHKがつくったわけでありますが、これに中川昭一さんと私が事前に介入して番組を変えさせたという朝日の報道があったわけでありますが、これも、中川昭一さんは事前に会っていないということがその後明らかになり、朝日新聞が認めていますし、私が呼び出したということも、そうではないということが明らかになっているわけでございます。
 しかし、今回、これが誤報であったということが明らかになったわけでございます。

G【2016年1月18日】
 参院予算委員会(2016年1月18日)での中山恭子議員の質問に対する安倍首相の答弁(議事録)からの引用
――
 性奴隷あるいは20万人といった事実はない。……政府としては、これまでに政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったという立場を辻本清美議員の質問主意書に対する答弁書として、平成19年(2007年)、これは安倍内閣、第1次安倍内閣のときでありましたが閣議決定をしておりまして、その立場には全く変わりがないということでございまして、改めて申し上げておきたいと思います。
 また、(日韓合意で言われている)当時の軍の関与の下にというのは、慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであること、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送について旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与したこと、慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主にこれに当たったことであると従来から述べてきているとおりであります
 いずれにいたしましても、重要なことは、今回の合意(日韓合意)が今までの慰安婦問題の取組と決定的に異なっておりまして、史上初めて日韓両政府が一緒になって慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した点にあるわけでありまして、私は、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかないと考えておりまして、今回の合意はその決意を実行に移すために決断したものであります。
……
 (中山議員の「総理の今の御答弁では、この日韓共同記者発表での当時の軍の関与の下にというものは、軍が関与したことについては、慰安所の設置、健康管理、衛生管理、移送について軍が関与したものであると考え、解釈いたしますが、それでよろしゅうございますか」との質問について)
 今申し上げたとおりでございまして、衛生管理も含めて設置、管理に関与したということでございます。
(以上)


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