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(2019年9月2日からカウント)


「象徴天皇制」について~志位和夫批判(2019年5月9日~のツイート再録)
 (フリージャーナリスト、今田真人)


(総リード)
 2019年5月1日、天皇の代替わりに伴い、元号が「平成」から「令和」に変わった。日本共産党は同年6月4日、「しんぶん赤旗」紙上で、志位委員長の一問一答形式のインタビュー記事「天皇の制度と日本共産党の立場 志位委員長に聞く」を発表、同党の象徴天皇制への態度を大きく変更した。それは右転落といえるような、とんでもない転換であり、同党の民主主義の理念と伝統を大きく傷つけるものになった。その際、私が書いた一連のツイートをここに紹介したい。


《5月9日、志位和夫氏のツイート》
「共産・志位委員長『祝意は当然』天皇即位賀詞に賛成」
天皇の制度は憲法上の制度であり、制度にもとづいた即位に祝意を表するのは当然です。
ただし過度な礼賛や祝意の押しつけには賛成できません。
そういう姿勢で国会では対応しています。
【共同通信の「47NEWS」から】
共産・志位委員長「祝意は当然」天皇即位賀詞に賛成
2019/5/9 17:27 (JST)
 共産党の志位和夫委員長は9日の記者会見で、天皇陛下の即位を祝う「賀詞」に賛成したことに関し「憲法上の制度に基づいて新天皇が即位することに祝意を示すのは当然だ」と強調した。同党は1990年11月の平成の際の賀詞には反対していた。
 平成のときと対応が変わった理由について「当時は君主制の廃止を掲げていたが、2004年の綱領改定で考え方を変えた。今は天皇の条項も含め、現行憲法を順守する立場だ」と語った。
 天皇制に関し「存廃は国民の総意で解決されるべきだ。存廃が問題になった時は民主共和制を実現すべきだとの立場を取るが(廃止の)取り組みをやるわけではない」と述べた。


①「過度な礼賛」でなければ、礼賛に賛成なのか。ズブズブの現状肯定であり、変革者の党の責任者の言葉ではない。2004年の綱領改定も、そんな説明はなかったよ。勝手な党史の改変はやめてほしい。もう、誤りの責任を取って辞任したらどうか。


②日本敗戦前後の歴史を見れば、象徴天皇制は、天皇ヒロヒトの戦争責任回避のために作られた制度であることが明らかである。国民が天皇の戦争責任を徹底的に追及し処罰しておれば、象徴天皇制という形の中途半端な天皇制の存続はなかった。侵略戦争に命がけで戦った日本共産党の歴史を汚してはならない。


【アピール】天皇制に終止符を


③志位氏は「当時の綱領は『君主制の廃止』を掲げていました。その規定は…綱領改定のさいに変えた」という。ウソをつくな。「天皇制の廃止をめざす党の意志が(新綱領に)直接的に表現されていない」という意見を不破議長は肯定的に紹介している(23回大会・討論の結語)。
【天皇即位の賀詞と、天皇の制度について 記者会見での志位委員長の一問一答】


④衆院で議決した「賀詞」の文面がひどい。共産党は起草委員会で「御代」という言葉に「日本国憲法の国民主権の原則になじまないという態度」を表明したというが、ならば、なぜ修正されていない文面に賛成したのか。その他の歯が浮くような最高敬語は許されるのか。殿、ご乱心。
【産経新聞2019年5月9日付から】
衆院で陛下ご即位「賀詞」議決 全会一致
衆院は9日の本会議で、天皇陛下のご即位に祝意を示す「賀詞」を全会一致で議決した。平成の御代替わりの際の賀詞に反対した共産党も、今回は賛成した。
 上皇さまの天皇ご即位の際の賀詞は平成2年11月12日に行われた「即位礼正殿の儀」直前の同月6日に議決し、共産党は反対した。
 今月1日に天皇陛下が即位された際、共産党の志位和夫委員長は「新天皇の即位に祝意を表します」との談話を発表していた。
 賀詞の全文は次の通り。

 天皇陛下におかせられましては、この度、風薫るよき日に、ご即位になりましたことは、まことに慶賀に堪えないところであります。
 天皇皇后両陛下のいよいよのご清祥と、令和の御代(みよ)の末永き弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます。
 ここに衆議院は、国民を代表して、謹んで慶祝の意を表します。


⑤ご意見に基本的に賛成。ただ、憲法の天皇条項は制限条項という面だけでなく、反動的側面もあると思います。「天皇は…日本国民統合の象徴」という規定などは国民主権に反する規定です。一方、「この地位は…国民の総意に基づく」という規定は、総意に基づかなければ廃止もありうるという積極面です


⑥象徴天皇制については国民の7%が廃止を求めている。74%の現状容認は多数ではあるが「国民の総意」ではない。日本共産党の「祝意」表明と「賀詞」決議賛成は、7%の国民の意見を切り捨てるものである。
【象徴天皇制「支持」74% 自民支持層も8割超す 毎日新聞世論調査
会員限定有料記事 毎日新聞2019年5月2日】



⑦日本共産党の存在理由にかかわるのに、無視を決め込んできた象徴天皇制論。内外の批判の多さに押されてか、やっと委員長が説明を始める。しかし、この間の私の批判点さえ答えていない。小木曽君の「天皇の制度については、議論を避けるという傾向も強いですね」とは笑わせる。
【天皇の制度と日本共産党の立場 志位委員長に聞く】


⑧5月9日の衆院本会議で「賀詞」決議に賛成したのはなぜか。「令和の御代」という言葉について「日本国憲法の国民主権の原則になじまない」と起草委員会で問題点を指摘しながら、その言葉が削除されていないのに同本会議で賛成している。そういう態度を確信犯という。


⑨衆院の「賀詞」決議の問題点は「令和の御代」という言葉だけではない。決議文のすべての言葉づかいが時代錯誤であり、国民を臣下に位置付けた最高敬語である。とりわけ、日本共産党はいつから、天皇や皇后に「陛下」をつけて呼ぶようになったのか。参院決議も同じである。


⑩憲法9条改悪反対の方針を「憲法改悪反対」(旧綱領)ではなく「全条項をまもる」(新綱領)にしたことの誤りを、志位氏は自覚していない。「全条項をまもる」とは、主権在民と象徴天皇制という相反する条項を「まもる」という、どっちつかずの皮相なスローガンである。
【憲法全文】


⑪今回のインタビューで一番のけぞったのは、小木曽君が「将来、日本が社会主義的変革に踏み出した段階で、天皇の制度が存続していることがありうるでしょうか」と質問したのに対して、志位氏が「理論的には…ありうる」と答えたくだり。象徴天皇制社会主義とは、共産主義者の言葉とは到底思えない


⑫もう一つ、のけぞったのは「日本国民統合の象徴」という規定を「さまざまな性、さまざまな思想、さまざまな民族など、多様な人々によって、まとまりをなしている日本国民を、天皇があくまで受動的に象徴すると理解されるべき」と志位氏が説明した所。これは歴史的事実を無視した「歴史修正」である。


⑬志位インタビューに示された象徴天皇制容認論と具体的な態度表明は、直後の6中総(6月12日)でも議論されていない。党の運営がいかに委員長の独断と取り巻きのイエスマンに牛耳られているかを示している。委員長の一方的見解に党員から批判が公然と出ないようでは、民主集中制は羊頭狗肉である。


⑭党の最高責任者がウソをついてはいけない。「私たちは、戦後の制度を呼称するさいに…綱領の文章としては『天皇の制度』という厳密な言い方をしています」と言う。しかし、改定綱領には別個所で「形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は…」云々とある。ずっこけだね。
【日本共産党綱領】


⑮志位氏は「(象徴天皇制廃止を)改革の課題にすえ、その実現をめざして国民多数の合意をつくるために運動を起こしたりはしない」と明言。しかし、綱領改定時の不破報告は「天皇制については…今後についても、『…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだ』という方針を明示しています」とある。


⑯改定綱領を議論し決定した2004年1月の第23回党大会は、「君主制(天皇制)の廃止」という課題をけっして削除なんかしていない。その記録を載せた『前衛』同年4月臨時増刊号をまともに読めば、そんな解釈はできないことは自明である。志位氏は、いまの党員をバカにしているのだろうか。


⑰綱領に象徴天皇制が「民主主義および人間の平等の原則と両立するものではない」とあるのに、「(その廃止の)運動を起こしたりはしない」と言う志位氏に私の大好きな言葉を贈る。「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。しかし肝腎なのはそれを変えることである」(マルクス)


⑱この言葉の出典は、エンゲルス著『フォイエルバッハ論』(大月書店・国民文庫)p82である。エンゲルスがマルクスのメモ(手稿)から引用したもの。古い党員には、社会変革をめざす共産主義者の基本的心構えとして、有名な言葉である。私にとって志位インタビューは悪夢のような無残な内容である。


⑲「しんぶん赤旗」の本日付(6月7日付)に「『天皇の制度と日本共産党の立場 志位委員長に聞く』反響相次ぐ」が載った。反響というものの5つの感想すべてが賛成意見。これは議論ではなく、一方的キャンペーンである。反対意見を載せないで、どうして議論ができるのか。毎度といえば毎度だが…。


⑳「反響」の中でも千葉県・中嶋誠さんの意見にはびっくり。「3年前に『天皇が大好き』という方が、入党した経験がありましたが、これからは、そういう方ともどんどん一緒に社会変革の事業ができるんだと自信をもっていえます」。社会変革の事業って、貴族制社会にでも戻すつもりなのだろうか。


㉑志位インタビューの内容は、党の正式機関で議論もされず、決定もされていない。なのに、いつのまにか「日本共産党の立場」だという。「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決できめる」(党規約第3条)。「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」(同)


㉒醍醐聰さんのツイートだけでなく、澤藤統一郎さんのブログ「憲法日記」も、志位インタビューを批判している。私もこのお2人のご意見に、大賛成である。
【澤藤統一郎の憲法日記~「天皇の存在は、民主的な改革に障害とはならないのか」 ― 象徴天皇制についての徹底した議論を】


【澤藤統一郎の憲法日記~共産党議員が、玉座の天皇の「(お)ことば」を聴く時代の幕開け】


【澤藤統一郎の憲法日記~おそるべし天皇制。衆院全会一致の阿諛追従決議。】


【醍醐聰さんのツイート】
6月4日
①今朝の『しんぶん赤旗』に「天皇の制度と日本共産党」と題した志位委員長のインタビューが5ページにわたって掲載された。
結論から言うと「大本から考えたい」という冒頭の見出しとは裏腹に、私がこれまで書き留めてきた大本の疑問、批判は何一つ解消しなかった。


【醍醐聰さんのツイート】
6月4日
②まず国会の賀詞決議について
志位氏は、即位は憲法上の制度に基づく以上、それに祝意を示すのは当然だと言う。しかし憲法上の制度というなら、主権在民も、法の下での万人平等も憲法の定めである。なぜ、天皇の条項だけを取り出すのか? 憲法の規定を挙げて祝意を正当化するのは論理の飛躍である。


【醍醐聰さんのツイート】
6月4日
③志位氏は賀詞は「過度な」天皇賛美でないから賛成するのは問題ないという。程度の問題と扱うことに同意しないが、「おかせられましては」「令和の御代の末永き弥栄」。これは「祝意なんてもんじゃない。恭順の表明、臣民の言葉遣い」(武藤一羊氏)であり、まさに「過度な天皇賛美」そのものである。


【醍醐聰さんのツイート】
6月4日
④志位氏は祝意は儀礼的なものだと言う。しかし、司法が日の丸・君が代の強制に不服従を貫いた教員の処分を追認する時に常用するのは「儀礼的所作の求めに過ぎない」という台詞である。そもそも、今日の象徴天皇制の重要な機能はこうした儀礼の名による同調圧力、思想の踏絵の拠り所としての権威である


㉓「天皇のために命を捧げることは最高の栄光だという教育を私たちは子どもの頃から受けた」。天皇制は侵略戦争を推進する司令塔としてだけでなく、精神的な支柱としての機能も果たしてきた。象徴天皇制を「天皇の制度」と言い換えたところで、その機能は変わらない。
【旧日本兵が証言「南京は地獄だった」 右傾化を痛烈に批判】


㉔改定綱領で象徴天皇制を「天皇の制度」と一部言い換えた点について、不破議長(当時)は「私たちは『天皇制』という言葉は略称として使っておりますけれども、憲法に『天皇制』という規定があるわけではありませんので、綱領の文章としては『天皇の制度』という厳密な使い方をすることにしました」。


㉕この不破議長(当時)の発言は、第23回党大会での「綱領改定の討論についての不破議長の結語」(2004年1月17日)の中に出てくる説明である。そこには志位インタビューにある「国家体制のなかで天皇が占める比重が根本的に変化したから」などの理由はない。志位氏の勝手な解釈である。


㉖綱領改定時にない説明を、のちに委員長が、改定綱領の解説で新しく持ち出すのは、改定綱領を採択した第23回党大会の代議員全員に対する侮辱になるし、党の規約からしても、あってはならない逸脱であろう。


㉗象徴天皇制は、天皇ヒロヒトの戦争責任の免罪を目的に、9条とともに新憲法に盛り込まれた。田中利幸『検証「戦後民主主義」』(三一書房)P173に詳しい。象徴天皇制で天皇制が存続した歴史的経過は、その廃止が戦争責任の解決で避けられない課題であることを示す。
【本の紹介】田中利幸『検証「戦後民主主義」 わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)


㉘憲法9条の徹底と象徴天皇制の廃止は、「慰安婦」問題など、日本帝国の侵略戦争と植民地支配の加害責任を本当に謝罪・反省していく上で、当然、実現していかなくてはならない。象徴天皇制を維持したままでは、日本政府のアジア各国の被害者への謝罪は、心情的にも説得力を持たないのは明らかである。


㉙先の日本の侵略戦争と植民地支配の最大の責任者は、天皇制と天皇ヒロヒトであった。それを免罪し、米国による日本の単独支配を維持するために持ち出された方針が、象徴天皇制と、二度と侵略戦争をしないための保証、すなわち軍隊の廃止(憲法9条)だった。それが「マッカーサー憲法3原則」である。


㉚同3原則とは、1946年2月4日ごろ作成のGHQ民政局極秘文書のこと。その第1は「天皇は、国の最上位(ヘッド=頭)にある。皇位の継承は世襲による。天皇の職務執行および権能行使は、憲法にのっとり、かつ憲法に規定された国民の基本的意思に応えるものとする」。これが象徴の意味である。


㉛その第2は「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決の手段として、さらには自らの安全維持の手段としても、戦争を放棄する。日本は、今や世界の心を動かしつつある、より崇高な理想に依拠して自らの防衛および保全を図る。(次に続く)」


㉜「(前項からの続き)日本は、陸・海・空軍のいずれを保有することも認められず、また、いかなる日本の武力にも交戦権が与えられることはない」である。憲法9条の原型である。(『資料・日本占領1・天皇制』(大月書店)P542)


㉝その第3は「日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族の場合を除き、当該現存者一代に限り認められる。華族の特権は、今後はいかなる国民的または公民的な政治権力もともなうものではない」である。皇族は貴族(華族)の一種であり、新憲法でも占領軍が存続を認めていたことが興味ぶかい。


㉞華族とは1947年まで存在した近代日本の貴族階級のことである。皇族を認めている憲法の象徴天皇制条項は、例外として封建的な貴族階級を認めていることになる。将来の社会主義革命でも存続が理論的にありうるという志位インタビューは、民主主義を理解しない暴論である。
【華族】出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


㉟憲法第1条をこのように解釈するのは、まったくおかしい。侵略戦争と植民地支配という国家犯罪の、最高責任者だったのが天皇ヒロヒトである。彼をA級戦犯ではなく「日本国民統合の象徴」に祭り上げた制度が、どうして国民主権なのか。彼が死んでも憲法は変わっていない。
              ◇
《参考》志位和夫氏のツイート
(スピーチで)憲法1条といえば、もっぱら天皇の地位が書いてあると読まれがちですが、この条項の眼目はそうではない。天皇の地位は「主権の存する国民の総意に基く」。日本の国の主人公は国民だ――国民主権が明記されているのです。時代を変え、社会を変えるのは、主権者である国民のたたかいです!


㊱そもそも、「それ(象徴天皇制の廃止)を改革の課題にすえ、その実現をめざして国民多数の合意をつくるために運動を起こしたりはしない」(志位インタビュー)といったのは誰だっけ。憲法1条の解釈で、象徴天皇制をかえるのは「主権者である国民のたたかい」というのは、自己矛盾ではないか。


㊲前の私の職場の上司だったK・サトル氏の論評が鋭い。いわく、1日でも早く、天皇制を廃止して「民主共和制」を実現するためにさまざまな活動を行うこと。まったく、同感である。
~アリの一言「『天皇の制度と日本共産党の立場』6つの言行不一致とその根源」


㊳「党の魅力を伝える」はずの記者会見なのに、共産党が、よりによって新天皇即位に祝意を表明したことの弁明に、多くの時間を割かざるをえない志位氏。それだけ、支持者が疑問に感じていることの反映でもある。
【希望を語り、党の魅力を伝え、躍進めざす 日本記者クラブ 志位委員長が会見】


㊴次々と示される屁理屈に感動する。「憲法上の制度である天皇の制度に対して、即位、慶事、弔事などの際に儀礼的な敬意を払うことは、当然だ」。象徴天皇は「儀礼的な敬意を払う」べき対象なのか。党首がこう言えば、国民でもある党員には、明らかな「強制」になるだろう。


㊵「天皇陛下におかせられましては」で始まる賀詞決議のどこが「儀礼的な敬意」の表明なのか。知人・友人の結婚式や葬式で、このような最高敬語を使う人がいるだろうか。少し考えれば、屁理屈にすぎない弁明を、日本共産党の党首がすることに、大きな驚きを感じる。


㊶志位氏は「国民に祝意を強制することには反対」というが、党首が「賛成」に転じたら、党員の強制反対の自由はなくなる。たとえば、日の丸・君が代問題を考えれば明らか。もし党首が日の丸・君が代に賛成したら、党員は権力だけでなく党組織からも言論の自由を奪われる。


㊷絶対主義的天皇制がなぜ象徴天皇制になったのか。終戦時、中国は「日本の天皇制は侵略精神の化身」と批判し、天皇制の廃止を求めた(大月書店『資料日本占領1天皇制』)。象徴として天皇制を残したのは米占領軍と日本支配層の共謀である。主観で憲法を解釈してはならない。
【アエラの記事】


㊸侵略された民族、植民地支配された民族は、けっして象徴天皇制を「様々な民族で構成された日本国民の象徴」とはみない。歴史を直視し、願望で憲法を解釈するのはやめてほしい。


㊹歴史的経過からみれば、憲法に定められた象徴天皇制は「過去に日本が行った侵略戦争と植民地支配の象徴」と解釈するのがふさわしい。象徴天皇制が「様々な性、様々な思想、様々な民族など、多様な人々によって構成されている日本国民を象徴している」という志位氏の解釈は、あまりにおめでたい。


㊺「『君主』がいないのに、『君主制廃止』はおかしい」と言うが、そうだろうか。「君主」を「天皇」と言い換えれば分る。「『天皇』がいないのに、『天皇制廃止』はおかしい」とは言えない。政治的な権能を一切持っていなくても、巨額の税金を浪費する天皇制は存在している。
【アエラの記事「共産党の天皇即位『賀詞』反対から賛成へ 志位委員長が理由明かす」】


㊻志位氏は、旧綱領が象徴天皇制について「ブルジョア君主制の一種」と規定したことについて、「侵略戦争に対して最大の責任を負う昭和天皇が…新しい憲法のもとでも天皇の地位にとどまった」からという「歴史的背景」で合理化する。しかし、「君主制」は君主の「業績」とは無関係である。詭弁である。


㊼新綱領は「民主共和制」の実現の課題を放棄していない。志位氏は「改定綱領では、民主共和制の実現の時期を、特定の社会発展の段階と結びつけることをやめました」というが、これは綱領の「解釈改憲」である。民主共和制を目指さない民主主義革命はありえず、民主共和制でない社会主義もありえない。


㊽人間はみな平等である。この民主主義の原点である思想を実現できない民主主義革命は、偽物である。ましてや、民主主義革命を生産手段にも徹底し、その生産手段の社会化を実現しようという社会主義革命で、なお君主制の残滓を残すなど、ナンセンスとしか言いようがない。志位氏は恥を知るべきである。


㊾「日本という国は、国民主権の国であって、君主制の国とはいえない」という主観的かつ超楽観的な解釈を述べながら、天皇制の廃止について、民主主義革命や社会主義革命の課題からも外さざるをえないほど、実現が困難な課題と位置付ける超悲観的解釈が混在している。志位氏の分析は支離滅裂である。


㊿田中利幸『検証「戦後民主主義」』(三一書房)を読んだ。最大の知見は、憲法の象徴天皇条項(1条~8条)と9条が、「裕仁の『戦争犯罪と戦争責任』を帳消しにするために設定された」という歴史的経過を明らかにしていることである。(P187)


(51)このことは、日本が戦争責任を認め、憲法前文と9条の精神を真に生かすためには、それと相いれない象徴天皇制を廃止することが絶対に必要であることも示していると思う。新天皇即位に「祝意」を表明し、「賀詞」決議にまで賛成した日本共産党の重大な誤りを憂う。


(52)憲法についての日本共産党の最大の誤りは、2004年の第23回党大会で党綱領を改定し、現行憲法の「全条項をまもる」としたことである。これは、象徴天皇制(第1条~第8条)と平和的民主的条項という、相いれない条項の両方を「まもる」ことになり、どっちつかずの皮相なスローガンになった。


(53)正確には、党綱領は「現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす」である。志位氏が言う「天皇条項も含めて現行憲法のすべての条項を順守する」でさえない。志位氏の発言は、改定綱領の皮相な文言をさらに極端に解釈したものである。


(54)党綱領は、「まもる」という言葉と「完全実施」という言葉を使い分けている。象徴天皇制はまもるが、完全実施はめざさない、ということである。訓詁学のような話だが、天皇制を容認しているという批判を意識した細工である。しかし、このわかりにくさが志位氏のトンデモ解釈を許すことになった。


(55)旧綱領は「憲法改悪に反対し、憲法に保障された平和的民主的諸条項の完全実施を要求してたたかう」である。これは、将来の憲法改正も視野に入れた正確なスローガンであった。私たちの世代は、この綱領を認めて入党した。9条改憲反対では、憲法守れより、憲法改悪反対の方が、より多くの人の心に響く。


(56)日本共産党は5月15日の参議院の「賀詞」決議にも賛成した。毒食らわば皿まで。「賀詞」の「陛下」という敬称は「階段の下」を意味し、あいさつの対象に直接呼び掛けることを避けて敬意を示す、臣下の礼である。共産党も「臣下」の仲間入り。あゝ。


《参考》アンケート最終結果。



【たんぽぽ新別館@huwawatanpopo20さんのツイート】
共産党が赤旗に「天皇制に反対してないと分かったので共産党に入党しました」との投稿を載せたというから「マジか?」と思って調べたら本当に載せてた。「共産党こそ本物の左翼」と自称してるのに、恥かしくないんですかね(笑
多喜二など獄死した先人に顔向けできる?
《参考》上記のツイートで引用されている「しんぶん赤旗」の記事


(57)こんな青年が日本共産党に入党してきたら、古参党員はまったく党活動をやる気がしなくなるだろう。まるで、党中央自らが党内に保守的な分派をつくっているようなものだ。


(58)ここで一句。
題字横の令和元年ながめつつ、14頁建ての薄き「旗」が悲しけり。


(59)鳩山氏は肝心なときに権力に迎合する。そういえば、志位氏の韓国議長発言への対応も同様に、おかしかった。「慰安婦」問題での日本共産党の迷走も、原因は今回の「象徴天皇制」美化論にあったのかも。
《参考》アリの一言~韓国議長「天皇は謝罪を」発言は「失礼」ではない


(60)知らない人への解説。「慰安婦」問題での日本共産党の迷走。その1、過去の「吉田清治証言」の赤旗記事を、朝日に右倣えして取り消したこと。その2、日韓合意(2015年12月28日)を評価・賛成したこと。などなど。
《参考》従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ


(61)ちなみに、志位氏の韓国議長発言への対応とは、以下の記事のこと。政治的権能がないから象徴天皇には戦争犯罪の責任が問えないという珍論である。~「天皇は、日本国憲法で『政治的権能を有しない』となっているわけですから、そういうことはできないということは当然だ」
《参考》「しんぶん赤旗」の記事~韓国国会議長の発言について 志位委員長が会見で


(62)まったく同感である。それにしても科学的社会主義を掲げる党の政策転換の原因が、「臣・小沢一郎」の指導だったとはあきれる。
~アリの一言「『野党共闘』と天皇制」


(63)「日本人の健全性が、天皇に対する従来と変りなき尊敬と愛情に依って現はされて居りますから、それが破壊的な極左(共産主義)に行かぬ証拠であります」。天皇とマッカーサーは1946年、会談を行った(『資料日本占領1天皇制』)。成立したばかりの新憲法の狙いが語られる。志位氏の変節が痛い。



(64)この会談で語られる天皇ヒロヒトの発言が、象徴天皇制の意味をよく示している。「陛下 国民が虚脱状態から士気を恢復し復興の希望に立ちあがらんとするこの秋、この希望に水を掛けるものは『ストライキ』であります。…日本人の教養未だ低く且宗教心の足らない現在、…」


(65)マッカーサーは言う。「全く同感でありまして、(ストライキは)日本の直面する危機の1つであります。共産主義者は、教育なき者に色々と口約束をし、勢力を獲得して、…。極右、極左何れも危険であります」。その危険の「最初の現象」が「陛下への批難に依って初まる」とし天皇に「巡幸」を勧める。


(66)この対談の内容は、象徴天皇としての「巡幸」が、アメリカ占領軍のお墨付きの行動として、新憲法成立直後、積極的に行われたことを示している。新天皇が即位したいま、戦後の新憲法成立時と同じ行動を天皇がやっていることに、警戒が必要である。


(67)こんなブログを見つけました。実に共感できるご意見だと思います。
~「人間のクズ」 というべき昭和天皇 裕仁。 しかし、そんなことよりもっと重要なことがあります。


(68)この意見は、先に挙げたマッカーサー・天皇会談で、話題になった「巡幸」のこと。マ元帥は、この象徴天皇の行為が共産主義(国民が権利を主張する行為)を防ぐ効果を期待。天皇も応じた。莫大な費用はみな税金だ。
~「国民に寄り添う」天皇という新しい天皇制イデオロギー


(69)社会科学は、歴史から分析する。「象徴天皇制」は「絶対主義的天皇制」廃止の闘いを中途半端に終わらせるために、米占領軍と日本支配層が設置した。いくら「国政に関する権能」を奪っても、いつでも復活する危険がある。「象徴天皇制」を基本的人権の「象徴」と考え、闘いをやめるのは、誤りである。


(70)憲法は天皇が「国政に関する権能は有しない」と書いてあるだけで、君主ではないとは書いてない。何語であれ、天皇を翻訳すれば君主だ。「日本という国は、国民主権の国であって、君主制の国とはいえない」(志位氏)という駄弁を弄したいなら、憲法からまず「天皇」の呼称を削除すべきである。


(71)憲法には天皇が「国政に関する権能は有しない」と書かれているが、歴史を勉強すれば、これは「統治権限を有しない」という意味である。父親や祖父が天皇として犯した国家犯罪を謝罪はできるし、憲法の基本的人権を主張することはできる。人間として当然の権利である。志位氏の解釈は当たらない。


(72)共産党支持者からも、これだけ大きな批判があるニュースを翌日付(6月21日付)の「しんぶん赤旗」は、いっさい報じない。無視は容認の場合もある。毎日新聞は2面で目立つように報じた。この式典に日本共産党も出席するかもしれないとの悪い予感が…。
《参考》河添誠氏のツイート
こんなことを国民主権の憲法の下で絶対にやってはならない(怒)。これを批判しないならば、その政党・国会議員は国民主権を理解していない(怒)。
《共同通信の記事》
天皇陛下が玉座からお言葉、首相万歳三唱へ ―2019/6/20
政府は20日、天皇陛下の「即位礼正殿の儀」の次第概要を決めた。陛下が天孫降臨神話に由来する玉座「高御座」からお言葉を述べられ、首相が万歳三唱する。式典委員会の会合で了承された。


(73)「(天皇が)多様な人々によって構成されている日本国民を象徴しているのであれば、天皇を男性に限定する合理的理由はどこにもない」(志位氏)。仮定の話から女性天皇に賛成というのだが、まず説明しなければならないのは、前段の仮定の根拠である。そのような根拠を挙げる学者が本当にいるのか。


(74)「反権力とは、反権威につながる精神構造である。権威主義者の大方は、いかなる政権にも迎合する、統治しやすい『臣民もどき』なのだ」(澤藤統一郎氏)。これこそ、新憲法が1946年に制定された時、昭和天皇とマッカーサーが意気投合した象徴天皇制の効用である。


(75)将来の中心幹部と目される田中悠氏(なんと35歳にして常任幹部会委員)に、このような委員長賛美のスカスカの感想文を書かせる日本共産党。立身出世の踏み絵なのかも知れないが、痛々しい。
《参考~あいかわらずな@aikawarazunaさんのツイート》
2019.6.16赤旗。田中悠書記局次長が先日の志位インタビュー「天皇の制度」について「私自身が学んだことを紹介」。インタビューを読んで自身の「憲法第1条観」を転換させられた、同条は「私たちのたたかいの確かなよりどころになる」とも。



(76)「近代日本の民主主義も大衆運動も、天皇制と対峙して生まれ、天皇制と拮抗しながら成長した」(澤藤統一郎氏)。日本共産党が象徴といえども天皇制に頭を下げたとき、日本の民主主義の「北辰」であった同党の国民からの信頼は、地に落ちたといわざるをえない。


(77)「天皇陛下御即位奉祝委員会」のサイトでは、勝ち誇ったように以下の文章が書かれている。
~「平成の御代替りの際の賀詞に反対した共産党も、今回は賛成しました」


(78)この「天皇陛下御即位奉祝委員会」の役員名簿を見て、なんとも思わないような共産党支持者は、どうかしている。ところで、代表世話人に、なんで映画「主戦場」の主演女優、櫻井よしこが、いるのだろう?


《河添誠氏のツイート》
今年の2月の東京都議会で「天皇陛下御在位三十年に当たり奉呈する賀詞」が全員賛成で採択されていた。内容もひどい。
    ◇
賀詞
天皇陛下におかせられましては
御即位三十年を
お迎えになられましたことは
都民ひとしく
慶賀にたえないところであります
ここに東京都議会は 都民を代表して
天皇皇后両陛下の
益々のご健勝と皇室の弥栄を
お祈りするとともに
謹んでお祝いを申し上げます
平成三十一年二月二十一日
東京都議会議長 尾崎 大介
   ◇
この主権在民のカケラもない賀詞を反対ゼロで採択してしまった。無残な都議会。すべての東京都議会議員は猛省すべきだ。今まで気づかなかった一都民でもある自分自身の不明も恥じる。


(79)なんと、「都議会だより」にも載っている。共産党議員も全員賛成しているなんて!河添誠氏の怒りは、もっともである。


(80)2019年2月21日の都議会の賀詞決議について、日本共産党の清水ひで子都議が以下のように発言している。しかし、修正されないまま賛成したことの罪は大きい。
「国民主権の憲法のもとで議会が過度にへりくだったり、あがめ奉るような態度をとるべきではありません」


(81)日本共産党の二面的・確信犯的態度は、5月9日の衆院本会議での賀詞決議だけではなかった。都議会では2月21日の段階で同様な態度を取っている。同党が規約上の手続きとは別に、上意下達的な指揮系統で動いていることを窺わせる。この問題で中央委員会の決定はない。


(82)天皇代替わりに対する日本共産党の変節こそ、先の統一地方選挙敗北の主因の一つであろう。もちろん、それを総括すべき6中総(5月12日)は、何も触れなかった。これを「思考停止」というのだろう。


(83)統一地方選挙での日本共産党の結果。「前回比では、東京区議選で21議席、一般市議で55議席、町村議選で15議席の後退」


(84)沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月)。ちなみに、このときの天皇は、新憲法により「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」になっている。
「天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している」


(85)アリの一言
「天皇の国事行為」の是非、「象徴天皇制」自体を、憲法の民主的原則に照らして再検討することが必要なのではないでしょうか


(86)たまには、いい書籍広告(7月6日付1面下)を載せる毎日新聞。雁屋哲『マンガ 日本人と天皇』(新装増補版、いそっぷ社)。さっそく買って読もう、っと。鼻血事件での心無い雁屋さんへの誹謗中傷に、心痛めた人間の一人として。



(87)この問題でも、産経新聞は雁屋哲氏への誹謗中傷の先頭に立った。産経新聞の悪質さを挙げればきりがない。その産経新聞を最も重宝しているのが、安倍晋三氏である。今回の参院選挙の意義は大きい。
《参考》産経新聞の該当記事


(88)改定綱領は「象徴天皇制という現制度を、『君主制』だとした現綱領(旧綱領)の規定をやめた」(前出『前衛』P44)のであって、「『君主制(天皇制)の廃止』という課題を削除した」ものではけっしてない。志位氏の説明は、第23回党大会決定の悪質な誤読である。


(89)この点は、兵庫の松田代議員と不破議長の質疑応答で明確である。松田氏は「よくある疑問は、現綱領の『君主制の廃止』という項目をなくしたので、天皇制を容認したのではないかという誤解です。…党員はもちろん、国民にとっても読み間違いのない表現にしておくことが大事だ」と発言。(P174)


(90)これに対して不破議長は「討論の中で、兵庫の松田代議員から『…天皇制の廃止をめざす党の意志が直接的に表現されていないため、誤解を受けるおそれがある』という指摘がありました。そのことを入れて…に改めた」と答えている(P59)。志位氏の説明はその「誤解」「読み間違い」の類である。


(91)委員長が党大会での討論でさえ危惧された綱領の「読み間違い」をしたのに、それを誰も正すことができない組織。どう考えても、党内民主主義のない組織である。どんなに正しい政策を打ち出しても、こういう独善的な体質を正さない限り、この党の支持は広がるわけがないだろう。


(92)改めて改定綱領の章立てを見てみよう。天皇制の廃止は「将来、情勢が熟したとき」との条件はあるものの、第四章の民主主義革命での「変革」に位置付けられている。第五章の社会主義革命での「変革」には位置付けられていない。社会主義革命でも天皇制は残るかもという志位氏の解釈は無茶苦茶である。


(93)「しんぶん赤旗」が2日遅れの7月17日付で、武部発言を記事にした。予想通り、反論は〝いまは天皇臨席の国会開会式に出席している″という噴飯ものである。戦前形式を踏襲したままなのになぜ欠席をやめたのか。2004年の綱領改定も理由というが、なぜ12年間欠席したのか。支離滅裂である。



(94)共産党に厳しい批判をするのは、反省して変わるのではないか、と思うからである。「多様性を認め合ってみんなで結束してやっていく姿が今の社会に合っていると思う」(志位氏)と、きれいごとを言うなら、まず異論による党員の除籍など絶対にやめて、その名誉回復をすべきだと思う。


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