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「警察・検察、裁判所の不当なあり方をただす運動の前進を」 痴漢冤罪事件裁判・沖田国賠訴訟の支援者らが総括集会 会場いっぱいの170人が参加 東京・国分寺市 

 「沖田国賠訴訟(痴漢でっち上げ事件)に勝利し警察・検察をただす会」は2012年4月28日、東京都国分寺市の北多摩西教育会館で、「長い間のご支援、ありがとうございました――最後の報告集会、沖田国賠訴訟の13年から」と題する、沖田国賠訴訟(国家賠償請求訴訟)の総括集会を開き、会場いっぱいの約170人の支援者らが参加しました。
 この集会は、1999年9月2日、JR国立駅南口歩道上で不当逮捕された沖田光男さん(69)の痴漢冤罪事件発生から、2012年1月31日の差し戻し最高裁判決までの長いたたかいを振り返り、その成果を確信にしようとするものです。
 弁護団を代表して吉田健一弁護士がたたかいの経過などを報告。ねばり強い沖田さんのたたかいで痴漢行為の存在を前提とする当初の1、2審の不当判決を見直させ、差戻最高裁判決で沖田さんの痴漢行為は認められないとしたことを「重要な成果」と指摘。そのうえで、「裁判の判決は、残念な結果になったが、内容的には多くのみなさん方の確信や、市民のみなさんの考え方を変えていく流れをつくった」と評価しました。
 集会では、原告の沖田光男さんがあいさつに立ち、「13年に及んだこのたたかいは、勝利で終わることはできず、本当に残念」と、ときに涙声になりながら、たたかいを振り返りました。さらに、「たたかいを通じて学んだこと」として、あたたかい支援者の気持ちの大切さを強調、「この気持ちは生涯、忘れることはできない」とのべました。(発言全文は下記に別項)
 また、「沖田国賠訴訟の確かな足跡を確信にして、警察・検察、裁判所をただす運動をねばりづよくすすめよう」と題する集会アピール(下記のリンク参照)を主催者が読み上げ、参加者が拍手で確認しました。
 最後に、代表世話人の橋本左内さんが閉会あいさつ。「沖田国賠訴訟は、形の上では勝たなかったが、内容では実質的に勝った」とのべ、痴漢冤罪事件をなくすうえで、沖田国賠訴訟が果たした大きな役割を強調、そのさらなる前進を訴えました。
 〈参考〉集会アピール全文は、PDF@A

  (経済ジャーナリスト・今田真人=2012年4月28日記)



会場いっぱいの約170人が参加した沖田国賠訴訟「総括集会」=2012年4月28日、東京・国分寺市

あいさつする沖田光男さん=2012年4月28日、東京・国分寺市


(別項)沖田光男さんのあいさつ全文(ICレコーダーから再生)
 みなさん、こんにちは。沖田光男でございます。
 沖田国賠、最後の集会に足を運んでいただきましたみなさんに、心よりお礼を申し上げたいと思います。13年に及んだこのたたかいは、勝利で終わることはできず、本当に残念ですが、なによりも最後の最後まで、みんさんのご支援に支えられ、無事たたかいを終えることができました。このことは大変うれしく思っております。この長いたたかいを、物心両面で応えていただいた多くの方々に、心からの敬意と感謝を申し上げます。
 私のたたかいを通じて、私は学んだこと、この一番大切なことは、このあたたかいご支援、この気持ちでした。この気持ちは生涯、忘れることはできない。
 沖田国賠、こんなちっぽけな事件でありましたが、最高裁に2度も行ったり来たりするという、前代未聞のたたかいでした。
 事件は、刑事では無罪、民事では有罪、ちかんがあったというようなマスコミ報道がされ、世間も注目を集めて、多くの方々の関心を呼び寄せてきました。
 私の裁判への思いは、本当のことを1人でもたくさんの人に、知ってもらいたい、真実を明らかにしたい、こういうことにありました。
 帰宅途中に突然起こったこの事件、ちかんでっちあげという事件になりました。私の前に立ちはだかった若い警察官。この警察官が「逮捕する」といきなり言ってきたんです。私は、その警察官に「逮捕状を見せろ」、こう、言ったんですけども、なんとその警察官は「そんなもんはいらねえんだよ、女がやられたと言ってんだから」、こういって無理やり私を、体を拘束したんです。
 何も調べることなく、捕まえられた。この瞬間から、私の人生は狂ってしまったわけなんです。手錠腰縄で密室に閉じ込めて、否認をすれば、どなる、にらみつける、そして人格を否定するようなことを、罵声をあびながら、結局、自白を迫るという、そういう取り調べが繰り返されました。
 まあ、事件は不起訴ということで、終わりましたけれども、こんな屈辱的なあつかいを受け、人生を狂わされた人間が、黙っているわけがありません。私は2年間、なんとか、この事件を忘れようと努力したんですけど、けっして、忘れることができず、ついに、国家賠償という裁判を起こして、たたかってまいりました。
 裁判は真実を明らかにされ、正義がかなうはずだ、というこういう心理で、私もたたかってきたんですけども、現実は違いました。密室で会っても裁判官は、私を犯罪者にしたものです。あまりの理不尽さに、わが身を疑いましたけれども、犯罪者のレッテルを張られ、厳しいたたかいを続けてまいりました。
 最高裁の破棄差し戻し判決、これによって私は、犯罪者から解き放たれて、こんときは思わず、よかったな、たたかってよかったな、という思いが、正直、そう実感したんであります。私は一応、名誉は回復されましたが、受けた精神的な、あるいは物理的損害、こういうものは何一つとして保証が認められなかった(涙声)。
 裁判は公正でなければならない、公正な裁判を求めてたたかってこそ、そこに正義があるはずだと、いうふうに思っていました。私の裁判では、警察の刑事記録の廃棄、これは公正な裁判を踏みにじるものであり、けっしてあってはならないことだというふうに思います。
 いわゆる国賠というのは、それを取り巻く環境、非常に厳しい環境にある、ということを痛感しました。1個人が国家を相手に、その公権力の不当な行使、これをただし、そして、この損害賠償を求める、そういう訴訟だからです。
 逮捕や勾留、こういう公権力というものの行使、これがときとして、過ちを犯します。ましてや他人の身体を自由に拘束できる権力を手にしたとき、人は過ちを犯します。だからこそ、こうした公権力も、違法行為を戒め、被害者を救済する法の制度があるのですが、この理念が、残念ながら日本では実現されていません。こうした厳しい状況を、いくらかでも前に進めることを願って、沖田国賠をたたかってきました。13年のたたかい、その中で得た小さな成果ではありますけれども、これからのたたかいに寄与できれば、そう願い、みなさんとともに、これからも、こうした願いを実現させるために、がんばっていきたいと思っております。以上で、私のごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。(大きな拍手)

 

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