アクセスカウンター


奥野誠亮氏の死去について(2016年11月18日~12月15日)
  =経済ジャーナリスト・今田真人=


①極悪人は「墓場まで持って行こうとする犯罪」の暴露を極端にいやがる。その典型が、先日亡くなった奥野誠亮氏ではなかったか。彼は戦後直後、内務省の公文書焼却を指示した責任者の一人だった。「名簿を私は焼いた」とする故・吉田清治氏の記事(90年6月19日付)を取り消した朝日新聞の闇は深い。




②「慰安婦は商行為」。「明るい日本・国会議員連盟」結成総会での記者会見で、会長に就任した奥野誠亮氏の発言。「私は15歳で拉致、連行され、日本軍部隊の慰安婦にされた」と被害者に抗議されているのは、同連盟事務局長の板垣正氏。いずれも朝日96年6月5日付。




③「従軍記者や従軍看護婦はいたが、『従軍』慰安婦はいない。商行為に参加した人たちだ。戦地で交通の便を(国や軍が)図っただろうが、強制連行はなかった」(朝日96年6月5日付)と奥野誠亮氏。他省や軍は別として内務省だけは関係ないとい言っているように見える。


④証拠隠滅の責任者が「証拠がないから、やっていません」と反論して、信用されるだろうか。「(終戦直前に)各省の官房長を内務省に集め…私が『(戦犯の処罰の)証拠にされるような公文書は全部焼かせてしまおう』と言った」(読売2015年8月10日付)。




⑤「慰安婦」問題では90年代中頃当時、「慰安所」での強制など、日本軍の「関与」はかなり事実認定されていた。彼らの最後の砦が、内務省の「関与」がいわれる「徴集」だった。内務省関係者で加害証言を続ける吉田清治氏が、どれほど目障りだったか、想像に余りある。


⑥「慰安所」での強制や軍の「関与」だけを問題にし「強制連行」は本質ではないとする、リベラル派の言説に危機感を感じる。拉致にしろ、だましにしろ、官憲がやれば重大な国家犯罪だ。男が少女を誰かの家に監禁したという事件でも、その家に連行した人間は共犯である。


⑦「政府としては、これまでに政府が発見した資料の中には軍や官憲による強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったという立場を…閣議決定しており、その立場に何ら変更はありません」(今年1月18日、参院予算委)と繰り返す安倍首相。奥野発言と通底する。




⑧公文書焼却を指示した内務官僚は奥野誠亮氏だけではない。「小林(与三次)さんと原文兵衛さん、三輪良雄さん、それに私(奥野)の4人が地域を分担して出かけた」(拙著『吉田証言は生きている』P118)。ちなみに、原文兵衛氏は例の「アジア女性基金」初代理事長。


⑨もちろん、奥野誠亮氏の死去には、お悔やみを申し上げたい。奥野氏にはぜひ生きているうちに「『慰安婦』を強制連行したのは内務省であり、焼却を指示したのは、それを示す証拠書類だった」と罪を認めてほしかった。
www3.nhk.or.jp/news/html/2016
NHK「奥野誠亮氏死去」(PDF版)


⑩敗戦直前の奥野誠亮氏の肩書が興味深い。「内務省地方局戦時業務課の事務官(現在の課長補佐クラス)だった私が各省の官房長を内務省に集め、終戦に向けた会議をひそかに開いた」(読売2015年8月10日付)。その前は鹿児島県で特高課長(職員禄)もしていた。




⑪「公文書焼却4人組」の一人、小林与三次氏は戦後、読売新聞社や日本テレビの社長を歴任し、日本のメディア界を牛耳ってきた人物。三輪良雄氏は戦後、防衛事務次官、原文兵衛氏は自民党の長老政治家として参院議長を務めた。(写真は奥野発言が載る自治大学校資料)








⑫原本は外務省外交史料館にあるのだが、「慰安婦」の名簿は本籍、年齢等すべて黒塗りのコピーしか公開してない。奥野氏らの隠蔽体質は外務省にも引き継がれている?
~【韓国・中央日報】日本軍発行の証明書を発見
japanese.joins.com/article/743/19




⑬原文兵衛氏が初代理事長の「アジア女性基金」。ここが編集して出版した政府公表資料の復刻本(編集代表・和田春樹氏他)にも隠蔽体質が見え隠れする。他の「慰安婦」名簿も黒塗りだが、解説には「朝鮮人と思われる女性2名(本籍が朝鮮半島)の名前がある」と書く。






⑭もし、この名簿が公開されたらどうなるか。本籍は朝鮮。住所は日本内地。年齢は未成年。朝鮮人「慰安婦」強制連行をズバリ証明する。さらに本籍が済州島だったら、目が当てられない(笑)。でもその可能性はある。私は公開を外務省に申請しているが、結果が楽しみだ。


⑮奥野氏は「慰安婦は商行為」といって、主な責任を業者になすりつけた。写真は防衛庁(当時)が公開したものだが、「慰安土人」の派遣を現地日本軍が要求し、「憲兵調査選定」の業者の渡航認可を求める公文書。憲兵が調査して選定した業者なら、それは軍の連行という。




⑯この文書も黒塗りだらけだが、業者3人の本籍の一部が公開されている。防衛省防衛研究所の原本はすべて公開なので照らし合わせると、その中に朝鮮人業者が1人いる。「朝鮮全羅南道済州島輸林面挾才里10」の「豊川晃吉」。済州島は「慰安婦」募集の拠点だったのだ。






⑰「明日は戦地に行かなきゃならない、明日の命がどうなるかわからない兵隊さんに、一時の安らぎを与えてくれた慰安婦の方々には感謝すべきだと思います」。『SAPIO』96年8月7日号に掲載された奥野誠亮氏の発言だが、誰かのよく似た発言を思い出しませんか。






⑱そう、橋下徹氏の発言です。「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的に高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる」。
huffingtonpost.jp/2013/05/14/has



⑲橋下発言だけではない。「業者責任論」「強制連行否定論」「河野談話否定論」など、いまのヘイトスピーチ、ネトウヨ、歴史修正主義者の主張のほとんどを網羅していることに驚く。戦時中の極右ファシスト、奥野誠亮氏の発想が、その原点にあると言わざるを得ない。


⑳先の『SAPIO』の奥野発言はさらに言う。「同時にまた、家庭が貧しいために業者に身売りされたという方もおられるし、業者の甘言にだまされてそういう世界に入った方もいる。そういう方々への同情は持っています。しかし、だからといって日本の軍隊だけが(続く)」




㉑「(続き)野蛮で、そういう方々を強制連行して強姦したんだといわれると、そんなことはない、と、私は日本国の名誉のためにいいたい」。質問者が「93年の日本政府発表で日本政府も軍の要請や関与があったと認めています」と追及した際の奥野氏の回答が面白い。


㉒奥野氏の回答。「河野官房長官の談話ですか? 私はそのことについて議論したくない。だが、関係者に『それは日本人(加害者)の裏づけも取ったのか』と聞いたら『いや、向こうの方に聞いただけです』と。『それじゃ、裏づけのない話じゃないか』(続く)」


㉓「(続き)『それは、そうです』といいました。でも、それ以上、議論したくない。皆さんで調べてもらいたい。記録とか何とかじゃなくて、実態ですよ。私はその時代に生きてきた人間だから」。雄弁な奥野氏だが、一言足りなかった。「証拠は私が焼却を指示したから」と。


㉔「公文書焼却4人組」の一人、小林与三次氏が社長だった読売ならまだしも、毎日まで狂っている。特高警察課長が「筋金入り」だなんて、毎日も戦中の紙面に逆戻り。ああ、おそろしや、おそろしや。




㉕戦中の特高警察が、どんなことをやったのか。戦後世代の無知に悪乗りする記者に警告。思想犯や「不逞鮮人」を捕まえ、拷問した警察官。日本版ゲシュタポともいわれる。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2


㉖「特高警察の全職員は罷免せらるべく且(かつ)如何なる場合と雖(いえど)も人民に対し権力又は責任を有する何等の地位にも再任用せらるべからず」。これは奥野氏が属した内務省警保局(現在の警察庁)の幹部職員、故・種村一男氏が秘蔵していた米占領軍の指示文書だ。






㉗これがポツダム宣言を受け入れた戦後日本の民主主義の原点。戦後世界の民主化の流れにあらがい、冷戦構造を利用して、政権与党、自民党の衆院議員の長老に成り上がった男、それが、奥野誠亮氏だった。
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9


㉘このツイートの閲覧回数が、発信後1時間なのに、6000回を超える。リツイート数とはまったく比例していない反響の大きさに改めて驚く。






㉙ポツダム宣言は言う。「戦争犯罪人に対しては厳重に処罰」「言論、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重を確立しなければならない」「前記の目的が達成され、日本国民が平和的傾向を有し、責任ある政府が樹立されたときには、連合国の占領軍は直ちに日本より撤収する」


㉚まあ、奥野氏を「筋金入りの保守派」などと書く記者は、ポツダム宣言を受諾した戦後日本の民主化の歴史をもう一度勉強し直すべきだ。まあ、勉強したこともない人物なのかも。しっかりしてくれ、毎日新聞。 ndl.go.jp/constitution/e




㉛おすすめの本です。 荻野 富士夫著『 特高警察』 (2012年、岩波新書)
amazon.co.jp/%E7%89%B9%E9%A


㉜「日常行動の監視、強引な取締り、残虐な拷問…。悪名高き特高警察は、いかなる組織だったのか。…植民地朝鮮や『満州』での様相、ドイツの秘密警察ゲシュタポとの比較…」。恥ずかしながら私もまじめに読み直します。




㉝奥野誠亮氏が戦中に、鹿児島県の特高課長だったことは有名な話(1943年7月1日当時の職員禄)。意外に知られていないのは、「アジア女性基金」初代理事長、原文兵衛氏の前歴。原氏も戦中、同じ鹿児島県の特高課長だった。奥野氏の直近の先輩にあたる。






㉞鹿児島県の特高課長がどんなことをやっていたのか。ここに、原文兵衛氏の特高の経歴を載せた「鹿児島県職員禄(昭和16年7月15日現在)」がある。その「事務分掌」は「特別高等警察課」の18の仕事を列挙。その中に「在留朝鮮人の視察取締ニ関スル事項」がある。






㉟その他、「海外渡航ニ関スル事項」も特高警察の仕事である。これだけでも、特高警察がやっていた仕事が、朝鮮人「慰安婦」の外地への連行の実態を最も知りうる立場にあったことは間違いない。次に、さらに詳しい特高の仕事の内容を見て行こう。


㊱ここに、1939年4月当時の「特高警察例規集」という文書がある。国立公文書館所蔵で、戦後、米国から返還された。特高警察の資料は、日本の敗戦直前、奥野氏や原氏など、内務省幹部らによって焼却を指示されたが、それでも米軍が占領時に押収した一部が残っている。




㊲この「特高警察例規集」に「特別高等警察執務心得」がある。全部で102条のうち、第70条から85条が朝鮮人に関するものである。第70条「在住朝鮮人ニ付テハ其ノ居住地所轄ノ庁府県ニ於テ成ルベク名簿ヲ作成」云々。特高はすべての在日朝鮮人を監視していた。






㊳「特別高等警察執務心得」の第77条はいう。「外地若ハ海外ト内地トノ間ヲ往来スル朝鮮人(台湾人)ニ対シテハ特ニ注意ヲ払イ…、厳密ナル検索ヲ励行」云々。特高が朝鮮人の出入国を厳しく監視する中、それをパスした朝鮮人業者とは何者だったか、想像に難くない。






㊴「特別高等警察執務心得」の第81条には「海外其ノ他ヨリ…内地に潜入スル(朝鮮人ノ)…接客業者等ニ対スル臨検ノ執行等…厳重ナル査察警戒ヲ行フ」とある。「発見逮捕」はするが、「慰安婦」徴集のためなら釈放したことは、政府公表資料でよく知られている。






㊵「特別高等警察執務心得」第86条以降は、各県の特高が内務省本省に上げる報告の書式だ。そのうち、第7号様式「内地出入朝鮮人職業別調」の一番左の欄に「接客業者」がある。「接客業者」には別の書式に男女の区別があり、「慰安婦」用の女性も含まれていただろう。




㊶「特別高等警察執務心得」に掲載された第18号様式「朝鮮人(台湾人)職業別調」(半年毎の報告)。2枚目に「接客業者」があり、男女それぞれの人数を書き込むようになっている。先の第7号様式と合わせ考えれば、「接客業者」に女性も入っていたことになる。






㊷朝鮮人男女の出入国統計を定期報告できたのは「特別高等警察執務心得」第70条に定められた名簿があったからだ。「名簿などの関係書類をドラム缶で焼き(ました)」(朝日が取り消した吉田証言)。「慰安婦」名簿の焼却を命じた奥野、原氏などの内務官僚の罪は大きい。


㊸かつての戦争犯罪人が信頼できるかどうかの決定的基準は、その人物がその犯罪を真剣に謝罪したかどうかであろう。奥野誠亮氏の「お別れ会」の実行委員長が現職首相であり、それを無批判に報ずる新聞があることに、この社会の異常さが象徴されている。
〈産経新聞の奥野氏の「お別れの会」の記事にリンク〉
元法相・奥野誠亮氏 思いやり貫いた保守政治家(12日、東京都千代田区のホテルニューオータニ)



㊹「日本人が戦ったのは大東亜戦争であり、GHQが強いた太平洋戦争という呼び名では意味が分からなくなるとして、自虐史観からの脱却を訴えた」。産経が奥野氏の戦後の言説を紹介している。ここには日本の侵略戦争への謝罪はない。これが首相の本音でもあることが怖い。


〈参照ページ〉
☆共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)の見どころ(2016年11月1日~9日)

☆戦時動員職種に未成年朝鮮人女性の「接客業」(2016年11月12日~16日)



ページトップに戻る

トップページに戻る