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(2023年11月23日からカウント)


私の党除籍に関する通知などの公開―言論の自由をめぐって(2023年11月18日~のXへの投稿)
 (フリージャーナリスト、今田真人)


(総リード)
ここに、私の日本共産党からの除籍通知などを公開する。8年以上の昔のことであり、思い出すとトラウマを起こすので、振り返る気持ちがわかなかったが、最近の松竹・鈴木問題を契機に、私の体験の記録も役に立つのではと思い始め、改めて読み直した。最近の私のXへの投稿(旧ツイート)で初めて公開したものだが、それをホームページにまとめて再録した(Xへの投稿に添付した写真は容量が大きくホームページには掲載がむつかしいので、以下のPDFで参照ください)。来年1月には29回党大会も開かれ、党員の言論の自由と党の結社の自由との関連の議論が注目もされている。多くの人に参考にしてほしい。
【以下、関連の文書をPDFにした。必要な方はクリックしてダウンロードしてほしい】
                                2023年11月23日記
党中央からの1回目の通知
党中央からの2回目の通知
党中央からの3回目の通知
私の反論(山下書記局長への手紙)
党中央からの4回目の通知


官製「人狩り部隊」幹部として植民地・朝鮮で女性を拉致し「慰安婦」にしたと証言した吉田清治氏。その証言を「信ぴょう性がない」と「赤旗」関連記事を取り消した日本共産党。そのことに党員だった私がツイートで抗議したら、規律違反を問う査問に応じるように言ってきた党中央。すべてが異常である。
【党中央からの1回目の通知参照】


1回目の通知に続き、2回目の通知を紹介する(地区委員会と支部の固有名は消した)。1回目は出席せよという会合が「吉田証言」の中身を話し合うものにも解釈できるが、2回目は、会合が規律違反を問う査問であることを明らかに。その理由が党員はツイートで党を批判できないという今日的問題である。
【党中央からの2回目の通知参照】


その部分を改めて書き出す。党中央いわく。 「あなたは、党員が党員であることを名乗らずにツイート上などで党を批判することは自由であるという、党規約の解釈を示しています。そういう解釈でいくと、党員は『自分が党員である』ということさえ秘せば、本名ででも仮名ででも、ネット上など(続く)


(承前)一般国民にオープンな場で党の政策・方針などについて質問も批判も、攻撃さえも、自由にできるということになります。 党員は、党の綱領と規約を自由意思で承認して入党します。社会変革をめざす党の基本方向や変革の党・行動の党としての党のあり方・基本ルールを、(続く)


(承前)理解の程度に違いがあっても承認して入党しています。そういう党員が、党の活動や方針などに疑問や批判が生じた場合、その解決を図る場が党内であると考えるのは当然のことです。一般国民を装って党への質問、批判などを公然と展開しても、問題の解決などにはならないからです。(続く)


(承前)党規約の文面は、そういう理解にそってつくられており、全国の圧倒的多数の党員も、そのように受け止めており、全党の活動は、党規約のそのような解釈の上に立ってすすめられています。
 いうまでもないことですが、日本国憲法二一条は、言論の自由とならんで結社の自由を定めて(続く)


(承前)います。結社の自由とは、個々人にとってみれば、加入するかしないかの自由、結社の一員であり続けるか脱退するかの自由をふくんでいます。自由な意思で加わった結社の目的や内規が自由への拘束と感じるようになった場合、成員には脱退する自由があります。(続く)


(承前)結社の側は内規に従えない成員を脱退させることができます。日本共産党の規約も、『離党』の自由を認め、また党の側からの『除籍』という措置を定めています」  以上、長々と党中央の通知を引用したが、要するに、➀党員はツイートなどで、党への質問・批判をしてはならない、ということだ。


②また「党員が、党の活動や方針などに疑問や批判が生じた場合、その解決を図る場が党内であると考えるのは当然」とし、党の政策・方針の議論も党内の秘密会合で解決すべきとしている。党員は、その政策・方針の決定時の議論にも参加せず、採決にも参加していない。党内民主主義は無視されている。


③きわめつきは、憲法21条にかかわって、党員が言論の自由を主張するなら、結社側は、結社の自由から、党員を除籍できるという主張をしていることだ。この主張は、松竹・鈴木問題でも党中央は繰り返しているが、〝党の方針がイヤなら、やめたらいい”という主張は、だれが考えてもナンセンスである。


いよいよ、私に対する除籍通知書(3回目の通知)を紹介する。これは拙著『吉田証言は生きている』(2015年4月、共栄書房)の発行を理由に、私の除籍に踏み切ったことを示す文書である。私への批判がすべて、規約第17条に反する云々など、規律問題に終始しているのが特徴である。(続く)
【党中央からの3回目の通知参照】


(承前)なお、通知の付記で、吉田証言の内容に触れ、「『吉田証言』が信用できないという評価は、すでに歴史的に定まったもの」と断言している。新たな証拠が出れば評価は変わるのは歴史学の常識。拙著で紹介した吉田氏へのインタビューを個人的な思い入れ、と貶めるのも、ネトウヨと変わらない。


さて、この除籍通知書に対して、私はただちに当時の山下書記局長あてに、「親展」と注意書きした手紙を書留郵便で送った。それを紹介する。8年以上前の私の文章であるが、いま読んでも妥当だと思えるし、松竹・鈴木問題でも通用する論点が多い。なお、書記局担当者の佐々木陸海氏はすでに故人である。
【私の反論参照】


山下書記局長あての手紙の5枚目を添付。なお、私の手紙の郵送を受けて、党中央から4回目の通知(除籍確定書なるもの)がきた。これも紹介する。ここでも党中央は、憲法21条の結社の自由を根拠に、党員の言論の規制を合理化している。これは民主的憲法下でのナチ党の結成合理化にもつながるだろう。
【私の反論と党中央からの4回目の通知参照】


なお、党中央の2回目の通知で「あなたは、党員が党員であることを名乗らずにツイッター上などで党を批判することは、自由であるという、党規約の解釈を示しています」と書いている。時期的に見て私のHPにも掲載している論評「異論を生かす提案」の⑥のことであろう。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage126.html


しかし、この論評をよく読んでほしい。私は、党員であることを名乗らずツイートすることで「個人的見解であること」をむしろ明らかにできると強調した。党の通知は、私の党内民主主義前進のための提案を曲解している。形式的な規約違反処分が先にありきの、ためにする議論だ。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage126.html


吉田清治氏が所属した官製「人狩り部隊」=労務報国会については、以下のリンクで、私の論評「官製『人狩り部隊』~続・労務報国会の隠された役割」などを参照してほしい。最新の研究成果を紹介している。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage179.html


ところで、党中央の4回目の通知には「この中(書記局長あての私の手紙)であなたは、除籍にあたっての協議に『参加するつもりはありません』と明言されています」とし、私の除籍を、規約第11条にもとづくものと合理化している。この手紙の引用も乱暴である。以下、私の手紙のその部分を再掲する。


(承前)「除籍を審議する協議の場に私は参加するつもりはありませんが、吉田証言問題を再検討するオープンな場であるなら、党員として、あるいは元赤旗記者として、協力は惜しみません」。この文章の前半だけを引用し、規約11条の要件を満たしていると断言するところにも、その乱暴さが現れている。


(承前)規約11条は「党組織は、第4条に定める党員の資格を明白に失った党員…は…除籍することができる」とある。その第4条は「18歳以上の日本国民で、党の綱領と規約を認める人は党員になることができる」だ。私は「綱領・規約も自覚的に引き続き認めていく」と明言。規約違反は党中央だろう。


(承前)党中央の4回目の通知は、私が「綱領・規約も自覚的に引き続き認めていく」といっているのに「あなたの党規約の理解そのものが一貫して間違っている」と反論する。党員が「綱領と規約を認める」と言っても、中央がその理解が間違っていると言えば、誰でも除籍できるらしい。まるで暴君である。


野党共闘・統一戦線を追求する党の在り方として、党員の党外からの批判を許さない党運営は正しいか、を考えさせる。参考になる。
2023.03.06 広原盛明~「政党のあり方」と「社会のあり方」は別物か、社会と政党は相互規定的関係にある、共産党党首公選問題を考える
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-6083.html


いまに生きる「山下書記局長(当時)への手紙」抜粋
➀インターネットでの投稿・発言はもちろん、書籍の出版についても、日本国憲法は、それを国民一人一人の基本的人権として保障しています。それが時々の党中央の方針と異なるからといって、それを公表すると(続く)


(承前)党を攻撃するものとみなし、規約に反するので除籍するなどという措置は、憲法の上に党規約を置くものであり、時代錯誤もはなはだしいと思います。
 長年の党の見解を180度変更した現在の党見解(吉田証言の否定)について、疑問や批判を持つ党員(元党幹部も含む)や国民は、(続く)


(承前)私の知る限りでもたくさんいます。そうであるだけに党中央が、事実と道理に基づき説得力ある説明を公開の場ですることは、当然だと思われます。しかし、その後の党中央の対応は、記者会見も設定せず、ただ一変した党見解に立って、一方的なキャンペーンを赤旗紙面で展開するだけのものでした。


②規約第3条は、民主集中制の組織原則の基本の一つとして「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める」、あるいは「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」と明記しています。今回の決定は本当に、「民主的な議論をつくし」たものですか。(続く)


(承前)私に対する除籍は、「意見がちがうことによって、組織的な排除」をするものではないのですか。
③最近出版された浜野忠夫・副委員長の著書『民主連合政府をめざして――党づくりの志と構え』には、第11回大会(1970年)への故・宮本顕治氏の中央委員会報告が紹介され、(続く)


(承前)次のように指摘されています。
「正しい指導とは、命令ではなく道理に立ち、実情にあったもので、すべての党員を納得させうるものでなくてはなりません。こうした納得をかちうることなしには、全党が自覚的規律に結ばれるという保障はできません」(P47)
「わが党は、ほんらい、(続く)


(承前)政治的自覚にもえて、党と革命の事業に自発的に参加した党員からなる組織であり、命令で結ばれた軍隊や行政組織ではない。この組織の力は、同志たちが、情勢の特質や提起された課題の重要性、そして実情にあったやり方などを道理をもってつかみ、(続く)


(承前)みずからの政治的理論的な確信にしたときにこそ、もっとも力づよく発揮されるものである。そういう指導をすすめるためには、党の指導機関が、従来とかくありがちだった事務的・行政的指導に甘んじる態度を厳しくしりぞける必要がある」(P47~)


④今回、私にたいして送りつけられてきた「除籍通知書のような文書」は、これらの規約の規定の精神にことごとく反していませんか。そうした民主的な規約の規定をいっさい引用することなく、私の除籍に都合のいい一部の義務的規定だけを引用して、除籍を通告するなどという措置は、(続く)


(承前)民主集中制の基本を無視する異常きわまりないやり方だと考えます。私の言説に党中央が批判があるなら、個々の党員を国民に分からない党内手続きで除籍処分にするという行政的な方法ではなく、正々堂々とオープンな場で説得力ある根拠を示し道理と理性ある態度で反論されてはいかがでしょうか。


以上、私の「山下書記局長(当時)への手紙」の抜粋は、この程度にしておきたい。
ところで、最近、また、阿部治平さんの傾聴に値する共産党についての論評が公開された。タイトルは「多数者革命とちぐはぐな党運営」。ぜひ、多くの方が参照してほしい。
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-6303.html


もう一つ、同じ「リベラル21」の論者、広原盛明さんの論評「〝党勢後退〟についての本格的な分析と総活がない決議案は事態を打開できない」も傾聴に値する。
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-6301.html


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