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(2022年5月26日からカウント)


官製「人狩り部隊」~続・労務報国会の隠された役割(2022年2月8日~のツイート再録)
 (フリージャーナリスト、今田真人)


(総リード)
 吉田証言とは、先の大戦で、植民地・朝鮮での「慰安婦」強制連行という、歴史的事実を加害者側から証言したものである。朝日新聞は2014年8月5日付の検証記事でこの吉田証言を否定し取り消したが、その後の私を含めた多くの研究によって検証記事の信ぴょう性が失われ、あらためて吉田証言の正しさが浮き彫りになりつつある。このことを前回の連続ツイート集「労務報国会の隠された役割(2021年5月17日~のツイートから再録)」で明らかにした。今回は新たに発見した歴史的資料も加え、吉田清治氏が属した労務報国会の隠された役割をさらにわかりやすく解明した。もっと早く、私のホームページで紹介すべき重大なツイート集であったが、新型コロナの感染拡大による研究活動の制限のほか、ロシアによるウクライナ侵略の開始も加わり(2022年2月24日)、そちらの分析のツイート発信を優先し、紹介が遅れてしまった。ウクライナ問題での私の連続ツイート「『どっちもどっち論』批判―ロシアのウクライナ侵略について(2022年2月24日~)」も参照してほしい。「慰安婦」問題もウクライナ問題も、戦争犯罪は、侵略国と被侵略国、あるいは加害者と被害者を区別した分析をしなければ、責任追及や、まともな反省、再発防止はできないという私の問題意識は共通している。
                                 2022年5月26日 記


「慰安婦」強制連行という事実を書いたポプラディア百科事典がいま、ネトウヨのターゲットになっている。それに自民党の山田宏参院議員が加担。この人たちは、朝日新聞の吉田証言「訂正」記事が間違っていたと自白した外村大・東大教授の一連の論文すら知らないのだろうか。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html


「慰安婦」強制連行が虚偽だとした朝日新聞2014年8月5日付の記事が、ネトウヨの最大の切り札らしいが、その切り札は、外村大氏の告白で、とっくに効力がなくなっている。○○の一つ覚えとは、よく言ったものである。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage119.html


「労務報国会が朝鮮半島からの労働者の動員に関りを持っていたことはこの記述から確実であり、これまでの筆者の認識は誤りであった。2014年8月5日の朝日新聞での筆者のコメントで、労務報国会の職員が朝鮮に赴くことはないとした点も間違いである」(外村大氏の告白)




この私の論評「労務報国会の隠された役割」も参考に。歴史研究は、時間が止まったネトウヨや歴史修正主義者諸君の認識から、とっくに先に進んでいるんだが…。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage173.html


戦時中の官庁情報誌『決戦下の国民運動』(1944年11月、思想国策協会発行)の記述を紹介した拙著を読んで、自らのコメントの誤りを悟った外村大氏。実は、朝日新聞1944年8月30日付の記事「機構を改革、労報、組織強化」にも同じ記述がある(写真)。




朝日新聞1944年8月30日付の記事はいう。「機構を改革、労報、組織強化――大日本労務報国会では中央本部機構の改革を断行することになり29日午後の理事会で次の如く決定、改革のねらひの主なものは…2、外地労務の移入斡旋を労報が担当することになつたので配置部新設」。


朝日記事にいう「外地労務」とは、朝鮮(当時、植民地を外地と呼んだ)の「労務者」のこと。「斡旋」とは強制連行の一種で、朝鮮人の強制連行は時代順に「募集」「(官)斡旋」「徴用」と呼ばれた。いずれも1939年度から始まった「労務(国民)動員計画」での朝鮮人戦時動員の法的呼称である。




労務報国会とは公費で雇われた官製の「人狩り部隊」である。警察官を除けば、そのメンバーのほとんどがヤクザ・暴力団員だった。警察の指揮の下、植民地・朝鮮で男女の「労務者狩り」をした。女性の動員形態は「女子挺身隊」と呼ばれ、動員先の一つに「皇軍慰安所」があった。吉田証言は本当である。


ついでに「(労務報国会が)が朝鮮総督府の管轄下にある地域に出動して直接女性を集めたとは考えにくい」と無責任なコメントをし、北海道新聞の吉田証言取り消しに一役買った永井和・京大大学院教授。北海道新聞1944年8月30日付も紹介。「労報新機構」という見出しの記事である。




北海道新聞1944年8月30日付の記事はいう。「今回の改組の主眼とするところは…増大する外地労務者の移入斡旋も労報に一元化して移入の円滑化を期したこと」。注目点は、労務報国会が「改組」以前から朝鮮人強制連行を担っていた事実を明らかにし、今後は同会が一元的に担うとしていること。


吉田清治氏率いる山口県労務報国会下関支部が済州島で「慰安婦」用の若い朝鮮人女性を動員するよう、軍から命令を受けたのは1943年5月。1944年8月30日以前から、労務報国会が朝鮮人強制連行を担っていたとするこの北海道新聞の記事は、この吉田証言を直接裏づけるものである。


日本政府が内地の各道府県長官に労務報国会を設立するよう命じる「通牒」を出したのが1942年9月末。その10カ月前の1941年11月30日、労務報国会の「生みの親」と呼ばれる陸軍幹部の陸軍少将・松室孝良氏は次のように将来構想を「口演(講演)」(写真。国会図書館所蔵)で語っている。






陸軍少将・松室孝良氏は言う。「将来日本が大東亜共栄圏を建設するために…(労務報国会が)政府と協力して、半島の労務者を持つて来る。それでも足らぬから、支那の苦力を持つて来る。…だから国家のために急いで労務報国会を組織しなければならぬ」。対米英戦争開始直前の軍部の構想でもあった。






陸軍幹部の松室孝良少将はWikipediaで検索してみると、中国侵略で、いくつかの特務機関長を歴任している。特務機関とは、軍の特殊任務を担う謀略部隊であり、「慰安所」建設にも当然、関わったであろう。その彼が労務報国会という「人狩り隊」を構想したのである。
Wikipedia~松室孝良


吉田証言はこのように朝鮮人「慰安婦」強制連行の闇に埋もれた歴史を暴く、導きの糸のような役割を持っている。だからこそ、その役割を敏感に察知する極右の歴史修正主義者は、吉田証言の信ぴょう性をなくすために、いまでもあらゆる攻撃を続けている。それに乗っかるお調子者のリベラルもいる。


ところで、生前の吉田清治氏が、朝鮮人「慰安婦」強制連行での日本軍の責任を明らかにするうえで、大きな役割を果たしたことを示すテレビ番組がある。それが1991年12月15日(日)午後6時~放映のTBSテレビ「報道特集~朝鮮人従軍慰安婦50年の恨――皇軍の責任を問う」である。


この番組で、元下関警察公安主任、田中賢治氏が登場。ナレーションは言う。「吉田(清治氏)が所属していた下関労務報国会はもともと労働者集めの団体だった。フェリーを利用してしばしば朝鮮半島にも出向いたという。民間の団体ではあったが、そのバックには下関警察がついていた」。(続く)




国会図書館所蔵の山口県職員禄(1945年4月1日現在)のP308に、下関警察署の警部補として田中賢治の名前がある(写真)。田中氏は言う。「軍が命令、下しおった、われわれ公共団体(山口県・労務報国会)の関係者へ。それから下関まで、サカセガワ参謀ちゅうのが一番大将じゃった。(続く)」






「(承前)それとわしが折衝しおった、年中ね。それやっぱり命令下すんですよ。やらざるをえんけいね、こっちは。(相手は)軍じゃからね」。ちなみにサカセガワ参謀とは、Wikipediaによると、西部軍司令部の前身、西部防衛司令部の名簿にある逆瀬川幸男参謀であろう。
Wikipedia~西部防衛司令部


朝鮮人「慰安婦」強制連行は軍の命令だったと証言した下関警察署の田中賢治氏。彼が名指しした軍人は、西部軍下関要塞司令部所属の陸軍中佐、逆瀬川幸男氏だと思われる。防衛研究所所蔵の当時の陸軍異動通報で名前と肩書が確認できる(写真・アジ歴から)。




田中賢治氏の証言に続いて生前の吉田清治氏も登場。彼は言う。「女の徴用で一番気を付けなきゃならんのは自殺。もう朝鮮を出る時から。とにかく自殺防止だけしか考えていない。逃げることは、あんまり逃げない、自殺する。(続く)」


「(承前)関釜連絡船、乗せる時も、どうして自殺せんように、うまく船に乗せるか、そんなことばっかり、部下たちは気を付けて、慣れていたから。よく自殺されたよ。海、飛込んでしまうもんね」。吉田氏が属した労務報国会下関支部の支部長は、先の名簿に署長として載っている山本操氏であった。


番組が放映された1991年は、8月14日に金学順さんが初めて「慰安婦」被害者として韓国で名乗り出た年(梁澄子『「慰安婦」問題ってなんだろう?』P91~)。当時、同問題を加害者側から告発してきた先頭に吉田清治氏や良心的なマスコミ人がいたことは、いま改めて確認する必要があろう。


この番組の動画は、「吉田証言」でネット検索をしていて14ページ目で偶然、みつけたものである。いつ消されるかもしれないが、貴重な動画なので、ここにそのURLを貼り付けておく。誰かに消されないうちに見てね。たくさんのヒント・発見があるから。
動画→Dailymotion「証言:従軍慰安婦」


強制連行中の朝鮮人女性の自殺者が相次いだという、吉田清治氏の証言は、彼が証言を始めるかなり前から、在日朝鮮人らによって告発されてきた。1953年4月1日発行の『朝鮮評論』第7号所収の高成浩「忘れられた歴史は呼びかける」には次のような記述がある。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage169.html


「青壮年の狩り出しをするのと同時に未婚の女子や、子のない人妻も狩り出された。その中の何千人かは、勤労奉仕という名目で日本に送った。ところが、この勤労奉仕が、大変な奉仕で、軍は彼女らを、慰安婦として、南方に送るために輸送船に積み込んだ。(続く)」


「(承前)何も知らない彼女達は、はじめは、日本の何処かの軍需工場にでもまわされるのだろうと考えていたが、船が太平洋上に出ると、軍部の連中は、彼女達に肉体を要求した。…そこではじめて、彼女達はだまされたことを知つた。彼女達は貞操を失うよりは、死を選んだ。(続く)」


「(承前)一隻の船から何十何百人もの女性達が、相ついで、怒濤逆巻く太平洋の荒浪に身を躍らせた。これにこりた軍部は、その後は、一層厳しく監視をつけ、手足をしばつて、これらの島々に、朝鮮の婦女子達を、生けるしかばねとして、送り込み、遂には、白骨と化せしめたのである」


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