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吉岡吉典氏と吉田証言
(2024年9月15日~のツイート再録)
フリージャーナリスト・今田真人
私の取材した済州島出身の在日コリアン【注】は「1965年以後、過去のことには一切口をつむごう」と発言した。1965年とは日韓基本条約と日韓請求権協定が日韓両政府の間で締結された年である。当時の日韓のトップは日本が佐藤栄作首相で、韓国は朴正煕大統領。(続く)
【注】私の取材した済州島出身の在日コリアンの証言の内容については以下を参照してください。
★10件前後の証言と秦郁彦氏の「詐話」
(承前)朴正煕氏は冷戦下、韓国で反共独裁国家の大統領をつとめたが、戦時中は日本の関東軍に配属されたれっきとした日本軍幹部。日本軍「慰安婦」制度をよく知る立場だ。4・3事件などで保守勢力が制した済州島で、同条約を機に箝口令がしかれても不思議でない。(続く)
(承前)この日韓基本条約に関係した政治家に自民党の荒舩清十郎氏がいる。彼が同条約締結直後に行った講演が物議を呼んだ。「朝鮮人の慰安婦が14万3千人死んでいる。日本の軍人がやり殺してしまった」と発言。徴用工や「慰安婦」への賠償金を50億ドルから3億ドルに値切ったという。(続く)
(続く)その上、賠償金は日本企業だけに代金が渡る役務賠償。韓国にはお金はいっさい渡らないと自慢。この仕組みを見抜けない「社会党や共産党は馬鹿を通りこしてキチガイだ」と放言。条約・協定には「慰安婦」の文字はまるでないのに、日本側ははっきりとその罪状を意識していたわけである。(続く)
(承前)だから「無償3億ドル、有償2億ドル」の日本資金は「慰安婦」被害者には1円も渡らなかった。ちなみに、講演を取材したのは「赤旗」通信員、雑誌に書いた金一勉氏に記録を提供したのは「赤旗」編集局の吉岡吉典氏。「赤旗」の過去の報道を軽視すべきではない。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage169.html
荒舩清十郎氏の講演内容は、のちに吉岡吉典氏自身が「赤旗」の記事で暴露している。日曜版1992年1月26日号の見開きの記事の2ページ目(添付写真)である。その部分を以下紹介する。見出しは「侵略戦争と朝鮮植民地支配を真に反省しないのはなぜか」。本文は言う。
(続く)
〈注〉上記写真は画素数が少ないので、吉岡コメントは以下のPDFを参照してください。
【PDF】
(承前)「日本の侵略戦争は、2千万人のアジア諸国民を犠牲にし、310万人の日本国民も犠牲にしたことはよく知られるところです。重要なことは、日本帝国主義が侵略戦争をすすめるに当たって植民地人民に特別の被害をあたえたことです。朝鮮人強制連行は、日本帝国主義が侵略戦争遂行(続く)
(承前)のために必要な労働力不足を補うために学生、婦女子、囚人まで動員して、まだ不足するのを(で?=ママ)朝鮮人を動員しました。動員といっても、それは人さらい同然の強制連行でした。日本帝国主義は、さらに侵略戦争のために20万人といわれる朝鮮慰安婦を戦場にかりたてるという(続く)
(承前)世界でも例のないことをやったのです。故人である荒船(ママ)清十郎元運輸大臣は1965年11月、選挙区の秩父市の演説で「朝鮮の慰安婦が14万2千人(ママ)死んでいる」と演説しています。これは日本帝国主義の朝鮮植民地支配が植民地人民を人間扱いしない残酷さをみせつけるものです」
日曜版1992年1月26日号の見開きの記事の2ページ目(添付写真【PDF】)をよくみると、日本共産党の幹部であった吉岡吉典氏の談話の上に、2014年9月27日付の「赤旗」論文で取り消された吉田証言が載っている。吉田証言取り消しは事実上、吉岡談話まで否定したのである。
次に、日曜版1992年1月26日号の見開きの記事の1ページ目を紹介する。記事前文をみてみよう。「日中戦争、太平洋戦争中に、無理やり戦地へ連行され、日本軍兵士の性欲を処理する相手にさせられた朝鮮人従軍慰安婦…」。強制連行と性奴隷をともに糾弾し、どちらが本質かなどのスコラ議論はない。
〈注〉上記写真は画素数が少ないので、吉岡コメントは以下のPDFを参照してください。
【PDF】
日曜版1992年1月26日号の見開き記事の1ページ目は吉田証言について「動かぬ証拠」という記述もある。吉田証言や吉岡談話、金学順証言など、それぞれの記事が相補う関係になっている。吉田証言だけを取り消すという今回の共産党の決定が、記事全体を否定する「歴史偽造」であることがわかる。
日曜版1992年1月26日号の見開き記事の2ページ目の吉田証言。スマホでは記事写真が読みにくいかもしれないので、文字起こしする。 「私がやったことは、まさに奴隷狩りでした。昭和16年(1941年)を境に慰安所は、軍が直接設立し運営しました。これは極秘事項だったんですが、(続く)
(承前)太平洋戦争に突入し、中国での戦争が拡大、東南アジアにも戦線が広がるにつれ、慰安婦が不足してきたからです。当時動員部長の私は、強制労働させる朝鮮人男性を多数連行していました。そこへ、日本陸軍の西部軍司令部から、山口県労務報国会の会長を兼任していた県知事を通じて、(続く)
(承前)私あてに女子も20人、30人集めろと命令がきました。私は、部下を10人くらい連れ、朝鮮半島に渡りました。現地の朝鮮人巡査を50人くらい協力させ、現地の警察の護送車10台くらいで100から200戸くらいの部落を回りました。巡査たちが剣で部落を包囲し、(続く)
(承前)部落民を一人残らず広場に連れだします。その中から、日本兵士の性的な対象になるような女を片っ端からトラックに詰め込むのです。まるで大地震が起こったときのようなパニック状態です。対象となる女は、たいてい子どもがいました。私の部下は子どもを突き飛ばして、(続く)
(承前)母親をトラックに入れようとする。すると子どもは命がけで母親に取りすがろうとする。それを突き飛ばし、半狂乱になった母親を引きずってトラックに押し込みました。奴隷狩りして集めた女たちを現地の警察の留置所に入れ、30、50人と集まったら列車で釜山までいき関釜連絡船で(続く)
(承前)下関に運びました。女たちは、前線からやってきた軍属に引き渡され、シンガポール、マニラなどにいって、そこからさらに各地の前線の慰安所に送られていったんです。昭和18年、19年の2年間ですが、私が指揮をして連行した従軍慰安婦の数は、千人以上にのぼります。(続く)
(承前)ナチスドイツですら、占領地の女性を兵隊の性の対象としては連行しなかった、そんな制度は作らなかったんです。日本軍の行為は、ナチスドイツがユダヤ人をガス室で虐殺したのと同じくらいの20世紀最悪の国家の戦争犯罪です。当時母親を慰安婦にさせられたことを知った子どもたちは、(続く)
(承前)おとなになったいま口に出せない日本への恨みを抱きつづけています。だから私が証言しなければいけないんです。このことを話しているのは私一人です。私は戦争犯罪人、強制連行の事実を話し続けることが唯一の謝罪行為だと思います。私は死ぬまで話し続けます。」(引用終わり)
「赤旗」日曜版掲載の吉田証言を改めて読んで気づくのは、強制連行された朝鮮人女性は、子どもを持つ母親が多数存在したこと。命がけで母親に取りすがる子どもも生きていれば、掲載時の1992年には50歳前後。母親が「慰安婦」だったと名乗り出る娘や息子はいない。目撃者の証言の困難さである。
また、こうした吉田証言の内容は、日本人女性の場合にはない、朝鮮人女性の強制連行に独特の残酷さを示している。吉岡談話のいう日本帝国主義の朝鮮植民地支配の「植民地人民を人間扱いしない残酷さ」を具体的に示している。こうした吉田証言をまともな検証もせず取り消した日本共産党の罪は重い。
ちなみに、吉田証言は、強制連行した朝鮮人女性の特徴として、子持ちの母親がかなりいたことを共通して指摘してる。これは日本人「慰安婦」にない特徴である。例えば、済州島の「慰安婦狩り」では軍の命令書は動員対象について「年齢18歳以上30歳未満(既婚者も可、但し妊婦を除く)」とある。
また、在日朝鮮人女性を対象とした「慰安婦」向け動員対象も軍の命令書には「年齢18歳以上35歳未満(既婚者にても可、但し妊婦を除く)」とあった。私が取材して書いた「赤旗」日刊紙93年11月14日付の吉田証言の記事【添付写真=PDF2も参照】も、同様な状況描写がある。以下、その日刊紙記事の引用。(続く)
【PDF2】
(承前)「戦前おこなわれた『慰安婦狩り』の加害者側からの証言者、元山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治さん(80)が、元従軍慰安婦への国家補償を細川内閣がいまだに実現しないことに怒り、新たな証言を本紙に寄せました。この証言は、戦前の天皇制軍国主義による(続く)
(承前)『慰安婦狩り』の残酷さと日本国家の責任の重大さをあらためて示しています。(途中略)私たちは、小さな部落を部落単位で急襲しました。日本人警察官が朝鮮人警察官を指揮して『男も女も一人残らず全部、外へ出ろ』と村民に命令しました。みんな抵抗し、逃げ回る。わめく。(続く)
(承前)村中、パニックになる。広場に100人、多いところで2、300人を集め、私たち10人ばかりの徴用隊(労務報国会動員部)がその中から、徴用の男とともに、慰安婦に使えそうな女を体と顔と年かっこうとをみて連れていきます。腹をさわって妊娠しているかどうかを判別する部下も(続く)
(承前)いました。片っ端から『オイ』と声をかけ、巡査に命じて、はがいじめにし、つきとばし、そして警察のトラックに放り込む、そういうやり方でした。つかえそうな女はたいてい、赤ん坊を抱いている、それがこっちもいやでした。『しかたない』。部下たちは赤ん坊を取り上げて、(続く)
(承前)そこいらの年寄りのばあさんにまるでフットボールのように無造作に渡しました。いま、ふりかえると、それはすさまじいものですよ。それが、1942年以降、日本がアジア全域を占領したときの、労務者不足と慰安婦不足に対処するための強制連行の実態であり、奴隷狩り中の奴隷狩りでした」。
既婚者を「慰安婦」にすれば、夫や子どもに消すことのできない深い恨みを抱かせる。もし、内地の日本人女性に同じことをすれば「銃後」の支えをなくし、前線の日本人兵士の戦意を失わさせる。植民地の女性だからこそ、吉田証言のような非人間的な強制連行ができたのである。
植民地の朝鮮人男性には日本人男性にあった参政権もなく、日本人男性には古くからあった徴兵制も、朝鮮人男性には戦争末期まで実施されなかった。日本軍隊はほとんどが日本人男性で構成された。だからこそ士気にかかわることのない朝鮮人女性が「慰安婦」として暴力的に強制連行されたのである。
日本帝国主義の朝鮮植民地支配が「植民地人民を人間扱いしない残酷さ」を持っていたという視点は、その侵略戦争と植民地支配に命がけで反対して活動してきた日本共産党の伝統的な歴史認識である。1992年の「赤旗」日曜版の吉岡談話や吉田証言、金学順証言も異口同音、同じ視点が語られている。
朝鮮問題で最も詳しい政治家であり、日本共産党の幹部でもあった吉岡吉典氏は、2009年3月1日に韓国・ソウルの講演先で死去。その遺稿を研究者らが整理して出版した著書が2つある。
➀『「韓国併合」100年と日本』(2009年11月)
②『日韓基本条約が置き去りにしたもの』(2014年)
もし、吉岡吉典氏が存命だったら、2014年の「赤旗」論文による吉田証言取り消しはなかったのではないか。あの「赤旗」論文には、確かに朝鮮植民地支配の非人間性や残酷性を告発する視点はない。皮肉にも「歴史を偽造」しているのは、共産党なのかもしれない。
《参照》2014年の「赤旗」論文
「今日の世界は、あらゆる問題で過去を総括し、清算しながら進もうとする時代に入っています。従軍慰安婦問題で日本を批判する決議が広がっているのは、日本がそういう世界にさからって歴史をごまかそうとするものとみられているからです。歴史の事実を無視した、居直りや、侵略の美化では、(続く)
(承前)日本への信頼を回復することはできません。歴史の進歩の到達点に立って過去の過ちは過ちとして、きちんと清算して誠意を示すことによって、世界、とくにアジアとの真の相互信頼が生まれると思います。50年前と違い、朝鮮・韓国に関する立派な本がたくさん出ています。(続く)
(承前)しかしそれ以上に、侵略戦争や朝鮮植民地支配を美化、正当化する出版物が洪水のごとく出版されていること、そして、朝鮮侵略だけでなく、アジア太平洋戦争も含めて、あまりに明白な日本の侵略の歴史の清算がいまだにおこなわれず、『日本は過去の歴史を清算しないで居直る国』という(続く)
(承前)認識がアジアに広まっていることを直視せざるを得ません。日本がポツダム宣言を受諾してから60年以上たつのにこうした状況にあるのは残念であり、かつ恥ずかしいことです」(吉岡吉典著『「韓国併合」100年と日本』P4・5)。いまの共産党中央への忠告に聞こえるのは私だけだろうか。
吉田証言の取り消しは、過去の共産党の国会議員の活動の全面否定にまでつながる大変な問題である。いまの共産党指導部に、そういう自覚がないのが悲しい。同党の吉川春子参院議員のほか、吉岡吉典参院議員も、吉田証言を取り上げている。1990年6月1日の参院内閣委員会。以下、引用する。(続く)
(承前)「地方のこういういろいろな研究が行われておりますが、その中には、当時、朝鮮に人狩りに行った人が自分自身で反省を込めて、憲兵と一緒に朝鮮に行って片っ端から働きそうな者はトラックに乗せて日本へ運び込んだんだと、こういうことを告白している、こういうものもあります」(続く)
(続く)吉岡吉典議員は、吉田証言だけでなく、朝鮮総督府の顧問だった鎌田澤一郎氏の著書『朝鮮新話』(1950年発行)も紹介。そこには次の記述がある。「もっともひどいのは労務の徴用である。戦争が次第に苛烈になるに従って、朝鮮にも志願兵制度が敷かれる一方、労務徴用者の割当が(続く)
(承前)相当厳しくなって来た。納得の上で応募させていたのでは、その予定数に仲々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲い、或いは田畑で働いている最中に、トラックを回して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、(続く)
北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果すという乱暴なことをした」(同著P320)。吉岡議員は、吉田証言など加害当事者の証言を示して、植民地・朝鮮での非人間的で乱暴な動員状況を明らかにした。そうした過去の共産党の国会活動を何の検証もなく取り消した現在の党指導部の責任は重大である。
なお、当時の吉川春子党参院議員の国会活動については、同氏の著書『従軍慰安婦ーー新資料による国会論戦』(97年、あゆみ出版)に詳しい。
また、以下のリンク先に、私の論評がある。参考に。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage138.html
【追記】最近、国会議事録を精査していて気づいたが、吉川春子参院議員(当時)も1992年4月1日の参院予算委の質問で、吉田証言を取り上げ追及。林えいだい著『消された朝鮮人強制連行の記録』(1989年8月30日発行)で紹介された吉田証言である。念のため。
「赤旗」はときにスクープを報じるが、重大な誤報を報じることもある。最近の誤報で重大なものが、吉田証言を取り消した「検証記事」(2014年9月27日付)。この誤報は歴史的事実に反し、戦前の日本の非人間的な植民地支配を美化する。この誤報の撤回なくして選挙での共産党の躍進はありえない。
最近、映画「福田村事件」をみた。1923年9月1日に発生した関東大震災での朝鮮人虐殺事件をテーマにした映画である。その中で忘れられない言葉がある。映画の中で被差別部落出身の行商の親方が、殺される直前に加害者に向けて吐いたセリフだ。「朝鮮人なら殺してええんか!」である。(続く)
(承前)朝鮮人と間違えられて殺されたのは悲劇だが、少なくとも加害者は裁判で有罪になった。だが、約6千人の朝鮮人を殺した加害者はほとんど裁判にさえならず、当時の新聞は事実を報じなかった。植民地支配の非人間性は「慰安婦」問題でも同じ。「赤旗」は当時の新聞の二の舞を演じてはならない。