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(2025年9月29日からの閲覧回数)
☆キボタネ韓国ツアーの報告(5)
(2025年9月6日~のツイート再録)
フリージャーナリスト・今田真人
キボタネ韓国ツアーの「望郷の丘」見学で、ガイドをした正義連の中心活動家、ユン・ミヒャンさんは、吉田清治氏の謝罪碑の横で、謝罪碑損壊の犯人・奥茂治氏について、あるエピソードを語った。それは、奥氏によるユン・ミヒャンさんへのストーカー行為である。
(承前)ユン・ミヒャンさんはいう。「2017年に韓国社会をさわがせた事件がありました。ある日本の右翼団体の代表(奥茂治氏のこと)が、望郷の丘の管理人も知らないうちにここにきて、謝罪碑をこれ(いわゆる慰霊碑)でおおってしまったんですね。…私はこれと関連した逸話があります。(続く)
(承前)水曜デモのときに、ある日本人の男性が水曜デモが終わって私にあいさつをしてきたんですね。『20年間の水曜日』(2011年発行)という本が日本で翻訳されたので、その本を持ってきて私にサインをくれと言うんです。…(ユン・ミヒャンさんの)ファンだというふうに言いました。(続く)
(承前)ところが、その人が、その次の時(水曜デモ)も来た。その次の日は水曜デモの中で、私のことをずうっと(ビデオカメラでか?)撮っているんです。ストーカかなと思いました。…ちょっとゾッとしたのは、いつかと言いますと、事務所に私が帰ってきたときに、この人が事務所で私を(続く)
(承前)待っていたんです。…小さな小菊の花かごを私に渡しながら、写真をとろうと言ったんです。ちょっとゾッとしたんですけど、どうして事務所まで来たんですかと言いながら、写真をとりました。でもなんか、イヤーな感じがしました。…(当時の事務局長が)『あの人はちょっとおかしい。
(承前)…ヤン・ミヒャンさんばっかり(ビデオカメラで?)撮り続けている。追いかけている。だから家にまでくるんじゃないですか。気をつけた方がいいですよ』と私に言いました。まさか、そんなことはしないだろう。韓国の国情院(KCIAの後身)でもあるまいし(続く)
【ウィキペディア~大韓民国国家情報院(国情院)】
(承前)…ところが、この事件(吉田清治謝罪碑の無断毀損事件)が報道されました。そして犯人が捕まったと、それが新聞に出ました、その犯人の顔が。私を追っかけたその人、ファンだと言ったその人が犯人だったんです。ですから、その時からいろいろ調べたら、自衛隊を除隊して(続く)
(承前)代表的な日本の右翼団体の代表ということがわかりました。ですから、私をなぜ追い回したのか、いま考えると、その時、ゾッとした感じというのが間違っていなかったんだな、というふうに思いました。もうへたしたら、この人は私にも何かやったかも知れない。まあ、こういう悪いことを(続く)
(承前)してきた人ですから。でも日本国民だから(奥氏を)日本に帰した。…捕まったけれども日本に帰したそうです(懲役6月の有罪判決が確定したが、執行猶予がついたので日本に帰国できたということか?)」
(以上がユン・ミヒャンさんの話)
【参考】奥氏擁護の異常な立場から報道する産経新聞の記事。
ところで、「謝罪碑」の向かって左側に建てられている「案内版」。上半分はヤン・チンジャさんに翻訳してもらったが、下半分にもハングルで書かれた写真つきの文章がある。
「謝罪碑無断毀損」という題の下に2つの写真が並べられ、左が「謝罪碑原版」(83年12月)、右が「謝罪碑毀損」(2017年3月)とある。左の謝罪碑の内容が次にハングル(上の写真)で紹介されている。
「-日本人の謝罪碑の内容
「-(吉田清治氏の謝罪碑の内容がハングルで書かれている。あとで日本語で紹介するので、ここでは省略)」
「案内板」の下半分のさらに下には「不正侵害された謝罪碑の回復過程」と題して、4つの写真が並ぶ。各写真の上に「ステップ1」「ステップ2」「ステップ3」「削除完了」と書かれ、各写真の下には簡単な「写真えとき」がある。
その「写真えとき」を、「ステップ1」から順番に訳すと「接着部位および毀損程度確認」、「原版毀損を最小限に抑え撤去」、「接着部の最後の標識を解体」、「復旧された原版と撤去された毀損版」となる。
(案内板のハングルの翻訳おわり)
案内板の説明は以上だが、やはり、吉田清治氏の謝罪碑本体の内容を改めて、きちんと紹介すべきと思う。謝罪碑の文は、上がハングル、下が日本語で書かれている。
「日本人の謝罪碑――あなたは日本の侵略戦争にために徴用され強制連行されて 強制労働の屈辱と苦難の中で 家族を想い 望郷の念も空しく 貴い命を奪われました 私は徴用と強制連行を実行指揮した日本人の一人として 人道に反したその行為と精神を深く反省して 謹んで あなたに謝罪いたします 老齢の私は死後も あなたの霊の前に拝跪して あなたの許しを請い続けます 合掌
1983年12月15日
元労務報国会徴用隊長 吉田清治」
(以上が、吉田清治さんの謝罪碑の日本語文全文です)
私が吉田清治さんに「赤旗」記者としてインタビュー取材したのが、1993年10月。その内容を収録した拙著『緊急出版 吉田証言は生きている』の発行が2015年4月。
32年ぶりの「再会」。感慨深い。
キボタネ韓国ツアーの「望郷の丘」の見学(今年9月7日午前)。ガイドのユン・ミヒャンさんによる、謝罪碑毀損犯人とのエピソード(犯人・奥茂治氏によるストーカー被害)の話にはびっくりしたが、さらに彼女は謝罪碑の案内板のそばで、ツアー参加者に吉田清治さんへの思いを語った。(続く)
(承前)ユン・ミヒャンさんの話。「私の個人的な思いをいいますと、運動が始まる前に、吉田清治さんが謝罪碑を建てたわけですよね。これは私は本当にまことだと思います。運動が始まる前でしたから。またあとで否定が巻き起こりましたけれども、だれも何も言わなかったときに、これを立てた。(続く)
(承前)吉田清治さんのまことだと思います」(同時通訳のヤン・チンジャさんの翻訳)
ユン・ミヒャンさんは「吉田清治さんのまこと」という言葉を繰り返した。「まこと」とは「真実」という意味だろうか。一人の日本人男性として、加害を反省して証言した日本人がいた事実に少し感動した時だった。
以下、【報告】(6)に続く。
【各回へのリンク】
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(1)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(2)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(3)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(4)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(5)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(6)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(7)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(8)