|
(2025年9月28日からの閲覧回数)
☆キボタネ韓国ツアーの報告(3)
(2025年9月6日~のツイート再録)
フリージャーナリスト・今田真人
【報告3】
私がキボタネ韓国ツアーを選んだ大きな理由の一つは、現在進行中の韓国民主化の市民のたたかいを現場で追体験したいと思ったことと、正義連が2012年5月に開館した「戦争と女性の人権博物館」を見学したい、ということだった。不可能かと思えたこの夢が今回実現した。
【拙速だった共産党の吉田証言否定】
ツアー4日目(9月9日)に訪れた「戦争と女性の人権博物館」。管内の展示は、リンク先の2023年の福島夏子さんのリポートが網羅的で、わかりやすい。展示内容は現在もほぼ同じ。私自身が訪問した後に読み返し、記憶を整理することに大変役立った。以下、私のリポートです。
【フォトレポート(福島夏子(Tokyo Art Beat編集長)――「戦争と女性の人権博物館」を知っていますか? ソウルで日本軍「慰安婦」問題の記録と継承を行うミュージアムを訪ねる】
私が選んだ入館時のチケットは、金学順さんのもの(写真)。韓国で初めて被害者だと名乗り出たことで有名。日本語のオーディオガイドを耳に付ける。日本人男性としては、女性と違い、性被害の苦しみをストレートに共感することは難しいかも。ただ、そのつらさや境遇を思いやることができると思った。
出発地点の小部屋の鉄扉を開け、外に出る。戦場の砲声のようなドーンという鈍い音が響き、ザッザッという砕石の上を兵隊が軍靴で歩くような効果音が流れる。被害者の描いた絵を右に見ながら、暗い地下室へ階段を下りていく。並んだ絵の2番目に、あの金順徳(キムスンドク)さんの絵「連行」(1995)があった。
一番目が金福童(キムプクトン)さんの「14歳で連行された日」(1998)、3番目が金順徳さんの「連行される船の中」(1995)と続く。被害者の体験をもとに描かれた被害者自身の絵。これらを少女の暴力的な強制連行ではないという人の顔がみたい。添付の写真は、4番目以降に並ぶ他の被害者の絵。
展示された6枚の絵の中で、金順徳さんの絵だけ2枚ある。「連行」(1995)と「連行される船の中」(1995)。絵のテーマをみても、それが日本政府の組織的暴力的な強制連行であったことを示してはいないだろうか。連行される船に日の丸が描かれているのも、日本政府の犯行を示している。
しかし、金順徳さんの証言は探したが、みつからなかった。展示された1番目の絵は、この博物館の建設でも先頭に立った活動家でもあった金福童さんの絵「14歳で連行された日」(1998)である。ユン・ミヒャンさんの著書『20年間の水曜日』では、以下のように金福童さんの体験を紹介している。
「金福童ハルモニは、ある日本軍人と里長(村長)が母親を訪ねて来て、家に息子がいないという理由で、福童ハルモニを挺身隊員として軍服工場に連れていく契約書に署名するよう強要したと証言しています」(P61)。
また、同館発行『女性人権活動家 金福童 追悼と記憶展』には、次のように書かれている。
金福童さんの証言。「黄色い服を着た人ひとりと警察が来たんだよ。来てね、今、日本は戦争をしている、兵士たちの軍服を作るのに工場で働く人が足りなくて娘たちを募集しているんだと。イヤとは言えなかったんだよ。あの時代はイヤだと言ったら配給も絶たれてしまうし、親も殺してしまう。(続く)
(承前)あの頃は。梁山から釜山まで行ったら波止場、第2埠頭。そこに大きな倉庫があったんだけど、倉庫に行ったら軍人、憲兵が銃を持って立っていたんだよ、門の前にね。門を開けて中に入るとその中には私のような娘たちが20人いたか、(続く)
=写真は烏山市にある金福童平和センター前の少女像
(承前)…それははっきり覚えてないけど、たくさんいたよ。…夜連絡船に乗って、朝になると下関に着いていた。下関で降りて、…1週間ぐらいいたかな。…船に乗って行ったところがカントン(中国・広東)」。そこで金福童さんは日本軍「慰安婦」にされた。
=写真は、金福童平和センター横の垂れ幕
~「戦争と女性の人権博物館」の見学の続き~
地下への階段を降り、ドアを開けると、そこは薄暗い空間が現れる。戦場と慰安所の映像を背景に、金学順さんが苦難の人生を語る様子が映し出される。
地下展示室には、中には入れない狭い部屋があり、見学者がそれをのぞく一角がある。そこには廃墟の石ころの上に、被害女性のものらしき靴が2足置かれている。3つの側面には、戦時の慰安所と「慰安婦」の映像や、被害女性の若かりしころの姿、年老いた現在の姿の映像が映される。
オーディオガイドが言う。「若さが老いていくのは、すべての人に与えらえれた平凡な人生ですが、戦争と慰安所は、彼女たちの人生を決して平凡でないものに変えてしまいました。真ん中に置かれた2足の靴は、日本軍「慰安婦」被害者が実際に履いていたもので、彼女たちが歩んできた険しい人生の(続く)
(承前)道のりを表現しています。簡単には入れない暗く断絶されたこの空間は、被害者が経験した世界との断絶、そしてその苦痛の重みを感じさせる場所です」。
写真は同所の掲示板。「展示中の空間です/関係者以外の立入禁止/ここは日本軍「慰安婦」被害者の方々の人生を記憶する空間です」。
以下、【報告】(4)に続く。
【各回へのリンク】
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(1)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(2)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(3)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(4)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(5)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(6)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(7)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(8)