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(2025年10月11日からの閲覧回数)


☆キボタネ韓国ツアーの報告(7)
(2025年9月6日~のツイート再録)
          フリージャーナリスト・今田真人



~「戦争と女性の人権博物館」の見学の続き~
暗い地下展示室には、金学順さんが悲しげな歌をうたう動画(添付写真)が映し出される。オーディオガイドが言う。「悪夢のような経験を(続く)




(承前)世界に吐露するまでの恐怖と勇気を感じることができましたか。被害者が沈黙をやぶり、真実を聞かせてくれなかったならば、日本軍『慰安婦』問題は、歴史の中に埋もれてしまっていたでしょう。(地下展示室の)壁面を埋める写真をゆっくり見回すと日本兵と建物がみえるでしょうか。(続く)


(承前)それは日本軍『慰安所』として使用された建物と、そして『慰安所』の規則表です。青春と人権をそっくりそのまま奪われた『慰安所』を背景に、小さな3つの画面(添付写真)には、ハルモニの絶叫と涙、そして笑いがあります。苦しい記憶の中に閉じ込められた、声なき絶叫が、(続く)




(承前)いますぐにでも画面を突き破り、地下室に響き渡る錯覚にとらわれます。それでも最後には、その苦しみを乗り越えて立ち上がり、真実を語った勇気と、笑いを失わない強さを見せてくれます」。ただ、日本人の私には、韓国語で話す被害者の絶叫が残念だが、いま一つ、意味がわからない。(続く)


(承前)オーディオガイドは、その絶叫や3つの動画の韓国語までは翻訳してくれない。金学順さんは1991年8月14日、韓国で初めて日本軍「慰安婦」被害者であると名乗り出た。「証人が生きているのに日本政府が真っ赤なウソをつけますか?」「韓国の女性よ、目を覚ましなさい!(続く)


(承前)再び被害を受けないために」という叫びで沈黙を破った。その証言は、日本でもいくつかの出版物で紹介された。私は、日本に帰ってから動画を探してみた。題名は「私の願いは…故・金学順さんの最後の証言」。映画「非常戒厳前夜」に登場する「ニュース打破」の制作。

【ニュース打破「目撃者」~私の願いは…故・金学順さんの最後の証言】


この動画は、金学順さんが1997年12月16日に死去する5カ月前に撮影。それを2016年1月にアップ。2015年末の日韓合意に反対する韓国の市民運動に、彼女の証言が絶大な力を持っていたことがわかる。権力犯罪を告発する被害者の証言の迫力を実感する動画だ。


「死ぬ前に一言でも言いたくて発言し始めました。(1991年)8月14日の夜にすべてのテレビ局を集めて言ったんです。本当に腹が立ってたまらない。韓国の女性たち、目を覚まして。もどかしくてたまらない。胸が張り裂けそうです。日本に行ってみなさい。日本は相変わらずです。(続く)


(承前)あれほど日本の被害にあって。私たちだって力をつけられるのに、韓国の女性たちはどうして何も知らないで生きているの。殺されるのが怖くて、若い時には、言いたくても言えなかった。でも、年をとって考えてみると、言わないままでは悔しくてたまらない。(続く)


(承前)こんなことを言ったら、日本人に殺されるかも知れないと思いながら、死ぬ前には話すべきだと。私の代わりに話してくれる人はいないと思って話し始めたんです。本当に言葉になりません。無数の軍人が強制的に押しかける時には、逃げようとするんだけど、捕まってまた連れて行かれて…。(続く)


(承前)本当に辛くて悲しくて言葉になりません、あの時のことを考えまいと思っても気持ちがもっと…。どうすればいいいのか分かりません。あの時のことを思うと…」「一人娘を母さんが女手一つで育てて、やっと大きくなったら16歳の子を連れて行って、日本の軍隊に押し入れて強制的に(続く)


(承前)あんなことをさせて、人をこんな風にしてしまった。生涯一人で暮らしながら、他人が見ていないところで、昼も夜も泣き暮らしたんだから。本当にこの怒りをどう解消させればいいか分からない。腹が立って悔しくて我慢がならない。(涙を浮かべながら)考えれば考えるほど、恨めしくて(続く)


(承前)耐えられない。本当にあの時のことを思うと怒りで死にそうになる。それで余計に息が苦しくなるみたい。呼吸困難になる。(ハンカチで鼻水をぬぐう)」「若い時には出られなかった。恥ずかしいことだと思ったから。まずは恥ずかしいと。今は年を取ったから、恥ずかしいこともない。(続く)


(承前)もう大丈夫。乗り越えたから。でも若い時には他人から見て恥ずかしいことだと思って。恥ずかしいことでしょ。人並みに暮らすこともできず、日本軍に連れて行かれて、『慰安婦』にされたことは普通のことじゃないでしょ。それを韓国で知ったなら、(続く)


(承前)上部で(対応を)してくれれば良かったのに、逆に帰って来た人を卑しいと考え、相手にしてくれないし、価値のない人間扱いされて、昼夜を問わず泣くしかなかった。声を殺して涙を流した。話すところがなかったから。私たちが生きて来た世の中がそうだったの。(続く)


(承前)今はもう何も考えない。ただ何が何でも復讐(ふくしゅう)。日本から申し訳なかったと言われること。謝罪を受けること。願いはそれだけ。他にはない」「私たちは謝罪して賠償しろと言っている。謝罪はできないということが兆候として出て来て、賠償も正当な賠償ができないから、(続く)


(承前)いくらか見舞金として募金する。日本で女性団体が募金して200万円だかを見舞金としてあげると、臼杵敬子(国民基金=アジア女性基金=関係者)がそんなことを言うんだけど、それはだめだ、とんでもないことだ、どうして私たちが見舞金をもらうの?どうして見舞金を?ありえない。(続く)


(承前)正々堂々と謝罪して賠償しろ」「日本人は人間じゃないと思う。あれが人間なの?あんなことができるなんて。間違いなく、いろんな国を侵略して踏みにじっておいて、いまさら知らないふりをして、しらばくれて。(続く)


(承前)…他人を憎むことがどれほどつらいことか、分かる?言葉にはできないほど、つらいことよ、他人を憎むことは。私の恥辱は二の次だ、二の次。悔しい思いは言い尽くせない。きちんと考えてごらんなさい。世界は日本が戦争をしたという。でも自分たちは戦争ではなくて、(続く)


(承前)アジアの国々のためにやったと。独立をさせたと、こんなことを言うんだけど。話にならないことばかり言ってる。日本が戦争を起こしたせいで、被害を受けた国が一つや二つですか。アジアの国々が被害にあったんだから。自ら反省して一言でも謝罪すべきではないのか。人間ならば。(続く)


(承前)…私は他の人はいらない。日本人は天皇と言うけど、私は『日王』と呼ぶしかない。日本の王だから『日王』と言うのよ。『日王』があの時のことは自分たちが悪いことをした、戦争をしたのは悪かったと、それは必ず謝罪すべきだと思う。他の人はいらない。日本の人々ではない。(続く)


(承前)『日王』が謝罪すべきで、他の日本人が言ってもしょうがない」「どうしても、どうしても、(『日王』の謝罪を)見届けるまでは絶対死なない。110歳、120歳まで生きていく。だから必死になっているわけよ。私の目で、耳で(謝罪を)聞こうと」「どうして日本、(続く)


(承前)日本と言いさえすればビビるの?どうして日本には何も言えないのか。私には分からない。それが一番なさけない。日本の子たちといっしょにしておいたら、日本人になってしまう。それが心配でたまらない。お願いだから、そうならないでほしい」(動画の故・金学順さんの証言から)。


金学順さんの証言はいくつかある。代表的な韓国語の原典は、韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(1993年、図書出版ハンウル、ソウル)に収録されている。その日本語訳は『証言――強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(1993年、明石書店)や(続く)






(承前)『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅰ』(2006年、明石書店)がある。金学順さんが証言するに至った当時の状況や、韓国の民主化運動、女性運動の関係をわかりやすく説明した著書では、ヤン・チンジャ著『「慰安婦」問題ってなんだろう?』(2022年、平凡社)がおすすめ。






とりわけ、日本の極右や「歴史修正主義者」らが金学順証言を攻撃・否定する定番、〝金学順さんは、日本軍や官憲に強制連行されたのではなく、キーセンとして業者に売られたにすぎない“論がある。これについては、上記の著書をまじめに読めば、デマにすぎないことがわかるので、ぜひお読みください。


以下、【報告】(8)に続く。


【各回へのリンク】
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(1)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(2)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(3)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(4)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(5)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(6)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(7)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(8)

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