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(2025年11月30日からの閲覧回数)


☆キボタネ韓国ツアーの報告(11)
(2025年9月6日~のツイート再録)
          フリージャーナリスト・今田真人



「戦争と女性の人権博物館」の見学の続き~
話がだいぶ本題から逸れてしまったが、ついでに、山口県の特高警察が戦前の日本で東京、大阪に次ぐ、巨大組織だったことや、特高警察官の山本操氏の人物像などを、治安維持法国賠同盟山口県本部会長の林洋武氏が、あるサイトで書いている。興味深いのでいくつか、引用する。
【関連のサイト】


(承前)「治安維持法と山口県特高課下関出張所」と題する連載である。「戦前の山口県特高課は、全国の特高課の中でも独自の役割を与えられていました。それは、山口県が、下関と朝鮮の釜山を結ぶ関釜連絡船を通じて、朝鮮や中国など大陸の窓口だからでした。(続く)


(承前)アジアの植民地支配にとって最重要な拠点でした。…下関の特高課出張所は最盛時期には、七十八名(定員一一三名)を数え、東京、大阪に次ぐ大特高課でした。(以上山口県警史より)」(連載第1回)。
「日韓『併合』で朝鮮人も日本人扱いがされたかというと実際はそうは(続く)


(承前)いきませんでした。大正時代は、大量な朝鮮人が日本に流入すると朝鮮人の日本への渡航を制限しました。朝鮮人の留学生が多かった時代でしたが、留学生であれ労働者であれ、そのころは朝鮮総督府の許可証を持つことが義務づけられました。(続く)


(承前)また、昭和になっても在住する地域の警察の通行証が必要でした。釜山の乗船口は日本人と朝鮮人とは別々でした。日本人客に潜り込もうとするとそれだけで『不逞鮮人』(けしからぬ朝鮮人)扱いで乗船させられずとめおきされました。(続く)


(承前)それでも日本に渡航する必要性がおきると許可証なしに渡航する人も出てきました。『不逞鮮人』という蔑称で、少しでも怪しいとにらんだものはみな網に引っかけたのです。戦争が激しくなって日本の労働者不足が激しくなると徴用という強制連行が行われましたが、(続く)


(承前)これには警察官などの厳重な監視が伴いました。」(連載3回目)。
「山口県特高課が、全国有数の特高課であった理由は、外事警察として主としてこうした朝鮮人監視と思想犯への監視にあったのです。」(連載4回目)
「蛇蝎のように嫌われた男 山口県特高課の警察官に山本操という男(続く)


(承前)がいます。山口県特高課の警察官に山本操という男がいます。…特高課発足以来特高課員として、山口警察署と下関署と下関出張所に籍を置き、多くの『功績』をあげて最後には下関警察署長で終戦を迎ました。戦後、公職追放を受けたあとは下関水産業界に入り、(続く)


(承前)水産会館の社長などをつとめました。彼は、県の『防長警友』(警察官の退職者の組織『警友会』の機関紙)という小誌に『風雪五十年』という回顧録を書きそれをまとめて小冊子として残しております。…戦前の活動家たち…は山本操のことを『出世のためには何でもする男』(続く)


(承前)と蛇蝎(だかつ=ヘビとサソリの意)のように嫌っていました。」(連載第6回目)
「(クロード窒素の労働運動の弾圧事件で)ここで出てきたのが、山本操の特高課です。彼らは、この動きを当初から把握して追跡していました。そして、クロード窒素の争議団の事務所を突き止めると、(続く)


(承前)その道をはさんだ目と鼻のさきに民家を借りて二〇数名の警察官をあて、取締本部を設置しました。そして争議団の動きを監視します。…この争議には暴力団が動きます…ストは、『初めて聞いた、みた』と周辺の住民が驚いた会社側の近代的機器、大マイクロホンによる宣伝と(続く)


(承前)暴力団によるドス(短刀・合口などの小型の刀=「おどす」の「お」が省略された語)の脅しとともに二一日闘った後、敗北します。しかし、この戦いは三井財閥を相手に正面からたたかったという点で全国的にも評価される闘争でした。同時に、特高が労働運動の弾圧の前面に出ている点でも注目すべき経過です。」(連載10回目)
以上で引用を終る。(続く)


(承前)この引用でも特高警察官の山本操氏がどんなに恐ろしい人物であったかがわかる。この人物が、吉田清治氏の属した、山口県労務報国会下関支部の支部長であった。そして、暴力団を使って当時の労働運動を弾圧する先頭にも立っていたのである。(続く)


(承前)この人物が、朝鮮人強制連行、とりわけ朝鮮人「慰安婦」の強制連行に関わっていないと思うほど、不自然な歴史解釈はないだろう。自伝『風雪五十年』には、戦前、労務報国会の役員をしていたという記述はないが、朝鮮人の強制連行の責任者でなくては書けない記述はいくつもある。(続く)


(承前)今回のこの連ツイは、山本操氏の役割を全面的に分析することが狙いではないので、別途、それは報告したい。なお、自伝『風雪五十年』からの朝鮮人「慰安婦」強制連行に関係する引用は、以下の私の講演のレジュメの中で、いくつか紹介した。参考に。
【私の講演会「嫌韓ナショナリズムと植民地主義」のページ】


(承前)補足であるが、特高警察官の山本操氏は、こんな顔をしていた。山口県の当時の地元紙、関門日報1943年8月3日付。例の自伝によると、戦前の警察官は腰に日本刀を帯びていたという。しかも剣道五段の腕前であり、竹刀を使って拷問をしたことをほのめかしている(P333~)。




(承前)山本操氏の前任の、山口県労務報国会下関支部長、足立寛二氏(新聞では足立寛と名乗るときもあった)は、暴力団足立組の親分。彼はこんな顔をしていた。関門日報1943年7月28日付。




(承前)山口県労務報国会の理事で、暴力団として関西、九州地方を〝風靡″した大暴力団、籠寅組(かごとらぐみ)の親分、保良(ほら)寅之助氏の顔。関門日報1942年8月13日付。戦前は下関市議会議長も務めた。特高警察幹部の山本操氏とは「刎頚(ふんけい)の友」(自伝P353~)。




(承前)関門日報1944年1月12日付。「南寅隊が仇討に!〝やくざがお国に尽すは今だ″と勇躍南方に征く井上組 背の入墨伊達(だて)ぢやない」の見出し。「下松市本町の労務供給業井上組の親分井上逸明氏」云々。労務報国会を構成した労務供給業者とは、やくざ、すなわち暴力団の親分であった。




(承前)山本操氏は自伝『風雪五十年』(1972年、防長新聞社)では、山口県労務報国会下関支部長だったことを隠しているが、戦前の関門日報1945年1月11日付に「労報支部長に山本署長就任」という記事がある。「労報下関支部長足立寛氏にかわつて山本下関署長が去る1日付をもつて就任」。




(承前)ただ、自伝でも、戦後の1946年2月、米占領軍により山本操氏が逮捕された事実が書かれている。容疑が「労務報国会を結成して、労働者を強制的に就労させた」など。あと一歩だったが、当時の官憲などの強い抵抗があり、彼は嫌疑なしで釈放された。(『山口県警察史・下巻』1982年より)


(承前)特高警察の山本操氏が牛耳っていた山口県労務報国会下関支部は同支部主催で、下関市内の暴力団の各組員を集めて堂々と「座談会」を開いたこともある。関門日報1943年12月15日付。記事中には支部長の足立寛氏の他、「籠寅組」「足立組」などの肩書のつく出席者が並ぶ。(続く)




(承前)関門日報は戦時中の山口県の県紙だったわけだが、お隣の広島県の県紙は中国新聞。その1944年8月30日付に「労報の新機構」と題する記事がある。いわく「増大する外地労務者の移入斡旋も労報に一元化して移入の円滑化を期した」と。当時、植民地・朝鮮は外地とよばれた。(続く)






(承前)山口県とは関門海峡を挟んだ隣県の福岡県の当時の県紙は西日本新聞。その1944年8月30日付にも「労報の新機構成る、命令系統一本立で迅速出動」と題する記事がある。いわく「増大する外地労務の移入斡旋も労報に一元化して移入の円滑化を期した」。朝鮮人労務者の内地への(続く)




(承前)動員、つまり「朝鮮総督府による官斡旋」という事実上の強制連行について、労務報国会が全国的に「一元」的に行うということになったという意味である。「一元化」とは、これまで労務報国会だけでなく別団体などもやってきたが、これからは労務報国会に統一するということである。(続く)


(承前)これは、1944年8月29日以前にも、労務報国会が、別組織などとともに、植民地・朝鮮での朝鮮人強制連行を担っていたことを裏づけている。今回、この仕事を労務報国会に「一元化」するわけだから、これまでも、この仕事が労務報国会の中心的なものであったことを物語ってもいる。(続く)


(承前)吉田清治氏が属する山口県労務報国会下関支部が植民地・朝鮮の済州島での「慰安婦狩り」に下関を出発したのが1943年5月17日。それを当時の新聞報道が裏づけたことになる。日本の権威ある学者は新著で「ありえない」とか言って、いまだに吉田証言を否定する。その頑迷さが残念である。


以上、縷々説明してきたが、労務報国会とは幹部警察官が指揮する「朝鮮人労務者・慰安婦狩り」のための国家の暴力装置の一つであった。その暴力公使的業務の為、職員の大半がやくざ・暴力団員で構成されていた。当時の陸軍の「勤労査察調査」によると、その職員数は全国計で15万人に上る。(続く)








(承前)労務報国会の全国組織・大日本労務報国会の理事長、三島誠也氏(幹部警察官僚)の1944年2月の講演録『労報の使命』(国会図書館所蔵)によると、「此(の)仕事(労務報国会による「労務者の重点的配置動員」=労務者の強制連行を指す)は国家権力を以って為すべき仕事で、(続く)






(承前)政府は厚生省が之を受け持ち、地方庁国民勤労動員署等が実行に当るわけであります。然るに厚生省では此(の)仕事の援助者としての役目を労報(労務報国会)に扱はしめる事にしました。印(即の誤植)ち労報は政府の指揮に従って此(の)実際の仕事に当る事になったのであります。(続く)


(承前)従って此(の)仕事は本来全然政府の仕事の一部分でありまして、此(の)仕事を担当する事は労報(労務報国会)の一大特徴であり、一大特権であり、同時に又一大義務であります。此(の)点は他の団体と根本的に違う点であります。例へば生産増強の為め国民運動を担当する点に付ては、(続く)


(承前)産報(産業報国会)も労報(労務報国会)も少しも変りありませんが、此(の)労務の配置動員の事は産報では全然扱って居りません。…動員とは多数の者を団体的に或(る)仕事の為に動かす事で、例へば挺身隊を組織して、平素と違った方面で仕事に従事せしむるやうな場合を指します…。(続く)


(承前)…以上申し上げた配置動員の事も困難ではあるし、本来役所の仕事の御手伝いでありますから実行の際は、動員署警察署と十分の連絡をとり、其(の)指揮を受くべきものである事を特に申し添えます」。これは、九州地方の労務報国会の幹部を相手に、その「指導者錬成講習会」で、(続く)


(承前)大日本労務報国会の理事長、三島誠也氏が説明した講演記録(内部資料とみられる)である。労務報国会が警察署などの指揮により、実力部隊として動員業務を行うことになったことを率直に指摘している。労務報国会は戦中、警察官に代わって、労務者を強制的に動員する国家の暴力装置であった。


以下、【報告】(12)に続く。


【各回へのリンク】
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(1)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(2)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(3)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(4)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(5)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(6)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(7)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(8)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(9)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(10)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(11)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(12)


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