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(2025年10月25日からの閲覧回数)


☆キボタネ韓国ツアーの報告(9)
(2025年9月6日~のツイート再録)
          フリージャーナリスト・今田真人



~「戦争と女性の人権博物館」の見学の続き~
シム・ダリョンさんの証言をぜひ、読みたいと思った。なぜなら、絵本作家のクォン・ユンドクさんが『花ばぁば』冒頭の「著者からの言葉」で、この絵本を「証言集」をもう一度読んで描いたと書いているし、(続く)


(承前)韓国語の「証言集」があるということは、日本語版もあるかもしれない。それで私の蔵書をもう一度、探してみた。やっと発見。『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅱ』(2010年、明石書店)である。出典は韓国挺対協・研究会編『証言集Ⅲ』。28頁に及ぶ長い証言である。






(承前)確かに、絵本作家のクォン・ユンドクさんも言うように「シム・ダリョンさんの証言に明瞭でない部分がある」のは確かだが、それは「幼い時(12歳か13歳の時)に強制的にあんなことをされたら、誰でも気がおかしくなってしまう」のであり、それを責めることはお門違いである。(続く)


(承前)「私たちは被害者の証言に何かを要求するよりも、まず彼女たちが経験した痛みに共感する姿勢を持たなければなりません。証言は、事実を証明する資料である以前に、真実を明らかにすることで証言者自身が大切な人として、生まれ変わる過程でもあるからです」(『花ばぁば』の著者の巻頭言)




独自にシム・ダリョンの証言を取材した、フォトジャーナリストの伊藤孝司さんも著書『無窮花の悲しみ』の中で次のようにいう。「インターネットのウェブサイトなどでは、被害女性たちの証言の揚げ足取りが行われている。証言の『矛盾点』や、異なる機会に語った『相違点』を(続く)


(承前)こまごまとあげつらうことで、証言全体の信憑(しんぴょう)性を否定しようとしている。だがそのような行為は、まったく何の意味もない。拉致をされて監禁状態に置かれていた被害女性たちは、記録をしておく手段はなかった。そのため彼女たちは、被害を受けてから半世紀ほども(続く)


(承前)たってから、当時を思い出しながら語っているのだ。細かなことを忘れていたり、『記憶』が違っていたりしても何の不思議もない」「また、被害女性の強制連行が公文書に記載されているかどうかに固執し、証言を極端に軽視する人たちがいる。日本敗戦が明確になった時、(続く)


(承前)戦争犯罪を問われないために、植民地・占領地を含むあらゆる日本の軍や行政機関において徹底した文書の焼却が行われた。そのため、『証拠』となる公文書が残っていることの方が奇跡に近い。被害女性たちが、血を吐くような思いで語った証言を正面から受け止めてこそ、事実に迫ること(続く)


(承前)ができるだろう」(P222、223)。まったくそのとおりである。被害者に対する態度だけではない。加害者に対する態度も、私はそうあるべきだと思う。取材対象者を頭から疑う態度では、相手から何の貴重な情報も得ることはできないだろう。吉田清治さんの取材で痛感していることである。


(承前)戦争中は加害国の国民の一人として、戦争に反対すれば治安維持法などの弾圧法で拷問にあったり命すら奪われる危険の中で、選択肢のない職業として「慰安婦狩り」をした吉田清治さん。戦後、自分だけでなく上司や仲間が戦犯追及から逃れるため、関係書類をすべて焼き、隠れるように(続く)


(承前)生きて来た半生。それでも、自らの戦争犯罪を勇気を持って告発した数少ない加害者。しかし、かつての上司や仲間を同意もなく告発することはできない。告発本では関係者の名前などを「カモフラージュ」した。それをあげつらって、彼を「詐話師」とか「うそつき」よばわりする日本人。(続く)


(承前)「慰安婦」強制連行という国家犯罪をした加害国の国民、あるいは男性として、被害証言などに対する態度が問われた韓国ツアーでもあった。「戦争と女性の人権博物館」の関係者は、私たちのツアー参加者に対して、あたたかい歓迎の出迎えもしてくださり、本当に感謝の気持ちで一杯である。




「戦争と女性の人権博物館」の2階に展示された「慰安所内部の様子を一目でわかる」絵をもう一度凝視する。「仕切られた各部屋で、女性が軍人に強姦され」ている。絵本だから、露骨な描き方ではないけど、ズボンを下げていまにも襲いかかろうとする、日本兵の鬼畜のような姿がおぞましい。(続く)




(承前)被害女性はまるで、いくらでも替えがある消耗品のようだ。性病検査に引っかかれば、現代のような特効薬もないので使い捨てになる。つまり、殺される。慰安所設置の目的が、侵略地女性への強姦防止とされていたのだから、被害女性は必然的に植民地の朝鮮人女性が中心となった。(続く)






(承前)この絵や写真からもわかるように、日本軍や日本政府の直接的な加害責任は明らかである。この絵の中には、歴史修正主義者がいつも持ち出す「業者」はひとりも描かれていない。絵本作家クォン・ユンドクさんのモデルとなった被害女性シム・ダリョンさんの証言にも「業者」は出てこない。(続く)


(承前)前掲の写真は「性病検診台」(左)と「性病検診をする日本人の軍医と衛生兵、従軍看護婦」。当然、この日本人たちは、慰安所の仕組みや被害者の実態を熟知していたはずだが、ほとんどの人は戦後、沈黙をしたままである。「業者」を主犯だと断定するのは、あまりに犯罪的である。(続く)


(承前)それにしても、慰安所の門前で記念撮影をする、軍医や従軍看護師のうしろの門柱の標語は衝撃的である。「聖戦大勝の勇士大歓迎」「身と心を捧ぐ大和撫子のサービス」。侵略軍とはここまで、倫理観が倒錯してしまうのか。(続く)


(承前)「慰安婦」被害者シム・ダリョンさんは、吉田証言がいうような、暴力的な強制連行の被害者であるとともに目撃者でもある。故郷は、当時植民地だった朝鮮(韓国)の慶尚北道。強制連行時に、彼女を乗せた車は近くの小学校にも寄り、そこにいた小学6年生の女子生徒も連行したという。(続く)


(承前)「車に乗せられて行くとき、私たちはどこへ行くのか分からなかったけど、…周りにいる人たちがだれなのか、見ると、学校の生徒のようでした。どこか近くに小学校があったようで、生徒たちをいっしょに乗せたみたいでした。車で乗って来た子たちは、後で聞いてみると、6年生だと(続く)


(承前)いうことでした。6年生の子が、学校から出て来るのを全部車に乗せたんですよ。本の包みはみんな足で蹴飛ばして、いっしょに連れて行ったんですよ。そのとき、6年生っていったら、私と同じ年頃になるけど、その子たちもそのまま連れて行かれたようだね。私は車の中で、じっと(続く)


(承前)うつぶせになったまま、他の人の話を聞くだけだったけど、字の読める人なら分かったでしょうけど。どこの国民学校だったか、その頃はみんな本の包みをこう腰にぶらさげていたけれど、そこをこうつかんで、だめなら、それを引きちぎって投げ捨て、人間だけ乗せて行ったんですよ。(続く)


(承前)子どもたちは、それこそ死にそうに泣き叫んだから、靴で蹴飛ばしたけれど、向こうのほうにいる子たちまで、泣き出しましたよ。靴で一度、蹴飛ばされたら、どんなに痛いか…」(『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅱ』P51~52)。リアルである。(続く)


(承前)しかし、字が読めなかったシム・ダリョンさんは、連行された小学6年生のいた小学校の名前がわからない。慰安所生活でも、軍人によるあまりに非人間的な性暴力が随所に描かれているのに、こうした証言を「肝心な時と場所があいまいだから信憑性がない」と、切り捨てていいのか。(続く)


(承前)「戦争と女性の人権博物館」の2階には、添付の写真に示す「動員の方法」という一覧表もある。2004年、当時の203人の「慰安婦」被害者の韓国内生存者を対象にした調査である。「どのような名目で動員されたのか」については「仕事・工場、看護師」が49.3%(100人)で(続く)




(承前)最も多く、「まったく分からなかった」が27.6%(56人)で次に多く、「挺身隊、処女供出、勤労挺身隊」が14.8%(30人)、「衣食の保障」が3.9%(8人)、「その他および把握不可能」が3.5%(7人)、「訓練させる」が0.5%(1人)、(続く)


(承前)「奉仕に行く」が0.5%(1人)と続く。また、同じ時に行なわれた「動員方法」については、就業詐欺、誘拐および拉致、官憲の圧力の順だったとある。ここには、よく歴史修正主義者らが持ち出す「人身売買」「親に売られた」などという業者の「商取引」を想起させるものがない。(続く)


(承前)「2004年、当時の203人の『慰安婦』被害者の韓国内生存者を対象にした調査」との記述に注目。下記の記事にあるように、2024年までに韓国政府に登録された「慰安婦」被害者は240人。つまり、20年の間に大部分が死去。その生存時の調査である。(続く)

【ハンギョレ新聞の記事~日本軍「慰安婦」被害女性が死去…残る生存者は8人】


この調査から、いろいろなことが分かる。まず、秦郁彦氏のデタラメ。国連人権委員会の調査で次のように主張したという。「1991年から92年にかけて証拠を集めるために済州島を訪れ、『慰安婦犯罪』の主たる加害者は朝鮮人の地域の首長、売春宿の所有者、(続く)

【クマラスワミ報告】


(承前)さらに少女の両親たちであったという結論に達した」(クマラスワミ報告)。産経新聞や日本の「歴史修正主義者」、極右らが、吉田証言否定の「決定的証拠」とした秦郁彦氏の済州島現地調査のウソが、この調査で決定的に明らかとなっている。なにせ「203人の『慰安婦』被害者の(続く)


(承前)韓国内生存者を対象にした調査」では「どのような名目で動員されたのか」の回答で、両親が「慰安婦」として業者に売ったという証言がゼロ。もちろん「朝鮮人の地域の首長、売春宿の所有者」が主たる加害者だったという証言もない。また、秦郁彦氏の済州島の調査では(続く)


(承前)戦時中に「慰安婦」にされた女性がいたと話す住民を、まったく発見できなかった。こんな調査で「首長」や「売春宿の所有者」、「少女の両親」が「主たる加害者」だと結論づける、このトンデモ学者に、いまの日本の権威ある歴史学者やマスコミはまったく異議を唱えられない。なげかわしい。


以下、【報告】(10)に続く。


【各回へのリンク】
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(1)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(2)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(3)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(4)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(5)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(6)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(7)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(8)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(9)


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