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(2025年10月11日からの閲覧回数)


☆キボタネ韓国ツアーの報告(8)
(2025年9月6日~のツイート再録)
          フリージャーナリスト・今田真人



~「戦争と女性の人権博物館」の見学の続き~
【階段。叫びの壁】オーディオガイドは続ける。「(地下展示室から)階段を上がり、2階に向かいます〈1階は入口フロアなので立ち寄らない〉。階段に沿って壁面に刻まれた被害者の言葉を注意深く見つけて(続く)




(承前)ください。悪夢のような記憶を吐露し、絶叫する彼女たちの声は、壁のいたるところから、聞こえてきます。ゆっくりと足を進め、被害者の苦痛の歴史のような、暗い地下空間を抜け出し、明るい光が差し込む2階へと上がります。ゴツゴツとしたレンガが露わになったこの空間は、(続く)




(承前)被害者が歩んできた険しい歴史の足跡であり、希望に向かっていく、私たちの道のりでもあります。壁に刻まれた彼女たちの訴えは、明るくなるにつれ、希望のメッセージへと変わっていきます」
ハルモニ(被害者のおばあさんの愛称)たちの写真と韓国語などで書かれた訴えは、(続く)




(承前)次のようなものだという。
「生き残ったことが夢のよう。
夢といっても過酷な夢だけれど。
悔しくてたまらない。
青春をかえしておくれ。
たった一言でもいいから心のこもった謝罪の
言葉を聞きたい」(ガイドブックから)
(続く)




(承前)【戦争と女性の人権博物館2階の、歴史館。慰安婦と性奴隷】
オーディオガイドは言う。「最初にごらんいただく日本軍『慰安婦』歴史館では、まず『慰安婦』という用語と慰安所が、いつから設置されたのかについて、説明しています。慰安所が設置されてから、日本の植民地だった朝鮮で(続く)




(承前)何が起きたのかについて、思いをはせながら、みなさんがご存知の『慰安婦』という用語について、改めて考えてみてください。一つ重要なことは、『慰安婦』という用語は、歴史的な事実を明らかにするために使われていますが、その実態は性奴隷に他ならないということです」
(続く)


(承前)【歴史館。日本軍と『慰安婦』制度】
オーディオガイドは続ける。「日本軍『慰安婦』問題も戦争とともに生まれ拡大した犯罪です。戦争がどれほどおそろしい方法で、人の暮らしを壊すか、とりわけ女性の人生をいかに破壊するかを最も極端に示す例です。何よりもこのような犯罪が(続く)


(承前)日本政府と国家権力によって典型的な制度として実施されたという意味で、より深刻な問題だといえます。日本軍は占領地の女性に対する日本兵の強姦を防止し、軍人の間で性病がまん延するのを防ぐため、制度的に慰安所をつくり、運営しました。当時の日本軍の文書をみると、(続く)


(承前)日本軍が慰安所の設置を命じ、女性たちの募集と慰安所の運営に直接関与した事実があります。多くが幼い10代で連行された被害者たちは、どのような名目で連れていかれたのか。慰安所の様子は、どのようなものだったのか。写真などを通じて見てください」


【歴史館。展示物】
オーディオガイド「軍人が慰安所に入るときに使用した入場券と一種の割引チケットである『慰安券』などが展示されています。展示物の中には当時、日本兵に配られたコンドームもあります。『突撃一番』という名前が戦争の狂気に包まれた当時の状況を端的に物語っています。(続く)






(承前)そして、その横には、一人の軍人の写真と日記帳があります。日記の中には友人と慰安所に行ったという記録が残されています。ある日本人がより多くの人々に歴史の真実を伝えてほしいと、父親の残した日記と写真を寄贈してくれたものです」
(続く)




(承前)【歴史館。慰安所】
「広く場所をとっている絵は、慰安所内部の様子を一目でわかることができるように描いたものです。中心部を見ると、仕切られた各部屋で、女性が軍人に強姦され、部屋の外では多くの軍人が順番を待って列をつくっています。絵の左側には料金と利用時間に関する規定(続く)




(承前)があり、軍人の階級によって差があることがわかります。絵の右側には、性病検査のための検診台と軍医の前に並んで待つ慰安婦女性が描かれています」
この絵は、被害者の証言などを元に韓国の絵本作家・クォン・ユンドクさんが描いた作品『花ばぁば』から。



クォン・ユンドクさんに聞いた:日本軍「慰安婦」にされた女性の物語 『花ばぁば』で伝えたかったこと | マガジン9


(承前)ちなみに、クォン・ユンドクさんの作品『花ばぁば』は、日本での出版が難航した。上記のインタビュー記事に詳しい。モデルの被害者はシム・ダリョンさん。戦中に植民地・朝鮮で、吉田証言のように、無理矢理トラックに乗せられて「慰安婦」にされた。(続く)



花ばぁば | クォン・ユンドク, 桑畑優香 |本 | 通販 | Amazon


(承前)当初発行予定の出版社から「シム・ダリョンさんのように無理矢理トラックに乗せられたケースではなく、『お金を稼げるよ』と騙されて連れて行かれたハルモニの証言をもとにしたほうが、普遍的な物語になるのではないか」と。吉田証言否定論が日本の出版界までゆがめていることを示す。(続く)


(承前)何が「普遍的」な「慰安婦の募集形態」かは、被害者の証言をまず、ありのままに聞き取り、その先にある実相に迫るのが、本来の研究態度であると思う。自分の頭の中にある鋳型に合わないケースを「信ぴょう性がない」と切り捨てるやり方は、実証主義でさえない、主観的観念論だ。(続く)


(承前)「慰安婦」被害者のシム・ダリョンさんの証言は、ジャーナリストの伊藤孝司さんが誠実な取材を重ねている。その成果は同氏の著書『無窮花の悲しみ[証言]性奴隷にされた韓国・朝鮮人女性たち』(2014年2月、風媒社)に詳しい(P164~)。






(証言)伊藤孝司さんの著書によると、シム・ダリョン(沈達連、シム・タルリョンとも表記)さんは、慰安所で受けた過酷な体験で過去をほとんど覚えていなかった。伊藤さんは、まず彼女の家族とともに、連行された当時の自宅探しを始め、ついに自宅や強制連行された現場まで発見していく。(続く)


(承前)「一家の生活は貧しくて学校には行けませんでした。食糧の足しにするために、ヨモギを姉と2人で摘んでいました。すると、赤い腕章をした兵隊に突然手を捕まれ、広い道の方へ引っ張られて行ったのです。そこには幌をかぶせた1台のトラックが止まっていて、数人の兵隊がいました。…(続く)


(承前)乗せられる際に抵抗した私は、靴でひどく蹴られました。荷台にはすでに何人かの女性がいました…」。こうしてシム・ダリョンさんは、奪われた強制連行の記憶を取り戻した。 伊藤孝司さんを、あの「ニュース打破」が特集番組で取り上げている。(16:35~)



(28) 뉴스타파 - 목격자들 9회 "온몸에 각인된 기억들 - 일본군 위안부를 기록한 일본인들"(2015.6.1) - YouTube


(承前)伊藤孝司さんは、この特集番組で、次のように言う。「彼女(シム・ダリョンさん)は、お姉さんといっしょに日本兵によって、ちょうどこの場所からね、連行されたんです(写真)。ここで、ヨモギを2人でお姉さんといっしょに摘んでいて、うしろから日本兵にはがいじめになって(続く)




(承前)トラックに乗せられて台湾へ連れて行かれたというね、典型的な暴力的なね、強制連行の被害者なんです。その、日本で(植民地・朝鮮では)強制連行はなかったっていうね、これはもう何度も何度も、そういう話が出るんで、その時に彼女こそ、典型的な強制連行による被害者の典型だと(続く)


(承前)思って、彼女(シム・ダリョンさん)に改めて話を聞きに行ったんだけど。彼女の自分の台湾での慰安所の過酷な経験によって、記憶の一部がね、失われていたんだけども。自分の住んでいた場所もわからないということだったんだけど。ずっといろんな人に聞いて回って。(続く)


(承前)これなんか(写真)、昔から、そこに住んでいるという、おじいさんと話をしていたら、そういえば昔、その娘が2人で、姉妹が連れて行かれたという話、知っているよ、そういった証人がいたりしてね。で、そういった証言をもとに、自分の住んでいたうちを見つけ出したんです。(続く)




(承前)建てものは、ちょっと変わっているんだけど、井戸はね、自分が暮らしていた時の井戸とまったく同じだったんですよ。それで自分のかって住んでいたうちが分かって、それでそこからちょっと歩いたところにある、自分の連行された場所を見つけ出したというね。この、そのときのね(続く)


(承前)映像なんですけどもね」「その時に語ってもらった話を、かなりの人たちが亡くなってしまっているんだけども、それをね、やはりある意味では、私に託された彼女たちの遺言じゃないかなと。で、必死の思いで私に、そのつらい体験を語ってくれたというのはね、彼女たちから私に託された(続く)


(承前)言葉。そのように思って、それをもう一度ね、日本社会に私がきちっと彼女たちの証言を出してくというね、それがやっぱり必要なんじゃないかな、と強く思ったんですよね」「大阪の橋下市長の発言であるとか、NHKの籾井会長の発言なんかに非常にそういう具体的なことがあって、実際に(続く)


(承前)彼女(シム・ダリョンさん)たちが受けたことをね、きちっと出す。文字通り彼女たちは、みずからの意思に反して、強制的に連れて行かれたというのはね、これはもう明らかな事実なわけですよね。だから、やっぱり、その事実を本当は実際に彼女たちが、みずから語る方が(続く)


(承前)いいわけだけども、それがもうむずかしい。だけども私には、きちんとね、その時の詳細な話をしてくれているので、それをやはり、もう一度、こういった形で、出版をしようというように考えたわけです」。 伊藤孝司さんの取材活動は、私には「戦争と女性の人権博物館」での大きな発見になった。


以下、【報告】(9)に続く。


【各回へのリンク】
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(1)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(2)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(3)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(4)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(5)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(6)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(7)
☆2025年9月6日~10日、キボタネ韓国ツアーの報告(8)

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